4.対人意識の向上
療育スタート!
「まずは対人意識を育てるところからだと思うの」
朝食後、私はレオくんの部屋を訪れてた。屋敷内は靴を履いて過ごすこの世界には珍しく、靴を脱いで上がるタイプのお部屋。ふわふわの絨毯が敷かれてて、おもちゃが所狭しと転がっている。
その真ん中に、レオくんがいた。
レオくんの後ろにマリーが控えている。
「対人意識の向上、ですか」
マリーはキョトンとした顔で私を見た。
レオくんが今遊んでいるのは、木でできた馬車のおもちゃ。積み木をまっすぐに並べて、道に見立ててその上を走らせている。
マリーはレオくんと一緒に遊ぶわけじゃなくて、基本的には部屋の隅で見守って、必要に応じて世話をする、というスタイルのようだった。
「ええ。レオくん、ちょっと他人への意識が薄いと思うのよね」
自閉スペクトラム症は、スペクトラム=虹というだけあって症状の濃い薄いはもちろん、人によって症状のカラーがかなり違う。同じ診断を受けている子どもでも、全く違うタイプに見えることはよくある。
その中で、自閉スペクトラム症のベースにあるものは、『他人への注目の苦手さ』だと私は思ってる。
赤ちゃんは人に話しかけてもらうことによって、その言葉に注目して耳を傾けて言葉を獲得していくけど、他人への注目が苦手さがあると、せっかく話しかけてもらっていてもBGMみたいにスルーしてしまう。だから言葉が遅れやすい。
例えば、登園した時に友達が先生に挨拶しているのを見ることで、大多数の子は空気を読んで自然と挨拶するようになるけど、特性があるとそれを見ていてもただの景色で終わってしまい、「ぼくも挨拶しなきゃ」にはなりにくい。なので、社会のルールの獲得が遅れてしまう。そんな感じで社会のルールが分かりにくいので、代わりに自分の中のルール・こだわりが強くなってしまう。
じゃあどうしたらいいのかというと、『知識として社会のルールを教える』。
例えば挨拶、自分で空気を読んで学んでくのが苦手なら、知識として、人に会ったら挨拶をするんだよ、と教える。そういう風にして社会のルールを学んでいくことができたら、大人になった時に困らずに生活していくことができるようになると思う。
そういう社会で生きていくためのルールを勉強することをソーシャルスキルトレーニングというんだけど、それをやってくれるのが、いわゆる療育。日本だったら、児童発達支援や放課後等ディサービスと呼ばれるところ。
ただ、レオくんの場合は社会のルールを教えるより前に、まずは言葉からだと思う。
知的障害を合併して言葉が遅いというよりも、正しく環境を整えてあげたら伸びそうな印象だから。
「まず、ここに人がいるよ、意識してねーってことをレオくんに示していきたいの。だからね、まずはお邪魔遊びをお願いしたいの」
「お邪魔遊び、ですか」
「そう。レオくん、遊ぶとき集中し過ぎてるでしょ。そういう1人の世界に入り込んでる時に、邪魔するの」
見てて、と私はおもむろに床に転がっていた怪獣のぬいぐるみを拾う。
レオくんが馬車を走らせる反対から、怪獣を歩かせて──
「ドーン!」
レオくんの操縦する馬車にぶつける。
「うぅ」
レオくんはびっくりして私を一瞬ちらりと見た。それから怪獣に視線を戻し、グイッと私の怪獣を押して道から落とす。
「ピューン!」
落ちた怪獣はすかさず空を飛んで、また馬車の前に立ちはだかる。そしてまた馬車にぶつかる。
「ドーン!」
「ぅあー!」
最初は何が何だか分からずに、馬車の進路を邪魔してくる怪獣を掴んで投げたり、押したりしてたレオくんも、何度か繰り返すうちに理解してきたらしい。
「だぁぅ、きゃははっ!」
そのうち自ら怪獣に馬車をぶつけて笑い声をあげるようになってきた。
よしよし、乗ってきた。
それにしても、笑うとめちゃくちゃ可愛いなこの子。絶対将来イケメンになる……
「これがお邪魔遊び。1人で集中して遊んでるのを邪魔することで、遊びを広げて、1人で遊ぶより他人と遊んだ方が楽しいよってことを知ってもらう。……もちろんお邪魔って言っても、レオくんが嫌がらない程度にね」
何度も繰り返していた怪獣の動きを、ピタッと止めてみる。
もっとやって、と私の手を引っ張ってアピールするレオくん。期待に応えるようにまた怪獣をぶつけると、キャッキャと笑った。
「マリーも一緒にしよう」
「ですが……」
私のお願いに、マリーは少し困ったような表情をする。
まぁそうよね、王族の血を引く公爵家のご子息、一緒に遊ぶのは恐れ多いって気持ちはとてもよくわかる。
「お願い、レオくんの成長のためだと思って! もちろん何かあった時の責任は私が取るし、なんなら追加手当が出せないか、私が執事長に交渉する!」
別に1時間も2時間もしなくていい。診察室では、どうせ遊ぶんだったらこういうやり方で、と指導してた。
レオくんと一番長くいるのはマリー。せっかく側にいて見守ってもらってるんだから、その時間を生かしたい。
しばらく逡巡してから、マリーは細く息を吐いて、ゆっくりと足元のクマのぬいぐるみを拾い上げた。
「……それでレオ様が成長されるのでしたら」
マリーは戸惑いながらも、恐る恐るクマをレオくんの馬車に立ち塞がらせた。レオくんは嬉しそうに声を上げて、馬車でクマを弾き飛ばす。つられて、マリーも微笑んだ。
「ありがとう、レオくんもとっても嬉しそう!」
「……使用人の立場で僭越ですが、私も本当はレオ様とこうやって遊んであげたかったのです」
ぽつりと聞こえたマリーの本音。
やっぱり昨日感じた通り、マリーはレオくんにしっかり愛着を持ってくれていそう。
よし、それなら遠慮なく!
「それからね、体を使った遊びをどんどんしていきたいと思ってるの!」
「体を使った遊び、ですか……」
「そう、体が触れ合うような遊び。体が触れ合うと、絶対に相手を意識するでしょう?」
確かに、と、マリーはうなづく。
「抱っこしてグルグルするでもいいし、大人によじ登ってもらったり、お馬さんごっこしたり、鬼ごっこもいいよね」
そういえば私、嫁入りの際にはドレスしか持ってきてなかった気がする。メイド服、借りようかな……朝陽の心がどうしてもメイド服には妙なワクワクを覚えてしまう…コスプレみたいで……!
「本当は体力がいることだから、父親にお願いしたいところだけど、」
だけど、そもそも帰ってこないし。
きっと普段から育児になんか関わってなかったってことだろうな。
……どんどん公爵様への好感度が下がっていく。妹姫さまも大変だったんじゃないかな……子どもを置いて出奔なんて許されることじゃないけど。
「──でも私も頑張るから、一緒に頑張ってくれると嬉しい」
「承知しました、任せてください!」
晴れやかな表情を浮かべるマリーと笑い合って。
その日私達は、レオくんが飽きるまで何度も何度も馬車とぬいぐるみがぶつかる遊びを繰り返した。
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