魔王と交わした盟約
この男は一体何を言っているんだ。
一瞬思考が止まりかけ、スフィリアは本気で当惑してしまう。
どこかも分からないところに勝手に連れてきておいて、後は好きにしろなんてあまりにも勝手過ぎはしないか。
数秒かけて冷静さを取り戻すと同時に段々と憤りにも似た感情が込み上げてくる。
ここでようやく口を開くことができた。
「……あなたは、一体何がしたいの?」
他にも訊きたいことはたくさんあるが、自分でもまだ全然心境の整理がついていないので、ひとまずは勇者の返答を待つことにする。
勇者は窓の外にちらりと視線を遣ってから、もう一度スフィリアと向き合った。
「交わした約束を果たしたい。それだけだ」
「答えになってない。ねえ、それって誰との約束なの? そもそも、ここまでして守るべきものなの?」
「ああ」
即答だった。
真っ直ぐとスフィリアを見据えて力強く首肯すると、勇者は続けて言う。
「少なくとも俺にとっては、絶対に果たすべき使命だと思った。お前を安全な場所に送り届けて、平穏に暮らさせる。——魔王アスラとの盟約だ」
「、っ!? ——父との……約束」
分かってはいた。
けれども、いざ彼の口から父の名前が出されると、本当に死んでしまった事実が実感として湧いてきてしまう。
「……俺は、勇者として魔王を討つ使命があった。戦わなければならなかった。そうしないと人類と魔族の全面戦争は避けられなかったからな」
勇者と魔王の決戦は絶対に避けられない。
父もよく同じことを口にしていた、とスフィリアは思い出す。
だから勇者一行が魔王城に乗り込んできた時は、父が敗北することも覚悟していた。
——そう覚悟していたはずなのに。
改めてその事実を突きつけられると、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
鼻の奥から目頭にかけて熱を帯びていく。
「これはお前に言うべきことではないのだろうが、魔王を討ったことを間違いだとは思っていない。だが実際に対峙して、決して完全な悪だと断ずるような存在でもないと思ったのも事実だ。だから、せめてあの男の遺志だけでも報いたいと思った」
「……父の遺志。それって——」
「お前だ、スフィリア。魔王アスラの娘にして、魔族と——人の混血のお前を人間として平穏な生活を送らせる。それが魔王の遺した遺志だ」
「っ!? ……分かって、いたんだ」
「実際にこの目で見るまでは半信半疑だったがな」
魔族は身体的特徴として角と尻尾を持つが、スフィリアにそれはなく、外見だけなら一般的な人間と何ら大差ない。
なので、素性を隠せば人間の世界に紛れて生きることは不可能なわけではないだろう。
「……だがまあ、今すぐ答えを出す必要はない。それまではここを好きに使ってくれて構わない」
言ってからすぐに勇者が部屋を出ようとしたので、スフィリアは咄嗟に呼び止める。
「待って。どこ行くの?」
「王都だ。魔王を討伐したことを王に報告してくる。戻ってくるまでに数日はかかる」
背を向けたまま答えると勇者は、スフィリアの反応を見ることなく今度こそ部屋を後にした。
対するスフィリアはというと遠ざかっていく足音を聞きながら、閉められた扉を呆然と見つめることしかできなかった。
「……もう、訳が分からないよ」
そして、ぼそりと呟くも、スフィリアの弱々しい声は室内に虚しく消えるだけだった。




