47.ギフテッド
妊娠した。
そう気がついたのは、1日中続く嘔気に悩まされるようになって数日が経過してからだ。
「あー……」
そういえば、最後の生理はいつだったっけ。
この世界には妊娠検査薬なんてものはない。
妊娠初期に医師に診てもらって、おめでとうございます妊娠ですね、とかってシーン。タイムスリップとか悪役令嬢とかの漫画で、たまにあったけど。
あれ、何を診察してそんな判断してたんだろ……。
妊娠初期での外表変化なんてほぼないし。
生理が来ないことと悪阻の症状で判断してるなら、それ、別に医者の診察いらなくない? 誰でもできるくない?
なんて、どうでも良いこと考えてしまうくらいには動揺してる。
「どうしよ……」
嬉しい。
それはもちろん。
なんか気恥ずかしい。
それもある。
元々私がリヴィに嫁いできたのは、子どもを産むため。
でもそれはレオくんが後継として期待できないと思われていたからで、後継としてしっかりお披露目もしている今では、その意義も薄れている。
だからまぁ、どっちでも良いかなぁなんて大らかに構えていたけど……
実際に出来てみると、じわじわと胸の底から、そこはかとない不安が湧き上がってくる。
……産科的技術が未発達のこの世界で、出産で命を落とす人も多いと聞く。
例えば常位胎盤早期剥離なんかは、……教会すら間に合わないだろう。帝王切開も一般的じゃない中で、回旋異常なんかどう対応するか、見当もつかない。胎児仮死の蘇生なんて、酸素も吸引もない中でどうしてるんだろ……
「あの……ラピスラズリ公爵夫人様?」
声をかけられて、ハッと我に返る。
そうだ、孤児院の院長先生が、相談したいことがあると訪ねていらっしゃったところだ。
嘔気にぼーっとしてしまって、思考が飛んでしまっていた。
「失礼いたしました、少しぼんやりしてしまっておりました」
「いいえ、お気になさらないでください。お疲れのところ、お時間をとっていただきありがとうございます」
院長先生はふくよかな体格をした年配の女性で、包容力のある方だ。私が失礼にもぼんやりとしてしまっていても、気にする様子もなく笑顔を浮かべている。
ソファーに座っていただき、お茶を勧める。院長先生は嬉しそうにお茶に手を伸ばし、カップに口をつけた。
私も一口飲んで、ハーブティーの味にちょっとだけ嘔気が解けるような気がする。
「ところで院長先生は、本日は私に相談がおありとか……」
「ええ。──相談と言いますのは、うちでお預かりしているエミリーのことですの」
「エミリー……ミリちゃんですか? 以前うちのレオが怪我をさせてしまった……」
ミリちゃんは、孤児院にいる5歳くらいの女の子。薄い灰色の瞳と髪を持つ、可愛らしい利発な女の子で、レオくんも懐いていた。以前レオくんが押してしまい、転んでしまって怪我をしてしまったこともある……。
「ええ、そのエミリーですわ。……その、なんと言えばいいのか……先日、教会でバサーを開いた際にですね、最終の会計が合わなくて、……誰かが盗ったのではないかと。当日お金の管理をやっていた子が疑われて……少し騒ぎになったんですよ」
頬に手のひらを当てながら、院長先生はおっとりと言い、持参したカバンの中から、その時の収支を記録した用紙を取り出した。
「そうしたらですね、通りがかったエミリーがちらっとこれを見ただけで、ここが間違っていると指摘したのです。ええ、わかってみればなんてことはない、単純な計算間違いでした。ですが、大人も見逃してしまっていたものを、……たった5歳の子どもがですよ? ──昔から、聡い子だとは思っていたのですが……」
孤児院では、10才前後になったところで就労へ向けての勉強が始まる。読み書きや計算について習うのもその頃からだが、彼女は年長児たちが自由時間に勉強しているのを目にして、自然と習得していたらしい。
院長先生が試しに10才向けの教科書を渡してみると、初めはキョトンとしていたが、あっという間に教科書の内容を吸収してしまった。なので徐々に年齢を引き上げた課題を渡していったが、ついに先日、孤児院で用意しているものを全て終えてしまったらしい。
