第一話 お金がない
「お腹……空いた……」
「何回目よ!私だってお腹空いてんのよ、我慢して!」
「どうやらそろそろお嬢様も限界ですか……」
「…………子供じゃないんだから」
「いーやガキよ、このお転婆馬鹿娘」
「その単語を聞くのは何回目かな……?」
私達は、簡潔に言えば旅に出た。
まあ兎に角クレトリアから離れた方がいいだろう、ということ。それ故に、せめてこの地方から逃げてしまおうという発想に至ったのである。
今は愉快な馬車旅中。
無論、不安がいくつもある。
この地方はこの国有数の大都市。様々な文化、魔法などが発達しており、まさしく都会。
この都市の治安は最高レベルでーー私達のような大規模犯罪を犯すような輩は滅多にいない。ーーというかそんな大規模犯罪は、起こす前に止められてしまう程の治安レベル。
そんな特殊部隊があるとかなんとか、ないとかなんとか……有名な、風のうわさってやつである。びゅーびゅー吹いている、うるさいくらいに。
メアの素早さと私の後処理の結果が幸いに、私達は警察に感知されなかったようだ。
あとーークレトリアがスキャンダル隠蔽の工作に動いてもいるだろうし……様々な幸運が重なり、私達はシャバでご飯を食べている。
刑務所のご飯は臭いと聞くが……
趣味が食事の私には、きっと耐え難い地獄だろう。
「……それ、全く話に関係ないわよね?」
脱線しかけた。
それで、まあ都市ならばそんな感じ。
普通に住むには困らない。
ーー格差というのがある。
この国が抱える大きな問題というのがそれ。
都市と田舎の格差が大きく、様々な原因からか田舎の治安は最悪なのだ。
治安維持のための有効な戦力や頭脳は都市に集中し、噂でははじかれたものが地方に集まるとかなんとか。
ーー個人が魔法という力を持つ世界で、抑止力のない土地での犯罪を犯す心理的ハードルは究極に低い。
要するに田舎の大抵が無法地帯。
「………だから、田舎に行くのもね」
「けど、都市で仕事とか見つかるの?……そもそもはぐれものが集まる場所でしょ、この国の田舎って」
「逸れものにはなりたくないな……おいしいもの食べたーい……」
「………この先大丈夫かしら」
「このあたり………」
「どうしたの、メア?」
「………あ、ここら辺に、今日は泊まりませんか?」
「いいけど、どしたの?」
「ああいえ、このあたりならば私も土地勘がありますので」
「あぁ、言ってたね、そういえば」
「ーーはい。この街『アヴァ』には、少々思い出がありまして」
そう言うと、メアはカーテンを開けた。
閉まっていた窓から、月光が入って来て、夜の訪れに気がついた。
***
私達はこの街の宿屋に宿泊した。そして、これからの生活を会議していた。
これからの稼ぎのことも気にしなければならないし。
「やはり中心部は家賃が高いですからね……別荘地としてここの街はいい場所です。人は多けれど皆が、おだやかなんです。住むのなら、ここは中々の好条件が揃っていますよ」
「私も、ここならクレトリア家の影響も少ないし、新聞もあるし、いいと思うわよ」
「うん。お父様の遺産もあるし……大抵の場所なら働かずとも三年はもつかな。……まあ、こんな私たちと契約してくれる人がいるかどうかは……うん」
「なら、暫くこの宿で泊まるの?」
「そうねアーちゃん。ここなら……ご飯も出るし、それがほんっっと美味だった。後で礼を言っとかなければ……」
「メルファ……好きねーほんと。私は日刊の新聞さえ出してくれるのなら、どんな不味いご飯でもいいのだけど」
「私は……清潔であって欲しいですかね、寝る場所は」
「………(何か変なものでも食べたの?このメルファお嬢様大好きバーサーカー)」
「どうかいたしました?」
「……いや何でもないわよ?!」
「こら、騒がしいのは程々に。……あーあ。けど、これから何しようか。先ずはお仕事よね……」
「降ってこないかしらねえ、厄介ごとと以外なら、私はなんでもするのに」
「働いて、信用やつて……を得なければならないでしょうね。でなければ住居の契約もままなりませんし。……私はやっぱり家政婦メイド系を職にしたいですが」
「この世のどこに……勇者から逃げ切れるメイドがいるのよ……」
ご尤も、うん。
「ん………?なんか、音が聞こえない?」
「うーん?……………ほんとです?私には一切聞こえないのですが」
夜深まるといったこの時刻、ねむる街が寝静まったころのこの夜中……宿屋さんは自宅に帰っていた筈であるし、そもそもこんな音、普通に生活してる人が深夜に出す音では無い。
「……えっ、ウソ」
「ああアーちゃん、私が見てくるから」
「何よ、は?」
「さあアーちゃんさん、こちらへ。子守唄のレパートリーには自信がありますよ」
「………永久の眠りに付かせてあげるけど?」
「それは怖い。では武器類は没収ということで……」
「あっその魔法杖高いのよ?!てか不安になるでしょやめなさい!!」
仲良し……
うん、メアがいるなら大丈夫だろう。
私は部屋のドアを開けた。
キイと金属の音。
ヒタ、ヒタ、ヒタ。
音がする。
これは、液体を踏む音……?
