55.性別違和1
ところで。
レオくんの幼稚園の同級生に、一人気になる子がいる。
「あー、レオさまのお母さま!」
その日、レオくんをお迎えに行くと、レオくんはお友達と一緒にお人形で遊んでいた。一緒に遊んでいるのは、フリルのドレスでツインテールの、お人形と見間違うくらい端正で可憐な可愛らしい子だ。
レオくんは夢中で遊んでいて、私が来たことには全然気づいていない。お友達が先に気づいて、レオくんに教えてくれる。
「レオさま、お母さまきたよー!」
「……レーくん、まだあそぶの」
登園するときはあんなに泣いたくせに、今は私に背を向けて、お人形に夢中の様子。
そんなレオくんとは裏腹に、お友達はちょこちょこと私に小走りに寄ってきて、緑色と赤紫色の珍しいオッドアイを輝かせた。
「レオさまのお母さま、今日もドレスかわいいねぇ!」
「ありがとう、ノア様のドレスも可愛いよ」
「でしょー! ノアはね、今日はお花のドレスなんだよ、見てー!」
自分のことをノアと呼ぶその子は、ドレスの裾を持ち上げて、くるくると回ってみせる。フリルのついたスカートの裾が、ふわりと広がった。
「ノアねぇ、ずっとドレス着たかったの! だからここでドレス着れるの、うれしいの!」
ノア=アレキサンドライト。レオくんよりも一つ年上の、現在5歳。アレキサンドライト公爵家のご子息。──そう、ご子息。生物学的には、男の子なのだ。
「それからねぇ、ノア、ツメもかわいくしたのよ!」
「素敵だね! どうやって色をつけたの?」
「あのね、お花をつぶして、ゴシゴシして、色つけたのよ!」
褒めるとくすぐったそうに身体をよじった。長く伸ばしてツインテールにしている金髪が、ふわふわと揺れる。──レオくんと同じ金髪。ノア様も王族の血をひいているのだ。
レオくんの実母であるローズ姫、その姉が降嫁したのがアレキサンドライト公爵家だ。だから血縁関係で言えば、ノア様はレオくんの従兄弟にあたる。
──ローズ姫の姉、リリィ姫から相談を受けたのは、レオくんと一緒に王妃さまのお茶会に参加したときだった。
「──うちの息子、どうやら娘のようなの」
金の髪、金の瞳、王族らしい容姿をお持ちのリリィ姫は、感情を読ませない表情で淡々と言った。
王宮の中庭。
今日の天気は曇りで少し肌寒いから、温かい紅茶が美味しい。
王妃さまとは何度かお茶会をしたことがあるけれど、リリィ姫と同席するのは今日が初めてで。探り探り表面的な会話をしていたところ、突然切り込んだ話題に移った。
「身体は男の子なんだけど、心が女の子みたいなの」
「……身体の性別と心の性別が一致しない、ということでしょうか……?」
今日のリリィ姫の参加は、このことを話題にするためだったのだと悟って、私は腹をくくってお伺いを立てた。
リリィ姫は、パッと表情を明るくして、私を見た。
「そう、そうなのよ、話が早くて助かるわ! この話をすると……まぁ話す人もかなり選んでるのだけれど、それでもみんな首を傾げたり怪訝そうにするばかりで……さすがエスメラルダ様が薦める専門家ですわね」
その言葉に、王妃様──エスメラルダ様は涼しげな、でもどこか得意げな表情をした。
「そうでしょう。私もブライアンのことを相談して、隣国へ外遊させることに決めたのよ。ブライアン、今は伸び伸びと楽しく学んでいるようだわ。本当に相談して良かった。だからリリィも、ノアのことを相談してみてはと思ったのよ」
第二王子、ブライアン様のことで相談を受けたのは、昨年の冬のことだった。
ADHD特性があるらしいブライアン様は、離席の多さや不注意、スケジュール管理のできなさなどがあり、エスメラルダ様はそれを心配されていた。
私は単に、環境調整を提案したに過ぎない。苦手なことに取り組ませるのでなく、苦手なことは得意な人に任せて、ブライアン様の得意なところを伸ばしてみたはどうかと。
……我ながらかなりふわっとした曖昧なアドバイスだったと思うのだけど、エスメラルダ様はそれをいいように解釈してくれて、以降私に好感を抱いてくれている。
エスメラルダ様に促され、リリィ姫は話を再開した。
「うちの子、ノアはね、5歳になるのだけど……、物心ついた時からお花やぬいぐるみなんかが好きで、リボンで髪を結ってもらうのが好きで……わたくし、男児ばかり続いて女児はいなかったものですから、好きにさせていたんですの。単に可愛いものが好きなだけだと思っていたのよ。でもね先日、『ノアのおちんちんはいつ取れるの?』って聞いてきて……このまま放っておけないなって」
事情を説明しながら、リリィ姫はその金色の瞳で私をじっと見る。
期待されているような、試されているような、そんなプレッシャーを感じて、気持ちが落ち着かない。
──ダメだ、いったん深呼吸。こんな状態で話を聞いては失礼だ。
「メイベル、あなた、ノアの話を聞いても驚かなかったわね」
「はい、知識としてですが──そのような状態になる方がいるということは、知っておりましたので。身体の性とこころの性が一致しないような状態を、──私は性別違和と呼んでおります」
性別違和──以前は性同一性障害と呼ばれていたものだ。世間一般では、トランスジェンダーと呼ばれていて、出生時の性別が女性で性自認が男性の方をトランス男性、出生時の性別が男性で性自認が女性の方をトランス女性と呼ぶ。LGBTQ +のうちTにあたり、比較的新しい概念にしては、世間に浸透している印象にある。
