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零点の僕に百点満点をくれた君に。

作者: 雨夜玲

 ──正しい人ほど正しくない──


 今は小学四年生。もう高学年になった。そして同時に、なぜ学校に行って勉強をして、面倒な掃除をしなければならないのか、不思議に思ってくる。

 頭は決して良くない僕。それでも真面目に授業を受けて、真面目に掃除をする。そんな中、僕が眼中に入ってないらしい人が掃除当番の班にいる。班は四人で成っていて先生が勝手に指名した。僕の班はみんな男子だ。だからいつもうるさい。

 僕が真面目に掃除してる中、班員は友だちと話しをしてサボっている。仲が良いというわけでもないから下の名前は知らない。注意ができるほど僕に力はないから注意もできないし、しない。

 班員がサボれる理由はただ一つ、先生の目が付かない場所の掃除を任されているから。目に付かないというか、先生が見回りに来ない。だからサボれてしまう。

 そんな班員がいても僕は真面目に掃除をする。


 僕はいつも通り、給食を食べ終わったら昼休み中に掃除を始める。べつに掃除の時間でもないけど、教室にいても暇だし、周りの声がうるさいから静かな掃除場所に向かって掃除をする。

「…………」

 そんな僕を見て、見知らぬ人、同じクラスの人も「なにしてるんだコイツ」とでも言いたげな顔をして通り過ぎていく。それでも僕は掃除をする。

 なんでそこまでして掃除をするのか。ただ、静かなところで突っ立っていてもいいわけだ。なのにそうしないのには理由がもちろんある。僕は「綺麗」が好きだからだ。……まあ、班員がきちんと掃除してくれなくて、任されている場所を掃除するのに時間が足りないという理由もあるけど。

 掃除の時間になってから班員が掃除場所に来る。いつも通り数分くらい遅れて。

「またコイツやってるわ……」

「キモイよな。掃除真面目にやって……」

 小さな声でそんな言葉が聞こえてくる。僕はただ、聞こえないフリをしてほうきを│く手を止めない。

「なー。今日なにするー?」

 その質問には言葉が省かれているはず。「今日の掃除の時間、なにをしてサボる?」これが、省かれずに言われた場合の言葉だろう。

 班員は、ほうきを持つだけ持って一秒も掃く素振りを見せない。それどころか、ほうきを逆さにして手のひらに乗せ、バランスを保つ遊びをしている人もいる。

「うおっ! あぶねー。なあ見てみろよ。今までで一番長く続いてる!」

 後ろからそんな言葉が聞こえてくる。そんなことで嬉しくなるなんてバカだと思った。それならテストで百点という赤文字を貰ったほうが嬉しいよ。ただの赤文字に嬉しがる僕もバカだけど。


 僕がいた場所を掃き終わったのに、班員が邪魔でまだ掃けてないあっち側が掃けない。いいや、窓を雑巾がけしよ。ほうきを一度ロッカーに戻して雑巾を濡らしに行った。冬場の掃除の雑巾は水を濡らしに行くのに、冷たい思いをしなければならなく、みんな嫌う。僕もあんまり好きじゃない。

「…………」

 冷たさを我慢しながらも雑巾を水に濡らしていく。ある程度水を絞ったらさっきの場所に戻る。まだバカなことしてるよ。その横を通って一番奥の窓へ向かう。

 開いていた窓から冷たい風が吹く。寒さに身震いをしてから、一枚目の窓に雑巾を押し当てて拭いていく。きちんと裏側も……。

「じゃあ誰が一番長く保つか勝負な!」

 遊びを変えることなく班員はサボり続けている。

 次の窓に移って拭いていく。けど、その時、

「っ……」

「うわっ!」

 遊んでいた班員とぶつかった。いてて……。

「いってー……」

「お前気を付けろよ」

 遠くから見ていた班員が言った。その言葉を僕に向けて発した言葉ではないことはなんとなくわかった。けど、過去に似たような言葉を僕に向けて言われたことがあったから、それと重ねてしまって僕に言われた気がした。