部屋の二人を見ても、特に反応は無い。
……私にしか、聞こえていないというのか?!
いや………うん、スキルの影響でどうやら五感が最近鋭くなってるらしいし私。
猫とか犬でしょう。
廊下を歩いて、階段の前に立つ。
ヒタヒタヒタ。
べちゃ。
「ねえなんかドンっていった!ドンっていった!!!」
「アーちゃんさん、落ち着いて下さい」
流石にこの音は、部屋の二人にも聞こえたらしい。
霊感あるとかじゃない、はず、私、だから大丈夫、よね。これで証明されたよ、ね。
振り返って明かりの漏れる私の部屋を見て、階段に視線を移す。
そこには、血まみれの男がいた。
「またなんかドンって音が!!!」
「あ、安心して下さい。これはご主人の倒れた音です」
「………見えても無いのに何で区別つくのよ!それはそれでアンタが怖いんだけど?!」
「落ち着い………」
「無理無理無理無理!!!私帰る!!!」
「何処に帰るんですか………あと、落ち着いて下さい、アーちゃんさん。どうやら悪霊死霊の類では無いようですよ」
「……………………はえ?」
扉越しにメルファ様子を伺っていた二人のうち、メアリーは自分の倒れた主人に近づいた。月の輝く街の深夜遅く、宿の一室のみに点いていた明かりがドアから溢れる。
それを、メアリーは見た。
「お嬢様が聞いたのは、血液を踏む音だったのですね」
「ゴリゴリのスプラッタじゃないのよ!?てか、怪我人!?」
「あら、前の私の怪我よりは軽傷みたいでしたよ?」
「………ならいいかとはならないと思うけど」
「あの内臓飛び出しそうな状況と比べれば、他の大抵の怪我が含む、グロさ不気味さのレベルなんてのはかわいいものでしょう?」
「くっ、一理ある……というかその……どのくらいの負傷レベルなの?」
「お腹に穴が………」
「どっこがマシなのよ!!!!」
***
「そしてその後……私めがメルファ様と、貴方様をこの部屋に運び込んだのですよ」
状況を気絶していた男に説明するのはメア。
窓の外では既に朝日が昇り、宿を照らしている。
まだアーちゃんは寝ているらしく、ソファで横になっていた。どうやらアーちゃん怪我人の処置を手伝ってあげたらしいけれど……その過程で苦手な血を見ることは避けられなかったらしい。おそらく貧血を起こしている……
男のベッドの側には医療道具が一式。
確か、メアの愛用品だったか。
処置を施されたのか男は包帯だらけであった。
「すまない……感謝する」
男は腹を抱えて朝食を口にする。
「内臓は避けていた様で良かったです……治癒魔術も万能ではありませんからね」
「ああ……だがそれでもかなりのレベルの治癒魔術だ。魔法使いでもいるのか?正直あの世は覚悟していたのだが」
「ええ。おりますよ」
「……メア。恥ずかしいからおやめなさい!」
にこりと私に笑いかけるメア。
そしてその……なんだろう、男の眼差しに耐えられず私はそう言った。
いや………なんか、何かを期待されている気がして……
「魔法使いなんて大層なものではありませんから、私は。ただのしがない浮浪人ですよ」
「む……何故謙遜するのだ?治癒魔術のレベルは魔法使いのクラスだった。あなたがそう呼ばれてーーなんら不釣り合いは無い。いや、むしろ私からそう呼ばせて欲しいくらいのものだが」
「ですってメルファ様。褒め言葉は素直に受け取っておくものですよ」
いやまあ。
確かに魔術は、私のスキルのお陰で中々のレベルに達しているのだけれども。
「ふふ。ご主人様………朝食、そんなにおいしうごさいました?」
「はは。そうだな、この飯は随分と美味い」
……幾分か、味が薄かったように感じたのは私だけなのだろうか?
