薬屋に帰還、これからに思いを馳せる
帰り道、俺はずっと考えていた。
(……俺、この村で何ができるだろう)
ひんやりとした風が頬を撫でる。
夕暮れの空の下、土を踏みしめる肉球の感触が心地よい。
「ふむ、日が傾いてきたな。早く家に戻るぞ、ユウマよ」
横を歩くガランの横顔には、一日の終わりの穏やかさが滲んでいた。
「うん……今日は、色々あったなあ」
そう呟くと、ガランは目を細めてうなずいた。
歩いているうちに、少しずつ心が落ち着いていく。ティナの美味しいパン、ベルンとフィルの軽妙なコンビ、村長夫妻のあたたかさ。
村の人々がどこか自然に、俺を「当たり前にそこにいる存在」として扱ってくれる。長い旅から帰ってきたような、じんわりとした安堵感が胸に広がる。
(……俺、本当にこの世界で生きていくんだな)
しみじみとそんな実感が湧いてきた。
土の匂いも、木々のざわめきも、人々の声も、そのすべてが自分のものとして、確かな輪郭を持って心に刻まれていく。
◆
薬屋の木製の扉を開くと、ひっそりと灯るランプの光と、ほのかに薬草と乾いた木の匂いが、俺を優しく包み込んだ。
昼間よりもグッと濃くなった、ミントのような爽やかさと、土のような素朴な香りが混じり合って漂っている。
ミーナが中から顔を出し、柔らかな笑みを浮かべる。
「おかえりなさい、ユウマちゃん。ちょうど、ハーブ茶が入ったところよ」
「うん、ありがとう」
湯気の立つ器を受け取ると、ミーナは俺の隣にそっと腰かけた。
温かい陶器の感触が肉球を通してじんわりと伝わり、冷えた指先に心地よい。
もちろん、猫舌だから熱くてまだ飲めないけどね。フー! フー!
彼女のローブには、新しく編み込まれた薬草の模様が揺れている。
「……ねえ、ガランさん、ミーナさん」
俺の呼びかけに、二人は手を止めた。
ガランは棚の薬瓶に目をやり、ミーナは編みかけの薬草から視線を上げた。
「俺、この村で……みんなの力になりたい」
その言葉に、ミーナは優しく目を細める。その瞳には、俺の変化を見守るような、深い愛情が宿っていた。
「ふふ……そう思ってくれて、何よりだわ」
「今日、村のみんなに会って……すごく温かくて」
言葉が、うまく出てこない。
「……この村で過ごす時間が、俺にとって大切なんだって、わかったんだ」
「ええ、そう感じるのは、生きていく上でとても大切なことよ」
ミーナの言葉に、少し胸が痛んだ。
(……この村は癒やしに満ちている……と思う)
「俺……まだここに来たばかりで、分からないことも多いけど……」
俺のしっぽが、少しだけ床に沿って丸くなる。
「村に貢献、したいのね。――優しい子」
「うん……。何かできることを見つけて、俺なりに村の役に立ちたいんだ」
──心からの言葉だった。
これまで前世で感じたことのない、純粋な貢献欲が胸に灯った。
ガランは、しばらく黙っていた。
だがやがて、棚の薬瓶をひとつ撫でてから、穏やかに言った。
その指先が薬瓶のガラスをゆっくりと滑る音が、静かな空間に響いた。
「ふむ……。それは立派な志だ。だが、なにも急ぐことはないぞ。村の暮らしはな、流れがゆっくりじゃ。季節が移り、風が変わり、やがて見えてくるものもある。その流れに身を任せるのも、一つの手だからのう」
俺は、その言葉に、強張っていた肩の力が抜けるような感じがした。まるで、温かい湯に浸かったように、全身の緊張がふっと緩む。
「……ありがとう」
するとミーナは、小さな編み針と数本のアロマ薬草を手に、やんわりと笑いかけた。
「ねえ、ユウマちゃん。今日も毛並みがまぶしいわ……。この香り、編み込んでもいいかしら?」
「何それ!? えっ、いや、まだ心の準備が──わぷっ」
「ふふっ、聞くだけ聞いたもの。じっとしててね、すぐ済むから」
器用な手つきで、俺の首元の毛に薬草をちょん、と差し込んで整える。
薬草の独特な、しかし心地よい香りが、ふわふわの毛の中に編み込まれていく。
ミーナの指先が優しく、しかし確実に毛並みを梳く感触が、くすぐったく背筋を伝った。
「……できたわ、うん、いい香り。これで、もっと癒やし力が高まったんじゃないかしら」
「癒やし力って何!?」
俺の抗議は、またしても二人の笑い声に掻き消された。
ミーナは薬草の小瓶を片付けながら、ふわりと口元を緩める。
「でもね、ユウマちゃん。できることを探すのは、ゆっくりでいいの。焦らなくても、あなたはもうこの村の一員なんだから」
「……うん」
(ほんとに、優しくて、ありがたい……ここが、俺の居場所になるなんて)
「この家も、ね。あなたにとって『帰ってこられる場所』であってほしいわ」
ミーナの目は真っすぐだった。優しさの奥に、芯の強さが覗いている。その揺るぎない眼差しは、俺の心を温かく包み込んだ。
「だから無理しないで。寝転がってても、ゴロゴロ喉を鳴らしていてもいいのよ」
「え、そんなんでいいの……?」
「ええ。だってあなた、癒やしの猫さんだもの。いるだけでありがたいわ」
ミーナの声は、ゆっくりと染み込むように温かかった。その言葉一つ一つが、俺の心に深く根を下ろしていくのを感じた。
(……何かできることはあるかな……この猫獣人という特性も活かせればいいんだけど……)
俺は、固く閉ざされた心の扉が、ゆっくりと開いていく感覚を覚えた。
「……よし、じゃあ明日から何か手伝う!……いや、明後日からでもいい?」
そう俺が冗談めかして言うと、ガランがふっと笑った。
「ふむ、まずは日向ぼっこする時間を確保してからじゃな」
「それなら、すぐにできそうだよ……!」
最後に、ミーナが言う。
「明日も、その次の日も、あなたがこの村で過ごす時間が、どうか穏やかでありますように」
◆
窓の外では、ミルカの森から吹き抜ける風が、夜の帳を運んでくる。
リーカ村での、俺の本格的な暮らしが始まろうとしていた。
「そうじゃ、ユウマよ」
部屋の隅から、ガランが声をかけてきた。
「明日、お前に見せたいものがある」
「見せたいもの……?」
「うむ。この世界のこと、少しずつ知っていこう」
その言葉に、胸が高鳴った。
(……この世界のこと)
──翌日、俺はこの世界の真理の一端を、初めて目にすることになる。