 当たったところがヒリヒリと痛む。でもそれよりも焦ることがあった。

「あれ……」

 手に持っていたはずの雑巾が消えた。いや、開いてた窓から落ちたんだ! 確かに思えば、ぶつかったとき、手に冷たい風が当たった気がする。あれはきっと外に手が出たときに吹いた冷たい風だったんだ。床を見ても雑巾らしきものはない。

 背伸びをして窓枠に乗り出して下を見てみた。真下にある草の上に白い布のようなものがあった。やっぱり落ちたんだ……。

 落ちた場所を覚えるためにもうしばらく乗り出してみていたら、人間がその雑巾に近づいてそれを取ったのがわかった。そして、その人間は顔を上げて僕と目が合う。

「っ!」

 眉をひそめて僕を睨み付けているように見える顔。それが誰かわかれば思わずその場にしゃがみ込んで、その人間の視界に入らないようにした。あの人は、ここの学校一怖いと言われてる先生だ。実際に怒ってるところを見てその怖さは実感できる。

 心臓がバクバクと高鳴る。どうしよどうしよ。怒られる……! なにか言い訳を……。

 言い訳を考えていたら、ほうきで遊んでた人、言い換えれば、僕とぶつかった班員が僕を見下すような目で見ながら口を開いた。

「……なにしてんだよ」

 いつもより低い声だ。カッコ付けてるのか、僕と関わるのが嫌なのか。

「さっき……先生が……」

 あの先生の名前までは知らない。ただ、怖い先生とだけが僕の耳に入ってるだけだ。

「先生?」

 疑問に思ったのか、その班員が僕の隣に立って窓を覗き込んだ。

「は? もしかして……あのちょーこえー先生……? なにしたんだよお前」

「雑巾……落とした……」

「はぁ? お前なにしてんだよ、先生絶対ここ来るじゃん! お前らほうき持って掃除してたフリしとけよ」

 その呼びかけで、ほうきを持っていなかった班員が掃除ロッカーから取り出していく。僕の隣にいた班員も「サボってたことがバレないよう」にほうきを正しい持ち方に直す。 

 僕も「サボってなかった」ってことを証明するためにほうきを……。

「…………」

 なんでだ。僕はきちんと掃除してサボってなんかないのに、なんで僕まで「サボってなかった」ってことを証明しないと駄目なんだ? 僕はべつにサボってなんかなかったし、窓を拭いてたときに雑巾を落としてしまったなんて考えればわかることで、僕が真面目に掃除してるなんてきっとみんな知ってることで、だから僕が掃除をサボってたわけじゃなくて……。

 そんなことを考えてるうちに階段があるほうから足音が聞こえて、徐々に音を大きくしていく。誰も喋らないからよく響いて聞こえる。その音は僕を焦らして頭を真っ白にさせるのには十分な素材だった。

 頭が真っ白になった僕は言い訳を考え出そうにも浮かばなく、ただ脚を震わせて立つことしかできなかった。

 次第に音は大きくなって近づいてくる。ついになにも思い浮かばなくて立ち尽くしていれば、目の前に先生の姿が。

 先生は一度全体を見渡してから僕のほうへ向く。

「雑巾を落としたのは君か」

 先生の重々しく低い声が聞こえる。一瞬嘘を吐こうかと思った。怒られたくないから。けど、僕が今手になにもないこの状況で無駄な言い訳は見苦しい。

「は、はい……」

 正直に答えた。

「どうして落ちたんだ!」

 廊下に響かせたその声で、僕だけではなく班員の背筋も凍りついたのは、視界に薄ら入るのでなんとなくわかった。

「いや……あの……」

 正直に答えるんだ。僕はなにも悪くない。ついでに班員がサボってたことも言えていいじゃないか。そんなことを考えていたら、先生の後ろに立ったほうきで遊んでいた班員が、「なにも言うな。言えばどうなるかわかるよな」とでも言うように僕を睨み付け、圧を与えてくる。

