10. ごほうび(トークン)の活用
筆が遅くて、気がつくと前回の更新から1週間も経っていました…
その日、私とレオくんが食堂に向かうと、珍しくオリヴァー様がいらっしゃった。
先に座って、お茶を飲んでいる。
私もお会いしたのが、先日の寝室以来──レオくんにびっくりした去って行ったやつ──だから、……半月ぶり?
今日は一緒に夕食をいただくのかな。いつも仕事で城に詰めてらっしゃるから、夕食を同席するのは初めてなんじゃない……?
「……っ!」
いつもいない人物がテーブルについていることで、レオくんの全身が硬くなったのがわかった。レオくんはいつもと違うことに弱いのだ。あぁ、事前に教えてくれてたら、レオくんに見通しを入れておいたのに。
「オリヴァー様、ご機嫌よう──」
「だぁめぇよぉぉっ!!」
とりあえずご挨拶を差し上げようとしたところ、案の定レオくんが大絶叫。
止める間もなくオリヴァー様のところへ走っていき、座っているオリヴァー様の服の裾をグイグイと引っ張る。
「だめよ、だめよぉ!」
「な、なにが駄目だと言うんだ」
オリヴァー様は困惑の表情を浮かべて、持っていたティーカップを乱暴にテーブルに置いた。ガチャンッ、硬質な音が響く。それにびっくりしたのか、レオくんの絶叫はどんどん大きくなり、食堂中に響き渡る声で泣きながら、顔を真っ赤にして足を踏み鳴らし、さらに裾を引っ張る。それでもちっとも動かないオリヴァー様に、レオくんは引っ張るのを諦めて、走って戻ってきて私にしがみついた。そしてオリヴァー様を指さし、私に精一杯訴える。
「だーめーよ! なに? なにっ?!」
「大丈夫よ、びっくりしたんだね〜」
パニックになっているレオくんを抱え上げて、背中を軽くトントンする。顔を真っ赤にして全力で泣き叫んでいたレオくんは、顔も涙で濡れていて、いつもはふわふわの髪の毛も汗でぺったりと額に張り付いている。体も熱気がこもり、全体的にほかほかと湿度が高い。
「大丈夫、大丈夫よ〜」
「……なに?」
「パパよ、大丈夫。あれはパパ」
「ぱぱぱ?」
「おしい、パパ」
「ぱぱ」
背中をトントンするうちにレオくんはクタッと私に体重を預けて、私にしがみついて、しゃくりあげながらも少しずつ落ち着いてくる。
ふと気配を感じて顔を上げると、オリヴァー様と視線が合う。私たちを観察していたらしかった。気まずそうにオリヴァー様はすぐに視線を逸らし、もごもごと口の中で小さく呟いた。
「……レオは、その、随分と──君に懐いているんだな……」
「ええ。ずっと一緒にいてお世話してますから」
「言葉も随分と増えた。…… メイベル、君はどんな教育を……厳しい懲罰を? いや、それならこんなに懐くわけがない……」
ブツブツと独り言を呟くオリヴァー様。
以前、彼はレオくんのことを、誰にも懐かないと言い捨てていた。それが間違いだったと言うことを彼に見せることができて、わずかに溜飲が下がる。
「レオは、……何を訴えたがっていたんだ?」
「レオくんは、いつもと違うことが苦手なのです」
──正直言うと、レオくんのことは教えたくない。私が一生懸命関わってやっとわかるようになったことを、今までレオくんのことを避けていた彼に教えるのは、あまりにも悔しい。
だけど、やっぱりレオくんのことを考えると、父親であるオリヴァー様を子育てに巻き込みたいし、巻き込むべきだとも思う。だって、この公爵家でレオくんにとって唯一、血の繋がった血縁なのだ。
葛藤を飲み込んで、彼にもわかるように説明する。
「今日はいつもいないオリヴァー様がいらっしゃって、驚いたのだと思いますよ。そこの机は僕とメイベルがいつも使ってるものだから勝手に座ったらだめよ、と言いたかったのでしょう」
「……しかし、俺はこの屋敷の主人なのだが」
「ええ。ですが、レオくんにはそんなことはまだ理解できないと思います」
「そうか、そうだな。……──レオは、俺が嫌いなのだろうか?」
「嫌いとかじゃないと思いますよ」
微かにではあるけれど、オリヴァー様が安堵の息を吐いたのがわかった。
嫌われてないとわかって安堵するなら、なんでいままで放っておいたの!
