夢紡ぎミストブレッドを紡いで その十二
◆
ユウマのいる白い回廊のすぐ近くで、「ゴゴゴォォ!」という鈍い音が響き渡った。彼は一人静かに頷く。あの音はミミが正解した証だ。扉が開いたとすれば、自分も先に進まなければならない──ぼちぼち行きますか。
進んだ先、彼の目の前に新たな光の文字が浮かび上がった。そして先ほどと同じ、静かで確固たる声が響く。
『第二問』
『生地にバターを贅沢に練り込み、もっちりふわふわに仕上げる日本独自の製法は何と呼ばれていますか?』
問いが表示された瞬間、ユウマの三角耳がぴょこんと跳ねた。またパンの問題だ──これはもう、ボーナスステージに違いない。
(ふふ……見せてやるよ、俺のパンIQ!)
胸を張って尻尾もふわりと立ち上がって──
「中種法! ……いや、ちょっと待てよ」
猫目がギラリと光る。
「バターを贅沢に練り込むって言うから、まず中種法が浮かんだんだよ。でも、あれはヨーロッパ発祥だったかも……」
冷静に、つらつらと記憶の糸を手繰り寄せていく。
「いやいや、違うんだよ。問題は『もっちりふわふわ』なんだ。あれを極めるには水分量とでんぷんの糊化と……ああもう! ここまで出かかってるのに……!」
(一度試しに答えてみるか……不正解の場合どうなるかも知りたいから)
「中種法!」
──沈黙。
しばらくして、空間から冷たい響きが広がる。
『不正解』
『もう一度お考えください』
「……やっぱり。違ったか!」
一瞬、ユウマの胸の奥にヒヤリとしたものが走る。しかしすぐに呼吸を整え、思考を深く沈めていく。
(不正解の場合、特にペナルティとかは無かったな……いやでも、一度のミスまでは許容という場合もあるからな)
頭の中で製法がひとつずつ並び、ふるい落とされていく。
そして──ある一つの答えが、静かに形を結んだ。
(小麦粉の一部に熱湯を注いで、ぷるぷるの生地にする……水分保持率、でんぷんの糊化、日本独自……間違いない)
ユウマは深く息を吸い、今度こそ確信を込めて答えた。
「湯種製法!」
ユウマが両の手をびよーんと伸ばすと、空間全体が再びまばゆく輝いた。そして、彼の目の前には光の文字が力強く浮かび上がる。
『正解』
そして恐らくミミのいる空間の方から「ゴゴゴォ……!」という鈍い音が先ほどよりもはっきりと響いてきた。
「おお、また音がした! ……ってことは、ミミの方の扉が、開いたってことか! いい調子だ!」
ユウマは肉球をぎゅっと握り、遠く離れたミミに向けて心の中でエールを送った。
◆
ミミのいる絵本の空間では、ユウマの正解によって開いた扉から先ほどよりも強い光が差し込んでいた。その光は、ミミの心に一筋の希望を与えてくれる。
(……モフさまもがんばってる。わたしも、がんばらなくちゃ)
ミミは光差す扉へ恐る恐る近づいて、薄白い通り道を確認しながら、そのまま光の中へとゆっくりと歩を進めた。
そして扉の先には先程の絵本──ミミの来訪を心待ちにしてたかのように、次のページがゆっくりとめくられた。
同時に、無機質ながらも穏やかな声が響く。
『だい二もん』
『ロッコが「いちばんだいじなもの」をなくした日、ミミは何をしたか、思い出して』
ミミは絵本の光の文字と、隣にいるロッコの幻影を交互に見た。彼が「いちばん大事なもの」をなくした日──彼女にはそれがいつのことなのか、何のことなのか全く心当たりがなかった。ロッコの幻影が身振り手振りを駆使して何かを伝えようとしているが、皆目見当がつかなかった。
「えーっと……わからないよぉ……」
ミミは考え込むが、答えを見つけることができない。彼女の額にはうっすらと汗がにじみ、不安が胸を締めつける。絵本のページの輪郭が揺れた気がした。
(どうしよう……ロッコ……)
ミミは、答えを見つけられないことへの苦悩に苛まれた。その快活さを宿す瞳は、今にも涙が溢れそうになっていた。