 それでも遊んでたのは事実なんだ。言っても僕が悪いわけではないんだ。ここは嘘を吐くことなく、正直に全部……。

「手が滑って……落としてしまいました……。あ、あと……」

 班員のことを言うんだ。言うんだ僕……。

「いえ、なにもありません……」

「そうか。次から気を付けるんだぞ」

 さっき声を上げたときよりは優しい口調だったけど、やっぱり怖い。

「はい……」

 返事をしたあと、雑巾が手渡された。

「……ここは先生の目が行き届かないな」

 先生が僕の│そばを通ったとき、そんな言葉が聞こえた。先生は僕らを疑ってるのかもしれない。先生の目が届かないところでサボっているのではないか、と。


 先生が去ってからは、僕を含む班員が肩を下した。それと同時に僕以外の班員は口々に声を出す。

「ふぅー怒られなくてよかったー」

「あぶねー」

「お前、次から気を付けろよ」

 僕にぶつかってきた班員が怒るような目つきで言ってくる。

「いや、それは君がぶつかって」

「はぁ?」

 僕の声を遮って発した、怒ったようなその言葉にドキリとした。

「ぶつかってねーし。お前が勝手に落としたんだろ!」

「そんなこと……」

「うわー。他人のせいにするとかさいてー。先生に言ってやろ!」

「ご、ごめん!」

 その班員の言葉に反射的に出てきてしまった。

「全部僕のせいだよね。ごめん」

 鼻で笑われる。

 泣きそうになっていたら掃除の時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。その音を聞いた班員は、持っていたほうきをそれぞれ最寄りの壁に立てかけた。そして言う。

「片付けよろしくな」

 最後にあざ笑ってから、鋭く睨み付けられた。

 先生に言わないでくれるのか、全く関係なく言ってるのかはわからない。けど、ほうきを置きっぱなしで行くのは僕自身としても嫌だし、サボってたサボってなかった関係なく、先生に怒られるのは確かだ。

 ほうきをロッカーに戻し、雑巾も洗って近くの傘立てに干しに行った。僕はなにも悪くないのに……。やっぱり、正しい人ほど……。

 教室に戻ってからは授業が始まる。残り一時間。体を重くしながらも最後まで受け、家に帰った。


 翌日。

 掃除の時間になった。昨日と同じように今日も、掃除の時間じゃないけど掃除場所に向かって掃除を始める。けど、昨日のことを思い出してあまり乗り気ではなかった。

「………」

 それでも「綺麗」が好きな僕は少しずつでもほうきを動かした。

 結局班員は先生になにも言わなかったみたいだ。昨日の放課後にも、今日にも呼び出しはなかった。もしかしたら、今日の放課後に呼び出されるかもしれないけど、昨日にもなかったなら今日の放課後に呼び出されるのは考えにくい。

 数分前に掃除の時間になった。いつも通り班員は遅れてくる。……と思っていたけど、もう来たみたいだ。足音が聞こえる。それにいつもよりうるさい喋り声が聞こえない。どちらも珍しい。そんなことを思いながらも掃除を続ける。

「……他の人は」

 声を出したかと思うと、重々しく渋い声が聞こえた。予想外の声で驚き、つい振り向いた。そこには昨日ここに来た怖い先生がいた。

「あ、先生……」

「他の班員はどうした」

「えっと、まだ来てないです……」

「いつもなのか?」

「いつもです……」

「…………」

 先生はなにかを考える時間をおいてから階段を下りて行った。そういえば昨日に呟いてた。ここは先生の目が行き届かないとかなんとか。今日から先生に見られながらしないといけないのかな……?

