26.摂食障害1
「ラピスラズリ公爵夫人様のことは、実はトパーズ男爵夫人のマリーからお聞きしたのです。……うちの娘と、マリーの娘さんが仲良して、その関係で私たちも仲良くなって」
モルガナイト子爵夫人は、目を伏せながらボソボソと話す。
なるほど、マリーの娘さんの同級生ね。起立性調節障害で不登校のアーロくんの上に、姉2人いるって言ってたもんね。
「マリーが、公爵夫人様のことを勧めてくれたのです。サロンに一回行ってみて、相談してみたらどうかと……」
標準よりもかなりふくよかな体型のモルガナイト子爵夫人は、覇気のない表情で、薄桃色の瞳は生気に乏しくて、相当くたびれてしまっていることが見てとれた。
緊張もあるんだろう、テーブルに広げたお茶菓子には手をつけようとしない。
「ここまで足を運んでくださるのは、勇気がいったことと思います。来てくださってありがとうございます」
私はモルガナイト子爵夫人のカップにポットから自分でお茶を注ぐ。それから続いて、自分のにも。
個人情報保護目的で、この部屋は完全に2人からにしている。もちろんメイドさんも退室してもらってるので、給仕は自分でやらなきゃいけないのだ。
「急にお声がけしちゃって、びっくりさせちゃったかなって申し訳なく思ってたんですけど、モルガナイト子爵夫人からも話したいと思ってくださってて安心しました」
にっこり笑いかけてみたけど、反応なし。
うーん、ガチガチに緊張してるなぁ……。
ちょっと本題に入る前に、ほぐした方が良さそうだなぁ。
まずはライトな答えやすい話題から振ってみるかなぁ。
「マリーとは、親しいんですか?」
「はい、時々二人でお茶会をします。マリーの息子のアーロくんが学校に行っていないことは聞いていて、私も娘のことを相談してみたのです。……そしたら、こちらを勧められて」
お、娘さんの話に戻った。
それならこのまま娘さんの話題で行った方がいいのかな?
「娘さんのお話ですよね。どんなことを心配なさってるのか、お伺いしても?」
「はい……」
それから、モルガナイト子爵夫人はぽつりぽつりと語り始めた。
────先ほどもお伝えした通り、我が家の娘はこの春で初等部の6年生になります。名前はルナと言います。
ルナは元々は食べるのが大好きで、なんでも食べる娘でした。
ニコニコと愛らしくて、気立ても良くて、自慢の娘でした。
それが、どうやら同級生から「白豚令嬢」と陰であだ名されているのを聞いてしまったらしいのです。「あんなに太っていては、婚約者に離縁されるだろう」とも。
婚約者のことが大好きな娘は、その言葉を間に受けてダイエットを始めたようで……。
最初は少し食事の量を減らす程度でした。そこからどんどんエスカレートして、今は少しの野菜を1日1回しか食べません。もともとは55kgあった体重が、今は28kgまで減りました。──身長ですか? 150cmくらいだったと思います。
体重計には1日に何度も乗って、少しでも体重が増えるとイライラして機嫌が悪くなります。
もちろん私も、家族も、食べるように言っています。けれど聞かないのです。怒ってみてもダメ、泣き落としてもダメ……。食べさせようとすると、手がつけれなくなるくらい怒って……先日も暴れて、部屋の中がまるで嵐が通り過ぎ去ったかのように滅茶苦茶になりました。
婚約者ですか? ええ、もちろん婚約者にもお願いして、食べるように言ってもらいました。でも婚約者が帰った後、なんで婚約者に言ったんだと烈火のごとく怒り、部屋中のものを投げて泣き叫んで、……大変でした。
最近はですね、私も……ほら、太っているでしょう。なので私にもダイエットするように言って、私の食生活も管理しようとします。それで色々とキッチンで料理をしては、私に食べさせます。自分では食べないのに。
過剰な運動もしているようで……どうやら夜中に起きだして、屋敷の階段を何往復もしているようなのです。バレると怒られるとわかっているので、こっそりやっているつもりなのだと思いますが……階段が軋む音で、あぁまたルナが階段昇降をしている、と気付くのです。だけど、止めようとするとまた大暴れするので、──今はもう、見て見ぬ振りです。母親なのに。自己嫌悪しかありません。
今は痩せ過ぎて、もう骨と皮だけになっています。体力も落ちていて、学園に行くだけでしんどそうにしています。授業にも集中できていないようで、何度も保健室に行っているようです。
最近は朝、ベッドから起き上がれない日も増えてきていて……本人は学園に行きたがるのですが、そんな日は、学園をお休みさせます。ルナも身体がしんどいみたいで、抵抗はしません。学校を休むと、また布団の中に戻って寝てしまいます。
真っ白な顔で、痩せこけて、ベッドで寝ている娘を見ていると、
──まるで別人になってしまったようで。
だから食べるように何度も言うんですが、やっぱり聞く耳を持ってくれないのです。
夫ですか?
