格別な香料と、本気のパン作り(後編)
──本気のパン作り開始!
【材料の準備】
「まずは、粉よ!」
ティナがパン作り開始の口火を切った。
グレインが丹精込めて挽いた、きめ細やかな「金風の薄粉」が、木製のボウルにふんわり降り積もる。
指に吸い付くような、しっとりとした手触りだ。
「パンはただ混ぜればいいわけじゃないの」
ティナは粉をすくい上げながら説明を続ける。
「パンを作るには、まず粉属性が必須なの。そこに酵・香・熱・形・魔のうち異なる二つ以上を組み合わせて、はじめてパンになるの」
深く香りを吸い込むティナの表情が、ほころんだ。
「今日の粉は最高ね! 昨日の風が、この小麦にぴったりの乾燥具合をもたらしてくれたわ」
俺はグレインの言葉を思い出す。
──『風は空より、粉を撫でて』
彼の言っていた「詩」は、まさにこのことなのだと理解した。
◆
次に、ティナは棚から瓶を取り出した。
中には、サラが育てているモーモフルから絞ったばかりの、真っ白なミルク。
乳白色の液体が瓶の中でとろりと揺れ、表面には微細な泡が浮かんで生命力を感じさせる。
「モーモフルの『モフミルク』。ランクはEだけど、酵属性は風味と発酵を底上げする大事な核よ」
ティナはモーモフルの絵が描かれた瓶を誇らしげに掲げた。
【ミキシングとニーディング】
ティナはボウルに「金風の薄粉」と「モフミルク」、そして少量の「発酵草」を加え、ゆっくりと混ぜ始めた。
木べらがボウルに当たるカチャカチャという音が、心地よく響く。
俺はティナの隣で、指示された通りに「ルリ蜜」の瓶から必要な分量を正確に計り取る。
同時に「朝露の雫」も、ここで数滴加えた。瓶の口から独特の清涼な香りがふわりと立ち上り、瞬時に俺の鼻腔を満たす。
これが「ミキシング」だ。
◆
「モフさま、水加減を見てちょうだい! 生地が最高の状態になるように、あなたの感覚を信じて!」
ティナの言葉に、俺は木箱の上に立ちながら、ブカブカの手袋越しに生地に触れた。
表面のわずかな粘り、内部の湿度――それはまるで、生地自体が呼吸しているかのように感じられる。
指先から伝わる生地の微かな脈動に、俺の感覚が呼び覚まされるようだ。
《感覚強化(視・聴)》がじわりと発動する。その直後脳内で通知音が鳴ったが、今はただ、手元に集中だ。
俺はその「呼吸」に合わせて、水の量を微調整した。理由は分からないが、なんとなく「こうすれば、きっと良い生地になる」という確信があった。
スキル成長!
・感覚強化(視・聴) LV1→LV2
視覚・聴覚の精度が上昇。SEN+5%→8%、DEX+5%→8%。
◆
水が加わると、ティナの手の動きが一変する。打ち粉をしながら、力強く、しかし優雅に生地をこね始めた。
これが「ニーディング」だ。
ボウルの中で生地が叩きつけられ、伸ばされ、折りたたまれるたびに、ペタペタと粘り気のある音が響く。
ティナの腕の筋肉がしなやかに躍動し、生地に生命を吹き込んでいく。
打ち、伸ばし、折り返す。
動きは淀みなく、一定のリズムで生地の芯まで熱を加えていく。
「生地は手を返すほど表情が出るの」
ティナの熱とリズムが伝わり、艶と伸びが目に見えて増していく。
俺は、ティナの動きから熱と愛がダイレクトに生地に注ぎ込まれているのを感じた。
◆
「モフさまもこねてみる?」
ティナが尋ねてきた時、俺は一瞬だけ躊躇し──その申し出を断った。
自分が直接パン生地をこねることに、なんとなく抵抗を感じたのだ。
(毛が落ちたら台無しだしな……。俺は衛生上、計量と水加減に徹しよう)
その理由を言葉にすることはできなかったが、俺の直感がそう告げていた。
【一次発酵】
こね上がった生地は、温かい場所で「一次発酵」に入る。
ボウルにはラップがかけられ、生地はまるで呼吸を整えるかのように、静かに佇んでいる。
「発酵はパンの魂よ! 焦っちゃダメ。生地が呼吸して、膨らむのをじっと待つの」
ティナは優しく生地を撫で、俺にその膨らみ具合を教える。
俺は、生地の内部で酵母が活発に活動し、微細な気泡を生み出している様子を、嗅覚と触覚で感じ取った。甘酸っぱい香りがゆっくり層を増す。
朝露の雫がそれを押し広げ、輪郭をくっきりさせていくのが分かった。
【分割とベンチタイム】
膨らんだ生地は、均等に「分割」され、少し休ませる「ベンチタイム」に入る。
ふんわり膨らんだ生地をそっと置き、表面の張りを緩めるよう丸め直して休ませる。
「ここが大事なのよ、モフさま。生地もね、休む時間がいるの。焦ると、良いパンにはならないわ」
