54.幼児の多動
「ただいまー!!! メー!!!!」
にこにこのレオくんが馬車から転がるように飛び出してきた。
1週間ぶりのレオくんは、少し陽に焼けて、頬には擦り傷。転んだのかな?
「レオくん、おかえり!」
「あのね、おみやげあるよ! あのね、あのね、れーくんがね、ぱかってしてね、しんじゅだしたの、あのね……!」
飛び出してきたレオくんは、私の足元に駆け寄って、ぎゅうっと抱きついてきた。頬を真っ赤にして、ハフハフと言いたいことが渋滞している様子。
「リヴィもおかえりなさい」
「メイベル、体調はどうだ? 変わりはないか?」
レオくんに続いて、リヴィが馬車から降りてきた。
久しぶりに見る水色の髪と、深い藍色の瞳。そのあまりにも整った顔が、気遣わしげに私を覗き込むので、少し心臓が高鳴った。もう、顔が好みすぎる……。
彼は確かめるように私の顔や肩、腕と順に撫でて確かめていく。
「……ちょっ、人前でしょ!」
「レオのために旅行には行ったが、ずっと気が気じゃなかった……」
私たちの周囲には、護衛もいれば侍女や執事もいるし、馬車の御者もいる。生ぬるい微笑みで私たちを見守る彼ら。恥ずかしくてリヴィから距離を取ろうとぐいぐい胸を押すけど、びくともせず、彼はマイペースに私を確かめていく。
そして足元にはレオくんがくっついて、ずっとしゃべっている。
……我が家の男どもは、全く……
「──お帰りなさい、二人とも!」
この1週間、一人で静かに食べていた晩餐を思い出す。
今日からまた、賑やかな日々が戻ってくる。
談話室に運び込まれた山ほどのお土産を受け取って、ひとつひとつレオくんとリヴィから解説を聞きながら開封していく作業がひと段落して、家族でティータイムをしているうちに、レオくんが少しうとうとし始めた。確かにそろそろ昼寝の時間だ。
リヴィが優しい手つきで、レオくんを抱き上げた。
レオくんもリヴィに顔を擦り付けながら、力を抜いてリヴィに体を任せる。
──旅行前にはなかった光景だ。
そのままレオくんを抱っこして、談話室を出た。寝室に連れていくのだろう。
以前だったら、世話係に任せていたはずだ。
なんとなく嬉しい気持ちになりながら、ハーブティーを味わいつつ、待つことしばし。レオくんを寝室に置いて、身軽になったリヴィが戻ってきた。
「寝た?」
「あぁ、疲れてたんだろう。君に会うのが楽しみで、昨日の夜はなかなか寝なかったんだ」
二人がけのソファーに座っている私の隣、さっきまではレオくんがいた場所に、リヴィは腰を下ろす。
ぎし、と重みでソファーが軋んだ。
「レオくんとの初めての旅行、どうだった?」
「……次回は是非、君も一緒に来てもらいたい。いろんな意味で」
ちょっと疲れた声で、リヴィがソファーに沈み込んだ。そのまま手を伸ばして、机の対面に置かれていたティーセットを引っ張って自分の方へ引き寄せる。やや行儀が悪い。
「……一瞬たりとも目が離せない。手を繋いでいても振り払って走って行ってしまう。……大変だった……」
相当大変だったんだろう。
遠い目をして、虚ろな目をするリヴィ。
「一緒に行った世話係が追いかけてくれたが、世話係はレオに強く注意できないだろう? レオもそれをわかっていて自由奔放に振る舞うから、結局俺が追いかけざるを得なかった……」
その様子が安易に想像できて、リヴィのぐったり感は理解しつつも、微笑ましい。おかげで、父子の時間が取れたことだろう。
「君は普段どう対応していたのか、帰ったら絶対に聞こうと決めていたんだ」
「私も同じようなものよ。逃げられたら走って追いかけるしかないし、……あえて言うなら、逃げられる状況を作らないように工夫していたわ」
幼児期の多動は、ADHDとは限らない。
小さい子ってチョロチョロするのが普通だし。その中で、同年代の集団と比べてその多動が逸脱しているのかっていうところが検討事案なわけだけど……
……正直、レオくんは4歳にしては多動な方だろう。
