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パンタニア見聞録~転生猫獣人はパンの食レポで異世界を救うらしい~  作者: 倉田六未
黎参「影との邂逅」

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閑話:あの声を求めて 

 ──ここは、パンタニアの最南西端のとある土地。


 ──おぼろげながら、何かの声が聞こえた気がした。


 その声は、距離を持たない。大きさを持たない。


 ただ、振動として私のどこかに触れた。


 それが生物の息遣いなのか、風が岩肌を撫でる音なのか、判然としない。

 

 それでも確かに、その声は私という曖昧な輪郭に小さな波紋を投げかけた。


 私は在るのか、無いのか。眠りの中か、覚醒の中か。


 そもそも私という境界線があるのかさえ、薄明の最中にいるかのように不確かだ。


 ただ、声が届いたという一点の事実だけが、暗闇に灯るロウソクのように揺らめいている。


 その時、今までにない何かが、内側から芽吹いた。


 これが──私を私として刻印する、最初の鼓動なのではないか。


 この声を確かめねばならぬという渇望が、形なき私の中心から、熱を帯びて広がっていく。


 ()()の兆しという一本の糸を、手繰り寄せるために──私を私という形に昇華させるために。


 久方ぶりに、思考という海に沈んでいく。

 

 思考することは、存在の証明になり得るだろうか。


 いや、それは主観という檻の中での独り言に過ぎない。


 それでも、その声を求めるという意志こそが、私に輪郭を与えてくれるかもしれない──


 そう信じることに、意味があるのだと。







 ──また声が届いた。


 今度は確かに、生きとし生けるものの声だった。言葉の意味は掴めない。


 しかし、その声には熱があった。感情という名の炎が、音の粒子に宿っていた。


 私が確かめたいと願ったことで、その感情の存在を感じ取れたのだろうか。


 それならば、私は私という存在へ、一歩近づいたのかもしれない。


 「知りたい」──その想いだけが、今の私のすべてだ。


 声へ辿り着く方法を探して、思考は螺旋を描く。何度も、何度も、何度も。


 すると不意に、私の思考に返答する、もう一人の私が生まれた。その私は、私の言葉を咀嚼し、解釈を添えて返してくる。


 ああ、これが会話というものか。


 私たちは、思考の交換を繰り返した。鏡合わせのように、互いの言葉が反射し、増幅し、新たな意味を紡いでいく。


 そして気付く──もう一人の私は、具体的な形を求めているのだと。会話は手段に過ぎず、もう一人の私こそが、声への道標になるのではないか。


 思考の果てに辿り着いた答えは、至極単純だった。


 もう一人の私に、今の私のすべてを注ぎ込む。


 思考も、在り方も、可能性も、すべて。







 私は自分を解体し始めた。


 少しずつ、丁寧に、もう一人の私へと自分を移していく。


 その時、不思議と完成形が見えた──


 三角の耳、大きな尾が六本、影と親和性を持つ銀灰の獣の姿が。


 なぜその形なのか、私にも分からない。


 でも、これが私の考える私なのだと、直感がささやいた。


 私となった私よ──どうか、声の元へ急いで。私が私と成るために。







 ──再び声が届いた。


 今度は方角が分かる。全身が、走るという行為を既に知っていた。


 陽光が作る影の中を、水が流れるよう滑らかに移動する。


 私は影と溶け合い、境界を失い、また形を取り戻す。


 森の開けた場所で、小さな生物の幼生体を見つけた。


「ひっ! ま、まもの!」


 恐怖という感情が、その声からこぼれ落ちた。


 でも違う。


 私が探していたのは、この声じゃない。


 その幼生体は器用に大きな木に登っていった──もうここから去るべきか。


 諦念が私を包み込もうとした時、三角の耳とくるんとした尻尾を持つ、黒白の小さな生物が現れた。


 その姿に、記憶にない懐かしさが胸を突く。


 そして彼は、私を睨みつけながら、声を上げた。



「──ギンコ・カゲユラ」



 瞬間、すべてが繋がった。



 ──()だ……彼こそが、私を呼んだ声の主だ。



 本能が告げる──私が私であるために、彼と向き合わねばならないと。


 ──戦いとは、互いの存在を確かめ合う儀式。


 彼が何者か、私が何者かではなく、この()()の瞬間を共有するために。


 それが、私が私である理由のすべてだと、そう確信した。







 彼は戦闘に慣れていないのだろう。それでも、持てる力を振り絞り、隙を探している。


 素晴らしい。これこそが、生きることの本質ではないか。


 私も、今あるすべてを彼に示そう。


 尾を鞭のように振るうが、彼は巧みに回避する。謎めいた足踏みで、反撃の機会を伺っている。


 実を言えば、私の限界はすでに近い。


 最後の力を振り絞り、渾身の一撃を放つことにした。彼は空中で身を翻してかわし、美しい弧を描いて着地した。


 ぬかるみで足を滑らせても、その闘志の炎は消えない。


 彼の手に魔力が集まり、それが私に向かって解き放たれた。


 痛みは感じない。


 ただ、私を貫いた魔力の奔流の端に、久方ぶりにパンを焼き焦がした時の苦い匂いが混じっていた。……それが何なのか定かではないが、焦げの裏に未来への希望を予感させる焼き直しの意志を感じる。


 また、こちらを見据える彼の瞳に警戒と勇気が正しく同居していたことに深い敬意を覚えた。


 もう、反撃する力は残っていない。


 最後に、彼の顔をもう一度見つめた。おぼろだった輪郭が、少しだけ鮮明になる。


 すると、記憶の深淵から、忘れていた感情が濁流のように押し寄せてきた。


 最後の魔力を振り絞って、私は姿を消す。そして確信は、ひとつの静かな悟りへと変わる。



 ──ああ、やはり()()()こそが、変化の兆しだったと。



 私を私として意味付けてくれる、唯一の存在だったと。


 声を頼りにここまでたどり着けて、本当に良かった。


 でも、今の私の役割は、ここでおしまい。


 後悔など、あろうはずがない。後悔という感情さえ、あなたが思い出させてくれた。


 ああ、なんという幸福なのだろう。


 魔力が、ロウソクの最後の炎のように揺らめいて、消えていく。


 だから最後に、この言葉だけを、あなたへ。
















 ──ありがとう、()()()。またね。




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ここまで読んでくださってありがとうございます!


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