第7話 王命の正体
ベルソ村の第一印象は、長閑な海辺の村って感じだ。
なだらかな丘陵のところどころに家が立っていて、港まで続いている。
港自体も結構大きくて、立派な桟橋に漁を終えたらしい船が次々と戻ってきている。
少し離れた砂浜には幾つもの干し台が設置されていて、開きにされた魚が載っているのが分かった。
港の近くには幾つもの露天や商店らしい建物も見える。
「この村は、ヴィータ家の保養所との取引もあるので豊かです。規模的には小さな町と遜色ないのではないでしょうか」
キャモがそう説明してくれた。
前世の記憶によれば……日本では確か人口5000人に満たないのが村なんだっけ?
こっちの世界の総人口は分からないけれど、そこいらへんはどうなってんのかな。
代官がいるはずだから、あとで訊いてみるか。
ともあれ、たくさんの子供が元気よく走り回っていた。なんならそのまま海に飛び込んで泳いでいる子もいるくらいだ。
「賑やかでいいね。それに住みやすそうだ」
俺が好きだったゴーギャンやラッセンの絵を彷彿させる光景だ。
老後はこんな場所で過ごしたいなあ……なんて眺めながら、村人に訪ね歩いて向かったのは、この村の代官所である。
「ここですね」
キャモが足を止めたのは、それなりに立派な造りの御屋敷の前。
庭先を掃除していた使用人がいたので取次を頼む。
すると間もなく屋敷の扉が開き、痩身の男の人が飛び出してきた。
「これはこれは、フィーネヴィータ卿! このような辺鄙な村までようこそおいで下さいました!」
男の人はウルツ・ハイデリーと名乗った。男爵位を持ち先任の代官だという。齢は四十代くらいかな?
尖り気味の顎に目も細くて、顔の全体的な線が細く少し神経質そうな感じを受ける。
「王命を受け罷り越しました。しかし恥ずかしながら、具体的な内容は現地で訊けとのことでして」
通された応接間にて。
座り心地の良いソファーの上座に座らされた俺がそう切り出すと、ウルツは使用人の持ってきたお茶の入ったカップ片手に少し戸惑う様子を見せる。
「僭越ながら、フィーネヴィータ卿はどのような指示を告げられてここへ……?」
「とある貴人への式事を全うせよ、とのことでしたが」
思い出しながら答える俺。
「なるほど……」
ウルツはホッとしたような表情になると、ことさら明るい口調で言う。
「では、その時まで、どうかごゆるりとご滞在くださいませ。
この村の名物の魚の煮込みは、野卑ですがなかなかに美味ですぞ」
ニコニコと言われたけれど、話が見えない。
「その時とはなんなんでしょう?」
訊ねると、ウルツは苦笑しながらこう答える。
「葬儀、ですな」
「……誰か亡くなりそうなんですか?」
俺の曾々祖父であるご先祖の出世の足掛かりとなったのは、国家規模の葬式だったと伝えられている。
ならばこそ、フィーネヴィータ家に王命で葬儀の御鉢が回ってきた?
だとすれば納得がいく話だ。
となると、父が詳細を現地で訊けと言ったのは、10歳児には話しても酷な内容だと思い伝えなかったのか。
それとも俺はあくまでフィーネヴィータの名代という形式的な『お飾り』として、詳しい話を知る必要はないと判断されたのだろうか……?
そこまで推測を組み立てながら俺は頭を振った。
詮索はあとでいい。今はこの話に集中しなくては。
「もしくは既にその方は亡くなられたのでしょうか?」
ウルツは困ったように目線を左右に泳がせると、
「それは、なんと申しましょうか。間もなくとも言えるのでしょうかね? しかし……」
なんとも煮え切らない答えだ。
だからといって、10歳の子供である俺が勢い込んで喰いつくのも妙な話である。
ここはじっとウルツの答えを待つしかないか。
間もなくフーっと大きなため息をつくと、ウルツは改めて俺を見た。
「フィーネヴィータ卿に置かれましては、齢120を越える老女をどう思われます?」
「……え?」
た、確か前世の世界だとギネス認定で122歳が最高齢だったかな?
