ミーナと、癒やしのアロマ
窓辺に踊る朝陽が頬を撫でても、俺の体からはまだ鉛のような重さが抜けなかった。
──あの戦いは、まだ俺の中に残っている。
「まだこんなに疲れが残ってるのか…………」
呟きながらステータスを開くと、昨日の戦闘の成果が眩い光を放っていた。
名前:ユウマ
年齢:12歳
種族:猫獣人
特性:自律神経ケア個体
LV:17(475/560)
HP:190(+30)
MP:85(+15)
STM:72
疲労度:4/10
STR:14
AGI:36
SEN:34
DEX:24
VIT:19(+3)
MEM:17(+3)
称号
・転生者
・働きすぎた者
・駆け出しの爪(爪攻撃威力+5%)
スキル
・にゃんぱらりLV2
・やんのかステップLV1
・ロックオン(食)LV3
・ステルス歩行(低)LV2
・感覚強化(視・聴)LV2
・臨戦態勢(常時)LV3
・キャットタワーLV2
・肉球スラッシュLV1(爪を使った基本攻撃術。低確率で威嚇効果)
???スキル:※未解放
装備
・防具:翡翠のエプマント(マント形態)
レベルが17に上がってるな。確か経験値が1000も入ってたよな。倒してないけど戦闘をしただけで。AGI(敏捷)が36と良い感じに伸びてる。
新スキルの《肉球スラッシュ》や称号「駆け出しの爪」は戦闘に役立ちそうだな。
一度どこかでスキルの検証が必要あるな。今回みたいにぶっつけ本番は良くないし……。
極力戦いたくないけど、仕方ないか……面倒だなあ……はあ。
スキルや称号以外にも気になる点が。
昨夜、眠りにつく前は『疲労度:6/10』と表示されていたはずだ。
だが、一晩ぐっすりと眠った今でも、『疲労度:4/10』の表示である。まるで体に鉛が詰まっているかのような重さが残っている。
「おかしいな……」
いつもなら、パンを食べたり、ある程度睡眠を取ったりすれば、疲労度は回復していたはずなのに──でも原因は、なんとなく分かっている。
あの尋常ならざる「ギンコ・カゲユラ」という存在だ。
アイツには攻撃も通っているように見えなかったし、こちらへの戦意は本物だっただろうが、何かを確かめている節があった。
子細は一つも分からないが、この疲労が抜けないのも「ギンコ・カゲユラ」の影響なのだろうと。
あとなぜだか、白い空間での出来事を思い出そうとしたような。
いや、今はそれは放っておこう。俺は首を小さく振り、思考を中断して、少しぼーっとし始めた。
その時、ドアが静かにノックされ、扉が開いた。
「ユウマちゃん、調子はどう?」
ミーナの優しい声に、俺は元気に返事をしようとしたが、出てきたのは力のない「にゃー」という声だけだった。
「あら……まだ疲れが残ってるのね」
ミーナの表情が心配そうに曇る。
彼女の後ろから、ガランが大きなバスケットを抱えて現れる。
「ほら、お前さんの好きなパンじゃよ。ティナが心配して持ってきてくれたんじゃ」
バスケットから顔を出したのは、焼きたての食パンとロールパン。小麦とバターが織りなす、甘く香ばしい香りが部屋いっぱいに広がる。
俺は感謝を伝えると、さっそくパンを一口頬張った。そのふわりとした食感と、噛むたびに広がる優しい甘さに、再び感動を覚える。
だが、『疲労度:2/10』までしか回復していない。このパンを食べても刻んでしか回復しないことに、俺は再び疑問を覚えた。
「あら、全快ってわけじゃないみたいね。今日こそは家でゆっくりしなきゃダメよ」
ミーナはやさしく俺の頭を撫でながら、外出禁止を言い渡した。
俺は、ぐっと体に力を込める。「外に出たい」という思いが少しだけ頭をもたげるが、今の疲労度ではどうにもならないことを悟った。
「……うん、分かった」
俺がそう頷くと、ミーナはにこりと微笑み、代わりにアロマで心身を癒すことを提案した。
俺はアロマについては全くの門外漢だったが、パンや日向ぼっこ以外にも、癒やしを与えてくれるのかな? と少しだけ興味が湧いた。
「アロマのことは、よく知らないけど。ぜひ教えて」
ミーナは柔和な笑顔を浮かべて、了承したかのように俺の頭をひと撫でした。そして踊るような足取りで階段を降りていった。先にアロマの準備をしてくれるみたいだ。
◆
パンをある程度食べ終え、ベッドの上でいつもより大げさに伸びをする。体はまだ重いものの、パンのあたたかさがじんわりと心に沁み渡っていた。俺は身支度を整え、下へと降りていった。
1階に降りると、ミーナは薬草棚の前に立って、何かを探している様子だった。俺に気付いたミーナは、朗らかな声で語りかける。
「アロマはそのまま嗅ぐだけじゃなくて、香りを拡散して楽しむこともできるの。そのための芳香器をこの辺りにしまっておいたはずなんだけど……」
ミーナが棚をガサゴソと探している。
俺は「手伝うよ!」と言うと、スキル《キャットタワー》で素早く棚を駆け上がった。
(お、脳内で通知音が鳴ったぞ!)