ティナはそう言って、生地一つ一つを愛おしそうに見つめた。
俺もそれに倣い、生地の「休息」を促すように、そっと手を添える。
指先から伝わる生地の温かさが、まるで生き物の体温のようだった。
【成形と二次発酵】
休ませた生地を、軽く叩いてガス抜きをして、パンの形に「成形」していく。
今日は特別な香料を使うからか、丸く、どこか神秘的なフォルムに整えられた。
ティナの指先が魔法のように動き、生地が完璧な球体へと変わっていく。その表面は滑らかで、薄い張りが生まれている。
そして再び、焼き上げる直前の「二次発酵」へ。
生地はさらに大きく膨らみ、オーブンに入れる準備が整った。
焼く前の生地は、見るからにふくよかで、生命力に満ちていた。微かに香る甘い匂いが、焼き上がりへの期待を高める。
【焼成】
「さあ、いよいよ最後の工程よ! パンの命を最も強く輝かせる時!」
ベルンとフィルが作った特製の石窯。
炎が呼吸するたび、温度と湿度のバランスがわずかに揺れる――それが焼き上がりを決める。
俺は窯の熱に一瞬怯むが、ティナの真剣な横顔を見て、気合いを入れ直す。
彼女の瞳は炎の輝きを宿し、一切の妥協を許さない職人の顔になっていた。
「モフさま、見ててね。これが、リーカ村のパン作りの魔法よ!」
ティナはそう言うと、丁寧に成形された生地を、熱い石窯の中へと滑り込ませた。
◆
ジュゥゥゥ……
熱された石板に生地が触れる音。
香ばしい匂いが一気に立ち上り、鼻腔を刺激した。
──それは、期待を裏切らない、最高の香りの始まりだった。
窯の中の熱で、生地はみるみるうちに膨らみ、香ばしい匂いが窯の扉から漏れ出した。俺は鼻腔を広げ、その香りの変化を克明に感じ取る。
まず水分が抜け、表面が艶のある薄褐色に変わる。
ついで蜂蜜が縁から香ばしく糖化し、内部では酵母が最後の役目を終え、気泡の壁が固まって骨格になる。
◆
石窯の砂時計が落ちきり、小さな真鍮の鈴がチリンと鳴る。
──焼き上がりの合図だ。
ティナが石窯の扉を大きく開けると、まばゆいばかりの湯気と共に、黄金色に焼き上がったパンが姿を現した。
それは、これまで俺がティナの店で見てきたどのパンよりも、はるかに神々しく、そして芳醇な香りを放っていた。
その完璧な焼き色と、表面から微かに立ち上る香気の波に、俺はただただ見惚れるしかなかった。
◆
焼きたてパンの上に半透明の六角形の紋様がふわりと浮かぶ。六つの頂点が(粉・酵・香・熱・形・魔)を示しながら脈打ち、ゆっくり生地へ吸い込まれていく。
「六角紋が出たわ。素材がきれいに噛み合った証拠!」
ティナは、達成感に満ちた笑顔でそう語った。
俺は、唐突な六角形の出現に困惑した。
ティナは特に気にする様子もなく、この世界ではごく当たり前のことであるかのように見えた。
(……はっ!? 何この六角形? ゲームみたいな演出だけど……まあでもここは異世界だからなあ……)
目の前で起こった不可解な現象に、俺の理解が追いつかない。しかし、ティナの迷いのない表情を見ると、これがこの世界の「常識」なのだと納得せざるを得なかった。
パン作りは、単なる料理ではない。それは、この世界の様々な要素を掛け合わせ、生命を吹き込む、まるで魔法のような儀式なのだと、改めて深く理解した。
そして、その魔法を操るティナの姿は、まさに真の「パンの魔術師」そのものだった。
(──すごいな)
そして、鳴り響く通知音。
経験値獲得!
・初パン作り 200EXP
レベルアップ!
・LV10→11(30/320)
(はい、今レベルアップはどうでもいいんだ……そんなことより!!)
◆
「ティナ……このパン……」
俺は言葉を失い、ただ目の前のパンを見つめた。
香りは、朝の森の清々しさだけでなく、生命の輝きそのものを感じさせた。
いつものスキル君もこのパンの完成度に圧倒されて発動していないように思える。
「さあ、焼きたてを味見してみましょう!」
パン
・香露ハニーブレッド(B)
花の朝露をすするようなやさしい甘さが広がる香り豊かな蜂蜜パン。焼成中に蜜がほどよくキャラメリゼされ、香りと共に優しく喉をすべり、食べる者の心を溶かすように癒やしていく。
使用素材
・金風の薄粉(粉・D)補正+1
・ルリ蜜(香・C)
・朝露の雫(香・C)補正+1
・モフミルク(酵・E)
・発酵草(酵・E)
(なぬっ!? Bランクだと!? ははは早く食べたいぃぃっ!!)
パン作りには「粉属性」が必須。
これだけ覚えて帰ってください。