 しばらくして班員が来た。

「あーあ。掃除の時間だー」

「今日はどうする?」

 やっぱり今日もサボる気だ。懲りない人らだ。ほうきで遊ぶ班員の横で、僕はほうきを掃いていく。

 少ししたあと、階段のほうから足音がし始める。班員に来てない人はいないんだけどな……。この先には音楽室しかないから音楽の先生かな。

 足音が近づくことに確信を持ちながらもほうきを掃き続ける。班員は相変わらず遊んでいる。今日は一人がほうきを持って掃く部分を床に付けたまま左右に揺らし、他の人がその人の周りに立って掃く部分が近づいてきたら、それを踏まないように跳んで遊んでいる。一歩間違えれば大怪我に繋がりそうだ。

「ほらよ!」

「うおっとあぶねー!」

 かなり大幅に場所を取られてるから、すごい迷惑。班員がいるところとか、そもそも班員が邪魔で班員を挟んだ向こう側をほうきで掃けない。

「邪魔だな……」

 ちりのないところをいつまでも掃いていても、ちりは増えない。こんな愚痴をこぼしてしまうほどだ。

「おい! なにしてるんだ!」

 っ……。

 いきなり飛んできたその言葉に、僕を含む班員がビクリと体を動かして驚いた。心臓を早くしながらも声のしたほうを向く。そこには怒り狂ったような表情の例の怖い先生がいた。

「うわっ!」

 気が付いた班員も驚きながら振り向いた。

「どうしてほうきを振り回しているんだ!」

「いや、あの……」

 先生がいつから見ていたのかはわからない。けど、ほうきを持っている班員がいるのは確かで、確実におかしなほうきの持ち方の班員がいるのも確かだ。

「昨日は雑巾を落として、今日はサボりか!」

「昨日のは俺ら関係ないっすよ! あいつが落としたんっすよ!」

 代表した班員が僕をピンと指差す。先生の視線が僕のほうへ向いたことで、一歩後ずさりした。

 先生はなにか思い出すほどの時間を空けてから、視線を戻す。いつの間にか早くなっていた心臓がゆっくり落ち着きを見せていく。

「だとしてもだ! なんでなにも持ってない奴がいるんだ! 今は掃除の時間だろ!」

「…………」

 誤魔化しようのない事実を言われて誰もが口を│つぐんだ。

「今はなんの時間かわからないのか!」

「わかります……」

「なら、どうするのが正解なんだ!」 

 その言葉で、空を(つか)んでいた班員がロッカーからほうきを取り出し、ほうきを持っていた班員は正しく持ち直す。僕に視線を向ける先生。ドキリとしてほうきを動かした。

「なんで……」

 なんで僕まで……。


「やっとどっか行ったわあのじじい」

 先生が去ってから少ししたあと、班員が呟いた。僕もいつの間にか上がっていた肩をふっと息を吐いて下ろした。なんだか僕も怒られたみたいだ……。

「悲しい……な……」

 しばらく悲しい気持ちのまま同じ場所を掃いていれば、掃除の時間を終えるチャイムが鳴った。チャイムが鳴れば班員は続々とほうきをロッカーに直していく。僕はちりとりでちりを集めてからゴミ箱に捨てた。遅れて僕も教室に戻る。

「次テスト返しだよー」

「うわー。絶対点数悪いわー」

「そう? あのテスト簡単じゃなかった?」

 席に着いてから先生を待っていると、そんな会話が聞こえてきた。テスト返し……。

 僕は小学一年の頃から勉強ができるほうではなかった。いつも点数が低くて帰ってからいつもお母さんに怒られる。どうしていつもこんな点数なのって。あれがうるさくて、もう聞きたくなくて……。でも勉強なんてやり方わかんないし、先生に聞こうって思ってもいそがしそうだし……。

