一人きりの器楽曲
次の日、響は職員室の前に立っていた。
手にはプリントを握りしめ、背筋はピンと伸びている。
「よし、行くか」
意を決して扉を開く。
人々の喧騒。複数台のプリンターが唸る音。鳴り響く電話。
職員室特有の喧騒が響を迎え入れる。
響は迷わずに担任のもとへと向かう。
その足取りは重く、今までにないほど抵抗を感じた。
「先生」
「お、鮫島じゃないか。どうした」
先生は仕事を止めて、メガネを外して響の方に向き直る。
「部活のことについてなんですが」
「ああ入部届持ってきたのか?いったい何の部活にするんだ?」
響はその問いに、しばらく沈黙した後、入部届を置くことで返す。
「け、軽音楽部?」
「はい。駄目ですか?」
「いや、ダメじゃないが……。なんというか意外で」
「そうでしょうか」
「そりゃそうだろ。入学したてといえど話題になってるんだぞ。音楽家の息子だって」
「そう、ですか」
それは、あまり聞きたくない事実だった。
音楽家の息子が軽音楽など、どんな目で見られるかわかったものではない。
「まあ少なくとも俺はとめるようなことはせん。安心しろ」
「ありがとうございます。それじゃあお願いします」
だがしかし、と担任は去ろうとした響を引き止める。
「もしテニス部に来たくなったらいつでも来ていいぞ。経験者は大歓迎だ」
「そういえば先生はテニス部顧問でしたね……。遠慮しておきます」
「そりゃ残念だ」
今度こそ職員室から立ち去る響。しかし、肩の荷はまだ降りていない。むしろこんなもの序章どころか前奏にすぎない。
4階の端にある音楽室。その対角にある空き教室が、軽音楽部の部室だ。
「……よし」
再び意を決して扉に手をかける響。
そのなかに広がるカオスで騒がしい空間に期待を寄せて、扉を明け放ったーー
静寂。
物音ひとつしない教室には誰もいない。古めかしい木の香りが漂い、重く淀んだ空気は逃げ場を求めて響のもとに押し寄せてくる。
「あれ?」
教室を間違えたかと思い、一旦表示を見る。手元のプリントにある教室で間違いない。
「……どういうことだ?」
「あのぉ」
突然後ろから声をかけられた響は、驚き後ずさる。
「もしかして軽音楽部入部希望者ですか?」
「は、はい!」
その女子生徒は、つけているリボンの色からして3年生の先輩のようだった。
そしてその顔には見覚えがある。先日の入学式で生徒代表としてあいさつしていた、生徒会長だ。
「残念な話ですが……軽音楽部はこのままだと廃部になります」
「……なんですって?」
♪♫♪
「という経緯で、部活として存続人数が足りないため、軽音楽部は廃部となってしまうんです」
「なるほど」
つまりは人が足りないという話である。
今年の3年生は運悪く誰もおらず、2年生は唯一いたバンドが解散し全員部活を辞めた。
「なんとかならないんですか?」
「人がいれば存続できます。本来はすぐに廃部手続きに入るのですが、入部希望者がいるなら、生徒会としては少し待ってあげてもいいですよ」
「待ってもらえてる間に人を集めろ、ということですか」
「はい、そうなります」
響は顎に手を当てて考える。
残念ながら彼に人望もなければ、見知らぬ他人を勧誘する勇気もなかった。
「わかりました。とりあえずなんとか足掻いてみます」
「先生たちの説得は任せてください。フフ、腕が鳴ります」
「ありがとうございます。お願いします」
不敵な笑みを浮かべる生徒会長に一抹の不安を覚えながら、去っていく生徒会長を見送る。
「ふぅ」
一息ついてから、再び響は部室に向き直る。
よく見れば、備品なのか私物なのかわからない楽器が、持ち主を無くして居場所を探している。
「さて」
部室に転がっているエレキギターを手に取る。
彼はギターを弾いたことはなかった。しかし、弦楽器なら経験がある。
開放弦で音を鳴らす。チューニングの音が合ってるかどうかは、響はしらない。
次に単音で音をとる。弦楽器である以上基本的な仕組みは変わらない。特にギターは半音ごとに目安となるフレットが用意されてる分、簡単にも見えた。
単音だけで昨日聴いたあの曲をなぞる。音程は正確にたどれたはずだった。
「足りない、何かが」
根本的な話、エレキギターは素の音を奏でるものではない。アンプとエフェクターがあってこその楽器だ。
しかし、ヴァイオリンとピアノくらいしかまともにやってなかった響は、そんなことは知らなかった。
指に弦が食い込み、ピックを持つ手が痺れる。
それでも、新たな音楽の可能性を探し続けた。
部活動が許されるのは放課後の2.5時間だけ。
その時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
♪♫♪
無造作に置いてあった鍵をかける。
窓を空けていたからか、来た当初のどんよりとした空気は抜けきっていた。
ギターを持って帰りたい気持ちを抑えて、階段へと向かう。
「あっ」
「あってなによ」
同じ棟の反対側。音楽室の方向からやってきた詩織と、階段前で鉢合わせる。
「いや、まさかここで会うとは思ってなくて」
「私はちょっと音楽室に用があっただけ」
そういう詩織の手には、真っ白な入部届が握られていた。その空白の欄は、まだ提出してない割には悩んだ形跡もない。
「吹奏楽部か?」
推測するのは難しくなかった。この入部時期に音楽室と言えば、吹奏楽部の体験入部だろう。
「楽器経験者は誰だって誘われるでしょう?あなたもいるかと思ったのだけれど……」
「最初に断った」
「みたいね。私も断ってきたわ」
「そう。それじゃ、俺習い事あるから」
「待ちなさいよ」
静止も聞かず、響は階段を降りていく。
「まったく、いつもこうなんだから」
詩織は階段を降りようとして、ふと立ち止まる。
自分は音楽室から出てきた。じゃあ対面から歩いてきた響はどこから来たのだろうか。
ふと階段を降りるのをやめ、音楽室の反対側へと向かう。
本当は向かう必要なんてない。なぜなら手元のプリントに答えはすでに書いてある。
しかし、向かう足を止めることはなかった。
一つの教室の前にたどり着く。
そこには、先程まで響がいた、軽音楽部の部室があった。
「嘘……でしょ」
詩織は何度も、手元のプリントと教室番号を見比べた。しかし、そこにある事実は変わることはない。
「軽音楽部」
詩織は、教室の扉を親の仇かのように睨みつけた。




