世界地図と、パンタニア魔物図鑑
──明朝。
「ユウマよ、起きたか」
ガランの声で目が覚める。
寝床の上で「にゃー」と一つ伸びした。
窓から差し込む朝の光。部屋を満たす薬草の香り。
そして、昨晩の決意。
「昨日の話じゃが、『村のためにできることを探したい』ということじゃったな」
「うん……」
「まずは、世界のことを知るのが先じゃ」
ガランが本棚に向かう。
「少し時間をくれ。見せたいものがある」
ガランは本棚から古びた布包みを取り出すと、机にどさりと置く。
長年の使用で色褪せた布からは、土と紙の匂いが微かに漂ってきた。
そして、ぽん、と自分の膝を軽く叩いた。
「ほれ、ここに乗れ。よく見えるようにな」
「えっ、あ、はい……にゃっ」
するっと抱き上げられて、膝の上に落ち着く。
思ったよりも温かく、ゆっくりした手で背を撫でられた。
ガランの指が毛並みを梳くたびに、心地よい刺激が背筋を伝う。
「ふむ……毛並みも相変わらずじゃのう」
そう言って広げられた地図──
(……でかっ!)
何枚もの羊皮紙を貼り合わせた、巨大な地図。
その中心には──
『リーカ村』
(……ここだ。俺が今いる場所)
六角形が放射状に広がる、不思議な地図。
神様に見せてもらったあの地図と、同じ形だ。
「この世界はな、六角形の集合体でできておる」
ガランの指が、地図をなぞる。
「リーカ村を中心に、『ミルカの森』。その外は──」
指が止まる。
そこから先は、破線と記号だけ。地名が、ない。
「……何もないの?」
「正確には、分からんのじゃ。未踏域とでも呼ぶべきかの」
(……この世界、まだ誰も知らない場所だらけなのか)
ガランの指が、空白の領域をゆっくりと辿る。
地図は手描きで、貼り紙や二重線の修正も見られる。その指が動くたびに、ふいっと俺の頭が撫でられる。
「……今、撫でた」
「撫でておるとも」
そのとき、奥の部屋からふんわりと甘い香りが流れてきた。ミーナだった。
湯気の立つお茶の盆を抱えて、静かに歩いてくる。
「二人とも、お茶を淹れたわ。ユウマちゃん、膝の上は居心地いいかしら?」
「……まあ、うん」
「ふふ……今日も毛艶がまぶしいわ……撫でていいかしら?」
(……返事を待たずに撫でてきたぞっ!)
ミーナの手が、すっと俺の頭を撫で下ろす。まるで、それが当然の礼儀であるかのように。
ミーナは俺の背をそっと梳きながら、横から地図に目をやる。
「この貼り紙、また増えたのね……アロマハーブの香りをつけておこうかしら?」
「地図に香りは必要ない」
「いるわよ。だってユウマちゃんが見やすいでしょ?」
ミーナは真顔でそう言い、彼女の感性では香りが視覚情報と同等、あるいはそれ以上に重要であるかのように思えた。
(香りと見やすさ、関係あるのか……? ミーナさんは、情報を香りで捉えるのが得意なのかもな……多分ね)
ガランは苦笑しながらお茶をすすり、今度は分厚い本を取り出した。
表紙はボロボロで、背表紙には小麦の模様。
タイトルは──
『パンタニア魔物図鑑・第六改訂版』
表紙はボロボロ。背表紙には小麦の模様。
ページをめくると──
「うわっ」
そこには、見たことのある魔物が。
『ブレッドバット(酵・E)
天井にぶら下がる。発酵草を落とす』
(……これ、俺が倒したやつだ! いや倒したと言っていいのか……?)
次のページ。
『クッキークラブ(形・E)
甲羅が丸い。型抜き殻が入手可』
また次のページ。
『ペパーミントリス(香・D)
尾がミントの葉のよう。清香葉を採取可』
「……名前が、全部パンみたい!」
「パンの素材は魔物の中に宿る。祝福された素材じゃ」
ガランがページをめくり続ける。
Eランク、Dランク、Cランク──
(……こんなにいるのか。魔物って)
「魔物名の後ろにある(酵)(形)(香)はどういう意味なの?」
「ああ、これは属性じゃな」
ガランが別の紙を取り出す。
そこには、六角形が描かれていた。
各頂点に、文字が一つずつ。
『酵・粉・香・熱・形・魔』
「この世界には、六つの属性がある」
「……六つ?」
(いや属性って普通、「火」とか「水」みたいな感じだよね!? 何でもパンに結び付けてるな……あのパン好き神様の仕業なのかな……?)