 先生が来た。

「テスト返しするから筆箱机の中に入れてねー」

 あぁ、返ってきてしまう。出席番号順に名前が呼ばれて、今僕の名前が呼ばれた。立って取りに行く。

「もう少し頑張ろうね」

「…………」

 頑張ろうって言われても……。

 僕を含む人間に点数が見られないように折り込んで席まで行く。

「はぁ……」

 いつも似たようなことしか言われない。きっと今回も駄目だ。

 つばをゴクリとのみ込んで、折った紙を広げていく。上から下に流し見すればバツ印がいっぱい流れていって、一番下に赤字で書かれている数字を見る。

『24』

 数字の下に煽るように二本の線が引かれている。

「…………」

 やっぱり、か……。丁寧に中身が見えないように折り込んだ。もう見たくない。顔を腕で隠して机に伏せた。今日もお母さんに怒られる……。


 テストの結果を見てから家の前に着くまでも、ずっと恐怖と悲しさで襲われていた。

「ふぅ……」

 一度長く息を吐いてから覚悟を決めた。

 家の鍵を取り出して鍵を開け、扉を引いた。数秒後、お母さんから「おかえり」と声がかけられる。

「ただいま……」

 靴を脱いで短い廊下を歩けば、お母さんが傍に来ていた。

「テストはどうだった?」

「う、うん……。あんまり良くなかった……」

 嘘を吐けば余計に怒られる。正直に言うほうが身のためだ。

「そう……。何点だったの?」

「さ、先にランドセル置いてきていい? 手も洗ってないし」

「……そうね」

 お母さんが去っていく。その場をしのいだことで、いつの間にか上がっていた肩を溜息を吐くと同時に下ろした。

 さっと手を洗って部屋に駆け上がる。どうしよどうしよ! こうなるのはわかってたけど、今回は特に点数が悪いんだ! これを見せたら絶対いつもより怒られる……。なんとか誤魔化せないかな……。

 取り出したテストの紙を見つめる。ただ、もとから印刷された問題文とそれに答えた僕の汚い字、その上から赤色のペンで◯か×、あと一番下に同じペンで数字が書かれているだけだ。この数字をどうにか……。といっても僕が今持ってる赤色のペンといえば赤色の色鉛筆しかない。そして、この紙の赤ペンはインクが出る、文字通りの赤色のペンだった。どうにかして誤魔化すなんて到底できないことだった。

「…………」

 諦めて紙を折り直した。嘘を吐くのは駄目だ。いけないことなんだ。そう言い聞かせないと、貰った答え通りに書き替えて、先生の採点ミスっていうことにしてしまいそうになる。

 なにも持たない手を力いっぱいに握りしめて、なにも持てないようにした。テストだけを持って部屋を出る。階段の最後の一段で深呼吸をしてその一段を下りた。

「遅かったわね。なにしてたの?」

「な、なにも。……ただ、テストの紙探してただけだよ」

「……そう。ならテストの紙あったのね?」

 ここでなかった、と言ったら誤魔化せたのかもしれないけど、バレたらきっといつも以上に怒られる。手を上げられるんじゃないかと思うほど。でも叩かれるのは嫌だから、素直に持ってきたテストの紙を見せた。

 それを手に取ったお母さんは上から下に黒目を下ろしていく。そして一番下まできたら目が大きく開かれた。もとから早かった鼓動をさらに速さを増していく。半歩後ずさりさえもしていた。

 お母さんの口が大きく開かれ、

「なんなのこの点数は!」

 あまりの声の大きさに怯んでしまう。

「どうしてこんな点数なの! いつもより酷いじゃない! テスト前の勉強はしたの? してないからこんな点数なんでしょ! ねぇ、聞いてる!」

「…………」

 お母さんの鼻あたりを見ていたはずなのに、その視線は次第に口、首、お腹、膝、足へと下がっていた。そして下がるにつれ、視界が歪んでいった。

 お母さんの声を聞きたくなくなってきた頃には、目に溜まる水のかさが加減を繰り返していた。

「なんで泣くの!」

 その言葉がどこか深くに刺さった気がした。目元の涙を袖で強く拭って、布とこすれた分目元がヒリヒリとする。


 お母さんから解放されてからは部屋に上がり、布団にもぐって泣きじゃくった。

 なんで今日はこんなに悲しい気持ちになるんだ! 班員のせいで僕も先生に怒られた気持ちになったし、お母さんからはほんとに怒られた。テストの点数が悪いってわかってるなら塾くらい行かせてくれたっていいのに……。掃除はきちんとしてるのに一回も褒められたことないし、やっぱりこの世はおかしい! 正しい人ほど正しくないんだ!