安心なんてさせない。私は淡々と、言葉の続きをお伝えする。
「無、じゃないですかね。好きとか嫌いとかじゃなく。レオくんにとっては知らない人と同義じゃないでしょうか」
「知らない人……」
自分からレオくんを避けていたくせに、そんな傷ついたような表情をするのは卑怯じゃないですかね。本当の被害者はレオくんですからね。本人気付いてすらいないですけどね。
「オリヴァー様はどうしたいのですか?」
「どう、とは……」
「レオくんとどうなりたいのですか? 親子の絆を深めたいのか、それとも他人のままでいいのか」
「俺は……」
彼の中で何らかの葛藤があるのか、すぐに答えることをせず、そのまま黙り込んでしまった。答えを待って、考え込むオリヴァー様の顔を見つめる。
──相変わらず、顔がいい。
眉を顰めて答えあぐねてるその横顔すら整っていて、彼が答えることができない質問を出したこちらが悪役のような気がしてきてしまう。
……まぁ実際、悪役なんだろうけどね。推定悪役令嬢、それが私だし。
「いいです、長期的な希望については今度またお伺いすることにします。スモールステップで、とりあえず今日の希望をお伺いしますね」
このままではいつまで経っても答えが返って来なさそうなので、私が折れることにした。
レオくんもお腹が減ってるから、機嫌が悪いのもあるのだ。まだしゃくりあげているレオくんの背中を撫でる。早く食事にしたい。
「一緒にご飯を食べたいですか、食べたくないですか?」
「……可能なら、食べたい」
少しの逡巡はあったものの、オリヴァー様は同席を希望された。
……良かったよ、これで別に食べるとか言われたらもう親子関係の修復どうしようかと思ったよ!
氷の公爵様も、骨の髄までは凍ってなかった。人間の血も通ってた、良かった!
なんて、心の声はおくびにも出さず、私は冷静に見えるように頷いて、レオくんをそっと地面に降ろした。
まだ抱っこされてたかったレオくん、抵抗して私の足にしがみついてよじ登ろうとする。それを宥めるように私もしゃがみ、レオくんに顔の高さに私の顔を合わせる。
「パパ、レオくんと一緒にご飯食べたいんだって」
「だーめーよっ!」
「そっかぁ……一緒に食べてくれたら、チョコあげようかな」
「……ちょこ!」
小さなチョコを、私はポケットから取り出す。こういうこともあろうかと──と言ってもこの状況を予見していたわけじゃなくて、レオくんにお願いを聞いてもらいたい時のことを想定してた──いつも持ち歩いていたのだ。
レオくんのいま1番お気に入りのおやつ、それがチョコ。
レオくんはとっても分かりやすい。
ハフハフと鼻息荒くチョコに手を伸ばすレオくんに、私はにっこりと笑いかける。
「チョコがあったら、パパも一緒に食べてもいい?」
「……いいよ!」
あっさり陥落。
よし、素直で可愛い。
「ありがとう、メイベルのお願い聞いてくれて嬉しいな!」
「いーいーよ!」
「よし、じゃあ席に座りましょうね」
「あいあい!」
チョコ効果でレオくんはサッと席につき、食堂にはさっきまでの喧騒が嘘のように落ち着きが戻ってきた。
すかさずメイド達が給仕を始めていく。
テーブルの上にはあっという間にオリヴァー様と私の分の前菜が並べられた。今日の前菜はキッシュだ。ちなみにレオくんには前菜としてパンが給仕されている。偏食すごいから、キッシュなんて絶対食べないもんね。
私はそのお皿に、約束のチョコをそっと置く。
「ありあとぉ!」
レオくんは即座にチョコをぱくりと食べて、ニコニコと幸せそうに口の中でチョコを転がしている。
可愛い。
「……普段から菓子で釣って言うことを聞かせているのか?」
棘のある質問をされたのは、今まさに私もキッシュを食べようとした瞬間だった。
一旦ナイフとフォークを持つ手を止めて、私はオリヴァー様に向き直る。
「いえ、大盤振る舞いすると効果が薄れてくるので、ここぞと言う時だけ使用するようにしています」
「菓子で釣って言うことを聞かせるより、しっかり物の道理を言い聞かせた方が良いのでは?」
イラッ、
何も分かっていない物言いに苛立ちが込み上げる。
