『彼を解放して!』とおっしゃいましたが、何から解放されたいのですか?
「リーゼロッテ様!」
春うららかな午後。
ここは、16歳~18歳までの貴族が通うことを義務付けられている、王立貴族学園です。
昼食を終え、友人たちと教室に戻ろうと歩いていると、突如呼び止められました。
振り返ると、そこには見知らぬ令嬢がいました。
どなたかしら?見覚えがないのだけど…
恐らく、私が困惑していることに気付いた友人の一人が「レーナ・フォーゲル伯爵令嬢ですわ」とこっそり教えてくれました。
フォーゲル伯爵令嬢……
……はい、会ったことはありませんね。
「どなたかしら?」
名前は教えてもらいましたけれど、素知らぬ顔で問いかけます。
「え?!あ、私はフォーゲル伯爵家のレーナと申します」
「そうですか……私はリヒテンベルク侯爵家のリーゼロッテ・リヒテンベルクと申しますわ。私、フォーゲル伯爵令嬢にお会いしたことがありましたかしら?」
貴族は名乗り合うことで『顔見知り』と認識します。
名乗り返して、言外に「会ったこともないのに名前呼びました?」と滲ませます。
『貴族の会話』というものですね。
「え?いえ、初めてお会いします」
「そうですか……それで、何かご用かしら?」
なぜ、先ほどから私が問いかける度に驚いているのでしょう?
まるで「え!?私のこと知らないの!?」と言わんばかりですけれど、知りませんよ?
と、いうかこの方、本当に伯爵令嬢ですか?
その割に貴族としてのマナーがなってないのだけれど…
「あの、彼を解放してください!」
彼……それは、あなたの後ろにいる私の婚約者であるエミール様のことですか?
⸺⸺エミール・モンテスキュー公爵令息
エミール様は、モンテスキュー公爵家の二男で私の婚約者です。
私は学園卒業後、母の実家である侯爵家の跡継ぎとして養子に入ります。
卒業までは『リヒテンベルク家の娘でいてほしい』という父のわが……いえ、お願いで養子縁組みは待っていただいています。
エミール様は二男なのですが、お父様であるモンテスキュー公爵閣下の判断で、エミール様には余っている爵位は渡さないと言われています。
ですので、自分で騎士爵を叙爵するか、婿入りするかしない限り平民になります。
一応、私が学園卒業後に婿入りという形で結婚予定……のはずなのですが……
「レーナ嬢、落ち着いて。こんなところで話すと目立つからね」
エミール様はフォーゲル伯爵令嬢を宥めていますが、残念なことにポイントがずれています。
そこではありません。
「ごきげんよう、エミール様」
「うん。リーゼロッテ、突然ごめんね」
私が挨拶をすると、困ったように眉を下げています。
「エミール様は、フォーゲル伯爵令嬢と随分と親しくされていらっしゃいますのね」
先ほど、エミール様はフォーゲル伯爵令嬢をファーストネームで呼びました。
婚約者でもない令嬢をファーストネームで呼ぶのは、普通はありえません。
「そうだね。二年生の頃に同じクラスになってから親しくしているんだ」
あっさりと認めました。
エミール様は昔から、呑……いえ、考えな……穏やかな方なので、当主は無理だけれど補佐としてなら大丈夫だろう、ということで、私との婚約が決まったのですが……
「それで『エミール様を解放してほしい』とは、どういうことでしょう?拝見する限り、私の目には何かに囚われているようには見えないのですが……」
困惑しているかのような表情を浮かべ、頬に手を添えながら小首をかしげます。
「「え?」」
私の答えの意味が理解できなかったようで、二人ともぽかんとしています。
私の友人たちは、当然、意味を理解しているので不愉快そうに扇子で口元を隠していますね。
大丈夫です。
私も何度、エミール様の頭を扇子で引っ叩きたくなったことか……
「え、あの、エミール様との婚約を解消してほしいのです!」
エミール様よりも先にフォーゲル伯爵令嬢の方が、脳内を再起動したようです。
「まあ、婚約解消ですか?エミール様もそれをお望みで?」
「え?ああ、そうだね。レーナ嬢と出会って恋に落ちたんだ」
エミール様のつまら……いえ、ありきたりなセリフに「エミール様…」とフォーゲル伯爵令嬢は頬を染めて、お互いの手を握りながら二人の世界へ旅立っています。
私は、いったい何を見せられているのでしょう?
