夢紡ぎミストブレッドを紡いで その二十
深い眠りの中、ユウマはまだ意識の淵を漂っていた。昨日体験した怒涛の夢の冒険と、真名を解き明かした疲労が彼の小さな体をまだ手放さない。
◆
その頃、村の中心近くにある食堂の周りにはすでに多くの村人が集まっていた。今日の目的はただ一つ。ユウマが持ち帰った特別な材料で、かつてないパンを作り上げることだった。
普段パンはティナのパン屋で焼かれるが、今回ばかりは違う。これは村全体の願いであり協力の証。ティナは村人たちの助けを借り、みんなでこの特別なパンを焼き上げることを決めていた。
そこに食堂の女将、ミレイユがやってきて、普段は立ち入り厳禁の食堂の最奥にティナ達を案内した。
「ここはいつも誰も使ってないんだよ! 食材やらを置くのにちょうど良くってね! あっはっは!」
食堂の奥には、普段は物置として使われている古い焼き窯がひっそりと佇んでいた。その一帯は、村の中央広場に隣接するように露出している。焼き窯の表面は、村の神殿にも使われているような光沢を放つ特殊な石で出来ていた。
そして村人たちが、ユウマが持ち帰った不思議な素材をテーブルに丁寧に並べ終えた――その時だ。まるで本来の役割を思い出したかのように、その古き焼き窯が微かな光を放ち始めた。
「えっ……?」
誰かが小さく声を上げる。
幾何学模様が窯の表面に浮かび上がっていく。炉の内側からじんわりと温かな輝きが漏れ、まるで眠っていた魂が目覚めるかのような神秘的な光景が広がった。
「これは…………」
「すごいっす……」
鍛冶屋のベルンとフィルが、驚きと共に顔を見合わせた。彼らはすぐに意図を察した。二人は急いで鍛冶屋に戻り、炉の整備に必要な道具を揃えることにした。
そしてすぐに焼き釜の前に戻ってくると、卓越した技術をもとに手際よく、古窯の煤を払い、ゆっくりと火を入れ始めた。薪が焚べられ、パチパチと音を立てながら、炉の中に赤々とした復活の炎が宿っていく。
今回のパンに使う素材は『発酵草』と『木いちご果汁』以外は、村人にとって初めて見るものだった。
テーブルに並んだ素材は、どれも特別な意味を持っていた。
・発酵草(酵・E)
大地の生命を育む、膨らみの源。
・木いちご果汁(香・C)
森の奥にひっそりと宿る、甘酸っぱい香りのしずく。
そして、ウィスプリアがもたらした不思議な素材たち。
・白繭の風粉(粉・B)
夢の残響に反応して空中に舞い上がる、極微細な繭状粒子。
・眠語の記録種(形・A)
深層夢の中でのみ見つかる、過去の記憶が発酵して結実した幻の種子。
・言霊の繭核(香・EX)
「記憶の風」と「祈りの言葉」が凝縮された唯一無二の繭核。忘却の彼方に葬られた神代の真名──存在証明の結晶。
ティナは粉挽き職人のグレインに助言をもらいながら、どの素材をどう繋ぎ合わせるのか、その特性を探っていた。
だが、目の前に並ぶ素材は──『パンくろっく』にも載っていない未知ばかりで、ページを捲っても正解はどこにも書かれていない。その事実がティナの胸の奥にじわりと不安を滲ませた。
(……レシピには頼れない。今日は、自分の感覚に従うしかないんだ)
その後も、畜産農家のサラが大地の恵みをどう活かすかを語り、養蜂家のマイアは、甘露の扱いについて助言を与えた。
素材の性質はなんとなく理解できたが、問題はそれらをどの手順で、どう混ぜ合わせれば良いのかということだった。
その時、人々のざわめきの中、双子のミミとロッコがそっと前に進み出た。
村人たちがそっと通り道を開けた。
二人の間に微かな風が巻き起こり、淡い光が二つの体を包み込む。瞬く間に光が収束し、そこに現れたのは、再びかんなぎ「ミロニエラ」としての姿だった。
静かに瞑目したミロニエラの手元に、見えない書物が現れる。それは、古い物語を宿した、薄桃色の小さなマギブック。ほんの僅かだが誰かの声が遠くに響いているようだった。
書物のページが風にめくれ、そこから無数の光の蝶が舞い上がった。蝶たちは、ひらひらと宙を舞い――まるで意志を持っているかのように、パン作りの素材や人々の記憶の断片に触れていく。
一匹の蝶が『発酵草』に触れる。すると、その蝶の軌跡が淡い光の線となって残り、次の工程を示す。別の蝶が『木いちご果汁』の瓶に止まる。また新たな光の線が描かれていく。
それは、失われた言葉、忘れられた真実の残響を一時的に再現する――《記録投影》の力。
色とりどりの蝶の軌跡が、パン作りの正しい手順を幻影のように空中に描き出す。人々はその光景を口をぽかんと開けて見つめながらも、大まかな工程を理解していった。
ミロニエラに導かれた通りに、パン作りが本格的に進められていく。
ティナが粉を練り、グレインが粉の感触を確かめる。サラが土の香りを纏う発酵草を加え、マイアが甘い雫を落とす。
ベルンとフィルが炉に火を絶やさぬよう見守り、一人ひとりが自分の役割を、まるで祈りを捧げるかのように果たしていく。
それはユウマと双子たちが持ち帰った希望を、この手で形にするための村人たちの共同作業だった。
◆
一方、村の賑わいから少し離れた神殿では、神官のハンナが胸の内で燻るかすかな予感に従い準備を進めていた。特別なパンを焼くには、それ相応の「備え」が必要だと、彼女の直感が告げていた。
神殿の清掃はいつも以上に丁寧に行われ、普段は簡素な祭壇に彩り豊かな布が飾られていく。神殿に鎮座するオルガンも時折演奏を試みながら、ハンナ自らの手で丁寧に音を調律し直した。
神殿図書館にこもっていたリビも、ハンナの「備え」を補佐していた。古文書の記述を丹念に紐解き、祭事に必要なものや手順を示唆する言葉を時折ハンナに伝えていた。
普段の気だるげなハンナとは違う、どこか厳かな雰囲気が神殿全体を包み込んでいた。天窓から差し込む光を受けたステンドグラスも、特別なパンの完成を待ち侘びるかのように採光を鮮やかに跳ね返していた。
村長のセイルとその妻リラは、この一連の出来事をもはや村を挙げての祝い事だと捉えていた。これは単なるパン作りではない。リーカ村の未来を紡ぐ新たな伝承の始まりなのだと。
──村全体に、活気と期待が満ちていく。
◆
そんな村の賑やかな喧騒が、深い眠りについていたユウマの五感を少しずつ刺激し始めた。
まず、鼻腔をくすぐる香ばしい匂い。それは、彼の魂に刻まれた故郷のパンの香りによく似ていた。
次に、子どもたちの歓声や人々の楽しげな声が遠い波音のように猫耳に届く。
そして、それらをじんわり包み込むように流れる、神殿のオルガンの清らかな調べ──
それぞれの感覚が霞がかった雲をふわりと晴らすように、ユウマの意識をゆっくりと覚醒させていく。
自分の体が軽くなっていて、疲労が嘘のように消えていた。
そして、温かい日差しが差し込む部屋で、ユウマはゆっくりと目を開けた。
お読みいただきありがとうございます!
次回は明日12時更新予定です。
完結まであと6話です!
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