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パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい~  作者: 倉田六未


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夢紡ぎミストブレッドを紡いで その七

 昨夜、泥だらけで全身びしょ濡れになって帰宅したユウマを見た時のミーナの表情は──まさに「この子は一体何をやらかしてきたの?」という呆れと心配が入り混じったものだった。

 

 ユウマは問答無用で家に隣接する井戸に連行され、念入りに全身を丸洗いされる羽目になった。


 その後、清潔なタオルでゴシゴシと体を拭かれ、ガランがベルンに特注で作ってもらったユウマ専用のブラシで丁寧にブラッシングされると、いつもの艶やかな毛並みがあっという間に復活した。


「──これでいいわね。ユウマちゃん、あなたの毛並みは最大の武器なんだから、大事にしなきゃダメよ」


 ミーナの指が毛の一本一本を確認するように、ゆっくりと光沢ある毛並みを撫でていく。その手触りは優しく、疲れ切ったユウマの心に静かに染み渡った。


「ごめんね、ミーナさん。体調が良くなったばかりなのに……」


「気にしないで。もう何ともないから。それに、ユウマちゃんのお世話をするのが好きなのよ」


 ミーナの表情が、ふと柔らかくなる。


「あ、そうだわ。またあなたの毛に香りを編んであげるわ」

 

(……あ、これは「いいえ」と断っても、実行されるパターンだ。強制イベントみたいなものか……ふわぁ……)


 あくびを噛み殺すユウマを尻目に、ミーナは薬品棚からユウマお気に入りのラベンダー精油を取り出し、ちょんちょんと毛に少しだけ付けた。心地よい香りが鼻腔をくすぐると、眠気が一気に押し寄せてきた。


「……これで、ぐっすり眠れると思うわ。ご飯は食べられそう……?」


 疲労困憊で、眠気がオン・ユア・マークスして全速力で襲いかかってくる最中だったユウマは、首を横に振って答えた。


「──ユウマちゃん、おやすみなさい」


 「にゃー」とか細い声で応えると、ユウマはそのまま寝室に向かい、泥のように深い眠りに落ちていった。







 ──翌朝。


 昨日の満身創痍が嘘のように、体が羽毛のように軽やかだった。


 念のためステータスを確認すると、『疲労度:0/10』という表示がバッチリと映し出されている。


(ほら、感覚と数値はどちらも大事って、誰かが言っていた覚えがあるし……この回復力には神様に感謝するしかないな。ありがとね)


 「にゃー!」と元気よく伸びをして身支度を整えると、階下へと降りていった。


「ミーナさん、ガランさん、おはよう!」


「おはよう。あら、元気になって良かったわ」


「そうじゃのう。昨日のユウマは何かに取り憑かれたように、虫取り網を振っておったからのう」


「……うう。思い出すと少し恥ずかしいな」


 前世で最強と謳われた虫取り網(※ユウマ個人の評価)でさえ、あの風粉を捉えることはできなかった。今日こそは、細粒でも捕らえることが可能な新しい網を鍛冶屋に作ってもらい、リベンジを果たす予定だ。


「ユウマちゃん、今日はどうするの? もう少し休んだら?」


 ミーナの提案に、ユウマは首をブンブンと振った。確かに素材入手への意欲もあったが、それよりも大事なことが──


「……ミミとロッコが苦しんでるんだ。少しでも力になりたいよ」


 力強く宣言するユウマを見て、ミーナは柔和な笑みを浮かべ、頭をぽんぽんと撫でてくれた。


「──あなたは、本当に優しい猫さんね。でも他の人の助けを借りることを忘れてはダメよ?」


「そうじゃぞ、ユウマよ。繰り返すが、皆を頼れ。一人でどうにかしようとする必要はどこにもないからのう」


 二人の言葉が、胸に染み込んでくる。


 ふと、前世の記憶が蘇った。


 深夜のオフィス。冷めたコーヒー。誰もいないフロア。


 何度も打ち込んでは消した、同僚への「手伝ってもらえますか?」のチャット。


 送信ボタンを押せなかった。弱みを見せるようで怖かった。否、自分の職務能力が低いと思われるのが嫌だった──些末なプライドが邪魔をしていたのは確かだ。


 親への「ブラック勤務で仕事が忙しい」というSOSの連絡すら、心配をかけたくなくて躊躇した。血のつながった家族なのに。


 頼ることは、迷惑をかけること。


 自分でやらなきゃ、ダメなんだ──そう思い込んでいた。


(……俺は、また同じことをしようとしてる)