夫も心配はしてくれていて、娘も私よりも夫の方が話しやすいみたいで、関係はいいです。夫も食べるように言ってくれるのですが、言われたらルナは黙り込んで、そのまま部屋に閉じこもって出てこなくなります。ええ、夫の前では暴れません。
悪魔が取り憑いたのかと思い、協会にも行きました。聖女様に祈ってもらいましたが、……全然変わりませんでした。
もう、一体どうしたらいいのか……
私の育て方が悪かったのかと、毎日自分を責めています。
娘は一体どうしてしまったのでしょうか。
私の可愛い娘は、一体どこに行ってしまったのでしょう────
「…………」
言いたいことはたくさんある……
けどそれは置いておいて。
まず、150cmの28kgはやばい。
命に関わるレベルだ。
標準体重比の換算表を暗記していないからちゃんとした計算はできないけど、──前世で診てた同じくらいの身長の女の子が、32kgで運動制限をしてたのは覚えてる。
服に忍ばせてあったペンとメモ用紙を出してきて、書きながら計算する。
標準体重の75%で運動制限をかけるようにしていたから、ええと、100%である標準体重は42kgとして、いま28kgだと……標準体重の66%しかない。
「……入院」
入院適応を私は標準体重の65%としていたけど、ベッドから起き上がれないくらい体力が落ちているなら、もう入院適応だろう。
だけど、この世界の病院、入院って概念がない。
貴族はみんな病院には行かない。医者を呼ぶ。平民は診療所にかかるけど、それでも薬をもらって自宅療養だ。そして、入院が必要なくらいの重症ケースは教会にかかる。そこで聖女に祈ってもらい、治癒魔法をかけてもらう。
……でも、ルナちゃんの場合、治癒魔法をかけてもらってその場では回復しても、食べなければまた同じ状態になってしまう。だから意味はなかったことだろう。
──今回のケースは、お母さんが完全に児のペースに巻き込まれている。
このまま在宅で様子を見ても、悪化していく一方だろう……。
「モルガナイト子爵夫人、ルナちゃんをここに連れてくることはできますか?」
「ル、ルナをですか?!」
驚いて、モルガナイト子爵夫人は大きな声を出した。
それからしばし逡巡し、葛藤しながらも絞り出すような声で呟いた。
「……難しいです、嫌がると思います……」
「命に関わると思います」
はっきり告げる。
ここは、ぼかしたところで何のためにもならない。危機感を持ってもらうべきだ。
「神経性やせ症と呼ばれるタイプの摂食障害です。ダイエットを契機とした拒食から始まり、──死ぬこともあります」
摂食障害には色んな分類があって、その中で一番有名なのが神経性やせ症──いわゆる拒食症だ。
体型を気にして、食事制限や激しい運動を己に課して、痩せていく。
その結果、──緩やかに死に向かう。
だけど怖いのが、本人たちにその自覚がないところ。
本人たちは健康なつもりで、さらに痩せたいと食事を制限し、動こうとする。
児童精神分野は患者が死なない、なんて言われるけど、そんなことはない。
摂食障害は、本当に死んでしまう。
「……ルナが、死ぬ……」
薄々はその可能性には気がついていたけど、認めたくなかったのだろう。
それを私に直面化されて、子爵夫人は顔面蒼白でガタガタと震えだす。
「そうならないように、ルナちゃんと直接お話しさせてくれませんか。それから、──ルナちゃんを私に預けてくれませんか?」
公爵家で預かって、私が治療する。
それしかないだろう。
