夢紡ぎミストブレッドを紡いで その二十五(終)
「行くぞッ!! リアッ!!」
ユウマの力強い叫びが、神殿の外に広がる空に吸い込まれていく。
それに応えるように、どこかからリアの声が聞こえた。
『ッ!! ……うん……お願い』
ユウマは、左手首に装着された『綴理の箱庭』に刻まれる、ウィスプもといリアを模したジェムにそっと肉球で触れた。──その瞬間、彼の体が微かに熱を帯びるのを感じた。
そして、ユウマは唐突に、誰も予想だにしなかった変身ポーズを取り始めた。
まず、レッサーパンダが相手を威嚇するように、両の前足を、びよーんと天に向かって伸ばした。その姿は、まるで二つのヒコーキ雲が軌跡を描くかのようだ。
次に、伸ばした前足をシュッと胸の前に下ろし、器用に、そして高速でぐるぐると回し始める。その間も小さな鼻をヒクヒクとさせ、目に見えない空中の芳香粒子を貪欲に、そして楽しそうにクンクンと嗅ぎ取っていく。
再びユウマが両前足をパッと上に伸ばす。すると彼の周りに目に見えないはずの光の粒が、彼に引き寄せられるようにきらきらと集まり始めた。
それらの粒子がやがて、彼の小さな体に綿菓子のようにふわふわと纏わりつき、白いオーラとなってユウマを包み込む。
ユウマはその粒子をすべて吸収するかのようにくるりと後ろに宙返りをし、そのまま空中で肉球を鼻にポンポンと優しく当てた。
その仕草が済んだ直後、彼の全身を包み込んでいた光が弾けて──
その姿が一変した。
そこにはもはや、いつも見慣れた黒白のハチワレ猫の姿はなかった。
純白のスコティッシュフォールドのような姿で、その毛並みはまるで雲から切り取られた綿あめのようにふわっふわである。しかしその白い毛並みはただ柔らかいだけでなく、どこか光を宿しているかのように神聖な輝きを放っていた。身丈は変わらないがその存在感は見る者の心を癒やし、同時に畏敬の念さえ抱かせる。
そして、ユウマはいつの間にか、村の神殿よりも高い上空に移動していた。
彼はタンポポの綿毛をそのまま等身大にしたかのような、ふわりとした塊を傘のように頭上に持っていた。空からヒラリヒラリと、まるで天の御使いが舞い降りるように優雅に落ちてくる。
普段着用している翡翠色のマントは純白の半透明な布へと変わり、光を透過させる空気の羽衣のようにひらめいていた。
村人たちは猫としての極限の愛らしさが爆発したユウマの姿を見て、脳髄を焼かれんばかりに魅了されていた。誰もが息を呑み、目元を緩め、そして一様に口元を綻ばせていた。
ミミとロッコはぴょんぴょんとジャンプしながら、どうにかそのモフモフが最大化した姿を捕まえようと必死に手を伸ばしている。
「えぇぇえっ!? 何っじゃこりゃぁあ!?」
自身の変貌ぶりに、ユウマは目を丸くして心底驚いている。
「どうなってんだ、俺の体!? しかも、空に浮いてんのかコレッ!?」
彼は自身の姿と宙に浮かんでいるという事実に、しっかりツッコミを入れた。
しかし、村人たちが虎視眈々と自分を狙っている(正確には、そのモフモフの毛並みを触ろうと隙を伺っている)ことを感じながらも、次に自分が為すべきことを思い出す。胸の奥で、時を越える香りがふっと立ちのぼった。
──『……ウフフ……ユウマ……おそろい……だね』
その彼方の声を抱きしめるように、白き姿の猫獣人は左腕に輝くバングルを頭上にかざし、本能のまま力強く詠唱した。
「綴れッ!! 《夢幻芳踪》ッ!!」
その瞬間、リーカ村を包んでいた空気そのものが一変した。
祭壇を中心に、神殿全体に満ちる光があたかも意思を持ったかのように空へと昇り始める。
村の上空にはそれまで見たことのない、世界を覆い尽くさんばかりの巨大な半透明の六角形が、宇宙に描かれた魔法陣のように荘厳に出現した。その六角形は世界の理を投射するかのごとく完璧な均衡を保ち、見る者の魂を揺さぶる。
ユウマの体から放たれる《夢幻芳踪》の光の粒子がまるで無数の蛍のように収束し、その巨大な六角形の中央へと吸い込まれていく。
それと同じくして遥か彼方から、ユウマの光とは似て非なる淡い光の粒が呼応するように、同じ六角形へと集結し始めた。
──それは、香のパンタニア綴理獣『ウィスプリア・ドゥール』の力。
二つの異なる光が螺旋を描き、一つの巨大な六角形の中で融合していく。力が結集したことを祝福するかのように、六角形はこれまで以上の煌びやかさで発光した。
その光は神殿のステンドグラスを通り抜け、村全体を、そして世界の一部を幻想的な色彩で染め上げていく。
その光の輝きと同時に世界全体が大きく震えるかのような、しかしどこか歓迎の意を示すような巨大な音が鳴り響いた。それは遠雷のようでもあり、大地が産声を上げたようでもあった。
リーカ村を囲うミルカの森の木々たちも、心地よく広がる風が葉擦れの音をかき鳴らし、この壮大な演奏を盛り上げているように聞こえた。
その音の余韻が残る中、リーカ村の遥か北にある、色鳥鮮やかな草花が踊る鏡の庭園──この世界の最果ての地で、幾星霜も眠りについていたような景色が、音もなく、ゆるやかに結晶化を解き放ち始めた。
そしてその解放を歓迎するかのように、リアの欣喜雀躍の想いが「香り」となり「風」に乗って、世界のあらゆる場所に染み渡っていった。
それは夜明けの空に差し込む光のように、地の底から芽吹く新芽のように、世界全体をやわらかく満たした。
──風は止むことを知らない。
風は静かに大地を撫で、夢の余韻をひとつ残して過ぎ去っていく。
リアこと『ウィスプリア・ドゥール』の気配は、まるで眠る前の安らぎのように、静かに、やさしく、世界に染み入った。
──そして。
ミーナの体調不良とミミの異変から始まった、この風香譚。
一つの夢は、パンとなり、世界を紡ぎ、そっと実を結んだ。
『夢紡ぎミストブレッド』を紡いで。
今回で『パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい』は完結いたしました。
ここまでお読みいただいた皆さん、本当にありがとうございました!
香の綴理獣ウィスプリアの解放まで描けたことで、
この世界の最初の大きな区切りを無事に迎えることができました。
ここまで支えてくださった読者の皆さんに、心から感謝します。
そして、少しだけお話させてください。
この物語は、もっとユウマを「応援したい」と思える主人公にしたい──
もっと分かりやすく読みやすい作品にしたい──
そんな気持ちが、書き進めるほど強くなっていきました。
その想いをしっかり形にするために、
一度ここで区切りをつけ、世界全体を磨き直す時間をいただきます。
来春、完全リブート版をゼロから開始予定です。
もちろん、本作『パンタニア見聞録』は大切に残します。
また読みに来ていただけると嬉しいです。
ここまでのお付き合い、本当にありがとうございました!
またお会いしましょう。




