0.プロローグ
初めての長編です…見切り発車です…よろしくお願いいたします…
──あ、この子ジヘイだ。
その子を見ていると、聞いたこともない単語が頭の中に浮かんだ。ジヘイ。何それ。首を傾げて自分の頭の中を探す。
ええと、ジヘイ、じへい、──自閉スペクトラム症!
そう閃いた瞬間、その単語に紐づいて次々に湧き上がる知識の奔流。
──ASD、自閉スペクトラム症。社会的コニュニケーションおよび対人的相互反応における困難さ。言語・非言語コニュニケーションの苦手さ。常同行動、同一性の保持、こだわり、感覚過敏──
それらと共に浮かび上がってくる、数々の記憶。
私は、石川朝陽。大学病院の小児科医だった。
ちょっと大きめの地方都市で、専門は児童精神として働いていた。その日は車で1時間程度の外勤先から帰る途中で、飛び出してきた幼児を避けてハンドルを切り、強い衝撃が来て……
「──うぎゃぁぁぁ!!!!!」
叫び声で思考が途切れる。
目の前で叫んでるのは、明らかに日本人じゃない金色の髪の毛の男児。推定3歳くらい。さっきまでは視線は全く合わず、部屋の中をチョロチョロと動き回っていたけど、いまは私に──というか、私のドレスかな。ドレスについているキラキラの飾りが気になって触りたいんだろう。メイドが抱っこしてなだめているが、手を伸ばそうとして、全くおさまらない。
火のついたように泣く男児と、必死に静かにさせようとするメイドと、私がどんな反応を示すのかハラハラとした表情で見守る執事長。
これは一体、どんな状況なんだ……
思わず天井を仰いで──天井には豪華なシャンデリアが飾られており、埃も積もらずにきちんと掃除されている──ひとりごちるも、私の頭の中にはその答えはすでに私の中に用意されていた。
私、メイベル=タンザナイト。
18歳。
ラピスラズリ公爵家に嫁いできたところ。
旦那様であるオリヴァー=ラピスラズリ公爵様は前妻との間に、すでに一人息子がいる。で、今はその一人息子との初めての対面ってわけだ。
メイベルとして過ごしてきた記憶は、頭の中に簡単に見つかる。確かに私はメイベルで、──だけど朝陽としての記憶もある。
……うわぁ、まじかー。
私、死んでんじゃん。そんでこれ、異世界転生ってやつじゃん。
背中がすぅっと寒くなって、でも心臓は激しく脈打っている。頭がぐらぐらする。ダメだ、とりあえず今は別のこと考えよう。
「ええと……」
現実逃避に、とりあえず今の現実に向かい合うことにした。
目の前の男児はまだまだかんしゃくが収まらない。こんなに泣いて欲しがってるのに、世話係であろうメイドにキラキラが欲しいと訴える様子も見られない。対人意識の低さがあるなぁ……。
「これが気になるのね?」
「うぎゃぁ、ぎゃぁあああっ!!!」
ドレスについてるキラキラの飾り。腰元のリボンにアクセントに取り付けられているもの。一応問いかける形で言ったけど、当然返答はない。ずっと泣き叫び続けている。
「えい」
ブチッ!
割と簡単にドレスから取り外すことができた。
ポケットは……ドレスにはないから、私はそれをとりあえず執事長に渡す。
「それ、どこかに隠して。目の前に欲しかったものがあると、ずっと泣くから」
「は、はい……」
執事長の視線が戸惑っていた。まぁそうだよね、せっかく外したんなら渡してあげればいいのにって普通は思うよね。
だけどダメ。
「泣いてるからって渡すのは悪手です。泣けばいうこと聞いてもらえるって間違った学習をしてしまうから」
そして次に要求が通らなかった時もかんしゃくを起こすようになるから。
私はきっぱりと言い切って、それから男児に向き直った。
顔立ちは整っており──この子の父親で私の夫になったラピスラズリ公爵によく似ている──涙でぐしゃぐしゃの瞳は深い藍色。家名通りの、ラピスラズリの色。手の爪も髪の毛もきちんと手入れされている。お世話はしっかりとされていることが伺える。
この子の名前はなんだっだだろう。事前に聞いた気もするけど、思い出せない。
そうか、私、──この子の母親になるのか。
「で、環境を変えましょう。はい、おいで」
「ぎぃゃぁぁぁあっ!!!」
泣き叫ぶ男児を抱き上げる。自由にしたい男児は魚みたいにビチビチ私の腕の中で跳ねる。か弱い令嬢の力では負けてしまいそうになるけど、絶対落とさないぞ! とぎゅうっと力を込めて抱きしめる。
「泣いて暴れても危険がない場所……そうね、お庭に案内していただける?」
日本の一般家庭ならともかく、ラピスラズリ公爵家には危険がないよう整備された庭園があるはずだ。むしろ室内の方が色々高級そうなものが置いてありそうで怖い。
継子のかんしゃく対応。
それが私がラピスラズリ公爵家に嫁いできて、最初に行った仕事だった。
貴重なお時間を使って読んでいただき、ありがとうございました。
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私自身が子育て中、このサイトの物語たちに救われたので。この物語が、どこかで誰かの助けになればと思います。