2.前世を思い出してみたけれど
あけましておめでとうございます。
更新が遅くなりました…
と、いうわけで。
私はここ、ラピスラズリ公爵家に嫁いできたわけなのですが。
一応ね、すっごく簡素だったけど式も挙げたのよ。前妻である妹姫様に慮って、大々的にってわけにはいかなかったから本当に簡素に、式だけで披露宴はなしだったけど。
正直、旦那様はめちゃくちゃにかっこよかったです。イケメンのモーニングコート、最高だった。
でもね、さすがは氷の公爵様。
式が終わったら、あっさり仕事に戻ってしまいました。滞在時間は推定30分。彼の声を聞いたのは、式中の「誓います」だけ。
──そして帰ってきませんでした。
次の日も帰ってきませんでした。
また次の日も、その次の日も!
ええ、お察しの通りです。今のところ白い結婚ってやつですよ。
……私、後継を産むためにここに嫁がされたんじゃなかったかな? え、それとも何、この世界赤ん坊はコウノトリが運んでくるの? そんな馬鹿な。
本来であれば、正式に結婚したので、私はこの家の女主人ということになる。
しかし嫁いできて昨日今日で急に采配を奮えるわけでもない。本来なら嫁ぐ前に勉強するべきものだけど、当然ながら私は公爵家に嫁ぐ勉強などしていないわけで。
旦那様と相談しながら、少しずつというのが妥当な形だと思うんだけど……でも旦那様が帰ってこない。
私も戸惑ったけど、使用人たちはもっと困ったと思う。
白い結婚、旦那様から蔑ろにされてる新妻なんて、使用人たちから馬鹿にされても仕方ないと思うのだけれども、なぜだか皆から優しくされた。……どうやら同情されているようだった。
帰ってこないものは仕方がないので、旦那様が帰ってくるまでは私はのんびり過ごすことになった。
そうして空いた時間で、兼ねてより気になっていた継子のことを執事長に聞いてみた。
執事長は一瞬だけ逡巡して、「会ってみますか」とだけ問うて。
そうして会ってみた子どもは、──自閉スペクトラム症だった。
「……………」
砂をひたすらに触ってる男児。
感触を確かめるようにただひたすらに、さらさら、さらさらと。
砂の山や城を作るわけではなく。
眺めてるだけで時間が過ぎていく。
「……レオくん」
先ほど、世話係のメイドが呼んでいた名前を呼んでみる。
王族の血を引いていることから、レオ様と呼ぶべきか悩んだけど、でも義理とはいえ私の子どもになるわけだし、レオくん呼びにしてみた。
当然返事はない。
ひたすらに目の前の砂に集中している。過集中だなぁ。感覚遊びに没頭しているなぁ。
砂埃が風に流れていく。
どこか遠くで、鳥の声。木立の音。
太陽はぽかぽか温かいし、……平和だなー。
ちなみにレオくんはさっきまであんなに泣いていたのに、外に出るとあっという間に落ち着いた。外に着いて抱っこから降ろした途端しゃがみこんで砂遊びを始めて、イマココ。
動かない子どもをみんなで眺めていてもアレなので、執事長には仕事に戻ってもらった。庭に設置されたベンチに座って、私と世話係のメイドのみで見守っている。なお、私だけで座っていてもなんとなく居心地が悪いので、固辞するメイドも一緒に隣に座ってもらっている。
レオくんをぼんやりと観察しつつ、私は思考を巡らせる。
この子のこと、周囲はどう考えてるんだろ。発達の遅れのこと、見た感じどう考えても特性は強いし、気付いて無いわけじゃないよね。だからこそ後継としては相応しくないって話になって、私が嫁いできたんだし。
とりあえずまずは生育歴や生活歴を聴取したいな……
……え、でも誰に聞けばいいの?
この子のお母さん、出奔しちゃってるんだよね。氷の公爵様は帰ってすら来ないし、なんならこの子のことどれくらい解ってるのかどうか。
「──つかぬ事をお伺いしたいのだけど。ええと、マリーって言ったかしら」
側に控えているレオくんの世話係であるメイド、マリーに尋ねてみる。
マリーはおそらく20代後半くらい。前世の私より少し若いくらいかな?
