第三話 月の淑女の荒療治
「怖いよ……」
「どうして何も言わないの……」
「お願い、何か言ってよ……」
「やだ、やだ、やだ。何をする気なの……!?」
「やだ、やだ、やだ……」
***
「広そうな洞窟だが……どう竜を追い込んだんだ?」
「ある組織の手を借りてね」
「……それは依頼主か?」
「うん、一応ね」
「何してんのよ!急ぐわよ!」
「ああ、すまない。確かに優先事項はそちらだな」
「結界破ったからって終わったつもり?少しは考えて」
「あ、ああ……」
アーちゃんは基本的には穏やかな性格だとは思うけど、先程から急にピリピリし始めた。
洞窟の特殊な魔力の影響を受けているのかもしれないが、それに突然、何かに急いでいるような……
「ぼさっとしない!あんたが竜化解除の鍵なんでしょ?」
「うん。アーちゃん、その女の子の元へ行こう」
魔力の残りが少なければ……竜が衰弱死する危険も充分あり得る。今すぐに救出に行かないとならないのは依然として変わりはなく、結界が壊せたからとうかうかしてられないのも事実。
「……悔しいけど、竜化スキルの解除はメルファしかできないでしょ。だからアンタは一秒でも早く……」
それでもこのアーちゃんの焦りは何なんだろう。
まるで、その少女を知っているかのような。
「……アキラさん、出発の前に一つ質問いいですか?」
「どうした?準備ならもう出来ている」
「その竜化した少女って、どんな子なんですか」
アーちゃんの表情が僅かに曇る。
「調査報告書にはこうあった……マリア・ノバラ。十三歳二ヶ月……性格はけして明るい方ではないと聞いている。人との関わりも少ないらしい」
「……っ」
「だがそれは本来の彼女の性格というより、外部の不可避的要因である可能性があるらしい。つまるところマリア・ノバラは……実の両親から虐待されていたそうだ」
「虐待……」
アーちゃんがあった境遇も、似たようなものと言えるかも知れない。
「だがその両親……一昨日失踪したらしい。……そう。少女が竜と化したことが判明した、そのつい前日のことだ」
「…………!?」
「!!!?」
「?」
その言葉に、皆が動揺した。
「まさか…………このユニークスキル暴走って……」
「人為的に引き起こされた、とでも言うの」
アキラに迫り、アーちゃんは問うた。
この現象が人の意思によるものならば。
この恐ろしい現象は、悪意に満ちた陰謀の一片……と、捉えることもできてしまう。
「警察は何をしてるのよ!まさかそれで、取り逃したの!?」
「行方不明だ。だが無論、重要参考人として捜索は開始されている。しかしこんな事件を外部に漏らせば世間は混乱する……大規模な捜索はできん」
「そいつらが犯人よ……!!」
「横から口を挟んで申し訳ないけど、アーリアさん……まるで現場を見たかのような口ぶりだよね。けれどその証拠はないでしょう。何で、その両親が、外部犯だとかに巻き込まれただとかの可能性を考えないの?」
「アーちゃん。もしかして……【千里眼】?」
「……そうよ。それが、警告しているの」
「【千里眼】って……確か勇者の……?」
「まさか、アーリアさんって、今現在行方不明の……勇者なんですか!!??」
「ま、まあそうだけど……違うのよね、後で説明するわ」
「マリア・ノバラの記憶が、アーリアさんに流れたと……なるほど、虐待……か」
「……その記憶は見るに耐えないものだった。何も出来ない苦しみと無力感、屈辱さえ忘れて、自尊心なんて壊れてしまうあの経験」
「アーちゃん……」
「……実の両親に……まるで道具の様に捨てられたことが一番に許せない。絶対に許さない……こんな悲惨な結末を許していい筈が無いの!!」
洞窟の入り口で声が響く。
皆んなが黙って聞いていた。
「……アーリア、そしてメルファ。そんな顔をするな。全ての責任は私にある。」
「……アキラさん?」
「本来なら私がやらねばならないことだ。貴女達は……私が使う手段の一つになっているだけなのだ、少女を救うための。私が出来ないのは少女の竜化を解くことだけ。だから私はその力のある貴女に頼んだのだ。しかし忘れないでくれ。……貴女達に責任などないことを」
「………………責任」
「そう。それにその責任は、私がジグラットであるための義務なのだ。おめおめと差し上げる訳にはいかない。」
「義務…………」
「……自分が、自分であるための責任なのだ」
***
アーちゃんの願い、アキラさんの責任と義務。
「何もかもくっそ面白そうじゃないですか!!!研究者として見逃せません……ですよね先輩!!!」
「とんでもない事件の匂いしかしない……やっぱ帰りたくなってきた……けど足突っ込んだのは私だし……」