「そうだ……名乗りが遅れてすまない。私はジグラット騎士団所属のアキラ・ムラカミ」
「ジグラット騎士団……?!」
アーちゃんが驚きに声を荒げるのも無理はない。
ジグラット騎士団とはこの国で最も有名な警察組織のひとつである。
この国の地方部では多数の民族が混在しており、文化や思想が大きく異なっているために、警察組織が複数存在している。
考え方が違えばルール、タブーなんてのも変わってくる話。その集合体である法律を一つに纏めてしまえば、それに馴染めないもの達からの反発を招くことに想像は難くない。
ジグラットは国王の名において大昔に設立された警察部隊。その活動は国のために、そして第二に平和のため、国の意思を代行する為の組織。
あらゆる法律を無視できる権限を持った諜報機関であり、時にはこの国の最後の砦とも表される組織――それがジグラット騎士団。
ただし一般人がこれに関わる機会などない。そもそもこんな物騒な組織に関わりを持たねばならない時点で一般人と言えるかどうかも怪しい。
この男はそう自身を名乗った。
もしや相当な厨二病患者か――それとも本気なのか。
「…………一つ聞くわよ。何故、ここにあんたらジグラットが居るのよ」
「極秘任務でな」
「極秘任務う…………?」
アーちゃんの顔に、『あんたは馬鹿なの?』の一節がますますくっきり浮かんでくるのが分かる。
「ええっと…………極秘なのに、私達みたいな一般人にそれを明かしていいんですか…………?」
「協力を得るために必要だと思ったからだ。自分の身元すら明かさないものに力を貸す人間はそう居ないだろう」
「…………それを証明できるものは、何かあります?」
「勿論だとも」
がさごそと、何やら手持ちのバックを漁っている。
一秒、
二秒。
そして三秒。
「…………な…………ない」
「胸ポケットの中はどうです?」
「あ、あった。すまない」
「あるんかい!冗談のつもりだったんですけど!!」
そうして少し残念なイケメンから取り出されたのは、ひとつの茶封筒。取り出して、こちらに手袋と共に寄越してくれた。
「すまない。これだけは付けてくれ」
「あ、はい」
そうして私が見てみれば、そこに書かれているのは極秘、というもはや忘れ去られた前置きと共に――
『アヴァBS街1番ユニークスキル制御障害者発生未解決問題』
という一文だった。
「それはジグラット諜報員である私に命令を下された証拠だ。文書に偽造防止の為の魔力が込められているだろ?この文書は公式のものだよ。そこに作戦の詳細から課せられたタスクの全てが記されている」
「本当だ……この印鑑、ジグラットのあれだ……」
「分かっていただけたのなら嬉しい。つまり、私はここにスパイとして潜入しているのだよ」
「スパイ…………」
「それで、私には遂行が難しいタスクが発生してしまった。未熟か力不足か…………昨夜の私の怪我はその影響さ。だがそしてそうなれば、確かに悔しいが、私にやるべきことは一つしかないのだ」
ジグラット騎士団のアキラ・ムラカミと名乗った男の声は、ただ真っ直ぐだった。揺らぎのない、迷いのない声。
「だからどうか私に、力を貸してくれ」
聞き覚えのある声だ。
父の声と、そっくりだった。
「…………………………」
放って置けなかったというのもあるし、この人間と関係を結ぶのは後々役に立つ可能性もある。それに、職のない家もない私達にとっても、この話はこの生活を抜け出す絶好の機会。
例え選択を後悔してもいい。
はじめの一歩をここに踏む。
貴族ではない私の選択。
一人の人間としての責任。
全て、貴族の私が知らなかった重み。
……あまりの情熱的な期待感に、身が焦げてしまいそうだ。全てが新鮮で、未知で、師も無し……
だが、そんな責任の下にあるこの意思だけは……きっと間違いではないのは、確からしい。