薄い水色の髪と瞳、異世界なんだなって感じる。
「レオくんを一番メインでお世話しているのは、あなたよね?」
「はい、私でございます。もっと小さい時には乳母がいたのですが、2歳を過ぎてからは解雇され、その後より私が専属でお世話差し上げております」
「そう。じゃあレオくんの赤ちゃんの時のことをわかる人は……」
「屋敷にはおりません」
「……なるほど。じゃあマリーはレオくんが2歳からのことだったら?」
「私で答えられる範囲のことであれば」
「ありがとう、じゃあ──」
頭の中で、お仕事スイッチが入る。
前世で数え切れないほどのご家族に繰り返してきた質問が、幾つも頭の中に浮かぶ。違うのは、目の前に電子カルテがないこと。今日は記録しないでいいから、いつもより相手の表情がよく見える。
何を聞かれるのかと、身構えて強張った表情。警戒しているんだろう。
本当はまずは出生歴、成長発達の生育歴から聞いて行きたかったけど……諦めて、今の状態から確認することにしよう。
「レオくんは今どれくらいおしゃべりできる?」
「……何かを話してはおられる感じはありますが、意味を持って理解することが難しいことが殆どです」
「意味のある単語はどう?」
「私が理解している範囲では、睡眠のことをネンネ、食事のことはマンマ、動物は全てニャン。パンをパ、バナナをバ、と最初の一語だけで表現されることがあります」
会ってから私の前では有意語の表出はなかったけど、言葉は少し出始めている様子。
自分にとって一番愛着がある対象を認識しているのかの判断として、ママやパパと呼びかける語が出てるかはいつも確認してたけど、……この子の家庭状況では聞いても可哀想なだけだよね。
「二語文──ネコいた、とか、あっちいく、みたいな文章は出始めてる?」
「文章はまだです」
単語数個、二語文未。だいたい言葉の発達としては1歳半前後といったところか。ふむふむ。
「言葉がゆっくりだと、なかなか要求を伝えることも難しいと思うんだけど、要求はどう伝えてくる?」
「基本的にあまり要求は伝えて来られません。何かあるとお泣きになるので、側仕えたちが察してお世話致します」
「そう……。他人の手を使って、自分のしたいことをさせようとする感じはある? 例えばおもちゃが欲しい時に、その人の手をおもちゃに近付けて取ってもらおうとしたり」
「ございます。ですが最近は以前に比べると少なくなってきております」
クレーン現象あり。クレーン現象というのは、自閉スペクトラム症の子に多い症状。要求を達成するために、他者の手をつかんでその手を対象物に持っていく行為。
「じゃあ指差しは出てる?」
「はい。近頃増えており、いろいろなものを指差しては、ん!と言われます」
「そういう時、マリーを振り返って、同じものを見て欲しがるような様子はある?」
「ございません」
自分の見ているものを一緒に見て欲しがる共同注視はまだ育ってなさそう。やっぱり対人意識の低さはある。
「ひとみしりや後追いはどう?」
「無いように感じます。乳母から私に世話係が変わった時もすんなりと私に馴染んでくださって、乳母のことを恋しがる様子もなく。今でも世話係の私と他のメイドとを区別することはないように感じており、その、……気になっておりました」
言いにくそうに、マリーはぽつりと漏らす。私に警戒しながらも漏らすと言うことは、彼女の中で相当気になっていたことだったのだろう。それが気になるということは、彼女の中でレオくんに対して愛着が育っているということ。私は少しホッとする。
「かんしゃくは……あるよね」
「はい、先ほど見ていただいた通りです」
「ちなみにそういう時って、いつもどうしてるの?」
「要求が叶えられると落ち着くので、いつもレオ様がしたいようにしていただいておりました」
「そう……」
わぁ、かんしゃく起こしたら要求が叶うって学習しちゃってるタイプってことね……これは大変だ……
せっかくマリーの中で愛着が育っていても、そこに雇用という名前の上下関係がある以上、親にはなり得ない。だからしつけとして叱ることも出来ず、この状態に仕上がってしまっているのだろう。
「こだわりは何かあったりする?」
「こだわり、と言いますと……?」
「絶対にこうしないと気が済まない!みたいなマイルール。例えば物の置き場所とか、何かの手順とか」
「あえて言うなら、枕でしょうか。お気に入りの枕のことをなぜかチャチャと表現されるのですが、入眠の際にチャチャがないとお怒りになり、絶対に眠りません。お昼寝も。一度洗濯をさせていただいたのですが、その際は大騒ぎで、結局まだ乾いていないチャチャを寝室に持ち込むことになり、大変でした……」
遠い目をするマリー。よっぽど大変だったんだろう。
「感覚面はどう? 大きな音が嫌で耳をふさぐとか、光のピカピカが苦手で眩しがるとか、服は生地にこだわりがあるとか」
「教会の鐘の音が苦手なようで、毎回耳を塞いでおります」
感覚過敏は、音があるってことね。
「食べ物はどう? 偏食は強い?」
「いつも決まったものしか召し上がりません。パンと、焼いただけの肉はよくお食べになります。あとはレオ様のお気持ち次第で、定期的に召し上がるものが移り変わって行きます。最近はバナナでしょうか」
「体重はしっかり増えてる?」
「増えております」
偏食はけっこう極端にありそう。まぁ炭水化物と、タンパク質と、食物繊維は取ってるし、体重も増えてるから許容範囲内かな?