「先輩、何ぶつぶつ言ってるんです!!!こんな案件に関わるチャンスなんて二度もないでしょ!!」
「まあ……そうね、ここでうじうじしても時間の無駄ね……なるようになるか……」
「そうです!!いいこと言うでしょ私」
「うん、いい言葉だったよ。メリルが言わなかったら」
「…………もう先輩なんて知りません」
ジェイムズのふたりの、好奇心と後悔。
「……明るい空気に戻ったのはいいことだ。すまん、先は空気を暗くしてしまった」
「犯人がいるのは事実だし……あんたのせいじゃないでしょ。そもそも、空気感を気にする前に周りを警戒して」
「ああ……では安心しろ、今のところ異常は見受けられない。先ほどまで洞窟は大半の生物が即死しかねる環境だったのだ。当たり前ではあるがな」
「竜の生命力がどれだけ凄いか分かりますね……」
「そうだな。……後は早く楽にしてやれ」
アキラさんが、手に持つランプで方向を示す。
「これだ。間違いない……少女マリア・ノバラだ」
そこには傷だらけの竜がいた。身体を全て収めるには普通の民家が何個分必要か分からない。人間をこの大きさにまで変化させる『ユニークスキル』というものの力の大きさを実感する。
…………このように他人に植え付けられた時に、それが制御不能となってしまう恐ろしさも、私は感じていた。
虐待の外道、実の娘に対しての非道。
スキルの植え付けという未知の魔法。
二つの意味での、人間の恐ろしさがあった。
この空間は小さ目の山を全てくりぬいたような広さではあるが、そこに至るまでの天井の決して広くない洞窟の道を……この竜はどうやって進んだのだろう。
竜は伏せてじっと静かにしている。
ぐったりしていて動く予兆は無かった。
その少女は目を閉じて、じっとしていた。
「血が多い……早く手当をしなければ……」
「みなさん……私は準備に取り掛かります。アーちゃん、その間に竜の治療をお願いできる?」
「了解、私の魔力捻り出すわ」
「む、無理はしないでね?」
アーちゃんは、少女に言葉を投げかけた。
「……痛みだけは、私が楽にしてあげるからね」
「私も手伝うよ」
ワトソンさんが竜の身体を見定めながら言った。
「治療ですか…………てかグロい!傷口で向こう側が見えそうですよ。生きてんですかこれ……?」
「まだ爪の色が明るいし、皮膚も腐ってないから生きてはいるはず。……ここまで来たんだ。私達にできることをやるよ」
ワトソンさんは、大きな皮のバッグから道具箱を取り出した。マークで直ぐに医療関係のものだと分かる。何処へ行こうとも変化することのない赤十字が、やけにワトソンさんに似合っている。躊躇いなく、慣れた手つきで赤十字の箱から針と瓶を選び出す。その傍らアーちゃんは杖を竜に向けて魔術による治療を行っていた。
「私は周囲の警戒を続けておく。安心して治療に取り掛かってくれ。……そしてメルファ、後は頼んだ」
「ありがとうございます、アキラさん」
………私は決意を固める。
「それ、なんです?メルファさん」
「これはただの魔術杖ですよ、メリルさん」
「は?枯れた木の枝じゃなく……?え?アーリアさんの杖の約十二分の一の細さじゃ無いですか」
「……せ、正確ですねメリルさん」
「メリルで良いですよ。……てか、それくらい見て分かりません?」
「わ、分からない……」
メリルは聞いてきた。
「何のためにそんな細いんですか?」
「まあ……竜に刺す為ですね」
「なるほど!それでトドメさして楽にしたげるんですか」
「違いますよ!竜は魔力装甲が厚いので……こうやって刺さなきゃ内臓に魔術でアクセスできないんです」
「内臓にアクセス…………そういえばメルファさん、どうやって竜化状態を解除するの?スキルの暴走状態を鎮静化させる……その方法を聞いてなかったね」
ワトソンさんが私にそう尋ねる。
「竜の内部状態を魔術で見てから、厳密な部分を決定するんですが……方法は決まってます」
「何です?早く教えて下さい。気になる気になる」
「………おっぱいです」
「は?」
***
洞窟に入り二時間ほどが経過していた。この空間は案外心地が良い。じめじめしているのかとも思っていたが、風通しが良かったからか、ここはそうでもないらしかった。
「様子はどうでしょう」
私はワトソンさんに竜の容体を尋ねる。見た目には問題は無いので、あとは治療の進捗次第だろう。
メリルさんは先ほどまでその横で淡々とバイタルチェックを行っていた。
何時も騒がしい彼女は、どうやらこうしている時だけは落ち着くらしい。声を掛けても気づかないほど竜のバイタルに集中していた。
