ヒーローになるのは大変だ
銃声が鳴り、人々の悲鳴が聞こえる。パトカーのサイレンが鳴っているがまだ遠い。
ショップのガラス張りのドアが荒々しく開き、黒い服を着た男が出てくる。次々と人影が現れ、最後のひとりが出てくると、店の中に銃を構えて数回発砲した。
悪漢は4人だ。全員が短銃を持っている。タイミングを合わせたように店の前に止めた車に全員が乗り込み、スキール音を響かせて走り出す。
車の進行方向に信号があり、横断歩道の信号が青だ。数人の歩行者が路上におり、騒ぎを聞いて足を止めている。そこに悪漢の車が猛スピードで突進する。それに気が付いて慌ただしく歩行者が避けるが、ベビーカーを押している婦人が取り残された。夫人のお腹は大きいため妊婦なのだろう。恐怖で顔が引き攣っており、逃げようとしたが身重で動けなかったのだ。
危ない!
人々が悲鳴を上げる。助けに駆け寄ろうとするスーツ姿の男性。だが悪漢の車のほうが早く間に合わない。
悲鳴がさらに高くなり、もう駄目だと目を瞑る。
ガンッ! ギャギャギャギャーッ!!!
衝突する鈍い音と、甲高いスキール音が聞こえた。誰しもが婦人とその赤子が暴漢の車にはねられたのだと思った。
恐る恐る目を開ける。目の前には燦燦たる現場が見えると想像した。
目を開けるとそこには一人の若者が悪漢の車を正面から押さえている。常人の2倍はあるかという厚みのある体躯で、膨れ上がった筋肉の両腕で車を支え、丸太のように太い両脚でしっかりと体を支えている。よく見るとその足は地面に刺さっており、アスファルトの道路には穴が開いている。
若者が車の右側を持ち上げて、ひっくり返す。慌てた悪漢は窓から腕を出して発砲するが、狙いが定まっておらず若者には当たらない。
ひっくり返った車の中で、悪漢が慌てて外に出ようとする。
若者は技名を叫びながら両腕を振り上げた。
「グラビトンプレス!!」
両手を握って振り下ろす。車の底面を叩いて、その衝撃で屋根の支えが少し歪んだ。腕が痛かったのか両腕を摩りながら、今度は車の上に乗り、地団太を踏むように何度も足で踏みつける。
屋根の支えが少しずつ潰れ、何度も踏んで人が通れないほどの隙間になった。
そして若者は車の上でガッツポーズを決めた。
防犯カメラやスマホで撮ったもの、再現映像などを組み合わせ、臨場感あふれる内容った。助けられた婦人が産まれたばかりの子供を抱えてありがとうと言う。助けたヒーローのインタビュー映像が流れ、よく分からない自己中心的なコメントをする。
その映像が流れるバラエティ番組を自宅のテレビで見ていた。
「トップスリー以外にもテレビに出るヒーローが居るんだな」
心からの羨みの言葉だった。
ヒーローとしての活動は既に20年が経っている。高校を卒業してヒーローになり、ずっと活躍してきたはずだ。ご当地ヒーローとしてインタビューを受けたこともあるが、他の少し名の知れたヒーローのわき役の扱いだった。見た目が冴えない俺はいつでもわき役だ。
ひとりで寂しい夕食を取り終わり、テレビを消した。夜の10時を回ろうとしている時間だが、パトロールに向かう準備を始める。深夜にパトロールに行くのはいつものことだ。今日は南町まで行く指示が来ている。10kmほどの距離で自転車で30分ほどだ。
俺のヒーローとしての普段の勤務時間は、平日は深夜11時から01時の2時間。土日は少し早くて20時から01時の5時間。パトロールだけなら時給2千円で、事件を解決するとその評価にもよるが1回あたり平均で1万円ほどの給金がもらえる。20年も休みなく続けていて毎月の給金が7万円ほど。深夜勤務であり、命をかけている仕事なのだが、それにしても安い。副業をしなければ暮らしていかれない。ちなみに税金は引かれた後のためさらに減ることが無いのは安心だ。
事件に出会うのは1か月に1度くらいだが、田舎の平和な町なのでそれでも多いように思う。ヒーローに成れなかった能力者が犯罪を起こすケースが次第に増えているようにも思う。
この歳になり、それでもヒーローを続けるのは何故だろうと考えるようになった。
ヒーローが好きだからとか、目立ちたいとか、夢だからとか。アラフォーに近づいたおっさんになった今、そんな思いはどこかに行ってしまった。というか38歳になった今、すでにアラフォーと呼ばれる年齢だ。僅かなプライドがアラフォーと呼ばれることを拒否している。
