■ 金曜日の子は、本屋で立ち読み、超難問!
今日は金曜。この曜日に関しては、いつもとはちっと違うんだ。金曜日は朝食を弁当にしない。どうだ、いつもと違うだろう。
今日に関しては弁当ではなく「50センチジャンボマックス三段ピザ」を食べたぜ。先週は「牛豚鶏羊お肉四種ビッグバーガー」だったんだけどな。
最近は、朝メシを食ったら近所の本屋に行き、適当に立ち読みするのがルーティンだ。煌々と蛍光灯が点ったスタイリッシュな本屋なんかじゃねぇ。下町にある、くたびれたオヤジが経営している薄汚れたボロい本屋だ。
ハダカ電球に、ぶっ壊れそうな木製引き戸。ううむ、レトロだぜ。
ここは、立ち読みしてても、別に何も言われねぇ。むしろ、店主のオヤジがいつも寝てるから、立ち読みしてるのも気付かれてないのかも。まぁ何でもいいや。
金曜朝の楽しみとして、今日もこの本屋で、宇宙物理学やオカルト系の雑誌を立ち読みするとしよう。
・・・・・・ふわん
お。金曜の香りだ。そうそう、金曜日にこの本屋へ来るようになってから、よく出会う女の子がいるんだ。その子がいると、すぐわかる。カビくせぇ本屋に、ユリのような良い香りが漂うからな。
いたいた、例の子だ。すっきりとした色合いの服装に清潔感のあるショートの黒髪。そして一番インパクトがあるのが、脇に抱えた分厚い「辞書」。何の辞書かわからねぇが、いつもこの子は辞書を脇に挟んで、この店で立ち読みしてやがる。
あ、俺と同じく、宇宙物理学の本を読んでやがるぞ。聡明で利発そうな顔をしている辞書持ちの子よ、それは俺も興味があるんだぜ。
「ん? あら? あなたもそのジャンル、興味あるんだ? いいじゃない。素敵だよね!」
お。おお。おおお。良い声だぜ辞書持ちの子。しかも、一点の曇りも淀みも無い澄んだ声に、田舎の訛り要素がないアナウンサーのようなイントネーション。素晴らしい。完璧だぜ辞書持ちの子。
俺は見た目通りの理系男子だ。辞書持ちの子、あんたはどこの大学かわからんが、絶対に女子大生と見た。俺のアンテナが、間違いねぇと言っている。
「へぇ、理系なんだ。わたしは文系だけどね。あはは。じゃあ、こういうの知ってるかな?」
なんだなんだ。いったい俺に何を問う。ふっふっふ。俺はかなり理系な話は読み込んでいるからな。何でも聞いてくれたまえ。ただの眼鏡デブじゃ無いってことを、この場で示してしんぜよう。
「アモルフォス個体論とかバリオン非対称性理論、あとさ、エルゴード理論の証明ってさ・・・・・・」
な、なななな、なんだと。ちょっと待て。待つのだ。何だそのRPGの呪文みたいな理論の数々は。いくら俺が理系とは言え、そんなのは全く知らない。超難問過ぎるぜ、辞書持ちの子よ。
「あら、ごめん? 知らなかった? じゃ、銀河の回転曲線問題ってさ・・・・・・」
すまん、もう、俺の脳みそをイジメないでくれぇ。でも、その自然な問いかけ、いいねぇ。さすがだぜ辞書持ちの子よ。ただ、できれば、ついていけるお話にしてほしいもんだぜ。
―――― 夕方 ――――
家の水道がぶっ壊れやがった。
業者を呼ぶのもめんどくせぇし、いちいちスマホで調べるのもめんどくせぇから、いつか水道設備技師の資格でも取るために、専門書を買おう。いつ取りに行くかは神のみぞ知るところだけど。
・・・・・・ふわん
お。なんということだ。この香りは、あの辞書持ちの子か。朝とやや香りが違うが、きっとそうだ。この近くの銭湯にあるシャンプーに似た香りが混ざってる気もするが、まぁ、気のせいだろ。
「あ。朝の眼鏡さんじゃない。また、面白い自然科学の本を読みに来たの?」
そうだと言いたいところだが、違うんだ。俺が今探しているのは、水道工事の専門書さ。辞書持ちの子よ、あんた、もしかしてずっと朝からここにいたんじゃないだろうな。
「まっさかぁ。そんなことないわよ。授業の帰りですよ。ここ、落ち着くし、気に入ってるの」
そうか、そいつぁ嬉しいな。気に入ってるのは俺も同じさ。
ところで、朝はとんでもない超難問っぽい知識をさらりと口にしてたが、あんたはいったい、どこの大学なんだい。教えてくれ、辞書持ちの子よ。
「わたしですか? 東帝大の文科Ⅱ類の二年生。この先に住んでるので、この本屋によく来るの」
な、なんだと。何て言った、今。と、東帝大の文Ⅱって言ったのか。国内文系トップクラスの文科Ⅱ類。こ、こいつぁ恐れ入ったぜ。道理で、あんな超難問をさらりと口にするわけだ。
ん。ま、待てよ。朝のあれは、どう聞いても理系な話だった。宇宙物理学の本も読んでいたじゃないか辞書持ちの子よ。文系なのに理系にまで幅広く強いってのか。参りました、ごめんなさい。
「わたし、興味関心の幅が広すぎて。あなたは水道の本を持ってるんじゃ、工業大学系の人?」
いやいや、これはたまたまボロ水道が壊れたせいさ。
俺は東京理数大学理学部四年のタマオってモンだ。覚えといてくれ、超スーパー頭良い辞書持ちの子よ。
「理数大? ああー、知ってる。友達が何人か行ってるから。・・・・・・あー、この辞書、重いっ!」
ん、辞書にアルファベットでネームが貼ってある。「H,Rinka」って読めるぞ。リンカちゃんって名前なのか。辞書持ちリンカちゃん、その辞書は、いったい何なんだ。
「これ? デンマーク語、ノルウェー語、フィンランド語の北欧三国対応辞書なの。重くってー」
な、なんだそりゃ。なんでそんなもの持ってんだリンカちゃん。どういう学生なんだあんたは。
「わたし、将来は北欧専門の外交官になりたくてさー。法学部を出て外務省に勤めたいんだー」
あ、開いた口が塞がらねぇ。さすがは東帝大、スケールが違うぜ。だけどなぜ北欧なんだい。
「オーロラを見てみたいの。そんなところで働けたら素敵だと思わない? ねぇ、タマオさん」
た、確かにそいつぁ素敵だが、オーロラよりも今はどうにか水道を直さなきゃなんねぇのさ。