日本だったら、粉ミルクを勧めるんだけどなぁ。粉ミルク、完全栄養食品。フォローアップミルクじゃなくて、新生児から飲む方。それさえ飲めてれば、あとはカロリーを保てれば何とかなるし、だから偏食強すぎるお子さんはミルク卒業しない方が良いんだけど……この世界、粉ミルクあるのかな……
「マリーの方から、これは知っておいてもらった方がいいなってことは何かある?」
「……あの、僭越な話ではあるのですが。レオ様は、言葉としては表現されませんが、分かっていることは多いように感じます。例えば積み木を色で分けてまっすぐに並べたり、ものすごい大作を作り上げたり。お食事が済んだら自ら手を洗いに行かれたり、お洋服もほとんど自分で着替えることができます。日々のスケジュールもよく分かっていらっしゃって、いつもと流れが変わるとお怒りになられますし、道もよく覚えていらっしゃって、食堂までの道も毎回同じルートで歩かれ、私が違う道を行こうとすると違うと教えてくれます。文字や数字も大好きで、まだ誰にも教わっていないのに書くことができます」
おもちゃを並べる、普段通りの状況や手順が急に変わると混乱する、文字や数字が大好き。
聞けば聞くほど自閉スペクトラム症!
マリーは、言語は低いけど認知は高いよってことを伝えたかったんだろうけど……
「あ、聞き忘れてた。耳の聞こえは気になることはない?」
「それはありません。よくよく耳を澄まさないと聞こえないような教会の鐘に反応されることもありますし」
そっかー……認知が良くて言葉だけ遅いだと、耳の聞こえが原因だったりすることがあるんだけど。まぁレオくんの場合、他のところで自閉スペクトラム症の症状がバリバリ出てるから、自閉スペクトラム症なんだろうけど。
本音を言えば新版K式オーダーしたいなぁ、でもこの世界にはないよね……。前世では心理士さんに任せっきりだったから、数値の解釈はできても自分では取れないし。
遠城寺式発達検査だったら自分でもよく取ってたけど、でも項目はふわっとしか暗記してないしなぁ、いつも検査紙が手元にあったし。うーん、そもそも遠城寺式発達検査ってどこまでこの世界とマッチするんだろ……あれってあくまで、日本の文化圏のお子さんを分析して作られたものだし。
本当だったら発達検査と聞き取りと、あとPARS—TRとかCARS2とか、ちょっと大きいお子さんだったらAQとかを使って診断していくんだけど、……でもこんだけ当てはまったらもう確定診断でいいよね?
──でも診断つけたからって、この世界で何の意味があるんだろ。
前世の世界だったら、診断つかないと療育に通えないから(地域によって差はあるけど)、早めに診断つけて支援につながった方がいいって思ってたけど。
療育というのは、医療と教育が合わさった言葉。日本では幼児期は児童発達支援、小学生以上だと放課後等ディサービス。特性のあるお子さんが通って、特性に応じて社会のルールやコミュニケーションについて勉強するところ。
メイベルの記憶を探ってみても、自閉スペクトラム症なんて診断はこの世界にはないし、診断がないから療育機関もないし。
でもこの子、多分だけど、環境調整してあげればもっと伸びる。
伸びる、とは思うけど……私は知識はあるけど自分で実践したことはない。私の役割は診断をつけて療育につなぐことが一番大切で、もちろん患者さんから困りごとの相談があったらその都度一緒にどうしたらいいのか考えてはいたけど、実践はご家族や療育機関の現場のスタッフにお願いしてた。
──自分でやるの、正直自信ないよ!
でも療育機関がないし、この子の家族になっちゃったし。
私がするしかない。
やっと砂いじりに満足したのか、スクッとレオくんが立ち上がった。
それに合わせて、マリーも慌ててベンチから立ち上がる。
「マリー、色々と教えてくれてありがとう。マリーがレオくんのことをよく見ていてくれたから、とてもよく分かったよ」
「お役に立てたなら幸いです。また何なりとお聞きください」
私の問診タイムが終わって、明らかにホッとした表情のマリー。
自由に走っていくレオくんを追いかけるマリーの背中を見守りつつ、私も追いかけるべきか悩んで、やめた。
私は今日がレオくんと初対面。
まだ彼には、外来に来る患者さんくらいの気持ちしかない。
急ぐことはない、今日はこれくらいにして、徐々に一緒にいる時間を増やしていこう。突然母親になんてなれない。幸いにも公爵家という、それが許される環境にいる。
あー、空が青い。
今日もいい天気だ。
貴重な時間を使って読んでいただき、ありがとうございました。今回は初診の回でした。
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