と思っていると、棚の一番上に埃を被った古い虫取り網があった。
疑問に思った俺は、不思議そうに尋ねる。
「ねえ、なんでここに虫取り網があるの?」
その声に、階下にいたガランが答えた。
「ああ、それは昔、村の子どもに貸し出してたんじゃよ。最近は使う機会が少なくなってのう」
その言葉を聞いた俺の目はキラキラと輝く。
前世で、夏休みに近所の友達と虫取りに出かけた記憶が蘇ったのだ。
俺は急に胸が高鳴って、ガランにこう尋ねてみた。
「ガランさん! 今度虫取りしたいから、分かる所に置いておいてもいい!?」
その妙な剣幕に押され、ガランは苦笑しながら「ああ、別に構わんぞ」と答えた。
俺は肉球をキュッと縮めて、小さくガッツポーズをした。
スキル成長!
・キャットタワー LV1→LV2
高所への移動速度UP。不安定な足場で完璧なバランス。AGI:5→8%、DEX:5→8%。
◆
すると、ミーナが「ああ、ここにあったわ」と声を上げる。
少し埃がかった古めの芳香器。
それは、手のひらに乗るほどの大きさで、素焼きの壺のような形をしていた。表面には草花の模様が素朴に彫り込まれており、長年の使用で角が少し丸くなっている。
ミーナはそれを大事そうに手に取り、窓を開けて換気し、清潔な布で丁寧に拭き始めた。
「アロマに使う素材は、どの属性でも良いのよ。乳鉢に素材を入れて乳棒で擦ると、油が抽出できる。これが『精油』ね」
ミーナの説明に、俺はふむふむと頷く。
「この精油は、すべて香属性になるの。一つの精油でも使えるけれど、好みや用途によって精油を混ぜ合わせることで、より深く、複雑な香りになるのよ。まるで、絵の具を混ぜて新しい色を作るみたいに。面白いでしょ?」
興奮気味に語るミーナに、俺は感心したように答えた。
「香りって、奥が深いんだね」
その言葉に嬉しそうな表情を浮かべたミーナは、続けて言う。
「ええ、そうなの。精油からどんな香りになるか想像しながら調合するのは楽しいわよ。まずは、サンプルを嗅いでみて?」
ミーナが用意した5つの精油サンプルを、俺は一つずつ嗅いでいく。ハーブ系、花系、柑橘系、草木系、スパイス系。
どれも違和感なく受け入れる俺に、ミーナは少し驚いたようだ。
「あら、スパイス系は苦手かと思ったけど……」
そう言いながら、ミーナは俺の頭を優しく撫でた。
「じゃあ、ユウマちゃんのために、リラックスできるような精油を一つ作ってみましょうか」
ミーナが選んだ素材は、バフラウモというDランクの粉属性の魔物から取れる「金風麦」だ。
「ああ、これはパンの材料『金風の薄粉』になる素材だね!」
俺がそう言うと、ミーナは微笑んだ。
「あら、よく知ってるわね。これは香り高い素材だから、アロマにも適しているのよ」
ミーナが乳鉢に金風麦を入れ、ごりごりと乳棒で丁寧に擦っていく。
俺がその手際の良さに感心していると、ミーナが説明を加えてくれた。
「力の入れ具合で完成する香りも変わるのよ」
やがて、乳鉢の中からはほんのりと花の香りがする『金花オイル(香・D)』が完成した。
「これに、ハーブ系の香りを調合してみるわね」
ミーナはそう言うと、金花オイルに数滴のハーブ系の精油を混ぜ合わせた。すると、ほのかな花の香りに、どこかフレッシュさが加わった、新しい香りが生まれた。
その香りに、俺は思わず目を閉じた。
甘く柔らかな花の香りが鼻腔を満たし、続いて清々しいハーブの香りが心の奥まで染み渡っていく。
遠い記憶の中で、これに似た匂いに当たりをつけた。