比較的低年齢から自分の性別に違和感を持っており、幼児期はともかく、思春期になってきて体格が変わってくると苦痛・嫌悪感に苦しむことになる。だから思春期以前に診断がつき、適応と思われた症例には二次性徴抑制療法を実施し、身体の変化を抑制する。
「申し訳ありません、私も直接お会いしたことはなく、話に聞いたことがあるくらいですので、あまり詳しくはないのですが……」
メイベルとしては嘘では無い。でも朝陽としては、何ケースか性別違和の症例は受け持ったことがある。……と言っても、性別違和がメインではなく、別の主訴──例えば不登校だったり、自閉スペクトラム症だったり、別の主訴がメインで来院されて、話を聞いているうちに実はベースに性別違和もある、という症例ばっかりだった。
うちの病院では二次性徴抑制療法としてのホルモン療法は行ってなかったので、そもそも性別違和がメインの主訴のケースはうちにはたどり着かないのだ。
だから、正直、経験不足なところがある。
自信を持って語れるほどの知識はない。
「身体の性別と自認する性別が一致しなかったり、自認する性が男でも女でもなかったり、はたまたその両方だったり、──多様な性の表現があると聞いています」
「そうなのね、他にもいるのね。……ねぇ、その人たちはどのように過ごしているかはご存知? ──わたくしはどうしたらいいか知りたいのよ。治るのかしら? ノアは、いつかは自分はやっぱり男だったと思うようになるのかしら? それともいっそ、女として、生活を整えてやった方がいいのかしら?」
「……わかりません」
子どもの性別違和は、難しい。
──そもそも思春期が始まる前が適応となる二次性徴抑制療法だけど、当然ながら二次性徴が始まる前というと、子どもだ。
性自認は身体の性別と一致してないままだけど、社会的な性は身体の性として生きていくことを選択する人もいる。身体はそのままで良くて、社会的な性別さえ変えることができればそれでいい人もいる。そういう自己決定を、子どもの年齢でどこまでできるのか。その判断が難しいのだ。
他にも例えば、自分のうまくいってないことを全て性別のせいにして、性別さえ変われば全てうまくいくという幻想から反対の性を望む子もいるし、大人になりたくないから二次性徴で変化していく体を嫌悪して反対の性を望む子もいる。思春期の潔癖から、自らの性を否定する子もいる。そして当然それは、性別違和ではない。一過性で、性別違和の症状が消失することもあったりする。
「ノア様が、どうしていきたいかだと思います。ですがまだ5歳であり、どのような性で生きていくかを決断できるような年齢ではないでしょう」
今回のケースはまだ5歳であり、この世界では二次性徴抑制療法なんてできないから……選択肢も減ってしまうけれど。
いずれにしても、するべきは環境調整だ。
というか、性別違和に限らずだいたいの児童精神科で見るようなケースは環境調整が基本だし、第一選択の治療になるわけだけど。
「どのような環境調整をノア様が望むか、ひとつひとつ、ノア様と一緒に話し合って、それが現実的に対応可能なのか検討して、すり合わせしていく必要があると思います」
例えばトイレだったり着替えだったり。
こころの性別に合わせて、個別に配慮を検討していく。
──でもその子の想いだけを尊重するわけにはいかない。集団の中には、身体の性が違う子に着替えを見られたくない子もいる。それは当然だろう。だから実際の対応としては、着替えは保健室で行なったり、個室を用意したりとなる。
性別違和だからって、対応を一括りにはできない。配慮を受けたい子もいれば、受けたくない子もいる。
例えば修学旅行の部屋。
文部科学省が教師に向けて作成した指針によると、個室対応となっている。でも、せっかくの修学旅行が1人部屋で楽しい?
その都度受けたい配慮を、受けるとしたらどのように受けるか、受け入れる集団の意思はどうなのか、検討していく必要がある。
「……家にいる分には良いのよ。家族も使用人たちも、みんな可愛い末っ子のことを理解してる。──けど、学園に入ったら……集団生活では、皆が理解してくれるわけではない。ノアも、周囲も、戸惑うでしょう。
だから今日、貴女に会いに来たの。一緒に対応を考えてくれればと思って」
「……実は我が家で、幼稚園という取り組みを準備しているのです」
以前、王妃さまとも話題にしたことがありましたね。学園の初等部に入学する前の子どもたちを集めて、教育を施す施設です。
王妃様にそう話を振ると、王妃様は頷いた。
「えぇ、レオが孤児院で同年代の子たちと過ごして成長したことをきっかけに、そういう施設があるといいわねと話したことがあったわね」
「はい。他の貴族たちにニーズがあるのかはわかりませんでしたが、レオのためにと準備を始めたら、思いの外、各所から賛同を頂きまして……現実的な形とできそうなのです。──もしよろしければ、ノア様もご参加いかがでしょうか。どこに配慮が必要か、実際に集団生活を送ってみることで、浮き彫りになってくると思います」
実際に色々工夫してみて、必要な配慮をブラッシュアップしていくのがいいだろう。
学園に入学する際にも、以前に配慮を受けていたという実績があれば、配慮が受けやすくなる可能性があるかもしれない。
リリィ姫はしばらく考え込んでから、視線を上げて、私の手を取った。
「……そうね、興味あるわ。幼稚園とやらについて、詳しく教えてくださる?」
──そういう経緯で、ノア様がうちの幼稚園に通い始めたのだった。
新しい章を始めました。
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