引き換え、こっちの世界は医療知識も技術も未発達だ。
それで120歳越えなんて普通ありえない。
あ、でも他の可能性はあるか。
「ひょっとしてその方は、長命種の血が混じっているということは……?」
この世界には長命種と呼ばれる亜人種が存在する。いわゆるエルフやドワーフがその代表格だ
彼、彼女らは人間―――俺たち只人の十倍以上は生きると言われている。同時に只人たちとの間に子供を作ることも珍しくない。
長命種の血を引いていると、寿命もかなり延びると物の本に書いてあった。
ちなみにキャモたち兎族といった獣人族の寿命は、只人とほぼ変わらないとか。
「おそらく只人で間違いないかと……」
ウルツが首を振りながら説明することによれば、その老婆はもはや数十年以上前からこの村の高台に住み着いていて、一人暮らしでほぼ村人たちとは没交渉だという。
「長年、この地の代官がその世話をしていたとのことですが、昨今は、こちらが屋敷に入ろうとすることすら拒絶されてばかりでして」
深い溜息をつくウルツに、俺は思わず問い掛けていた。
「本当に一切何も援助をしていないのですか?」
「え、ええ。一応、家の中に食材や日用品を差し入れてはおりますが」
「それで良しとしたのですか、あなた方は!?」
荒い声が出た。
俺の剣幕に驚いたのかウルツはタジタジとなる。。
「しょ、正直に申し上げれば、私どもも、あのような魔女の家に近づくのは遠慮したく……はい」
「……分かりました。とりあえず、我々もそのお屋敷へ向かってみます」
これ以上彼を問い詰めても意味はない。
「ほ、本気なのですか、フィーネヴィータ卿!!」
「ここで議論を重ねても机上の空論ですし、何より王命ですから」
王命のところをアクセントで強調し、にっこりと、出来るだけ丁寧な声で言い返す。
それ以上ウルツは何も言ってこなかった。
多少でも後ろめたい思いがあるのかも知れない。
侯爵の威を借るガキと思われてもそれはそれで構うものか。
代官所を出て、例の御屋敷へ向かう。
行き会った若い漁師に訊ねると、村はずれにその屋敷はあるとのこと。
近所の子供たちはお化け屋敷と思って近づかない、とも教えてくれたが、実際についてみると、そんな表現が相応しいほど外観は寂れていた。
屋敷の前の花壇は雑草もぼうぼうで荒れ放題。
壁は蔦で覆われていて、二階の窓が破れ、辛うじてぶら下がった窓枠が海風に揺れている。
「すみません、お邪魔します!」
さっそくドアノッカーを叩くも返事はなし。
キャモを顔を見合わせ扉を押す。
鍵はかかっておらず、ギギギ……と軋んだ音。だいぶ長い間蝶番に油が注がれていないらしい。
埃っぽい空気が顔を叩く。
正面の薄暗いホールには何やら雑多に荷物が積まれているのが見えた。
これが代官たちの差し入れた物資なのだろうか?
「すみません、お邪魔します」
もう一度声を出して、ホールの中へ踏み出す。
「……ぼっちゃん」
キャモがスンと鼻を鳴らす。
兎族である彼女は嗅覚も聴覚も鋭い。
「うん」
頷き返した俺は家の奥へと進む。
酷い臭いがますます強くなる。
尿臭と便臭、それと食べ物が腐った臭いだ。
それら生活臭に加え、老人特有の臭気が色濃く漂っている。
「ここだね」
キャモと二人して立ったのは廊下の突き当りの部屋。
意を決して扉を開ければ、ベッドの上には案の定一人の老婆が横たわっている。
漂ってくる臭いに覚えがあった。
排泄臭と老人臭だけじゃない。
これは―――人の身体の腐っていく臭いだ。
「……お婆さん! しっかりしてくださいお婆さん!」
ベッドのお婆さんに駆け寄る。
皺だらけの土気色の顔。
それでも瞼がピクリと動く。
良かった、まだ生きている……!?
「…危ないッ!」
キャモに覆いかぶさられる格好で床に臥せさせられた。
半瞬遅れて頭上を薙いでいったのは、間違いない、風魔法の風刃。
「お婆さん!」
床で姿勢を低くしたまま声をかけるも、お婆さんからの返答なし。
そんなお婆さんの身体の上で、びゅんびゅんと風刃が行き交う。
これって、無意識の防衛反応で魔法を使っているのか? それとも予め術式が発動するように仕込んだ魔法陣とかあるの?
こんなものを目の当たりにしたら、ウルツたちが魔女扱いして恐れるのも分からなくはなかった。
だけど、俺が引き下がる理由にはならない!