 一人で抱え込もうとしている。


 でも──


「ユウマちゃん。あなたは一人じゃないのよ」


 ミーナの手が、優しくユウマの頭を撫でる。


「ワシらは、お主の家族じゃからな。助け合って当然だからのう」


 ガランの大きな手も、温かく重なる。


 その温もりに、何かが胸の奥でじんわりと溶けていくような感覚。


 ユウマの猫目には、少しだけ涙が滲んできた。


(……家族、か)


 前世では疎遠、いいや自分で遠ざけてしまった、かけがえのない存在。転生しても同じことを繰り返すわけにはいかない。この絆を手放してはならない。この日だまりを。


 ユウマはぐしぐしと目元を擦ると、少し照れくさそうに──でも、花が咲いたような笑みを浮かべた。


「……うん。みんなを、頼りにするね」


 まだ完全には心が解けていない。


 でも──少しだけ、前に進めた気がした。







 和やかに朝食を取っていると、ガランが話題を振ってきた。


「セイルとラオはもう森へ向かったぞ。『森の雫』を探しに、日の出とともに出発すると言っておったからな」


 その言葉に、ユウマは目を見開いた。村長とラオの行動の早さに感心しつつ、自分の遅れを少しだけ悔やんだ。


(二人なら大丈夫だろう……ラオは傍から見て強すぎると思うし、村長も強者のオーラを感じる。俺は俺で、マイペースに頑張りますか!)


 朝食後、速やかに身支度を済ませ、いつものもふもふタイムを経て家を出た。


 村にはまだ、昨日から立ち込める白い霧が幻想的なベールのように漂っていた。見通しの悪さにウンザリしながらも、最初の目的地であるパン屋へ向かう。


 体は全回復したが、精神的な疲労を回復するにはパンを食べることが一番の特効薬だからだ。







 パン屋の入口前で、ティナとグレインがユウマを待っていてくれた。


「モフさま、おはよう! 昨日かなり疲れてたみたいだけど、体調は大丈夫なの?」


 ティナの心配そうな問いかけに、グレインも腕組みをしながら穏やかに頷いた。


「昨日はずいぶん奮闘していたからな。無理はするなよ」


「ありがとう! もう大丈夫だよ!」 


 ユウマは前足を天にびよーんと伸ばして、元気いっぱいであることを表した。


 その直後──ティナが手に持っているものに意識が釘付けになった。いつもの《ロックオン(食)》君も元気に発動したようだ。


 それは見たことのない、焼きたてのパンだった。きつね色の優しい焼き色に、ほんのりと湯気が立ち上っている。甘く香ばしい香りがふわりと漂い、ユウマの疲弊した心にじんわりと染み渡った。


 パンを凝視した途端、疲れが一瞬で吹き飛んだかのような錯覚に陥る。脳のシナプスがビリビリと電気を発し、パン情報を管理する記憶の本棚に一斉に検索をかけた結果──Hitせず。該当なし。ということは──


(なっ!! まさか! ここに来て……新作だと!?)


