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パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい~  作者: 倉田六未


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夢紡ぎミストブレッドを紡いで その一

 ──リーカ村を、見えない霧が包み始めていた。


 それは、村人たちの心に忍び寄る、不安という名の霧だった。


 ユウマの猫ひげが、普段とは違う空気の微細な震えを捉えて、ぴくぴくと警戒を示している。


 今日も日課の日向ぼっこをしようとしたユウマだったが、足が家の敷居で止まった。


 お日様が薄いヴェールに包まれたように光を遮られ、朝だというのに村は夜明けの薄明りに沈んでいる。


 そして何より――


「ミーナさん、大丈夫?」


「ええ。少し気分がね。すぐ治るわよ」


 ミーナが床に伏せっていた。


 いつも穏やかな微笑みでユウマと接してくれる彼女が、今日は食事にも手をつけず、元気にアロマを焚く姿も見られない。まるで彼女の中の光が、霧に遮られてしまったかのように。


 ガランが妻を診察する。村の薬師にして医師でもある彼の手は、いつもより慎重だった。


「おかしいのう……病の初期症状に効く薬を調合したが、まったく効かん」


「ミーナさんは病気なの?」


「エルフは病気になることはほとんどないんじゃよ。わしも生まれて一度も病に罹ったことはない。ミーナにも持病があるとは聞いたことがないからのう……」


 ガランの声に滲む困惑が、ユウマの胸に重い石を落とした。







 ユウマは頭を振り、すぐに動き出した。


 ミーナの額の布を取り替える。食事や水分補給、服薬をサポートする。窓を開けて換気をこまめにする、体を拭く――。


 ユウマが疲れて帰ってくるたび、ミーナはいつも甲斐甲斐しく世話をしてくれていた。その恩を返すために、彼は懸命に看病を続けた。


「ユウマちゃん、無理しなくて良いのよ。すぐに治ると思うから」


 ミーナがユウマの頭を撫でながら告げる。苦しいはずなのに他人を思いやれる、その優しさに、ユウマの猫背がシャキッと伸びる思いがした。


「気にしないで! ミーナさんはゆっくり休んでて! たまには俺にもお世話させてよ!」


 ユウマは、ミーナがいつもしてくれるように、小さな肉球でミーナの頭をぽむぽむと撫でた。


「うふふ。ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね」


 ミーナはほっと安心したように眠り始める。


 その後もユウマは、何らかの変化を見落とさないよう、猫目をギラリと光らせながら寝室を見守り続けた。







 正午を知らせる村の鐘が鳴り響く。


 パンを抱えたガランがやってきた。


「ユウマよ、朝から何も食べておらんじゃろ。ティナにパンを持ってきてもらったから、食べなさい」


 そう言われて初めて、空腹に気づいたユウマ。ガランの心遣いに素直に従うことにした。


 大好きなパンをひとかじり――確かに美味しい。だが、どこか物足りない。心が霧に覆われていては、味も霞んでしまうのだろう。


 そこでユウマはふと悟った。


「パンを美味しく食べるには、心の晴れ間が必要である」


 元気になったミーナと一緒に美味しくパンを食べたい──ユウマは彼女の回復を切に願った。


 食事の後もミーナに付きっきりで看病を続けた。


 眠っているときはどうすれば良いか分からず、とりあえず手を握ったり、ベッドの邪魔にならないところで添い寝をしたりした。


 ミーナが睡眠中に苦しそうな表情を浮かべたとき、ユウマはなんとなく自分の肉球をミーナの鼻先に近づけてみた。


 しばらくすると、ミーナの険しい表情が和らぎ、両手でユウマの腕をガシッと捕らえてスーハー、スーハーと肉球の匂いを嗅いでいる。


(……これも猫吸いの一種かな?)


 香りの専門家であるミーナに、自慢の肉球で安らぎを与えられたと思うと、少し誇らしい気持ちになった。


 その夜、看病で疲れたユウマは、ミーナのベッドで一緒に眠ることにした。







 ──翌朝。


 ユウマが目を覚ますと、隣にいたはずのミーナの姿がなかった。


 不安がユウマの胸を掴む。慌てて階下に降りると――


「おはよう。ユウマちゃん」


 いつものように朝食の準備を済ませ、アロマを焚いているミーナがそこにいた。まるで心身を覆っていた霧が晴れたかのように、彼女の笑顔は輝いて見えた。


「えっ!? ミーナさんもう大丈夫なの? 無理してない?」


「ええ。もうすっかり元気になったわ。ありがとう」


「本当に!? にゃー! 良かったー!」


 ユウマはミーナの回復に大喜びし、そっと抱きついた。


「うふふ。ユウマちゃんの看病のおかげね。ずっと付き添ってくれたのよね? ガランに聞いたわ」


「ああ。ユウマは自分のナワバリを警戒するみたいに、寝室にずっとおったぞ」


 ユウマは恥ずかしくなったが、ミーナが元気になったことに比べれば些細なことだと思った。


 みんなで一緒に朝食を取る。


 昨日と同じパンなのに、味がまったく違う。霧が晴れた心で味わうパンは、格別だと実感した。


 朝食後、ユウマは疑問をぶつけてみた。


「ねぇ、ミーナさんの体調不良の原因って分かったの?」







 ガランが答えようとすると、ミーナが手でそれを制止した。


「私の体調不良の原因は、おそらくこの異常な()()よ。先日からこの村に変な匂いが混じっていると言っていたでしょう? 香りに敏感な私が、この匂いに影響されて気分が悪くなったと予想するわ」