でも診断がつくほどかと言うと、微妙なところだ。
もうちょっと小さい子であれば、やっぱりハーネスが有効。
ハーネスの紐は大人の手にぐるぐる巻きつけて短くして、なるべく手を繋ぐようにしておけば目立って注目されるようなことはないし、突発的に手を振り払って逃げ出しても安全は担保される。
ただ、前世ですら奇異な目で見られることもあるものなのだ。この世界、ましてや貴族のレオくんには使えない。
「小さい子の多動は、ある程度は仕方がないところもあるし、環境調整しかないのよね……」
自閉スペクトラム症、注意欠陥多動性障害、学習障害、発達性協調運動障害。この4つは総称として発達障害と呼ばれるけど、それはこの4つが合併しやすいからだ。
特に自閉スペクトラム症の半数は、ADHDを合併するとも言われている。
でもその見極めは、実際にはかなり難しい。
例えば、授業中に立ち歩くと言う主訴。
一般にはADHDと思われることが多いけど……多動衝動性から我慢できなくて勝手に身体が動いちゃうならADHDだけど、座ってなきゃいけないと言うルールはわかっててもどうして従わなきゃいけないかわからないがゆえの立ち歩きなら自閉スペクトラム症だし、なんならその両方が合併しているかもしれないし。授業内容がわからなくて、つまらなくて立ち歩くなら知的障害もあるかもしれないし。
観測としては同じでも、その原因は違うことがよくある。
だから、私たちみたいな専門家がいるんだろう。
ADHDなら、適応は6歳以上になるけれど、内服があった。だけど、内服だけで全てを解決できることなんてほとんどない。
結局は環境調整が一番大切なのだ。
診断がどうであれ。
「その環境調整が聞きたい」
「具体的には、逃げ出したら困る場所──危ない場所では、抱っこするようにしてた。重たいけど。おかげで、筋力がついて、腕がたくましくなったと思うわ……」
逃げ出されないためには、ベビーカーとかがあったら良かったんだけどね。
流石に開発まではできなかったよね……。
最初の頃は、筋肉痛になったものだ。4歳のレオくんは、もうかなり重い。もともと貴族令嬢である私は、華奢なのだ。淑女教育では、ダンスの練習や美しい姿勢保持のために体幹のトレーニングはあるけど、筋力をつけるようなものはない。むしろ筋力をつけないために、細く見せるために、努力していた。
リヴィは首を傾げながら、私の二の腕を揉む。
「確かに少し、太くなったか……?」
「リヴィ? こういう時はね、太くなっても綺麗だよとか、とか言ってフォローするものなのよ?」
具体的に女心を教える。
リヴィは私の言葉を真剣に受け止めて、頷いた。
「そう言うものか、わかった。──腕が太くなっても、どんな君になっても、愛しているよ。……こういうことか?」
「ありがと。うん、あってる」
相変わらず、リヴィは私がお願いしたことは、できることはなるべく叶えようと努力してくれる。具体的に伝えれば伝えるほどやりやすいようなので、私も飲み込まずに伝えるようにしている。
「俺の本心だ。この1週間、本当に寂しかった。君に早く会いたかった。君は? 離れている間、どうだった?」
この1週間にあったこと──ラピスラズリ公爵家の妻として必要な報告は、お土産を開封する前に伝えてある。
だからこれから彼に話すのは、メイベルとしての私的なこと──ミリちゃんのこと、ルナちゃんのこと。それから、……私も寂しかったこと。
先ほどのリヴィの失言は許すことにして、私は隣のリヴィにくっついてしなだれ掛かる。
お互いの体温を確かめながら、離れていた時間について報告しあった。
いつの間にか年が明けて、もう半月が経ってしまっていました。
今年もどうかよろしくお願い申し上げます。
貴重なお時間を使って読んでいただき、ありがとうございました。
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