第五話 使徒、襲来
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「これ、噛まれませんよねえ……?」
「そうなったらお小遣いに色をつけてあげる」
「メリルさんの乳が血の色に染まらないといいですね……」
「割と他人事気分ですよねえ、メルファさん!変わりますか!?」
「あの……私、そもそも無いに等しいので」
「皆んなそう言うものなんですよー!!その服はいで……」
アキラさんから丁度通信が入った。
「……すみません。お断りします」
「すみませんじゃ済みません!もうこの小サイズドラゴン抱える腕も限界なんですう!質量が……多いんですよぉ!」
「メリルさんを無視する形になってごめんなさい!ワトソンさん……遮断結界の用意を!」
「何事?メルファさん。防護結界はあるけど……」
「敵襲です……この洞窟を、黒ずくめの集団が襲撃したとの連絡が今入りました!」
場の空気が変わる。
「まさか崩落とかしませんよね?!」
「それを防ぐための防護結界です……敵の数は数十名程ですが、所有している武器が問題なんです」
「…………まさか、火器?」
「ええ……爆発を起こし、洞窟崩壊に導きかねないものも中にはある可能性も否定できません」
「い、急いで下さいよ先輩!!地質学の研究対象になるのは私達じゃなくてもいいですよね!?」
「分かった。けどメルファさん、その集団について質問いいかな。その集団について何か分かってることは?」
「いえ……アキラさんはジグラットの応援を要請しているようですが、現状はアキラさん一名で戦闘を継続しています。命が脅かされる程の激しい戦闘では無いようですが……先ほど地上のアキラさんとの通信が遮断されました」
「通信妨害……?まさか……」
「先輩早く結界張りましょうよ――!私まだ動けないんですけどーー!?」
「黒ずくめの集団……ねえメルファさん、貴女も戦闘に参加するの?」
「はい。非戦闘のお二人はそこで待機をお願いします。彼らの目的は一体……こんな森の洞窟に、通りすがりのチンピラが襲ってくる訳はないですし……」
「少なくとも、明らかな意思がある。私達に向けられたそれがあることは分かる……無理な頼みかもしれないけど、メルファさん。地上に出た時、その集団がもし組織だったら、私達にその名前を伝えてほしい」
「分かりました。しかしそれは……」
「うん。私達に竜殺しを依頼した、やくざもの集団『冬蝶風節』。私達が裏切ったと誤解……いや事実に近いけど、勘違いされていたらいけないから」
ただ……今私には、これだけははっきりと分かる。
ドタバタ劇はあと少しで終演を迎える、その筈なのだと。竜の少女もアーちゃんの献身によって、もうすぐ人へ戻れる筈。
そのはずだった。
***
「メルファさん、地上に行っちゃいましたね」
「ここは私達に任されたってことだよ。……アーリアさんとマリアちゃんのケアを続行しよう」
魂が抜けた様に動かないアーリアにワトソンは視線を送る。
その顔に、冷や汗が背に伝う様な感覚をワトソンは覚えた。
「本気で魂が抜けてるんだろうね……そんな患者は初めてだ」
「…………先輩、怖いんですか?」
「まあね。結界はさっき貼ったけど、もし本当に洞窟が崩れてしまえば一貫の終わり。アーリアさん、メルファさんの持つ、超人的な力が今は借りれない。……そう思うと、急に恐ろしくなってくるよ」
メリルはそれを聞いて頷いた。
「ああいう人間って、ほんっっとたまに出会いますよね。超人というか……私は頭脳方面の天才ですが、フィジカル方面の才能持ちはどんな奴から産まれるんでしょうね」
『頭脳方面の天才(笑)』に同意し、その疑問にワトソンは共感する。確かにあの才能は特異なものだ。アーリアの勇者の素質は、【七つの技能】を手放してさえ、表にはっきりと現れている。
彼女に残された魔力探知、千里眼、理解・実行のスキル……その他にも未だスキルを隠しているのだから、その力は文字通りに計り知れない。
だがメルファはどうだろう?
勇者を受け継いだアーリアの方がまだ人には理解できる。アーリアの力をRPGゲームで例えるなら受け継がれし伝説の剣。大抵のゲームならそこには魔王を撃ち倒す程の力があるものだ。それに異を唱える者は僅かだろう。
しかし価値5ゴールドの鉄の剣に、万能の力が宿っていたらどうだろう。旅をはじめたばかりの武器屋に立ち寄ったら、勇者さえ凌駕する力を手に入れてしまうなんて正にあり得ない。理解も出来ないだろう。
――スキル【コンセントレイト】
彼女、メルファ・マツリが一つだけ持つスキルの仮称。
治療の合間にワトソンはアーリアに話を聞いていた。それでも聞けば聞くほどに、そのスキルについての謎はますます深まるばかりだった。
アーリア曰く、メルファは偽物とはいえ勇者を撃ち倒していたとさえワトソンは聞いた。他人がこれを聞いて信じるものなどいる訳もないが、ワトソン達は既に信じられるだけの力を見せられていた。
彼女がして見せた結界の破壊は、油を水で落とすようなもの。時間をかければ誰にでも成し遂げられるだろう。
だが彼女は一瞬にしてそこに到達した。どんな奇跡の助けがあれば、自分のような凡人が真似できるだろうかとワトソンは思案する。
「……まあ、凡才には凡才なりにできることをしよう」
「先輩努力大好きですもんねー。今だって研究のためにここにいるんでしょ?天才の私にゃ理解できませんが」
「この生意気な後輩は……」
ついつい後輩に手が出そうになるのを抑えてアーリア達を見守る。
才能ある人物を羨ましいと思うことは無い。
むしろ先ず恐怖が湧いて出てくる。
彼女達は、理解できないがために天才なのだから。
それでもワトソンは理解しようとした。
自分のような脇役は、才能ある人物を支えて然るべき。
とワトソンは考えている。
そうすれば、きっと天才を理解できると信じている。
いつかは理解できる、そのはずだから。
そうやって、ワトソンは信じている。
「………………?」
「あれ、先輩。マリアさんのバイタルチェックをしたんですが……放出される魔力に妙な乱れがありますよ」
「アーリアさんが意識に介入した影響かな?」
「いや、放出魔力だけにブレがあるなんて妙です!まるで他の誰が、マリアさんにとって毒みたいな魔力を混ぜられてるみたいな……そんな感じなんですよ!アレルギー反応みたいな……」
「……それはつまり、どういうこと?」
「先輩…………この空間。私達の他に、誰かって居ますか?」
ワトソンは信じている。
そしてまた、彼女の才能も。
「……………………まさか」
先ほどのメルファが受け取ったという、地上からのメッセージ。アキラから受け取ったと話されたそれの話。
その直後にアキラとは通信ができなくなった。通信妨害か何かか……だが、誰かの意思がそうさせたのは間違いない。
………………だが、それは何のためなのか?