「……どんな匂いなの? 俺も嗅覚は鋭い方だけど、全然分からないや」


「言葉で説明するのは難しいけど……その匂い自体に匂いはないの。でも他の香りの存在を希薄にしてしまう、と言ったらいいのかしら」


 ユウマは息を呑んだ。香りで物事を感じ取ることが得意なミーナにとって、それは視界を奪われるのに等しいだろう。


「でも、もう大丈夫なの? 今もその作用は働いているわけでしょ?」


「ええ。もう慣れたわ。そういう香りだと捉えることで、脳が認識してくれたみたい。それにユウマちゃんの肉球の香りには助かったわ。あれは香りの認識を中庸にしてくれる効果があったみたいね」


 ミーナがユウマの頭を撫でる。


 照れ隠しに自分の肉球をくんくんと嗅いでみたが、よく分からなかった。それでもミーナの回復の役に立ったという事実には、素直に喜べた。


「でも、無理はしないでね! いつでもサポートするから!」


 なぜか、猫パンチをシュッシュッと前に繰り出すユウマ。


 ミーナも「ありがとうね」と微笑んだところで――


 コンコンと玄関の扉がノックされた。







 ガランが扉を開けると、そこにいたのは村長の妻リラだった。


「……ミミが~、朝からずっと眠ったままなのよ~」


 いつも朗らかなリラの顔が、薄く青ざめている。


 普段は活発で明るい笑顔を振り撒くミミが、昨日から、意識を失ったかのような深い眠りに落ちているという。


「なんと、ミミが? 心配じゃな。急いで診察に向かうとしよう」


 ガランは診察道具を手に取り、身支度を始める。


 その話を聞いたユウマは、ミミのことが心配になった。だがミーナの様子も気になって、一緒に行くとは言い出せずにいる。


 そんなユウマの心を見透かすように、ミーナが柔らかな笑みを浮かべた。


「私は大丈夫よ。代わりにミミの様子をこの人と一緒に見に行ってくれる?」


 心配をかけないように、代役を勧めてくれるミーナの心遣いを感じ取って、ユウマは頷いた。


「分かった! ミーナさんの分も俺が見てくるよ! ロッコも心配だから! でもミーナさんも無理しちゃダメだからね!」


 了承したように、ミーナがユウマの頭をもふもふと撫でる。


 すぐさま出かける準備を済ませて、ユウマはガランとリラと一緒にミミの家へ向かった。







 ミミとロッコの家に到着した一行。


 彼らの両親に家の中に通され、ガランがただちに診察を始めた。


 ミミは高熱を発していた。だが彼女の顔に苦悶の表情はなく、むしろその寝顔は不気味なほど安らかだった。


 部屋の空気は重く、柱時計の音だけが静寂を刻んでいる。


「解熱薬を飲ませても、熱がまったく下がらんのじゃ。こんな熱は見たことがない……高熱なのに苦しんでおるように見えん。表情が穏やか過ぎる。()()()()()()のは間違いないのう」


 ガランは眉間に深い皺を寄せ、ミミの額に触れる。体は燃えるように熱いのに、呼吸は静かで、かすかな寝息を立てるばかりだ。


 ユウマも、ミミの穏やかすぎる寝顔と体に宿る尋常ではない熱のギャップに、言いようのない不気味さを感じた。


(なんだこの熱は……ただの風邪じゃない。ミミの体が、熱の霧に包み込まれているみたいだ……)


 ミミの小さな手を握ると、じんわりと温かい熱が伝わってくる。確かに生命の温もりだが、同時にどこか異質な波動を帯びているようにも感じられた。


 ロッコは姉の異変を敏感に察知していた。普段は元気いっぱいの彼も、今はミミのベッドの傍らから離れず、不安そうにユウマにべったりとくっついている。


「ミ、ミミ……ねんね……?」


 ロッコが小さな声で呟く。その表情は今にも泣き出しそうだった。


 ユウマはロッコの頭を優しく撫でて抱きしめた。この幼い兄妹の間に流れる特別な絆を知っているから、ロッコの不安を少しでも和らげられるように。







 夕食時も、ミミたちの家は重い沈黙に包まれていた。


 両親がミミに付きっきりだったため、ミレイユが栄養のあるシチューとパンを届けてくれた。


「ミミ、早く良くなるといいねぇ……こんなに小さい子が可哀想に」


 ミレイユは心配そうにミミの眠る部屋をちらりと見る。その言葉は、村人たちの共通の思いを代弁していた。


 夜が更けて、ユウマはミミとロッコの家に泊まることにした──しかし、なかなか眠れない。


 昼間のミミの様子が脳裏に焼き付き、その異様な熱と、空気中に漂う微かな違和感が神経を刺激し続けている。


(……どうすれば、ミミを助けられるんだ?)


 友達として、村の仲間として、何もできない自分に歯痒さを感じた。


 窓の外には星一つ見えない暗闇が広がっている。まるでこの村を覆う不安を象徴しているかのように。


 その夜、ロッコの小さな体が、ベッドの中で微かに震え始めた。


「……んん……ミ、ミミ……どこ……」


 寝言のように呟くロッコの額に、うっすらと汗が浮かんでいる。


 ユウマはその異変に気づき、幼子の様子をうかがった。


 ロッコは何かにうなされているかのようにもがいている。


 しかしその顔はミミと同様、苦痛ではなく、どこか戸惑いがあり何かを探しているような表情に見えた。


(ロッコも……何かを感じているのか?)


 ユウマの全身の毛が、ざわめくのを感じた。



 村を包む見えない霧が、確実に濃くなっている――。



リマインドですが、本章は隔日更新になります。

次回は11/13(木) 12時公開予定です。


引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。

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