 しばらく涙が止まらなかった。泣いて泣いて、泣きまくった。


 泣き止んだ頃、気分を晴らそうと家を出て歩いた。見覚えのある道をしばらく歩いた。着いたのは通学路でいつも横を通る公園だった。気が付いたらここだった。でも思えば、なにか悲しいことがあったらいつもここに行っていたかもしれない。

「…………」

 冬の冷たい風に誘われるように、僕は園内に入った。そして誰もいないブランコに座る。座った反動で勝手にブランコが揺れる。

 今は誰もいない。ただ、時間と風が僕の横を通り過ぎていくだけ。

「嫌な世界だ……」

 いつの間にかそんな言葉を呟いていた。

 ふと、気付いたときには目から涙があふれていた。

「なんで……」

 さっき散々泣いてたのにまだ涙が出るのかという驚きがあった。けど、今日あったことを思い出してしまうと、涙が止まらなくなっていた。

 しばらくこのままでいたら、声がしてきた。さっきまで誰もいなかったのに。誰か来たみたいだ。泣いてるの気付かれちゃうかな。でも、この公園は広いから、ベンチにでも移動すれば誰にも気付かれないはず。

 目の涙を袖で拭って立ち上がり、そして隅のほうにあるベンチまで移動した。ここでなら邪魔にならない。

 数時間、ここに座って過ごしていた。楽しそうに遊ぶ子供や高校生くらいの男の人。見てるだけなのに憎く感じてしまう。こんな僕も嫌になってくる。


 もう日も暮れてきた。冬はすぐに陽が落ちる。もうすぐ帰らないとお母さんにまた……。

「うわ」

 近くから声がした。どこかで聞いたことある声。顔を上げてその声を出した人を見てみた。

「え……?」

 そこには同じ学校の人がいた。しかも同じ学年の、同じクラスの、同じ班員の……。

「こいつ泣いてるぞ」

「だせー」

「男なのに」

 いつの間にか出ていた涙に気付いた僕はすぐに拭った。

「な、泣いてないよ」

「嘘吐け―。俺写真撮ったし」

 写真……。

 片手にスマホを持っていた班員が画面を僕に見せてくる。そこには涙を拭う前の情けない僕がいた。

「け、消してよ」

 班員のスマホを取ろうと手を伸ばせば、手を引かれてしまう。

「やっだねー。スマホのホーム画面にしてやろ」

「…………」

 駄目だ。また涙出てきた……。

「また泣いてる。俺らのせいにされそうだから早く行こーぜ」

「だなー」

 声がどんどん小さくなっていく。

 まだもう少しだけここにいたい。誰もいないこの│公園ぼくだけのせかいで。


 もうすぐ帰らないと本当に怒られる……。帰ろうと顔を上げたとき、そこには女子がいた。僕と同じくらいの、くくった二本の髪を肩に下げた。

「どうしたの? 大丈夫?」

 突然のその言葉に僕は当惑した。僕なら誰かもわからない人に、安易に声をかけられないから。

「えっと……君は……」

「あたし?」

 その言葉の続きはなく、ただニヤリと口を笑って見せた。

「な、なに……」

「君、いつも掃除してるよね。昼休みの時間から」

 その言葉に今までの僕を振り返った。確かにいつも昼休みから掃除をしている。このことを知ってるなら、この子は同じ学校の子なのかな。

「それがどうしたの……」

「いつも見てるよ。毎日昼休みから掃除して、他の子とは違って真面目に掃除して、隅々までほうき掃けてて綺麗にしてるの。ぜーんぶ見てるよ」

 その言葉を聞いた僕はなぜか涙が出てきた。きっと適当なことを言ってるに違いないのに、その言葉を真に受けて涙をこぼしてしまった僕がいる。

「え、ご、ごめん。どうかしたの……?」

「なんでもない……」

 どこかに見てくれている人はいるのか……。


 そのあと、帰りが同じ方向らしく途中まで一緒に帰った。その間に今日あったことを全部話していた。この子がどうしたのか、と聞いてきたからそのまま全部答えてしまった。