「エミリーは、……おそらく、天才と呼ばれる類の子どもだと思うのです」
院長先生の言葉に、私も同意して頷く。
ギフテッドだ。
ギフテッドは、教育心理学分野の言葉だから、私もそんなには詳しくはないけれど……うちの子はギフテッドではないか、と聞かれることが時々あったから、最低限は勉強している。
「私は、そういう天才タイプのお子さんを、ギフテッドと呼んでいるのですが……」
『一つもしくは複数の領域において、同じ年齢・経験・環境の人と比べて、より高い水準の能力を発揮している、または発揮する能力を持つ』が一応の定義だけど、『高い水準』の明確な定義がないので、曖昧な用語だと思っている。
仮にIQ130以上をギフテッドと定義するのなら、全人口の2.2%はいることになるので、実はそう珍しいものでもないことになる。100人いたら、2人はいるものなのだから。
とは言え、ギフテッドは実は気づかれない方が多いのではないかと思っている。ギフテッドの能力は成績とは関連しないとの論文もあったりして、ギフテッドの子がみんな高学力を有するわけではないそうなのだ。
確かにIQは高くても成績は壊滅的、という子は実際に割とよく見かけた。勉強に興味が持てるか、なども影響するところなんだろう。
「ギフテッドのお子さんは、身近な大人が子どもをしっかりと観察することで気付かれると言われています。院長先生は、子どもたちを良く見ていらっしゃるのですね」
「そんな、買いかぶりですわ! ……エミリーにはせっかくの才能があるのですから、可能性を伸ばしてやれればと考えているのです。ですが、孤児院では伸ばせる能力に限りがあります。悲しいことですが、……その後の進路もです」
そっと視線を伏せて、院長先生はしんみりと呟いた。
私は、院長先生が何を相談しに来たのか悟った。
「ギフテッドのお子さんは、確かに環境が大切と言われています。せっかく生まれ持った能力が高くても、能力を伸ばせる環境になければ、埋もれてしまいます」
例えば絵の才能を持っていても、筆を与えられなければ才能を伸ばすことはできない。そんなイメージだ。
みんなに早期から知能検査を受けさせることができれば、早期発見は可能なのかもしれないけれど……知能検査を受けるにも、何も問題のない子が受診に来るわけもなく、何か心配ごとがあるからこそ知能検査を受けるわけで。
ギフテッドに発達障害を併せ持つような子逹を、2重に特別な、という意味で2Eと呼ぶ。2Eのお子さんは、外来でもしばしば出会うことがあった。
大体は発達障害に起因するような心配事があって受診して、検査してみたら高IQが判明して、2Eと判断するパターンだ。
……純粋なギフテッドのお子さんとは、私は外来で出会ったことがない。
これは論文とかがあるわけじゃない、私の解釈になるのだけど……純粋なギフテッドのお子さん逹は、周りとうまくやってることが多くて、困ることが少ないんじゃないかと推測してる。浮かないために能力を隠して、周りにうまく合わせていることもあるのだろう。
ちなみに、漫画とかで時々見かける単語である、サヴァン症候群。
これは医学用語で、実際に診断書に書くことができる診断名だ。だけど言葉が世間で一人歩きしているような印象を受ける。
サヴァン症候群は、白痴の天才、が語源だ。重度の知的障害や発達障害がある中で、特定の分野で高い能力を発揮する状態を言う。漫画やドラマに出て来る自称サヴァン症候群逹は、高い能力は持ちつつもそんなに重たい障害を抱えているようには見えない。
「ラピスラズリ公爵夫人様のおっしゃる通りのことを、私も危惧しております。──どうか、エミリーにとって良い環境を整えるために、お力添えをいただけないでしょうか」
院長先生は、品よく上品に、頭を下げた。
……私に何ができるだろう。
ミリちゃんのためには、どういう風に環境を整えてあげることが良いだろう。
優秀な平民の子が、貴族の養子となるような話はよく聞く。
……乙女ゲームが元となっていそうなこの世界で、定番なのかもしれない。
だけどそれは、ミリちゃんにとって幸せなことなのかな?