そんな葛藤を他所に、いつものようにヒーロースーツを着て、ヒーローブーツを履いて外に出る。誰もいない玄関を覗き、行ってきますと呟いてドアを閉め、鍵を掛ける。以前は見送ってくれた母の笑顔を思い出して目が潤んだ。5年前に他界し、最後に残した言葉は「あんたのお嫁さんが見たかった」だ。
自転車に跨り無心でペダルを漕いだ。直ぐに町を出て、信号も街灯もない田舎道を走る。気を抜くとペダルを取られて転倒するため、考え事をする暇もない。30分の道を走り切り、今日の勤務地に着いた。
左腕に巻いた腕時計型通信機のボタンを押す。
「オールフォーザだ。南町に到着した。これよりパトロールを開始する」
オールフォーザとは俺のヒーロー名だ。
能力の特徴から付けた名前。自分の体の何処にでも使うことが出来て、それを強化できる。例えば脚力を強化すると、100mを9秒以内で走ることも出来る。
だが副作用もある。強化をした筋肉はその力を如何なく発揮するが、それを支える骨が持たない。使いすぎると骨折や腱の断裂を伴う。だからむやみに使うことが出来ない。強化の上限には至ったことがないが使うと体がもたない。だから使えない。
慣れれば、鍛えれば無限の力を使えると思っていた。だが長い年月で培ったものは、力の出し過ぎを押さえるためのリミッターが分かるようになっただけだった。
自転車でゆっくりと町の中を走る。聴力を強化して、おかしな物音がしないか耳を澄ませている。聞こえるのはテレビの音、猫や犬の鳴き声。酔っ払いが陽気に歌う声も聞こえる。
あと10分で勤務時間が終わる。今日も平和だ。そう思って嬉しくなった。ヒーローも刑事も、活躍する場が無いことが一番なのだ。
今日の最後に商店街をもう一度パトロールする。正面から自動車のヘッドライトが見えて自転車を道路の左に寄せる。すれ違ったのは宅配便の配達車で、違和感を感じて振り返った。見た目も運転手の姿も不自然ではない。不自然なのは今の時間だ。深夜1時に宅配便の配達車が街中を走っているのはあり得ない。
自転車の向きを変えて追跡をする。走りながら腕時計型通信機のボタンを押す。ボタンを押さなければならないため、そのときは手放し運転だ。危険だが仕方がない。
「オールフォーザだ。不自然な自動車を発見し追跡する。見た目は宅配便の配達車。ナンバーはxxxx」
10分ほど追跡すると宅配会社の車庫に止まった。運転手が降りてきて、疲れたように両肩を回している。ああこれは事件性は無いなと察しながら、運転手に声を掛けた。
「お疲れ様です。ヒーローのオールフォーザです。夜遅くに配達車が走っていたので不審に思って追跡していました。失礼ですが、身分証の確認と、なぜこの時間に走っていたのか教えていただいてもよろしいですか?」
人懐っこい顔の小父さんだ。あはは、だよねーと笑いながら運転免許証を出す。
免許証を腕時計型通信機に内蔵のカメラで映す。小父さんが興味深そうに通信機を覗き込んでいた。
「山下源治郎さん、ご協力ありがとうございます」
そういって運転免許証を返した。小父さんが受け取り、確かに受け取ったとばかりにその手を上下に揺らしてから財布にしまうと、人懐っこくにこりと笑って携帯電話を取り出した。
「ヒーローに会ったの初めてだからさ、一緒に記念撮影させて貰ってもいい?」
「ごめんなさいね。そういうの断ってるんだ。極秘任務で面が割れてたら任務にならないからさ」
「ネットに流さないからさ、ダメ?」
「ごめんね、ルールなんだ」
「そうかー、残念」
小父さんは本当に残念そうに片方の口角を上げて首を振る。俺は叔父さんの肩を叩いて、ごめんねと言った。そしてまだ聞いていなかった、この時間になった理由を聞く。
「それで、今日はこんな時間までどうしたの?」
「配達終わったところで眠くなってね、少しだけ仮眠したらぐっすり寝ちゃってさ、こんな時間になっちゃった」
「だいぶお疲れですね」
「ああ、疲れるよ。留守の宅も多いし、届けたら遅いって怒る人もいるんだよね。まあ気持ちも分かるけど、こっちも頑張って朝から晩まで走り回っているんだからさ。その場は謝って離れるけど、やっぱりこっちも怒るわけよ。そういうのが積み重なると疲れるよね」