「そっか、苦しかったよね。その班の人のことは先生に言ってしまえばいいよ。君はなにも悪くないし、君は正しいんだよ。それにテストの点は数字がすべてじゃないからね」

「ね、ねえ。ところでどうしてこんな時間に……その、公園に……」

 目が浸ってきたので話題を変え、話を逸らした。

「あぁ、塾の帰りだよ。あ、そうだ! 君もあたしが通ってる塾に来ない? お金あんまり高くないらしいんだけど、授業はとってもわかりやすいんだよ!」

「……お、お母さんに言ってみる……」

 その言葉を発したあと、しばらく沈黙が続いた。少し気まずい……。初めて会ってから間もないのに、いろいろ話して、気付いたら涙流して、でも会話は続かなくて……。どうすれば……。

 そう思っていれば、女子が「でもね」となんの前触れもなく声を出した。

「やっぱり、点数だけじゃないよ。点数が低くても、君のその優しさと、真面目さは変わらないよ。君はもう百点満点だよ」

 最後の言葉に僕は女子に顔を向けた。

「君はいつまでもそのままでいてほしいな」

 そう言って微笑まれる。

 あの日見た彼女の優しい微笑みは、夕陽のように綺麗で美しく見えた。


 ――正しい人ほど正しくない――

 そんな言葉をずっと信じてきた。でもあの女の子に会ってからは変わった。

 会ってからは信じてきた言葉は違うのだと気付いた。正しい人ほどどこかで見てくれている。そして――

「いつまでもそのままでいてほしい」

「あーまた言ってるー。やめてって言ったよねー」

 彼女は頬を膨らませながら、言い終えるとぷっと破顔する。

 初めて会って、僕の人生を変えてくれた女の子。今は僕の恋人になっている。いつまでも彼女を守り続けたい。僕の中でその思いはいつまでも消えなかった。

 

 今日でテスト最終日だ。そして、最後の教科が今さっき終わった。

「ショウくん、さっきのテストどうだった?」

 先生のさよならという挨拶後、恋人のミサキが傍まで来た。

「うん。空欄は全部埋まったよ」

「え! そうなの? あたしですら数個埋まってなかったのにー。塾に来るようになってからどんどん学力あげていったからね、ショウくん」

「ミサキのおかげだよ。この偏差値高い高校に行けたのも、こうして人生でできるかどうかの彼女も」

「それは関係ないでしょー。もー。ははっ、早く帰ろ」

「……うん」

 今日は放課後の掃除がなくて、教室だけでもほうきを掃こうと思っていた。けど、ミサキがこう言うなら仕方ない。

「あ、そういえば今日掃除ないみたいだけど、いいの?」

「うん。迷惑かけられないしね」

「誰にー? あたしはいいから、一緒にしよ。きっと消しカスいっぱい落ちてるよ」

「……ありがとう」

 ミサキは会った時から変わらず優しくて、僕のことを想ってくれている。だからその分僕も優しくして、いつまでもミサキのことを想う。一生分の恩返しをする。そう決めたんだ。

 零点の僕に百点満点をくれた君に。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。今回のは読み切り作品としていて、気軽に読めたのではないかと思います。

 同じペンネームで出させていただいている連作小説をずっと書いていたので、こういった短編小説はすぐに書けるものの、テーマが思いつかない場合が多いので、短編を書けるように練習していきたいと思います。

 お気軽に評価、ご感想をいただけると嬉しいです。これからの執筆活動の参考、またモチベーションにもなるので、お気軽にどうぞ!

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