ただでさえ私の中で、彼に対しての好感度が乏しいのに。初夜すっぽかしのこととか、君を愛することはない宣言とか。……思い出すだけで更に好感度が下がっていく。
良いでしょう、受けて立ちます。
「──子どもを動かす方法は、大きく分けて2種類あります。オリヴァー様はわかりますか?」
「いや……」
「褒めるか、叱るかです」
何もないのに指示に従う子どもはいない。
褒めるというご褒美か、叱るという罰を与えるか。
子どもたちは褒められて嬉しかったからその行動を繰り返すようになるし、叱られて怖かったらその行動は控えるようになる。
「私は、叱られるからしない、ではなく、褒められるからしよう、の方で子どもを育てていきたいです」
もちろん危ないことやダメなことは叱らなければいけない。
だけど今回のことに、レオくんを叱らなければいけない要素はなかった。ただ、見知らぬ人がいて驚いてパニックになっただけだ。
だったらご褒美で行動変容を促していきたい。
「だけどレオくんは言葉もゆっくりだし、対人意識の低さもある。褒め言葉だけでは弱いんです。彼に理解できるようなご褒美が必要なんです」
「だがそれでは、報酬がないと動かない人間に育つのでは?」
「それの何が悪いんです?」
この世は等価交換だ。って前世で読んだ漫画に書いてあった。
等価交換を覆すものは、愛くらいしかないのだ。
「レオくんは、あなたと食事を共にしたくなかった。だけど私がお願いをして、レオくんに聞いてもらった。そこに報酬は必要ないと思いますか? オリヴァー様だって給料もらえないのに仕事はしないでしょ?」
……いや、するかも? 王権制度のこの国では、給料が無くても王様の命令だと動くかも?
日本では考えられないけれども。
「給料じゃなくても代わりに名誉とか、そういう対価がないと働かないでしょ?」
「確かに……そうだ。君の言う通りだ」
私の説明にオリヴァー様はあっさり納得して、素直に頷いてくれた。
……だんだんわかってきた、この人、会話が下手すぎるんだ。
私は嫌味のように聞こえて応戦してしまったけど、おそらく、そういう言い方をされたら私がどう思うかとかは何にも考えてなくて、──本当に疑問に思ったから言葉にしただけなんだ。
すっごく特性を感じる。
自閉スペクトラム症にしても普通なら集団生活の中である程度学んでいくところだけど、……身分から誰にも注意されず、氷の公爵様だなんて呼ばれて、周囲に許容されて。相手がどう思うかを慮らなくても許される環境に身を置くことで、この物言いが完成されてしまったのだろう。
「すまない。俺は君に世話係を任せると言った。そして君は現実にレオの発語を増やし、レオと信頼関係を築いている。結果を出してくれているのだから、俺から文句を言うべきではなかった」
……オリヴァー様が謝った!
この人、自分に非があると思ったら謝れる人なんだ。
そうやって急に謝られると、……なんだか私も申し訳なくなってくる。
一方的にイライラして、勝手に応戦して、ヒートアップしてしまった。
「こちらこそごめんなさい、言いすぎました」
「いや、君の物言いは好ましい。俺は人の心の機微を察することが得意ではないので、君のようにはっきり言ってもらった方が良い」
ふ、と。
オリヴァー様の口元が笑みの形に緩んだ。
結婚して数ヶ月、会ったのは数えるほどではあるけれど。──彼が笑うのを初めて見た。
氷の公爵様も、笑うんだ……
顔の造りはレオくんとそっくりなのに、笑い方は全然違う。レオくんを太陽だとすると、陰のある月のような……
「ではそろそろ食事をしよう。君たちが普段どのように過ごしているのか、教えて欲しい」
さっきはレオくんのことを教えるのは気が進まなかったけれど、──不思議とその気持ちが薄らいでいる自分に気がついた。
公爵家に嫁いできて初めて、彼に対して少し好感度が上がった夜だった。
貴重なお時間を使って読んでいただき、ありがとうございます。
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