表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイあれこれ

「なろう系」という言葉に囚われる「小説家になろう」

作者: 荒野ヒロ

まず、これは現状の小説家になろうに対する「なろう批判」であって、なろう「否定」じゃない点を強調しておく。そこを考え違いしないでほしい。

変化をもたらせられるのは読者。読者が変わらなければ、なろうは変わらない!

 小説家になろうの運営は、()()()()()()()つもりはないようだ。

「なろう系作家」を生みだし、それで利益が得られつづけると信じているらしい。


 けど、よく考えてみよう。


 大手の出版社やそのほかの勢力(海外のものも)が、数々の「なろう系」作品を世に送り出している状況を。

 その中でいつまで「小説家になろう」は、同じ土俵で戦いつづけるつもりなのか。


 いままでは確かに「なろう系」という商標登録じみた存在感を「小説家になろう」は持っていたかもしれない。

 しかしその「神話」は崩れつつあるんじゃないのか。


 なろうの運営や、なろうを利用しているユーザーは、いまいちど「()()()()()()」という意味を考えてほしいものだ。

 小説家とは、「なろう系を書く人」を意味しているのではない。



 もちろん「小説家になろう」の運営が初心に立ち返り、なろう系でない作品をピックアップするような動きをすれば、そうした作品を書けない作者も、そうした作品を楽しめない(読めない)読者も離れていくだろう。

 しかしいずれは大手に多くの作者も読者も奪われていくとしたら、いまこそ変革すべきなんじゃないのか。


 勇気を持って手放すべき「なろう系」という称号……


 いや、捨ててしまえ。そんな称号は。

 いつまで「なろう系」などという揶揄やゆ的称号にすがるつもりなのか。


「なろう系」という言葉を作り出した特別感だけが、「小説家になろう」というサイトに読者を呼び込んでいるだけだと理解されたら、あとは穴の空いた風船みたいにしぼんでいくだろう。

 ほかのサイトのほうが作者も読者も勢いがある。そんなふうに思われたら、一瞬で風向きは変わる。

 本道に立ち返り、本当の意味で「小説家になろう」と呼ばれるにふさわしいサイトに生まれ変わってほしいものだ。



 * * * *



 こういった「なろう批判」に対し、利用している人は「文句言うな」と感情的になるかもしれない。

 しかし問題(読者離れ、作者離れ)が起こってからでは遅い。

 さまざまな問題について考え、そうならないために行動を、と訴えている言葉が()()にしか聞こえない人は、現状に満足して(それが変わらずにずっとつづくと思い込んで)いるユーザーか、そもそも「小説家になろう」が無くてもほかに移ればいいと軽く考えているような人だろう。

文芸には絶対に多様性が必要。

でなければ文芸は、形骸化した腐敗政治や、洗脳的、支配的な宗教のように、人々の心を腐らせ、弱らせる。

最近、知性についての格差が水面下で広がっている事に気づいているだろうか。


「心を軟弱にさせるもの」(『ガリア戦記』にある言葉)。それがある種の大衆的娯楽を意味しているのは明らかだ。数世紀前の時代から人の本質は、何も変わっていない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