人柄の温かい院長先生と離れることは、慣れ親しんだ孤児院を離れることは、彼女にとってどんな意味を持つだろうか?
「……ミリちゃん自身は、どのようにおっしゃっておりますか?」
人ひとりの人生を大きく左右するような問題だ。
幼いとはいえ、本人の意向を無視することはできない。
「エミリーは、できるならもっと勉強をしてみたいと言っております」
「そのために、孤児院を離れることになったとしても?」
「……エミリーは聡い子とはいえ、まだ幼いです。まだ理解できていないこともあるでしょう……」
遠い目をして、院長先生は窓の外に視線を向ける。少し逡巡するように声を詰まらせてから、
「──いいえ、すみません。お伝えするか迷っていたのですが、正直に申し上げます」
ふぅー、と細く息を吐いた。
いつも温厚な院長先生が表情を引き締めると、なんだかこちらまで、ひどく緊張してきた。
「……実はエミリーの母親も、私の元で育ったのです。ひときわ美しい子でした。早く自分の家庭を持ちたい、早く結婚したいと、夢見ているような子でした。──15歳になったとき、貴族から結婚を申し込まれた、と花のような笑顔で報告してくれました。今すぐにでもと先方が望んでくださっていると。貴族の方が孤児を望むわけなどないと止めたのですが、聞かず……晴れた春の日、孤児院を飛び出しました。それから2度季節が巡った頃、痩せ細ってボロボロになった彼女が帰ってきたのです。大きなお腹を抱えて」
きっと相手は、ロクでもない男だったのだろう。
会ったこともないエミリーのお母さんに、同情心が膨らむ。
「彼女はぽつりぽつりと、重い口を開いてくれました。相手の男にはすでに奥様がいたこと。妾として囲われたこと。彼女が妊娠したことが判明すると、流れるようにと酷い折檻を受けたこと。命からがら逃げ出して来たこと。男の名は、──ラブラドライト子爵と言うそうです」
ということは、ミリちゃんはラブラドライト子爵の落とし胤。
……直接な交流はないけれど、ラブラドライト子爵には確か、ミリちゃんと同じくらいの年齢の令嬢がいらしたような……
「ミリちゃんを出産したあと、お母さまは……?」
「……亡くなりました。かなり弱っていて、出産に身体が耐えられなかったのでしょう」
当時を思い出したのか、院長先生は視線を下げて、苦しそうに軽く頭を振った。
私は無意識に、お腹に手を当てる。
この世界では出産は、命懸けなのだ。
集中して院長先生とお話していた時には忘れていた嘔気が、ジワリとぶり返す。
「ラブラドライト子爵にエミリーを託すことは考えられません。……いい扱いは受けないでしょう」
それはそうだろう。
すでに正妻との間に同い年の令嬢がいるのだ。もし引き取られたとしても可愛がられることはない、──冷遇は免れないだろう。
「ですがもしもエミリーが優秀であることが露見したら、……もしもラブラドライト子爵に知られてしまったら、利用するために引き取られるかもしれません」
まるで小説のヒロインみたいだなぁ、とぼんやりと思う。
貴族の落とし胤、引き取られて同い年の姉妹がいて、冷遇される。そして悪役令嬢として仕立てられたりして……でも持ち前の能力を活かして前を向いて生き、高位貴族に見出されて、最終的には幸せになる。
……完全なる妄想だけどね!
「そうなってしまう前に……と考えたのは、完全に私の独断です。ですが、子どもの意向がどうであれ子どもを守るのは大人の役割だと考えております。──ラピスラズリ侯爵夫人様、エミリーにどうか良い養子先を紹介してやってくれませんか」
院長先生は、深く深く頭を下げた。
先ほどとは違う、切実な、祈りのような院長先生の姿に、私はつい頷いてしまった。
「はい、私でお力になれるのであれば」
先ほどまでは、まずはミリちゃんの意向を確認してから、なんて思っていたのに。
院長先生の想いに引きずられて、安請け合いしてしまった。
……ミリちゃんの一生を左右する問題だ。慎重に探してあげないと……
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