「一通り治療処置は完了した。あとは竜化を解除するだけだよ。魔力も安定してる」
「メリルです。バイタルにも問題はありませんが……竜のバイタルチェックなんて初めてですよ……」
「助かりましたワトソンさん、メリルさん。本当に助かりました。まさか竜の一時治療をこんなにも早く終わらせて貰えるとは」
「完璧だったわ……流石研究者ね。この手際、中々身につけられるものじゃないわ」
「どういたしまして。それでメルファさん、竜化解除の用意はできた?」
「はい。今丁度に。……アーちゃんも用意できた?」
「万全よ。やってやるわ」
***
「竜化の解除の方法ですが……このままですとおそらく、精神に魔術で干渉しようとしても、竜の側から拒絶反応が起きます。見ての通り……竜の精神状態が明らかに不安定だからです」
「それを落ち着かせるための……っぱい、なんですか!!?」
「はい。おっぱいが嫌いな生物なんてそうそう居ませんよね。先ずこれで少女マリアの精神を落ち着かせます」
「ええ……それで本当に竜が落ち着くんですか…………?」
「いやメリル、案外理には適ってるよ。見たところこの竜は人間の特性を受け継いでいるらしいし……理には適ってる」
「…………いや待って下さい!百歩譲ってもそもそも……っぱいってどう用意するんですか!?竜が使えるサイズの……っぱいなんて」
「突然ですがメリルさん!」
「母乳は出ますか?」
「何?!」
「セクハラですよー!!」
「誤解です。まあ出ませんよね」
「逆にどうして出るとでも思うんですか!?」
「それでも大丈夫です!あとで説明します!」
私は竜に杖の先を向けた。
比較的に柔らかな部分を探して、標準を合わせる。
ぶれないようにしっかりと竜の太い血管を見定める。
「ごめんさないっ、【コンセントレイト】………!」
「唐突に刺したァ!?」
「あの自然装甲を破るとは、なんて馬鹿力……」
「スキルで筋力かさ増ししただけです!」
「魔術の痛み止めをかけてるから安心して。注射みたいなものよ」
「竜の魔力がこれでもっと外側に溢れますね。アーちゃん、【千里眼】使って!」
「了解……杖を経由して、竜の内臓に干渉する!!」
先ほどまでアーちゃんと立てた計画を実行する。
精神には干渉できないが……肉体ならば干渉できる。
このアプローチに、竜は答えてくれるはず……!
「どういうことです!竜が…………小さくなってる!?」
「簡単に言えば………竜の魔力を通して、私の【千里眼】が竜の身体を小さくしたのよ………」
苦しそうに息を吐き、アーちゃんは倒れた。ワトソンさんが駆け寄って支えるが、腕が足がぶらりと脱力している。
「アーリアさん、意識消失しましたよ……!」
「アーちゃんは大丈夫です。竜と精神を一時結合させたので……身体から意識が抜けたんです。この作戦さえ終われば直ぐに意識は戻ります」
「……ずいぶん無理をするんだね」
ワトソンさんは腕の中を見て呟く。
「……ワトソンさんメリルさん、重要な質問があります」
「?」
「どうしたんです」
「竜の精神を落ち着かせるために……ここはお二人に頼みたいと思いまして」
私は息を整え二人に問うた。
「おっぱいを貸して下さい!」
「はーあ!?さっきのアレ……冗談じゃなかったんですか!?」
「いいえ本気です。今現在竜はほんの人一人程度のサイズです。これなら、人でも竜におっぱいがあげられます」
「ま、まじですか……?この人……」
すると、私は見てしまった。
この私の話に、表情を明るくするワトソンさんがいたことを……
「協力してあげて?」
「やです!!てか先輩の方が……っぱい大きいでしょ!!?」
「メリル、あんた今の時点で喫茶ウールズのツケ代幾らあったっけ?」
「八万三千五百六十一円ですけど……」
「いつ聞いても馬鹿みたいな金額だね……まあ、私持ちにしたげるからさ。マリアちゃんと、アーリアさんのためにも」
「私にも人間の尊厳ってものがあるんです!!そんな薄っぺらい道徳には屈しませんからね!!!」
「おっけ。なら拳で説得することにするよ」
「あーもうどうとでもなれぇーー!!!」
この時私は人生で初めて乳を竜に咥えさせてる少女の姿を見た。それは勇姿だった。横でワトソンさんが好奇心にぺンを走らせスケッチする。メリルは半泣きだった。
おそろしきジェイムズ研究所の力関係……
「ひーん……………死にたくなってきたあ………」
……ここから先はアーちゃんにかかっている。
そっとアーちゃんの身体を支えた。
私は、ただ見守ることしかできない。
「アーちゃんの隣は……落ち着くな」
私は呟いた。
ふと、呟いていた。