「キャモ、援護を頼む」
「え?!」
驚くキャモを意に介さず、俺はお婆さんの枕元へと立つ。
眠ったままの皺だらけの頬に手を当てて、唱えたのは水魔法だ。
魔法はイメージの世界。イメージ次第で驚くほど応用力が利く。
俺が強く念じたのは、お婆さんの顔から全身に水を染みとおらせるイメージだ。
「ぼっちゃん!」
キャモの鋭い声。
俺を襲おうとしていた風刃の魔法は、彼女が短刀のように振るう炎で振り払われた。
この世界では、魔法に対して魔法をぶつけてある程度相殺することが可能だ。
風属性に対する反発属性である土魔法を使えば完全に相殺できるが、あいにくとキャモの持つ属性は火魔法だ。
相殺しきれなかった風刃の余波が、小さなカミソリのように俺の手を切り裂いていく。
「くッ!」
それでも俺は水魔法を使い続ける。
よし、少しだけ顔に瑞々しさが戻ってきた感触がある。血流に載せてゆっくりと全身に水分を行き渡らせていくイメージを更に強く念じた。
キャモは奮戦し、俺もたくさんの切り傷を負ったと思う。
それでも辛抱強く水魔法を使い続けていると、ゆっくりとお婆さんの瞼が動く。
開かれた瞼の下から灰色の瞳が焦点を結び、俺を映す。同時に風魔法も止まっていた。
「……エル、なのかい?」
それがお婆さんの第一声。
「いいえ。僕の名はセージ・フィーネヴィータです」
首を振ってにっこりと答えた直後、俺の視界は暗転した。
あとになって聞いたことだけど、俺はどうやら魔力を使い切って気絶したらしい。
でも魔力切れまで頑張った甲斐があったようで、無事お婆さん覚醒に成功している。
「セージ様は何の確信があって水魔法をお使いになられたのですか?」
俺の手の切り傷の手当をしながら訊ねてくるキャモ。
「それは……ほら、あのお婆さん、凄いシワだらけで植物が枯れたみたいだったでしょ?
だからとりあえず水を与えればしっかりするかと思って。
僕たちだって全然水を飲まないでいるとフラフラしてくるからね」
早口で言ったものの、なかなかに苦しい説明だ。
だいたいこの世界で『脱水症状』と説明したところで理解して貰えるものだろうか。
あのお婆さんはおそらく酷い脱水症状で、それが原因の『せん妄』状態だったんだと思う。
正気を取り戻してくれたようだから、認知症ではないと思うんだけれど…。
ありがたいことにそれ以上キャモは追及してくることはなく、手当を済ませると目線をお婆さんの方へと向けた。
「それにしても酷い寝腐れ病でした。とりあえず衣類と寝具は整えさせて頂きましたが」
「寝腐れ病?」
訊ねる俺にキャモが説明してくれた。
大怪我や病気で長いあいだ病床から離れられない人がかかる病気で、特に背中や腰といった身体の背面と、足の先端などに出来やすい病気だという。
それに罹ると、その部分の皮膚が腐って、酷い時には肉はおろか骨まで見えてくるという――。
「って、それって褥瘡じゃん!」
思わず俺は叫んでいた。
栄養状態が良くなかったり、自力で身体が動かせない高齢者が寝たきりになると、高確率で背中に圧迫創が出来ることがある。いわゆる床擦れと呼ばれるものなんだけれど。
「まさかキャモ、回復魔法を使ったりしていないよね!?」
「い、いえ、そこは適当に清潔な布を敷かせて頂きましたが……」
「さすがだよ。適切な判断だ」
キャモは回復魔法が使える。俺だって多少使えたりする。
とはいってもこの世界の回復魔法っていうのは、魔力によって対象の回復力を増進させること。
つまりはかけられた相手の体力頼みで、下手な重傷者や体力のない老人や赤ん坊にかけると、返って体力の消耗を招き衰弱死させてしまうこともあるとか。
「とりあえず褥瘡は体位交換で除圧して様子を見よう。栄養を摂りつつ、体力が戻れば回復魔法も併用して。
そして、そうだな、ベッドの素材も見直さなくちゃ……」
そこまで口走って、またもやキャモが怪訝そうな目で俺を見ていることに気づく。
「セージさま、その知見はどういう……?」
「ほ、本で読んだんだ、本で!」
そろそろこの言い訳もキツイのは分かっている。
でも久しぶりに前世の知識が全開になってテンションが上がっていたから仕方ないんだよ!
