第8話 一年が過ぎて
ゆっくりと傾斜の道を登っていく。
すると、上から駆け下りてきた子供たちが俺に気づき挨拶をしてくれた。
「セージさま、こんにちは!」
「はい、こんにちは。みんな今日も元気だね」
足を止めて応じると、小さな女の子の一人がおそるおそる言ってくる。
「あのね、セージさま」
「うん?」
「あたしね、このあいだ食べさせてもらったクッキー、とても美味しかったの…」
他の子供たちも「うん、美味しかった!」「美味しかったねー!」と口々に賛同。
「それでね、うちのお父さんとお母さんにも食べさせてあげたいな、なんて……」
上目遣いで見て来る女の子に、俺はにっこりと微笑む。
「わかった。キャモに頼んであげるよ。だからまたみんなして遊びに来てくれよ?」
子供たちは歓声を上げた。遊びにくることを約束したあと、みんなして手を振りながら村へ向かって道を駆け下りていく。
微笑ましくその光景を見送って、俺は荷物を抱え直す。
向かうのは高台の屋敷だ。
きちんと手入れされた花壇に、塗り直された漆喰の壁が白く輝く。
壊れていた二階の窓も修理され、タオルらしきのもが窓辺に干してあった。
磨き上げられた大きなドアを開いても、たっぷり油が差された蝶番は音を立てることもない。
中に入れば、天窓から光が降り注ぎ、チリ一つ落ちていない清潔な床を照らしている。
「ただいま戻りましたー」
声をかけるが返事はない。
兎族のキャモの聴覚は只人離れしているから、もしかしたら屋敷の外にでも出ているのかな?
キッチンまで荷物を運ぶ。
適当に棚や台の上に置いて片付けていると、頬に風を感じる。
首を巡らすと、キッチンから続き間のリビングの一面にあるフランス窓が大きく開け放たれていた。
吹き込んでくる海風がレースのカーテンを丸く膨らませる。
そのレース越しに、バルコニーの揺り椅子に人影があることに、俺は安堵していた。
俺もリビングを縦断してバルコニーへと出て、揺り椅子に座る家主へと声をかけることにする。
「ただいま戻りました」
すると、家主であるミヤさんは、前後にゆっくりと漕いでいた揺り椅子から首をもたげ、俺を見てこういってくれた。
「ああ、お帰り。おつかいごくろうさん」
にっこりするミヤさんは、腰の出てきた銀髪を丁寧に編み込んで首の後ろから左胸の上へと垂らしていた。大きく開かれた灰色の瞳は活力に満ちていて、過日の寝たきりだった頃の陰影は全くと言っていいほど存在しない。
笑顔で応じて対面の椅子に座る俺は、もう11歳になる。
王命を拝し、ここベルソ村へと来てから、一年以上が経過していた。
「そうかい、坊やが来てからもう一年以上経つんだねえ…」
お茶の入ったカップを片手にミヤさんがしみじみと俺に向かって言う。
屋敷の外回りの掃除をしていたキャモが戻ってきて、淹れてくれたお茶だ。
「そうですね、色々とあっと言う間でした」
同じくお茶を口に運びながら応じる俺。
「もし坊やが来てなかったら、今頃あたしはどうなっていたんだろうねえ………」
目を細めて俺を見てくるミヤさんの顔は、皺だらけだけど目鼻立ちはとても整っている。
若い頃は相当美人さんだったと思う。
ひたすら穏やかな眼差しで見られると、なんだか背中がくすぐったくなってきた。
「本当に礼を言うよ、坊や。アンタのおかげであたしは」
「いえ、それ以上は言いっこなしですって」
もう何度同じやりとりを繰り返しただろう?
お年寄りは概して同じ内容の話を繰り返すものだけど、そのたびにお礼まで言われるのはやっぱり恥ずかしい。
毎度のように照れていると、キャモがお茶菓子を運んできた。
出来たてらしい果物のタルトを俺たちの前で切り分けると、それぞれの皿に載せて配る。
そうしてから後ろに控えようとしたキャモだったけれど、ミヤさんが呼び止めている。
「ほら、嬢ちゃんも一緒に食べよう」
「いえ、私は……」
「キャモ」
俺が笑顔で促すと、渋々と、それでいて少し嬉しそうにキャモもテーブルに着く。
それから三人でお茶だ。
ミヤさんの屋敷の裏にあるバルコニーからは海が望める。絶景だ。
今日はそれほど日差しも強くなく、海風もとても心地よい。
まるで高級リゾートみたいな感じで、そんな場所でゆっくりと茶碗を傾けるだけで凄い贅沢な気分になれる。
「それにしても、坊やも焼けたねえ」
「え? そうですか?」
ミヤさんが指摘して笑っている。確かに腕は真っ黒だ。フィーネ領の屋敷にいたときは、白いを通り越して青白かったような気もする貧弱ボディも、少しは逞しくなったってことだろうか。日課のラジオ体操も続けているし。
「ええ。本当に逞しくなられました」
キャモも賛同するように微笑んでいる。
そういえば、以前に比べて彼女に叱られることは少なくなってきているような。むしろ褒められることが増えている気がする。
うん、思ったより俺も成長出来ているのかも知れない。
「まあ、一年以上も海辺で暮らせば、そりゃ日焼けもしますよ」
俺がそう答えると、ミヤさんが目を細める。
「そうかい、坊やが来てからもう一年以上経つんだねえ…」
どうやらまた話がリフレインしそうだぞ。
苦笑しつつ、傾聴しようと身を乗り出す俺の耳に、玄関先の子供たちの元気いっぱいの声。
「ミヤさまー! セージさまー!」
「遊びに来たよー!」
おいおい、あの子たち、さっき別れたばかりなのに早すぎない?
キャモにクッキーを焼いてとか全然頼んでないぞ?
困り顔でキャモを見ると、お茶を口に運んでから彼女は澄ました一言。
「タルトは多めに焼いておきましたよ」
「さすがキャモだね」
素直に感嘆していると、子供たちが正面玄関から裏のバルコニーへと回り込んできた。
「あ、ミヤさま、こんにちはー!」
「おうおう、良くきたねぇアンタたち」
子供たちは臆面もなくミヤさんへと近づき、ミヤさんはその頭を撫でている。
俺にとっては理想の、涙が出るくらい嬉しい光景だ。
この光景を実現させるための努力も全て吹き飛ぶように感じていた。