夢紡ぎミストブレッドを紡いで その十八
──『ウィスプリア・ドゥール』。
その名が空間に響き渡った瞬間、ウィスプ・コクーン改めウィスプリア・ドゥールは、内から湧き上がる光に身を震わせた。深き金糸が白繭の表面を駆け巡り、長き眠りから覚醒したように、その胎動を激しくする。
それは失われた記憶と物語が再び紡がれ始める、歓喜の産声。その眼光は柔らかさを損なわず、彼方の言祝にも似た、静かで明らかな喜悦で満ち満ちていた。
だがその喜びの表現方法はいささか──暴力的だった。
突如、繭の体はブヨブヨと膨張した。綿あめのような羽毛を風船のように揺らし始めたかと思うと、次の瞬間にはユウマの頭上をくるくると回り、風を巻き起こす。
そして、「わっしょい! わっしょい!」とでも言いたげにユウマの体を軽々と持ち上げ、二回転半ほど宙に放り投げた。
「おいおいおい! ちょっと待てって! うわぁっ! ふんぎゃぁあっ!!」
まさかの胴上げに、ユウマは空中で手足をバタつかせる。
白い羽毛が頬をくすぐり、視界を塞ぐ。
ユウマは「なんで俺がこんな目に!」と困惑しながらも、心臓が跳ね上がり、その温かな感触にどこか懐かしさを覚えてしまう自分がいた。
何とか着地したかと思えば、今度はウィスプリアの体が目まぐるしく点滅を始めた。まるで生まれたての電飾が初めて光を放つように、チカチカと不規則に輝いている。
「おーい、お前! ちょっとやめて! 落ち着けって──」
ユウマは冷静を装って声をかけるが、内心では苛立ちが渦巻いていた。
(これまでの苦労が走馬灯のように……)
ウィスプリアはまるで聞いていない。興奮のあまり、ぺかぺかと光りながらユウマの周囲をぐるぐると回り続ける。
「──こっちに来て、そこに座りなさい……。早く」
今度は淡々とした凍てつくようなユウマの声色に、ようやく白繭鳥の動きが止まった。黄金の光を宿す、まん丸の瞳が、ユウマを恐る恐る見つめる。
そしてゆっくりとユウマの近くへソソソッと寄ってきて、体を縮こまらせるようにして座った。
「……いや、この場合の座るは正座のことだから。そう、そこに大人しく正座しなさい」
ユウマは前足で地面をテシテシと叩く。
その異様な迫力に押され、ウィスプリアはさらに体を萎縮させて、白いふわふわの体を小さく丸めて正座に近い座り方をした。
巨大な鳥が大人しくなったのを見て、ユウマの中に鬱積していた感情が堰を切ったように流れ出した。
これまでの異変、見知らぬ空間での試練、そして何より、ミミとロッコの幼い身を案じた不安……。
──怒りの炎が、ユウマの心に燃え盛る。
「大体、お前は一体何なんだ!? 俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ!」
ユウマの声は、積もりに積もった感情の爆発となって空間に響く。
「ミーナさんが体調を崩したり、ミミやロッコが日に日に弱っていく姿に心配したり──」
ユウマは今までの鬱憤をすべてさらけ出す。
「古文書を読んで普段使わない頭を使う羽目になったり、最強の虫取り網が通じない素材の捕獲に奮闘したり……挙げ句の果てに、俺は自分の前世の仕事すら分からなくなったんだぞ……! 俺は猫だぞ! 疲れるだろ!」
ユウマの言葉は止まらない。彼の怒りが最も集中したのは、やはりこの一点だった。
「そして何より! ミミとロッコだ! あんな幼い子たちを不安にさせて、あんなに辛い思いをさせて……!」
胸の奥が締め付けられるような思いが蘇る。高熱なのに穏やかな様子のミミ、人並み以上に異変を感じ取っていた、ロッコの不安そうな瞳、頼りなげな表情。それを思い出すだけでユウマの心は重く沈んだ。
「お前は、あの子たちの涙を見たのか!? なあ!?」
ユウマは、正座するウィスプリアの綿あめのような体を肉球でポンポンとつついた。その衝撃で白い羽毛がふわりと舞い上がる。
「……だって……あの子たちは……『かんなぎ』。……いずれは……試練に……挑戦する運命……だったんだ。……ほんとは……ユウマに……絵本を見つけてもらって……彼らに……渡して……もらいたかったんだ。(テシテシ!)……あっ……はい……悪かったよ」
ウィスプリアは目線を逸らしながら、体の前で白い指(?)をツンツンと合わせて、消え入りそうな声でそう答えた。その言葉の端々には悪意は一切なかった。
「……でも……結果オーライ……ってやつだよね。……エヘヘ」
それでも反省の色が見えない繭鳥に対して、ユウマは頭を抱える思いだった。
(コイツ……全然悪いと思ってないな!)