──時間だけが、残酷に流れていく。
答えの見つからない絵本は、頑なに次のページを見せてくれない。
正解だけが、先に進む唯一の鍵。
その沈黙がミミの心を少しずつ削っていく──。
◆
──その頃、現実世界では夕方となり、鳥の鳴き声が変わっていた。
ミミが眠りから覚めない状態が続く中、ユウマまでもが深い眠りについていた。もちろん、ユウマが眠っている理由は分かっている。自分の『共鳴感受』と呼ぶべき力で彼をミミの夢へ送り届けたのだから。
この状況は早く大人に伝えなきゃ。
そう直感したロッコは、両親に外出を告げて家を飛び出した。
いつものんびりした息子が勢いよく動き出したものだから、両親は驚きつつも「ミミとユウマのことは任せなさい」と笑って送り出してくれた。
そのまま村長セイルの家へ走る。事情を聞いたセイルはすぐに理解し、ロッコを抱え上げると、ユウマが世話になっているガランとミーナの家へまっすぐ向かった。
ロッコはその三人の人物と一緒に自分の家に舞い戻ってきた。ガランはミミのように眠りについているハチワレ猫を不安そうに見つめる。
「ロッコの言う通り、ユウマもミミと同じく、深い眠りについているようじゃな。やはり『ウィスプ・コクーン』の影響と考えるのが、妥当じゃろうな」
一緒についてきたミーナは、スヤスヤと眠るユウマの毛並みを撫でる。
「……ユウマちゃん、普段のんびりしているように見えるけど、誰かのためなら自分が無理をしてでも、助けてあげようとするのよね」
村長のセイルも続ける。
「確かにな。ユウマは頑張りすぎる傾向にある。コイツを支えてあげられるのは、俺たち大人の役目だ。上手くコントロールしてあげないとな」
──その時だった。
突然、穏やかに眠っていたミミの小さな顔が、悪夢に捉われたように歪んだ。眉間に深い皺が刻まれ、唇が小さく震えている。彼女はこれまで、眠りに囚われても苦悶の表情を見せることはなかった。明らかな異常事態だと言える。
大人たちに緊張が走る中──ロッコだけは違った。
いつものぼんやりとした表情は消え、双子にしか分かり得ない深い決意が彼の瞳には宿っていた。
「ミミが……よんでる……いかなきゃ」
ロッコはミミにズンズンと近づくと、すぐさま彼女の手を取り集中力を高めた。ミミがいる空間、彼女の状況が今ならハッキリとわかるような気がした。そうして深度を高めてあらゆる層を掻い潜り、ミミがいる座標を特定することに成功した。
「ロッコ、お前……」
そんな周囲の言葉などお構いなしに、ロッコはただミミのことだけを想った。いつも一緒にいる姉が深い眠りにつき、自分たちが切り離されたようで──怖かった。焦りもあった。でも、それ以上に。
とにかくミミを助けたい。
それがぼくにとっての。いや、僕にとっての──。
(ミミ……いま……いくからね)
ロッコの小さな体が、星の煌めきをまとうように淡く輝き始めた。その光は温かく、優しく──まるで二人を繋ぐ見えない糸がそっと引き寄せあうようだった。
やがてその一条の光が、部屋へと柔らかな風を運んだ。風は家全体を包むように広がり、柱も梁も、琥珀色のあたたかな光にそっと染め上げていく。年季の傷さえ、どこか優しい表情に見えた。
──双子の絆そのものが、光となって現れたのだ。
まばゆい白に導かれながら、彼の意識は徐々に現実世界から切り離され、夢の中へと溶けていった。
お読みいただきありがとうございます!
この章では「ミミとロッコの成長」をテーマの一つとして描いています。
成長を見守っていただけたら嬉しいです。
次回更新は12/5(金) 12時予定。
香章は年内完結予定です。
引き続きお付き合いください!!
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