第1話 生まれ変わって
「……起きてください。起きて下さいまし…!」
ゆらゆらと肩を揺らされて俺は目を覚ます。
「ん…あ…?」
寝ぼけ眼で上体を起こせば、メイド服を着た女の子がこちらを見下ろしていた。
「もう! ぼっちゃんったら! こんなところで午睡されては風邪引きますよ?」
「ああ……ごめんごめん」
とりあえず謝っていると、メイドさんは水を張った銀のタライとタオルを差し出してくる。
「まずは顔をお洗いになって目を覚まして下さい」
「うん、ありがとう」
タオルを受け取って、それからタライの中に手を突っ込もうとする寸前、俺は固まった。
「…どうされました?」
訝し気に訊ねてくるメイドに、張られた水の表面を指さして、
「え? あの、これ、誰?」
白い肌になかなか端正な目鼻立ち。いかにもぼっちゃんみたいな髪型は綺麗に仕上げられている。少しだけ目つきが暗いのは気になったけれど、トータルでは美少年と呼ばれても良い部類なのではないだろうか。
俺が首を捻ると、タライの中の美少年も首を捻る。
やっぱりこれが俺の顔なわけ!?
「寝ぼけてらっしゃるのですか? セージさまはセージさまでしょう」
やや手厳しい口調で言われて、俺―――セージの意識は一気に拡大する。
見たこともないような光景の数々。
確かに経験した辛い感覚。
泣きたいほど楽しくて、嬉しかった感情。
幾つもの情報が次々と脳みその中に注ぎ込まれ膨れ上がり、俺の頭のてっぺんから爪先までパンパンに詰まって爆発しそうだ。
本当に弾け飛ぶ!!と思った瞬間、膨らんだ記憶が収斂されていく。
まるで時間が巻き戻されたように、俺の全てが俺の身体の中のあるべき場所へと戻っていく。
やがて、まもなく明瞭な意識と視界が戻ってきた。
不思議な感覚に晒されていた時間は5秒にも満たなかったと思う。
体験の後遺症なのか、軽い頭痛をおぼえながら俺は傍らのメイドをおそるおそる見上げる。
「キャモ、だよね……?」
メイドは答えなかった。けれど、何を今さらとばかりに可愛い顔で軽いく息。一緒に頭頂部からピンと立った2つのウサギ耳もぴょこん!と曲がったのはなかなかキュートな仕草だ。
……うん、彼女は兎族のキャモ。俺専属のメイドだ。
そして、俺の名はセージ・フィーネヴィータ。御年10歳。
ドルニクス王国フィーネヴィータ侯爵の三男坊。間違いない。
そして同時に持ち合わせるもう一人の人間の記憶。
秦野誠司。
日本の片田舎の老人ホームで働く、アラサーの介護福祉士だ。
「……これが話に聞く異世界転生ってヤツなのか…」
メイドのキャモもいない私室で。ベッドに寝転がりながら誰ともなしに呟く。
前世(?)の秦野誠司の記憶の中で、一時期、そんなネット小説を読み漁ったことがあった。
ちなみに介護関係者は、サブスクでアニメを見捲ったり、ネット小説を読み漁ったり、ゲームに傾倒することが多い。
なぜなら薄給であるため、それらの趣味のコスパが良いのだ。結果、介護に携わる人間は往々にしてオタクになるのである。
―――などという、俺のアホな独断と偏見はともかく。
「……夢じゃないよなあ」
豪奢なベッドに仰向けになったまま、目の前で手をヒラヒラさせる。まだ成長途上の滑らかな幼さの残る手のひら。
前世の魅惑のおっさんボディもすっかり小さく――って、むしろ華奢って呼ばれる身体つきだよな、これ。
なんか馴染まないというか、違和感が拭い去れない一方で、秦野誠司の記憶にある、それこそ死にたくなるような腰の痛みが完璧に消失していた。
仰向けになって寝られるなんて、何年ぶりだろう?
久々の感覚は感動的ですらある。
加えて、セージ・フィーネヴィータとしての知見が、現状こそ秦野誠司=俺が求めてやまなかった環境であることを教えてくれていた。
この世界には魔法が存在する。一般人でも素養のある人間は魔法を使えるくらいだ。
そして、貴族であれば、例外なく高い魔力と魔法を行使できるとされている。
セージ・フィーネヴィータも魔法が使える。しかも中々に希少と言われる二重属性使いだ。
しかして、この世界の魔法は、火、水、土、風、光、闇の六属性。獲得出来る属性もこの順番でレアなわけだが、二重属性持ちとなればその枠組に囚われない。
例えば、火の属性持ちの魔術ファイアーボールより、火と風の二重属性持ち複合魔術のファイアーストームのほうが圧倒的に強力なように。
だが、セージは、この二重属性持ちの中でも、更に希れな存在だった。
火と水の二重属性。
六つの属性のうち、火と水、土と風、光と闇は、相反する反発属性とされている。
本来的に、相性が悪い属性同士を同時に獲得することはないのだが、セージはその例外中の例外だ。
二重反発属性持ちという特殊性のためか、セージの魔法能力は火も水にも全く伸びしろを示さず、父親からは不出来な息子と見做されている。先の二人の兄は二重属性でこそなかったが、それぞれが非凡な魔法の才を持っていたこともあるだろう。
不出来な三男坊は本邸に住むことは許されず、敷地内の粗末な別邸に住まわせられた。お付きの使用人は先ほどのメイドのキャモだけ。
将来を期待されず、さりとて放逐するのも早すぎる10歳。今は様子見というほったらかし状態だったが―――これこそが俺の憧れ続けた生活じゃないのか?
なにせ掃除洗濯はメイドさんがしてくれる。食事だって三食本邸から運ばれてくる。なにより、義務的にしなければならないことなんて何もない!
ああ、これが夢に見た食っちゃ寝生活じゃないか……!
なんでこんな異世界に転生してきたのかなんてわからない。
けれど、こんか働かなくてもいい身分に生まれ変わらせてくれた何者かに感謝を捧げ、俺は惰眠を貪るべくフカフカのベッドに突っ伏すのだった。