勇者の力は竜化解除に裂かれて既に使えない。
先の通信でメルファは地上に向かった。
ワトソンとメリルは、ただの研究者に過ぎず、自衛の戦闘能力など無いに等しい。
少女マリアの両親の行動の不気味。彼のものの動機は以前分からない。
この状況を誰が喜ぶだろうか?
――少女マリアの両親、かの者たちはどうだ。
行方不明の不気味極める、かの容疑者。
動機はともかく、かの者たちはどこへ行ったんだろう?
曰く犯人は現場へ戻る――どこかで知った言葉。
ワトソンは違和感を抱くべきだった。
「その答えは……この空間に、取るに足らない人物だけを残しておくため?」
「肯定。ただしいとだけいっておく」
幼い少女の声が聞こえてきた。
存在するのは、残された二人だけのはずのここで。
***
私は緊迫感に追われて洞窟から地上へ駆け上がった。
空にはもはや赤色が混じっていた。洞窟にずっと籠りきりだったのでこのまま一息つきたい所だが、アキラさんの無事を確認するまでそうはいかない。
「……繋がるようになったかな」
アキラさんが戦闘で負傷していなければいいが……
「こちらメルファです。アキラさん、聞こえますか?」
しかし、その組織というのは一体どんな目的で洞窟を襲撃したのか……少なくとも、少女マリアが竜化したことに関連があるはずだが。
無線機の砂嵐が漸く止んだので、マイクに声を吐いた。
「……オーケー。こちらアキラ。メルファさん、定期報告か?」
「……?定期報告ではありません。私も地上に援軍に到着したので報告にと連絡を……」
「援軍だと……変だな。何のことか心当たりが無いぞ。」
「…………へ?」
どうもアキラさんの様子がおかしい。
先ほど――
「十分程前……アキラさんが援軍が欲しいと、私に地上に来るよう通信で伝えましたよね?私は地下でメッセージを受け取って……」
「何だと!……そもそもこの一時間、私は通信機を使用していないんだ!これが誰かのイタズラな訳もない。メルファさん、これは……」
「さっき私と喋っていたのは……偽のアキラさん……?」
私が地上に向かい、洞窟に残された人の共通点……
「……不戦闘員だけが残されている?」
「メルファさんは至急私と合流してくれ。正体不明の少女マリアの両親の件といい……偽の私の声があなたを地上へ誘導したことといい、不気味だ……特に後者はトラップの可能性がある」
「まさか、罠ですって……!?」
「通信機越に声というのは判別がし辛いものになる。少し声の喋り方が似ていれば、あなたがその声を私のものと聞き間違えても何ら不思議は無い」
「急いで洞窟地下に戻ります!全速力でなら、三分程で走り抜けられる筈ですから……」
「待て!合流が先だメルファさん!敵の全容の大半が不明な状態で無策に突っ込むのは無茶だ!!」
「あの地下に残された、竜としての少女の身体は不安定です。……千里眼の精神接続が解除されてしまう状況になってしまえば、竜はまた暴走する危険もあります!それに……奥の手が私にはあります」
「奥の手……だと?」
アキラさんはここの見張りをしていたのは確かだか、洞窟への侵入者を想定したものではない。例えば【気配遮断】のスキルならば、アキラさんの監視を無視して洞窟に入り込むことは難しくないだろう。
アキラさんと合流しても、確実に地下の彼女らの安全を確保できる訳じゃない。
「メルファさん、それでもせめて私と一緒に向かうべきだ……敵の人数も分かっていな……の…だか……」
「アキラさん…………?」
また通信が安定しなくなってしまった。
「……ら…な」
「アキラさん?通信」
「が………………」
その原因は直ぐに分かった。
先ず呆気に取られた。その次の瞬間、真っ黒に塗装されている通信機を放り投げて走り出してしまいたい焦燥を覚えた。
「……嘘でしょ、今度は洞窟から爆発音……!?」
ただならないその爆音に、なりふり構ってはいられない状況に置かれていることを悟る。通信も不可能となった、もうアキラさんもアテにできない。
しかし、それは想定の外の場所で発揮されることになったのだが、だが私には本当に奥の手があった。
「アキラさんごめんなさい。けど私は大丈夫です。……たぶん」
息を整えて準備する。
「…………袖にカードを仕込んでおいて良かった。頼んだよ……本当に」