56.性別違和2
「ノア=アレキサンドライトも攻略対象ですよ」
現在ミリちゃんは貴族としての礼儀作法の訓練のため、ラピスラズリ公爵家の屋敷で寝起きしている。ミリちゃんの休憩時間に部屋に訪ねていくと、頭に辞書を乗せて歩く練習をしていた。
ものすごく真剣な表情で、辞書を落とさないようにしながらそろりそろりと歩いていく。自主練しているらしかった。
ノア様の顔があまりにも整っていること、それからレオやミリちゃんと同世代なこと。そこから推測して質問してみたところ、予想通りやっぱりノア様も攻略対象だった。
「ノア=アレキサンドライトがメイベル様の運営する幼稚園に通ってるんですか?」
「そうなのよ。ドレスを着て、ツインテールで、楽しそうに通ってるわ」
「ふぅん……」
ミリちゃんは相槌を打つだけで、歩くことに集中している。
食いついてくるかと思いきや、意外とあんまり興味なさそうだった。
「あれ、あんまり興味ない?」
「わたし、ノアは……あ、呼び捨てはまずいですね。ノア様は正直、解釈違いなんです」
「解釈違い?」
「はい。わたし、前世でオネエ系男子は結構好きだったんですよ。見た目は女性で、でもたまに漏れ出るオスみというか……! ギャップ、ってやつですかね? ──え、語ってもいいです? いつもは女性の姿で可愛くキャッキャしてるのに、わたしに対してだけ見せてくれる抑えきれない男の姿……! 例えばですね、なんやかんやのすれ違いの末に喧嘩して、わたしも心にも無いことを言っちゃったりして、そしたら『もう黙れよ』とかオスの声で壁ドンされたりして……! きゃー!! 最高っ!!」
語っているうちにどんどんテンションが上がっていくミリちゃん。
言いたいことはとてもよくわかる。私だってオタクの端くれだったもの。あるよね、そういうシチュエーション……!
ちなみにそのよくあるシチュエーションについて考察してみよう。
LGBTQ +は、生まれた身体の性別・性自認・性的指向・性表現の4つに分けると考えやすい。
まずは生まれた時の身体の性別、これは男。
次に性自認、自分の性をどのように認識しているかだけど、たまに抑えきれずにオスみが溢れるってことを考えたら、これもきっと男よね。自身の性に男女の枠組みを当てはめないノンバイナリーかもしれないし、自身の性を男女に限定しないXジェンダーの可能性も否定できないけど。
性的指向とは、恋愛対象がどの性別に向くかということだけど、ヒロインと恋に落ちることを考えたら、そこは女性を好きになるってことよね。描写されてないだけで男性のことも好きになれる可能性もあるけれど。
そして性表現。社会的にどのような性別として振る舞うか、ということだけど、この表現系が女性。
──まとめると、性表現がマイノリティなだけでそれ以外はマジョリティである。
「……関係ないんだけど私は、普段チャラチャラしてるお兄さんがヒロインだけに見せるクソでか感情に萌えるタイプです」
「あぁっ、それもいい……!! 女好きなナンパ野郎に見えるけど実はヒロインだけに執着してるんですよね、わかります!!」
興奮して手をブンブンと振り回してしまったせいで、バランスが崩れて頭の上の辞書が落ちそうになり、慌ててミリちゃんは背筋を伸ばす。
こほんと咳払いを一つして、ややトーンを落とし、ミリちゃんは話題を元に戻してくれた。
「ノア様は……身体は男性だけど……うーん、なんていうか……オスみが皆無なんですよね。──たぶん百合枠なんですよ」
「……乙女ゲーに百合枠とかあるの?」
百合。女の子同士の恋愛のことだ。
女性向け恋愛シュミレーションゲームにはあまり耳馴染みがない気がする……うーん、でも性のあり方や嗜好は多様化しているし、私が知らないだけでそういうニーズも実はあったのかも……?
「ボロボロの状態で入学したエミリー……わたしとは区別するためにヒロインって呼びますね。ヒロインが美容方面に特化してステータスを整えていくと、出現するのがノア様なんです!」
滔々とゲームの展開について教えてくれるミリちゃん、
ノア様とは、コスメショップで遭遇するのが最初の出会いらしい。そこから何度か出会い、顔見知りになっていく。そして中盤のダンスパーティーのイベント前になると、子爵家から持参したボロ雑巾みたいなドレスを家庭科室で手直ししていると、出現して手伝ってくれるらしい。
「ノア様の好感度が上がっていくと、実は幼い頃は自分を女の子と思っていた、でも学園に入ってからは男として自分を偽って生きてきた、本当は女の子になりたいんだ、と打ち明けてくれます。そんなノア様を受け止めて、お化粧したり、ドレスを選んであげたりして可愛くしてあげることによって、二人の仲は急速に深まっていくんです。──ハッピーエンドでは、最終的にウエディングドレスを着たノア様と結婚して、アレキサンドライト公爵家の庇護のもと、ショップを開くみたいな感じでした」
「ちなみに、バッドエンドは……?」
「バッドエンドは全シナリオ共通です、ラブラドライト子爵家に連れ戻されて、70代の好色ジジイと結婚させられてエンドですよ。──ノア様ルートでは、ショップを開くための知力と財力と、あとは可愛い女の子二人での生活ですからね、身を守るための武力もある程度はステータスに必要です。その辺りのステータスが足りなければ、ノーマルエンドを迎えることになります。ラブラドライト子爵家からは逃れて、貴族籍を捨てて平民に戻り、ノア様の経営するショップの店員として働かせてもらうというものです。まぁ友達止まりってやつですね」
