あの日見た光景
「待って、お兄ちゃん~!」
「遅いぞ楓~。ほら、こっちこっち!」
少年と少女がどこかの道を翔けている。なんて微笑ましい光景だろうか。いや、懐かしいと言った方が良いだろう。今でこそ控えめな性格だが昔は俺のことをお兄ちゃんなんて呼んでいた時期もあったものだ。本当に懐かしい。
「あれ?お兄ちゃん、もう帰る時間なの?」
「何言ってんだよ楓、さっき昼飯食べたばっかりだ...ろ?」
不意に追ってこなくなった妹を怪訝におもったのか足を止めて振り返る幼い俺。確かに夕方のように雲が赤く照らされ、遠くからは夜色に染め上げようとしていることが確認できる。
しかしその眼に映った異様な光景は疑問の心をすぐに不安と恐怖に染め上げた。そしてその表情を見た妹は兄が呆然と眺める方へ視線を移してしまった。
「何あれ...?お兄ちゃん、怖い...。」
昼時とは思えないほど赤く輝く太陽は端の方から徐々に黒く染められていくのが分かった。そしてそれと同時に回りの景色もあっという間に夜になっていく。
太陽が夜に隠れてしまった時だった。全て黒く染まったはずの太陽が赤い円環と共に輝き空を不気味に照らした。それが魔王誕生の瞬間だったのだろう。立っていられないほどの大地の揺れが幼い俺たちを襲った。
「うわあああああ」
「きゃあああああ」
どれほどの時間が経っただろうか。あんなに激しかった揺れも収まり心にも余裕が出来たのかへたり込んだ二人は立ち上がりお互いを確認する。
「お兄...ちゃん」
「家に帰ろう...」
しかし、災厄の始まりはここからだった。どこからともなく悲鳴が聞こえてきた。そちらの方へやると女性が大きな黒い狼に襲われていた。女性はもう死んでいるのだろう。声一つ上げず獣の餌食となっていた。思えばこれが初めて見た魔物だったのだろう。直感で逃げないとと感じたのだろうか幼い俺は妹の手を引っ張り走り出す。
そこまで離れて遊んでいなかったのか家に着くのは早かった。しかしそこには家と呼べるようなものはなかった。綺麗な住宅街は手が付けられそうにないほど激しく燃え上がっていた。それは俺たちの家も例外ではなかった。そして家の中には病弱な母がいつも床に臥せていた。
「母さん!!」
頭では分かっていてもほんの僅かな希望に縋りつき家の中にいるであろう母を呼ぶ。一人で歩けるのもやっとな母がこの炎の中自力で脱出しているとは思えない。そう思ったのか幼い俺は炎に包まれた家へ無理やり入ろうとする。
「雫!!」
幼い俺の腕を引っ張ったのは父だった。
「お父さん、お母さんは...?」
妹の問に父は苦虫を嚙み潰したような顔で少しずつ答える。
「母さんは...もう。」
父の答えに妹も幼い俺も目に涙を溜め泣きそうになっていた。しかしこんな不幸も始まりに過ぎない。俺はこの夢の続きを知っている。
突如として火の海になった住宅街に雄叫びが木霊する。そして大きな足音は確実にこちらに迫って来ていた。いや、もう見つかっていたのだろう。父の倍はありそうな一つ目の化け物はこちらを凝視し近づいてくる。
「雫、楓を連れて逃げなさい。」
「父さんは...?」
「いいから!早く!!」
父は俺たちを守るようにその化け物に相対していた。たかが人間一人、化け物が振るった拳に耐えられるわけもない。
最後に見た大切なものを守る父の背中はとても大きなものに見えた。