 少しだけ放心状態になりながらも、そっとパンを両手で受け取ると、感動に打ち震えながら、まるで配信をしているかのように語り始めた。








「はーい! みんなこんパ~ン? バーチャルパン配信者のユウマだよー!」


 ユウマは、目の前の架空の画面に向かって手を振った。


「今日はね、とっておきの『森の木霊ロール』を紹介しちゃうぞぉ! まず見てよ、この優しい焼き色! もうね、画面越しでも伝わるでしょ、このフワフワ感!」


 ロールパンを磨くように丁寧に撫でる。


「みんなも一緒に触ってる気分になってみて? 『あ~、もう無理ぃ~!』『よだれがぁ~!』ってコメント、ちゃんと見てるからね!」


 ユウマはウインクした。


「『パン粉アレルギー』さん、たくさんの投げ銭ありがとう! そしてこの香り! これぞまさしく森の恵み! 深呼吸してみて?」


 ユウマは急に首を傾げた。


「なんかね、深い森の奥から聞こえてくる、謎の囁きがするんだよね……。え? 聞こえない? 僕のヘッドホン、ノイキャン最強なのに、このロールパンの声だけは貫通してくるんだけど……!?」


 気を取り直して一口。誰か近くに来たようだが、それどころではない!


「パクッ……んんんっっっ!!! この甘さ、まるで意識が遠のくような、至福の味……」


 ユウマは目を見開いた。


「やばすぎる……! このロールパン、もうね、ただの食べ物じゃない! 生命体だよ!」


 ユウマは両手を広げた。


「パパに頼んで、3Dで動くロールパンを作ってもらうしかないね! みんな、動くロールパンとコラボ配信しちゃうから、楽しみにしててね!」


 ユウマはすぐ下の地面を両手で、「詳細はこちら」と指差した。


「それじゃあ、おつパ~ン!」







 ──配信映えするロールパンの商品紹介をして、「ステマじゃないよ」と補足をするユウマ。


 その脳内では、ユウマを模したグッズを大量に自分のデスク周りに置いた紳士的な人物が、自分の収入の無理のない範囲で、成長という名の投げ銭を淡々と投下していた。




経験値獲得!

・パン賛美D 450EXP


レベルアップ!

・20→21(15/740)


パン

・森の木霊ロール(D)

森の香りをそっと包んだ、やさしい焼き上がりのロールパン。ふんわり甘く、心がほどける味わい。




 ユウマの変貌ぶりにティナはいつもの如く呆れ顔で、グレインは口をあんぐり開けて固まっていた。


「あ、ごめん! つい、興奮しちゃって……」


 ユウマはハッと我に返り、照れたように顔を掻いた。しかしその表情は、晴れ渡った青空のように輝いていた。


「このパン、すごいね! 美味しかった! 全回復!!」


 いつの間にかユウマの横に来ていたガランは、ふんふんと鼻息を荒げながら熱心にメモを取っていた。


(……ガランさん……さっきの感動タイムは何だったんだ……まあいいか)


 ロールパンのふんわりとした食感と優しい甘さが口いっぱいに広がり、消耗していた心がみるみるうちに活力を取り戻していく。


(やっぱり、パンはチートアイテムだな……アイテムじゃないけどね! 念押し)


 すっかり元気を取り戻したユウマは、三人にこう告げた。


「よし、それじゃあ、ベルンとフィルのところに行こう! 早く新しい虫取り網を作ってもらわないと!」


「ワシは、家で待機しておくからのう。何かあったときのために」


 パン賛美のメモを取り終えたガランと別れ、ユウマはティナとグレインと共に鍛冶屋に向かっていった。






 