「……ラベンダーの香りに似てる」
その呟きを聞いたミーナは、嬉しそうに微笑む。
「あら、素敵な響きね。この香りの名前はラベンダーにしましょう」
(この世界には、ラベンダーはなかったんだな……)
俺は少し驚きながらも、どこか懐かしさを感じるその香りを気に入った。
「早速、芳香器に入れてみましょう」
ミーナは手早く準備を整え、俺と一緒に芳香器の前に座った。
芳香器がゆっくりと稼働し始めると、ラベンダーの香りがじんわりと部屋いっぱいに広がっていく。
アロマ
・ラベンダーの精油(香・D)
金風麦とハーブ系の精油を調合して作られた精油。甘く柔らかい花の香りと、清々しいハーブの香りが特徴。精神的な疲れを癒す効果がある。
俺は、身も心も癒されていくのを感じた。
甘く、柔らかく、それでいてどこか清々しい香りに「にゃ~いい匂い~」と目を細める。
その様子を満足そうに見ているミーナは、微笑んで言った。
「パンや日向ぼっこもいいけど、たまにはアロマを嗅ぐのもありでしょ?」
「たまにはね……それでも、パンには勝てないけど……」
俺はそこは譲らなかった。その言葉に、ミーナはふふっと笑い、優しく頭を撫でてくれた。
ラベンダーの香りに包まれるうちに、俺の心は穏やかになっていった。体にはまだ疲れが残っているものの、深く息を吸い込むたびに、気分が少しずつ晴れていく。
(パンとはまた違った種類の癒やし効果だ。アロマも……悪くないね)
それからラベンダー以外のアロマも色々と試していった。
俺が時折、至近距離でアロマを嗅いだために、「……ふ、ふごっ」と思わず、口元が変な風に引きつることがあった。
目をカッと見開き、唇がめくれ、歯茎をさらし、鼻がぴくぴくと震える。
まさに猫特有の──フレーメン反応。
「ふふふ。ユウマちゃん、何その顔? うふふ」
「ユウマよ。何でそんなに驚いた顔をするんじゃ……くくくっ」
ミーナとガランが同時にくすくすと笑い出す。
俺は必死に顔を元に戻そうとしたが、香りを嗅ぐたびにまた「ふごっ」と情けない表情が浮かんでしまう。
「お、俺だって好きでやってるわけじゃないんだよ! 顔が勝手に!」
言い訳する俺の様子に、二人はますます大笑いしていた。
◆
そしてしばらくアロマを堪能し、お日様の角度が変わる頃。ミーナがおもむろに窓を開けて、新鮮な空気を入れ込み、ふとこう呟いた。
「こうして色々な香りを嗅いでいると、外の香りの変化にも敏感になるのよ」
「外の香り?」
「ええ。風向きや湿度、気圧によって、風の香りって微妙に変わるものなの。最近の北風は、いつもと少し違うような……」
「へぇ、そんなことが分かるんだ」
「薬師の職業病ね。普通なら、北風はいつも同じような香りを運んでくるはずなんだけど」
ミーナは苦笑いを浮かべたが、その表情には何か引っかかるものがあるようだった。
「ワシにはさっぱり分からんがのう。ミーナがそう言うのなら、そうなのかもしれん」
ガランが茶をすすりながら答える。
俺は窓辺に近づいて鼻をひくつかせてみたが、部屋に漂うアロマの香りが強すぎるのか、外の微細な変化まではよく分からなかった。
だが、ミーナの長年の経験から出る言葉には確かな重みがある。
何かが変わり始めているのかもしれない。
それが何なのかは、まだ誰にも分からない。
──ただ、北風だけが、何かを知っているように思えた。
経験値獲得!
・アロマを楽しむ 20EXP
疲労度:0/10(全回復! やったぜ!)