呆れ果てた猫獣人は、そこら辺に落ちてあった羽ペンと紙を手に取った。カツカツと彼には大きめのペンを走らせ、大きな文字で書き出す。そして、それをウィスプリアの前に突き出した。
「これを、しっかり持って」
紙には、こう書かれていた。
──『わたしは わるい わたあめ です』
その紙をウィスプリア・ドゥールが受け取った瞬間、二人の意識の中にどこか懐かしい情景がふわりと浮かび上がった。それは──在りし日の生活の一コマだった。
◆
薄暗い空間で、大きな綿あめのような鳥が何やら看板をぶら下げて正座している。その眼前には、手を上に伸ばしてガミガミと怒りながら、繭鳥の頭を小さな手でつつく、一匹の三角の耳を生やした生き物。
そして、その様子を温かく見守るように周囲にたたずむ五つの淡い影。それぞれの影は光を帯びたオーラを放ち、圧倒的な存在感を漂わせていた。
ウィスプリアはその光景を見て何かを察したようだったが、ユウマは「何だ今の映像は?」と困惑しているようだった。
すると白き鳥はハッと何かを思い出したように、その白い体の中から淡く輝くひとつの結晶を取り出し、ユウマの前に差し出した。
ふよふよと浮かぶそれは、ユウマの肉球に優しく軟着陸した。
EX素材
・言霊の繭核(香・EX)
「記憶の風」と「祈りの言葉」が凝縮された唯一無二の繭核。
ユウマは、その朝霞を閉じ込めたような儚さを持つ結晶をそっと手に取った。
温かく、けれどどこか寂しげな香りがかすかに鼻腔をくすぐる──さらに脳内に成長を告げる通知が鳴り響く。
経験値獲得!
・EX素材入手 2000EXP
レベルアップ!
・22→24(615/920)
(おお! 経験値が大量入手できたぞ! 普段使わない頭を使って苦労したもんな……糖分を必要としてる……パンが食べたい……)
疲れ切った脳が甘いものを欲している。ユウマの脳内ではいくつものパンがビュンビュンと飛び交っていた。
そしてウィスプリアは先ほどの紙をなぜか大事そうに抱えながら、遠い目をしてこう呟いた。
「……これを……使った…………雲パン…………食べたいな」
その声には、遠い日の記憶への憧憬が込められていた。
「……あ、やっぱり古文書に書いてあったのは、お前の好きなパンの材料だったんだな」
「……うん……あれで……作ると……美味しいパンに……なるんだ……必ず……作ってね」
「……美味しいパンと言われて、作らない訳にはいかないな! でも俺が焼くわけではないんだけどな! 俺は、癒やしと食レポ担当だから!」
そのユウマの言葉に、ウィスプリアの体がピタリと止まり瞳を大きく見開いた。しかし、どこか満足したように、その白い体を少しだけ伸縮させて期待を表した。
すると、ユウマの体が淡く透け始めた。
──現実世界へ戻る時間が来たのだ。
ウィスプリアの瞳が、少しだけ寂しそうに揺れる。
「……いつか……会いに……来てね」
ユウマは「いま会ってるよね?」と少し戸惑いながらもこう答えた。
「行けたら行くよ……」
「……それは……絶対に……来ない……やつ」
ウィスプリアは即座に突っ込み、その言葉にユウマは思わず吹き出した。二人の間にわずかな笑いがこぼれる。別れの予感を和らげるような温かな瞬間だった。
そしてウィスプリアは、ユウマの透けていく姿を見つめながら、静かに、そして深く、呟いた。
「……また……あなたに……会えて……よかった」
その声は、風に乗ってユウマの耳に届く。遥かな時を越えて響いてきた、魂の奥底からの言葉のように──
「……みんなも…………待ってるよ」
「それって──」
ユウマの唇が、次の言葉を紡ごうと震えたその刹那。
空気がひとしきり揺れ、まるで世界そのものが呼吸を忘れたように時が静止する。
そして──ユウマの姿は、音もなく光の粒子となって風に溶けた。
それはただの消失ではなかった。彼がこれまで紡いできた「言葉」が、ウィスプリアに捧げられた「祈り」となって空へと昇っていくようだった。
無数の光のかけらがきらきらと舞いながら、見えないどこかへ導かれるかのように彼の濃密な残り香を置いて消えていく。
それは一時の別れのようであり、遥かなる未来への祝福でもあった。
名もなき祈りが、天へと還っていくかのように──。
ユウマが光に溶けて消えたあとも、ウィスプリアはしばらくその場所を見つめていた──猫型の輪郭だけが、夢の空気にほんの少し残っている気がして。
「……みんな……もうすぐ……だよ──」
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次回は明日12時更新予定です。
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