「……騒がしいね」
しわがれた声。
見れば、ベッドに横になったままのお婆さんが目だけを動かしてこちらを見ていた。
良かった。今度はしっかりと気づいたみたいだ。
「あ、大丈夫ですか!? どこか身体が痛いところはないですか?」
「気分は最高に悪いよ。それと身体のあちこちが痛くてかなわない……」
ぼそぼそとお婆さんはひとしきりぼやいたあと、深い溜息をつく。
「ようやく楽になってきた思っていたのに、わざわざ引き戻してくれたのはアンタなのかい?」
ジロリとこちらを見て来る灰色の瞳には、はっきりと意思の光が灯る。
「……改めて自己紹介させて頂きます。
フィーネヴィータ家が現当主、テオドール・フォン・フィーネヴィータが三男、セージ・フィーネヴィータです。王命を拝して罷り越しました」
ペコリと頭を下げる俺の横で、キャモも素敵なカーテシー。
「……ふん。王都のボンクラどもも少しは頭を捻ったってことかねえ」
良くわからないことを呟いたお婆さんだったが、憤慨したように続けて言ってくる。
「その王命ってのは、死にかけているあたしを引き戻してもっと苦しめようってことなのかい?」
俺は言葉に詰まる。
ウルツが言うには、王命にあった式事とはこのお婆さんの葬儀だ。
「……目の前で人が死にそうになっていれば、そりゃ助けますよ」
絞り出すように口にしたのは、俺なりの一般論。
お婆さんは鼻で笑う。
「この齢まで生きると、生きているだけで難儀なもんさ。昔からの知り合いは死に絶え、身体のあちこちにガタがきて、じっと時間を過ごすだけで辛くて辛くて仕方ないんだ。まだ若いぼうやには分からないだろうけどね」
人が年老いて衰えて、初めて分かる肉体と精神の不調とその辛さ。
まだ若い俺が共感することは不可能だ。想像するのも難しい。
そんな辛さをどうしようもなくて、その果てにこの老人が緩慢な死を望んでいるなら?
ウルツも手出しをしなかったのではなくて、出来なかったとすれば。
この老婆を助ける術、とか以前に、どう接すればいいかわからず、手を拱くしかなかったのかも知れない。
だいたい、先ほどの老人としての生の辛さを面と向かって言われたら、誰だって反論は出来ないと思う。
―――この世界の人間ならば。
「無礼を承知でいいます。あなたの身体の辛さは、僕には想像することしか出来ません。
あなたがどんな人生を辿って、今とその考えに行きついたのか、共感することすら烏滸がましいと思っています」
でも、と俺は息を吸い込む。
「お年寄りは生きているだけで偉いんですよ!」
それは前世の俺の中にある芯であり、偽らざる本音だ。
同時に、こちらの世界の現状を鑑みれば、ますます自分の中の芯が震えるのが分かる。
医療も未発達。衛生観念も徹底しているとは言い難い。
回復魔法はあっても、手足の欠損といった重傷や、内臓の病気まで治すことは不可能。
外には怪物が溢れ、風土病や疫病が猛威を振るう。
十分な食べ物を得られず、栄養失調はおろか餓死する人だっているのだ。
医療保険に介護保険、インフラも整備された現代日本ならいざ知らず。
こんな世界で高齢になるまで生きてこれた人は、賞賛され敬われるべきだだろう?
「……なんだってアンタが泣いているんだい?」
お婆さんの指摘で我に返る。
ヤバい、ちょっとばかり感情が昂ぶり過ぎた。
俺は涙を拭うと、笑顔を作る。
「さっきも言った通りです。僕たちよりずっと長く生きているお年寄りは、人生の先輩として敬われるべきです」
「……アンタにあたしの何が分かるっていうんだい」
お婆さんが少し拗ねたようにそっぽを向いた。
なので俺は全力でこう答える。
「分かりません。だから、教えて頂けませんか?」
「………」
絶句するお婆さんに、俺の言葉は止まらない。
「若い頃に大変な苦労されたと察します。だったら、その苦労がいま報われなくてどうするんですか! 若い頃に辛い思いをして、齢を取ってからもなお辛い思いをしなければいけないなんて、そんなの絶対におかしいですよ!」