演劇にしては、かなり昔から使い古されている陳腐な内容で、まったくトキメキもしなければ、感動もありません。
「そうですか。フォーゲル伯爵令嬢は、お家をお継ぎになるご予定がございますの?」
「いえ、ありません」
即答しましたけれど。え、ないんですか?
と、するのであれば……なるほど。
「そうでしたのね!申し訳ございませんでしたわ。私ったら鈍くて…」
少し、恥ずかしそうに謝罪の言葉を述べます。
「お二人が貴族という枠組みの中から解放されたかったとは思いもしませんでしたわ!」
「「は?」」
ちゃんと、理解しましたよ!という意味も込めて話したつもりでしたが、再び二人ともまぬけな顔をしています。
あ、うっかり本音が。
「確かに、愛し合うお二人は継ぐ家がないのですから、結ばれるには貴族籍を捨てるしかございませんものね」
エミール様は勉強は普通にできますが、剣の方はからきしですので、今から騎士爵を狙うのは不可能です。
絶望的に無理です。
なので、継ぐ家がない二人が結ばれるとしたら、私との婚約を解消し平民になるしかありません。
今から寝る間も惜しみ、必死に勉強をしたらエミール様なら王城の官吏を目指せるでしょう。
ええ、本当に寝る間も惜しめば。
「え、いや、貴族籍は捨てるつもりは……」
「え?違いました?ですが、お二人には継承できる爵位がございませんわ。モンテスキュー公爵家に余っている伯爵位はございますが、公爵閣下がエミール様には『領地運営を任せることはできない』と判断されましたので、次期侯爵の私と結婚して補佐をしていただくことになっておりましたでしょう?」
「そうしませんと、エミール様はお兄様が公爵位を継承されましたら、平民となりますので」と説明すると、二人とも顔色がみるみる青ざめていきます。
え?間違えましたか?
でも、私は事実しか言ってませんが…
「で、でも!私たちはお互い、愛しあって!」
「愛しあっておりましても、叙爵されることはありませんわ。爵位とは、それに見合った功績がある者に与えられ、そして、貴族籍も義務と責任を果たす者に、その特権として与えられるものですもの」
至極当然の正論を言い放つと、もうお二人とも何も言葉を発することができなくなりました。
「何やら、おもしろそうな話をしているようだね」
突然、話に首を……いえ、入ってきたのは、この国の第三王子であるルートヴィッヒ・フィッツロイ殿下です。
……面倒なことになりました。
私の父はこの国の宰相として働いており、幼い頃からエミール様とともに、この方とよく交流をしていました。
この王子、顔はにこにことしていますが、お腹の中は真っ黒です。
余計なことをペラペラと父に話されては、溜まったものではありません。
「エミールが、リーゼロッテと婚約解消するって聞こえたんだけど、本当かな?」
何故か、殿下はフォーゲル伯爵令嬢に尋ね、彼女はコクコクと首を縦に振っています。
……こういう人形を、どこかで見たことがあるような気がします。
「エミールも同じ気持ちかな?」
「えっ、わ、私は……」
……何やら私をチラチラと見ていますが、助けませんよ。
エミール様は『自分の考え』というものが、まったくありません。
そのため、周りにすぐ流されます。
父が決めたことなので、今までは面倒をみていましたが本人が「婚約を解消したい」と珍しく主張したのです。
モンテスキュー公爵閣下にも、ご子息の成長を喜んでもらいましょう。
ついにルートヴィッヒ殿下とレーナ様の無言の圧力に負け、エミール様が小さく頷くのが見えました。
「ご用件は済みまして?エミール様、婚約解消の件は私から両親に伝えておきますわ。では、私たちは授業に遅れますので、これで失礼させていただきますわ。殿下も、ごきげんよう」
カーテシーをしながら一気に話すと、友人たちも美しいカーテシーを披露していました。
校舎に向かって友人たちと歩き始めたところで、一つ言い忘れていたことを思い出し、足を止めて振り返ります。
「一つ言い忘れましたが、私、フォーゲル伯爵令嬢に名前を呼ぶ許可は出しておりませんので、以後控えてくださる?」
これから平民になる予定であれば、会う機会はそうないでしょうけれど、一応伝えておかないといけません。
「では、今度こそ失礼いたしますわ」と言い残し、教室に向かって歩き始めました。
私たちが去るのを見て、ルートヴィッヒ殿下も移動を始めていましたが、あの二人は固まったままで授業に出ないつもりでしょうか?