ひょいと肩をすくめて、また頭から辞書が落ちそうになる。まだ会話しているとすぐに姿勢保持が疎かになってしまうようだった。姿勢保持が身につくには、まだ少しかかるだろう。
「最後の最後まで、ノア様にオスみはありません。なんならどんどん女の子らしくなっていきます。ってかヒロインの手で女の子にしていくんですけどね。そんな二人のスチルはもう、完全に百合にしか見えないんです」
なるほど……。
ゲームの中のノア様は、LGBTQ+で言う所の、生まれ持った身体の性別は男性、性自認は女性。性的指向も女性。性表現としては男性を選んでいたけど、ヒロインとの邂逅を経て、自分の心のままに女性を選んだということだ。
……確かに性自認が女性で、性的指向も女性だったら、それは百合だわ。どう考えても。
「……あ、でも待ってください……! もしもノア様が本当は男性を好きだったけど、でもヒロインのことだけは性別を超えて好きになったんだとしたら……それって素敵かも……!!」
新しい解釈に目覚めるミリちゃん。
ひとしきりキャッキャと楽しそうに語った後、ふと視線を下げて、頭の上から辞書を下ろして胸に抱き、そのままソファーにボスンと座り込んだ。
「……ノア様は今、本当の自分を隠すことなく過ごせてるんですねぇ……」
しみじみと、どこか肩の荷が下りたようにミリちゃんが呟いた。
柔らかいソファーに沈み込む5歳の女の子は、しかし確実に5歳ではない複雑な表情で笑う。
「良かったです、安心しました」
「ん? 安心って?」
「わたし、──ヒロインとしての役割を放棄しようとしてるじゃないですか? わたしはわたしの人生が最優先ですけど、でもほんのちょっぴり、……罪悪感があるんですよ。本来ならヒロインに救われるはずだった攻略対象たち、どうなるんだろって」
指先で辞書をパラパラと手遊びしながら、下げた視線はそのままに、息をつく。
母のために姉のことを背負ってしまうような優しい女の子は、会った事もない攻略対象たちに心を痛めているらしかった。
「でも少なくともノア様はこれでもう安心ですよね!」
「……それはどうかな……」
少なくとも、ゲームとは違う道が歩めるでしょうけど。
それが本当に良い道かどうかは、分からない。
「もしかしたら、もっと辛くなるかもしれない。私は社会的に女の子として生きる選択肢を提示したけど、手術ができるわけでもないこの世界で、もっと葛藤が生まれるかもしれない。伴侶だって見つからないかもしれない……」
不安はいつだってある。
綱渡りのような。
私の介入が良い方向に転がるかどうかは、わからないのだ。
「──ごめん、口に出すべき事じゃなかったね」
しゅんと表情を崩したミリちゃんを見て、我に返った。
私の葛藤まで、彼女に背負わせるわけにはいかない。
だけど口に出してしまった不安はもう戻らなくて、ミリちゃんに染み込んでしまった。
「ごめんね、ミリちゃんにそんな表情させるつもりはなかったの。──あのね、大丈夫よ。ノア様が辛い想いをしないように、何かあったらその都度相談に乗れるように、見守っていくつもりよ。一度関わったからには、幸せになってもらいたいわ」
「……ねぇメイベル様、わたし、そばにいましょうか?」
ミリちゃんは、そのブルーグレーの瞳を揺らめかせて、じっと私を見た。
脈絡のない言葉に、私は首を傾げる。
「わたし、何かできるわけじゃないけど。メイベル様が一人で背負わなくてもいいように、そばにいることくらいは出来ます!」
ミリちゃんが言いたいことが、どういうことかなんとなくわかった。
ゲームの世界を変えて、もしかしたらもっと状況が悪くなってしまうかもしれないことへの不安。それを、同じ転生者として、一緒に抱えてくれようとしているのだ。
「守ってくれるんでしょ? ラブラドライト子爵から。だったらいいですよ。わたし、物作りができるなら別にフローライト地方じゃなくったっていいですし。……攻略対象たちの事だって、本当はずっと引っかかってるんです。このまま一人だけ逃げ出しても、きっといつまでも気になり続けちゃう……」
「大丈夫よ、ミリちゃん」
私はミリちゃんの隣に座って、その優しい背中を撫でる。
彼女は思い違いをしている。
「ありがとう、私を心配してくれたのよね。──ごめんね、私の伝え方が悪かったわ。あのね、未来のことが分からないのはみんな一緒よね?」
「それはそう、です……」
「ノア様も同じよ。確かにもっと悪い状況になるかもしれない、でも良くなるかもしれない、それは分からない。ゲームで未来の一端が見えてしまっていたからややこしい話になったけど、ゲームから解放されてみんなと同じになっただけと思えばいいわ。大丈夫、私は別に背負いこんでなんかない」
患者の人生を、全部は背負えない。そこまで傲慢じゃないつもり。
私にできることは、話を聞いて、今の行き詰まった状況を少し変えるための方法を一緒に考えて、提案することくらい。決めるのは私じゃない、本人だ。子どもだったら、その本人とそのご家族かな。
私が代わりに頑張ることも、決めることもできない。
人生の肩代わりなんてできないのだ。
まだ浮かない表情をしているミリちゃんの頭を、ゆっくりと撫でた。
子ども特有の細い髪の毛を指で梳いていく。
「──ミリちゃんが良かったら、いずれ他の攻略対象のことも聞かせてもらえる? もし何か起こる不幸を防げるなら、それがいいもんね」
貴重なお時間を使って読んでいただき、ありがとうございました。
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