下級貴族の子女を行儀見習いという形で住み込みさせることは、高位貴族の間では珍しいことではない。対外的にはその形で預かって、治療するのが良いと思う。
「ルナを、公爵夫人様にお預けする……?」
「はい。初対面の私に預けるのは不安かもしれませんが……」
もう少し体重に余裕があったら、子爵夫人にルナちゃんへの接し方の指導をしたり、色々やりようがあったと思う。でも、この体重は放っておけない。早急に対応が必要だ。
「栄養が足りなくなると、身体のあちこちに不具合が出てきます。身体を動かすためのエネルギーが足りなくなるので、身体に蓄えたエネルギー……脂肪を分解して身体を動かそうとします。
頭の中には物を考える臓器──脳があるのですが、脳は大部分が脂肪でできています。エネルギーが不足すると、脳の脂肪まで分解されていき、脳はスカスカになってしまいます。そのせいで『認知の歪み』──例えば、痩せているのに太っていると感じるとか、食べられないというこだわりとか、そういったものが増長されます。間違った脳の作用ですね。
子爵夫人は、お子さんが別人みたいとおっしゃいました。それは正しいです。脳が萎縮しちゃうと、もうご家族の、──愛の力だけではどうしようもありません」
愛って言葉はあんまり好きじゃない。
──愛情が足りないから子どもがこうなった、とか、理不尽に周囲に責められる親御さんをたくさん見てきた。全然そんなことないのに。彼らなりにお子さんを愛してるのに。
そんな抽象的な言葉で責めないで、と思う。愛なんて誰にも見えないのだから。
だけど今日は、あえて愛という単語を使う。
子爵夫人の今までの頑張りを認めたいから。
「今ルナちゃんは、摂食障害という病気に取り憑かれています。ルナちゃん自身が悪いわけじゃない、食べたくないというのも病気がそう言わせているんです。本当のルナちゃんじゃない」
これは、外在化という手法。
病気と本人を分けて考えること。それによって、本人を責めることなく、病気と立ち向かえるようにする。
例えば、本人の意思で食べないと思うとこっちもイライラしちゃうけど、でも病気がそうさせてるって考えると落ち着いて対応できるでしょ?
悪いのは患者じゃなくて、病気。そう意識付けるのが、外在化だ。
「もし、食事に毒が入っていたら、子爵夫人はどうされますか?」
「それはもちろん、……食べませんけど」
「摂食障害のお子さんにとって、食事は毒に見えているんです。毒が入った食事なんか食べられない、なのにそれを無理やり食べさせようとしてくるから、暴れる。ね、気持ちはわかるでしょう?」
「毒……」
「ちょっとでも太る可能性のあるものは、彼女たちには毒と同じに見えている。そしてそれは、病気のせいです」
「……でも、じゃあ、一体どうすれば……」
「その病気は、すぐに追い払えるものじゃありません。時間がかかります。だけどルナちゃんに残された時間は少ない。このままだと、命を落としてしまうでしょう。そうならないように──」
「わかりました」
子爵夫人は両手を握りしめて、唇を噛み締めて、顔を上げた。
目には涙が滲んでるけれど、そこには先ほどまではなかった覚悟の色が見えた。
「ラピスラズリ公爵夫人様にお任せいたします。明日、何が何でもルナをこちらに連れてきます。よろしくお願い申し上げます」
摂食障害編に突入しました〜
貴重なお時間を使って読んでいただき、ありがとうございました。
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