まぁ、どうでもいいですけれど。
教室に着くまでの間、友人たちがフォーゲル伯爵令嬢に関して教えてくれました。
どうやら彼女は三年前まで男爵令嬢だったそうですが、親類のフォーゲル伯爵家に養子として引き取られたそうです。
フォーゲル伯爵令嬢は男爵家の三女だったので、彼女の両親は喜々として養子に出したそうです。
伯爵家にはご子息が二人おり、跡継ぎには困っていないのですが、事業の取引関係で婚姻関係を結びたい家門があるそうです。
そのお相手は、フォーゲル伯爵令嬢よりも15歳ほど年上の方だそうで、爵位は同位の伯爵位。
15歳程度の年の差であれば貴族社会では珍しくはありませんし、男爵令嬢が伯爵夫人になれるなど、そう多いことではありません。
周りとしても、いい話だと考えたでしょう。
しかし、当人のフォーゲル伯爵令嬢は「いくら伯爵夫人になれるとしても、15歳も年上なんて嫌よ!」と拒否し、学園内で高位貴族の令息たちに付きまとっていたそう……
私は領主や官吏を目指す人が多い成績優秀者が集まる特進科で、エミール様は成績が平均から少し高めの者が集まる普通科。
そして、フォーゲル伯爵令嬢はギリギリ平均の成績のため、滑り込みでエミール様と同じクラスに入れたようです。
帰宅後に両親に「エミール様から婚約解消の申し出があったので同意した」ことを伝えると、父はすでに把握していました。
……間違いなく、あの王子の仕業です。
速やかにエミール様との婚約は解消され、せっかくエミール様のお守りをしてくれるうえ、貴族のままでいられる婿入り先をあてがったのに、とモンテスキュー公爵閣下は「官吏の採用試験を受け、ダメだったら勘当だ!」と激怒されたそう。
その結果、採用試験まで半年を切っていたので勉強が間に合わず、落ちたそうです。
まあ、そうなるでしょうね。
結局、彼はモンテスキュー公爵家から籍を抜かれ、領地の代官補佐になったようです。
フォーゲル伯爵令嬢も予定どおり、卒業と同時に取引先の伯爵家に嫁がれたそう。
そのために、養子に迎えたのですから当然です。
そして、私はといえば、早々に新しい婚約者が決まりました。
「やぁ、リーゼ」
……そうです。
ルートヴィッヒ殿下です。
父にエミール様のことを告げ口をすると同時に、自分のことを売り込んでいました。
父も渋ったらしいですが、国王陛下からの後押しなど外堀を埋められており、トントン拍子に私の婚約者の座に収まっていました。
……まあ、知らない人よりかはいいでしょう、と自分を納得させました。
ルートヴィッヒ殿下は先に卒業したので、私が卒業するまでは祖父に領地運営の指導を受けています。
エミール様たちは『解放して!』とおっしゃっていましたが、本当に解放されたかったのは『私』ですよ?
フォーゲル伯爵令嬢のおっしゃった通り、エミール様は『解放』されました。
お望みが叶って良かったですね?