「ちなみに酵属性は『調和』を司る、と言われておるのう。他の属性は……まあ追々のう」
ここまで来ると、全てがパンと結びついているこの世界に、俺は確実に馴染み始めているのを感じた。
「うーん、全部覚えられるか心配……」
そんな難しい顔をして悩んでいる様子の俺に、ミーナがくすりと笑いかける。
「徐々に慣れていけば、いいのよ……パンを通じて、世界を知るの。素敵なことだと思わない?」
◆
図鑑を読み進めるうち、これまでとは雰囲気の違うページに行き着いた。
急に紙質が変わり、色褪せ、滲み、まるで古代の粘土板か古文書のような、重々しい雰囲気を帯びていく。
「この先は、記録の余白じゃ」
そこには、中央に描かれた六角形。
その各頂点が、それぞれ何か強調されているように見えなくもないが、情報としては何も分からない。
だが、魔物の名も特徴も不明。輪郭だけが影のように残る。
そのシルエットは、見る者の想像力をかき立てるが、同時に漠然とした不安も抱かせた。
──いや、違う。
ページの端に、黒銀の獣の落書きのようなものが描かれていた。
それは、決して子供のいたずらなどではなく、何かの断片を必死に書き留めたような、切迫した線で描かれている。
「これは……?」
「それか。昔の旅人が見たとかいう幻獣じゃ。名前も特徴も定かじゃなくてのう」
それは、まるで決して触れてはならない禁忌に触れたかのような、ゾッとする感覚を抱かせる絵だった。
淡い月光の色を宿した双眸。隣には手書きのメモが残されていた。そのメモもまた、震えるような筆跡で書かれている。
『記録外魔物
ギンコ・カゲユラ(仮称)
目撃報告:1件
素材採取:未確認
危険度:不明
接触:厳禁』
(いやかなりヤバい魔物じゃん……! でも、気になるよな……)
本能の警鐘が鳴る一方で、未知への好奇心がむくむくと湧き上がってくる。
ガランはそのままページをめくり、最後の見開きを開いた。
そこにある、墨の跡を指でなぞると──
『観測者──パンタニア◯◯◯(読み取れず)』
「これはな……パンという文明の象徴を記録する存在だとされとる。過去・現在・未来、全てのパンを、静かに見届ける者たちじゃ」
「そんなの、本当にいるの?」
「さぁな。いるかもしれんというだけの話よ」
窓の外に目を向けながら、ガランはぽつりと続ける。
「だがな。これだけは記録に残っておる。 彼らは、『世界のパンと魂の進化を、遠くから見つめている』と」
ガランの穏やかな声が、なぜか厳かな響きを帯びて聞こえた。
(……いやその前に、パンを監視する存在がいるのかよ……!)
「素材をどう使うか。どう焼き上げるか。その発想と情熱の行方をな、見ておる。観測者は干渉せん。ただし、進化の兆しには目を向ける。そして……まれに、試練のような機会を与えることがあるらしい」
「……試練を与えるときに、そいつらが現れる可能性がある、ってこと?」
「そういうことじゃ。だが忘れるな。香りは、風に乗る。焼かれたパンの想いは、きっと、どこかで誰かが嗅ぎつけるものじゃ」
(……いや、ただのパン好きの獣が美味しい匂いに集まってくる……だけじゃねぇのか!?)
ツッコミを声に出さなかった俺を、褒めてほしいな。
そして、脳内で通知音が鳴った。
経験値獲得!
・パンタニア世界を知る 100EXP
(世界を知るって大げさだな? いやそうでもないのかな? 経験値はありがたい……)
そのとき、ページの一角にふと目が止まった。
古い羊皮紙の片隅に、かすかに光を放つように、整然とした六角形と見慣れない記号が刻まれている。
──その六角形の中心を注視すると、今にも消え入りそうな肉球のような印章が、そこには押されているのであった。
◆
「さて、今日はこの辺にしておこうか」
ガランが図鑑を閉じる。
「明日は、実際に森へ出てみるか。狩人のラオに案内を頼もう」
「森に……!」
村の外。魔物がいる場所。パン素材!
(……転生初日以来か! あの時よりレベルアップしたから……でも用心しなきゃね!)
──翌日、俺は狩人ラオと共に、再びミルカの森へ足を踏み入れることになる。
この作品で魔物は96体存在します。
全部登場させるか未定ですが、ぜひお楽しみにしていてください!




