SIDE-A 3.理想は、CMでお茶漬けをかっ食らっているアノ人の食べ方
当時は券売機などというものはなく、対面販売・対応が基本でした。必要最小限で済ませるお店の人とのやりとりが、いかにも常連だったのですよ。
「いらっしゃいませー!」
お茶を持ってきた店員さんは、オバチャン直前の奥様パートさんだ。胸のバッチは、五つの○のうち、二つが塗りつぶされてる。
店員キャリアがそれなりに長くて、お客のツーにカーと答えてくれそうだわ。
「ゴハン」
メニューはお決まり…なんて言わせないのが暗黙のマナーよね。丸暗記、というより、自分オリジナルを決めておかなきゃ、吉味屋には立ち入る事は出来ないわ。
「…ゴ、ゴハン、でございますね?」
「そ」
あら、まだまだだわね。
こんなに堂々と、確信を込めて、通い慣れた常連のように注文しているというのに。
笑顔はどうしたのよ。こっちはお客、客なのよ?
「か、か、かしこまりましたー、ゴハン一丁っ!」
「ゴハン一丁っ!」
あらあ、厨房の男、威勢がいいわあ。てんちょークラスかも。
基本的に、誰が作っても同じ味のはずの牛丼なんだけど。
でも、なんか、ベテランらしい人が作ると、ビミョーに味が違うのよねぇ。
ちょっともったいないけど、まあ、仕方がないか。
基本的に吉味屋は、客の回転率を上げる事に終始してるから、待ち時間はほとんどないのよ。
ま、ゴハンをドンブリに盛って出すだけだから、時間がかかるわけもないんだけどさ。
「あ、お茶は熱いのにしてね」
んもぉ店員さんったら、こっちが催促する前に、そういうものは出しておくものよね。なってないわっ。
「ス、スイマセンっ!」
なんて、店員さんを追い払っておいてっと。
お寿司屋さんでもそうだけど、ガリとお茶はタダと、相場が決まってるわけ。
だから、目の前に置かれたゴハンが隠れる位にたっぷりと紅ショウガを乗せてしまう。
その上に、たっぷりと七味唐がらしを掛けまくってと。
仕上げにお醤油を、これもたっぷりと掛け放題に掛けまくって。
うーん、我ながら美味しそうに出来たものだわ。
牛丼の匂いは、黙っていても漂ってくるし。
だったら、吉味屋の雰囲気だけ味わって、あとはお腹を満たせばいいじゃない?
「お、お待たせしました…」
そんなあたしのドンブリに、顔を引きつらせながらお茶をもってきた店員さんに、にっこりと微笑んであげると。
ドンブリの上からお茶を注いでいく。
ヒタヒタにするのが、ポイントよ。
残ったお茶は一気に飲み干して。
「すいません、お茶のお代わりお願いします」
タダなものは、徹底的に頂かないと、ね。
さて、と。
もりもりっと、ドンブリの中でうなっているあたし特製の「紅桜白塵丼」。
うーん、なんて美しいネーミングなのかしら。
ヒタヒタにお茶を掛ける事で、地球の京都とかいう所で出されるという「ぶぶ漬け」に匹敵する、雅な御馳走になったのよ。
気持ち悪いなんて言っちゃダメダメ。
汚れなき純白の雪原を思わせる、白い御飯。
桜が舞い散るかのように一面に散りばめられた、紅生姜。
暑さを謳歌し、萌えるように育つ草原のような、緑茶の色合い。
そこにぽつぽつと浮かぶ、紅葉色の七味唐がらしの儚さ。
ドンブリの中に醸しだされる小宇宙。麗しき「日本」の四季が、このドンブリのに結集されているまさに芸術作品なのよ。
…いいのよしょうがないのよ。お小遣い、ピーンチなんだから。
これは、人並みはずれた集中力とイメージトレーニング、類まれな精神力を誇るあたしだからこそできる大技なのよっ!
がっ、がっ、がっ。
がっ、がっ、がっ。
じゅるじゅる、じゅるっ。
がっ、がっ、がっ。
がっ、がっ、がっ。
じゅるじゅる、じゅるっ。
食べ始めたら、わき目も振らず、一心不乱で。
リズミカルに、力強く、集中して食べる。
理想は、CMでお茶漬けをかっ食らっているアノ人の食べ方ね。
そう、限られた品目、限られたメニューの中で、精一杯「今」を楽しむ。
それが吉味屋の暖簾をくぐる者の心意気だと、あたしは思うの。
言うまでもないけど、ドンブリを残すなんて絶対にしてはいけないことだわ。
少しでも美味しく食べるために、最大限の努力は当然払うべきなのよ。
当時は、自分で書いていて、こんなのありえないよなぁと思っていましたが。
今では意外と“あり”らしいですね。(ホントに?)
いや、作者はやりません、絶対に。
ネタとして書くから面白いのに、リアルで、ですか。そうですか…