辞めたい男
神様は人の都合を理解できないし手加減しない。
「あと、1週間。頼む!頼むよ!!」
辞表を人事を兼ねた社長に提出したが受理されずその場で突き返された。
振り返ると目に光の無い幽鬼のような従業員が辞め逃げは赦さないという表情で此方をみていた。
休みは愚か残業手当も給与の支払いも滞るこの職場に残る理由なんてない筈なのに考える気力が残っていなかった。
20連勤以上したのは確かだが正確な日数を数えられない精神状態だったのも影響していたんだろう。
このブラックな職場に退職を掛け合っても受理されない異常事態も追い打ちをかけていた。
自宅に着替えを取りに行く帰り道。
俺は魔が差したのだと思う。
普通は通らない鎮守の禁足地に近道するために足を踏み入れた。
鎮守の森…と言うより規模的に雑木林の筈なのだが生い茂る木々によって光が遮られ昼でも暗く結界の様に囲む枝葉が周辺の風景を覆い隠す。
呼ばれた気がして目線を向けると祠の上だけぽっかりと穴が開いた様に光が差し込み真っ直ぐに光が当たっていた。
その場で引き返せば良かったのかも知れない。
でも、火に虫が吸い寄せられるように祠に足が向いた。
近寄ると祠の状態は酷かった。
朽ちた破風に壊れた蝶番の壊れかけた祠。
ボロ祠にも関わらずゾワリと畏怖のような感覚に襲われた。
俺は胸ポケットに入っていた非加熱タバコの釣り銭を賽銭箱に投げ入れた。
…コン。
拝みに来る者がいないのだろう。
他に賽銭が入っているように感じない乾いた木板に小銭がぶつかる音が響いた。
「まともな所に再就職できますように。
だめでもせめて未払取り返して退職したい。」
小銭で願うには過剰な願いだったのかもしれない。
何故って?
俺は禁足地から出た直後に居眠り運転の車にはねられて救急外来で診察の順番待ちをしているからだ。
正直、全身痛くて息をするのも辛いのに容赦なくスマホから社長の通知がくる。
『今、何処にいる?』
『あと、どれくらいで戻れる?』
『返事したらどうなんだ!』
『未払の給与払わないぞ!』
『有給消化なんて認めない即効クビにしてやる!』
クラクラと目眩のしそうな文字列。
ふと、横から褐色の腕が伸びてきた。
「困ッタネ、良くなィシャチョさんネ。」
片言の日本語を喋る病院スタッフがスマホの画面をスクショした。
「記録ダイジ、センセ。言ってタ。」
別件で同室にいた危機管理室付の弁護士が困った顔で
「帰宅途中の事故は労災扱いに本来なりますし。」
言葉を濁したが支払われる健康保険の影響もあるので病院側としては取り漏れ無いよう介入してくれるようだ。
診断結果は右肩の脱臼と肋骨が2本折れているらしい。
連勤の影響で身体の衰弱もあり無職になる予定だが入院となった。
あの祠に願った事が叶ったようで俺は苦笑いするしかなかった。
残念なことに病院で聞いたほんとにあった話が元ネタ。