 鍛冶屋のドアを開けると、そこは火花と金属の音が響く、活気に満ちた空間だった。巨漢のベルンが大きなハンマーを振り下ろし、フィルは器用に針と糸を操っている。


「ベルン! フィル!」


 ユウマが声をかけると、二人は作業の手を止め、振り返った。


「おお、モフ先輩! 何か御用っすか?」


 フィルが柔らかな笑顔で迎える。ユウマは早速、昨日捕獲できなかった「白繭の風粉」の話をし、目の細かい虫取り網の作成を依頼した。


「あの粉は本当に細かくて、普通の網じゃ全然捕まえられなかったんだ。もっと目の細かい専用の虫取り網が欲しいんだ!」


 ユウマの熱意に、ベルンは腕を組んで唸った。


「フム……極微細な粒子を捕らえる網か。本体の強度と、網の目の細かさ、両方が重要になるな」


 フィルが目を輝かせながら頷く。


「はい! 網の部分なら、オイラに任せてほしいっす! 最高級の絹糸と、柔らかさと弾性を兼ね備えた特殊繊維『溶け織のパン布』を組み合わせて作ってみせるっす!」


 興奮したフィルの説明が続く。


「衝撃吸収・変形耐性に優れるから、捕らえた風粉にストレスを与えず、香りも形も損なわない完璧な網になるっすよ!」


 ベルンもそれに続いた。


「本体は俺に任せろ。それと、網には『幻香蝶』が落とす『香導(かどう)羽粉(はねこな)』も織り込む。これは微風の流れを香りで視覚化する力を持つ。どんなに動き回っても壊れない頑丈な柄と一緒に作ってやる」


(ベルンがやっぱり早口になってる……)


「あ! 俺の手の大きさに合わせて、柄の長さは短めでお願いね!」


 告げるユウマに、二人はサイズ調整の名目で必要以上に肉球をぷにぷにしていた。

 

 その後早速、それぞれの得意分野を活かして作業に取り掛かった。べルンが豪快に金属を打ち、フィルが繊細な手つきで糸を紡ぐ。


 ユウマは今自分にできることはないため、彼らが作業をする傍らでお昼寝をさせてもらうことにした。グレインとティナは、少し助言をすると、それぞれの家へと戻っていった。







 数時間後──二人の完璧な連携により、新しい虫取り網が完成した。




装備

・そよ紡ぎの繭網(まゆあみ)(C)

空中に散る「風粉」など極微細粒子の捕獲に特化。捕らえた粉にストレスを与えず、香り・形状を損なわず保持可能。SEN:+5。DEX:+5。


 使用素材

 ・溶け織のパン布(形・C)

 ・香導の羽粉(香・C)




 それは以前の素朴な虫取り網とは別物だった。見るからに頑丈でありながら驚くほど軽量な木製の柄。そして、空気すら通さないように目が詰まっているのに、向こうが透けて見えるほど繊細に編み込まれた白銀色の網。


「すごい! これならきっとあの風粉も捕まえられる!」


 ユウマは目を輝かせ、完成した虫取り網を手に取った。ステータスにも『アクセサリー:そよ紡ぎの繭網』と表示されている。


「ベルン、フィル、本当にありがとう! 助かったよ!」


 感謝を伝えると、二人は満足そうに笑った。

 

「早く解決してやれ」


「モフ先輩のお役に立てて光栄っす!」


 ユウマは新たな虫取り網、『そよ紡ぎの繭網』を手に鍛冶屋を後にした。







 鍛冶屋を出た瞬間──視界の端に、ふらりと現れた幼子の姿が映った。


 それは、ミミの双子の弟、ロッコだった。


 なぜ調子の優れないロッコが外出しているのか。疑問を抱えながらも、ユウマは彼の元へ向かうことにした。


 静かに立ち込める白い霧の向こうで、小さな背中がゆらゆらと揺れている。まるで風にたゆたう木の葉のように、足取りは覚束なかった。


(ロッコ……!)


 幼子が一人でふらつきながら歩いている姿に、ユウマの胸が締め付けられた。理由なんてどうでもいい。今はただ、あの小さな子が心配で仕方がなかった。


「ロッコ!」


 名前を呼びながら、ユウマは急ぎ足で駆け寄っていく。新しい虫取り網を片手にブンブンと振りながら、白い霧を切り裂くように走った。



 ロッコの小さな体がどこかに飛んで行ってしまう危うさを感じて──一刻も早く彼の元へ。


お読みいただきありがとうございます!


昨晩は改稿作業でご迷惑をおかけしました。


次回は11/25(火) 12時更新予定です。


もしよろしければ、ブクマや評価で応援していただけると執筆の励みになります。


引き続きお付き合いください!

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