「それはご苦労様です」
「他にもいろいろあってね。娘がいるんだけど、家に帰っても何も会話をしないんだ。俺を見るとふんって感じで、すぐに部屋に行ってしまう。嫌われたのかなー」
「あー、分かります。俺は昼はサラリーマンをしてるんですけどね、若い子からは煙たがれていますよ。声を掛けると、何?って感じで睨んでくるんです」
「はは、そうか。君も大変だな」
「娘さん、帰ると家に居て、顔を見せるんでしょ?」
「ああ、そういえばそうだな。いつも居間にいるよ」
「いい娘さんじゃありませんか。お父さんの顔を見てから部屋に行くんだ」
「おお、なるほど。確かにそうだな。明日にでも礼を言ってみようか。いつもね、顔を見ると言っちゃうんだよ。まだ嫁に行かないのかってさ。たぶんそれが悪いんだな」
「ああ、それは嫌がりますね。それで、今日は帰らないのですか?」
「これから今日の伝票を整理するから徹夜だな。うっかり寝過ごしちゃったから仕方がない」
「なるほど、頑張ってください。お体にお気をつけて」
「ああ、無理せず頑張るよ。君はいい奴だな」
「はは、有難うございます。それでは、これで失礼しますね」
「おう、君も頑張れよ、ヒーロー」
「有難うございます」
小父さんと別れて自転車を押して道路に出る。ずっと通話にしていた腕時計型通信機に向かって報告した。
「こちらオールフォーザ。事件ではなかった。仮眠で寝過ごした運転手がこの時間に事務所に帰ったとのこと」
「了解、オールフォーザ」
「では、任務時間終了によりこれより帰宅する」
「お疲れ様でした」
自転車を運転して家に帰る。深夜の2時を過ぎており、朝からサラリーマンとして会社に行くため眠れる時間は少ない。ヒーロースーツを脱いでシャワーをさっと浴びてから短い睡眠を取った。
俺の名前は田高信之。昼間は只の会社員だが、夜はオールフォーザというヒーローをやっている。
サラリーマンをしながらのヒーロー活動は大変だ。深夜にパトロールをして何事も無くても家に帰るのは深夜の1時半だ。それから風呂に入って就寝し、朝6時に起きて出勤の準備をする。家を出るのは6時半で、会社までは電車で1時間かかる。始業時間は8時半だが会社には8時に着く。電車の本数が少ないためこれでギリギリなのだ。1本遅れると遅刻する。
会社にはヒーローであることを伝えてあるが、知っているのは社長と部長だ。一緒に仕事をしている課の同僚はそのことを知らない。
パトロールで事件に関わると、翌日の午前中に事情聴取などで警察に協力をするため、当然だが会社は休むことになる。また、大きな事件が起こると呼び出しがある。
能力のおかげで病気には一切かからず健康なのだが、ヒーロー活動のために突然休むことがあり、また急な早退もある。そしてその理由は知らされない。残業もほとんどしない。そのため同僚からは冷たい目で見られるのだ。この年齢で平社員ということも拍車をかける。それなのに給料は係長クラス。給与明細を見せびらかしたりはしないが、年末調整の書類が課長経由なのでバレバレだ。
眠気を誤魔化しながら午前中の仕事を終えて、昼休みになりいつものように近所の丼屋に向かう。道を歩いていると後ろから声を掛けられた。
「田高さん、一緒に昼食しません?」
同僚の渡辺香織だ。会社では鬼姫と呼ばれて恐れられている。確か30歳になった頃だろう。大学を卒業して入社し、エリート街道を驀進中だ。来年は課長または部長秘書だと噂されている。部長秘書を4年過ごせば部長補佐となり、部長に欠員が出れば部長となる。彼女が結婚せずに仕事を続ければ、おそらく40歳を過ぎたあたりで部長になるだろう。
彼女が入社したとき、俺が教育係だった。そのこともあり俺と彼女の仲はそれほど悪くない。もちろん浮いた話などなく、普通の同僚という関係だ。ちょっとだけ淡い気持ちを抱いていることは数年間胸の中に封じている。
「何処に向かっています?」
「みよし屋だが、他がいいなら任せるよ」
「みよし屋でいいですよ。たまにはソースカツ丼が食べたくなります」
「ああ、あれ美味いな。俺にはちょっと胃に重くなってきたが」
「ボリュームがすごいですから。それなら一緒にきつねうどんを頼んで半分こしません?」
「それいいな。だがいいのか? 会社のやつもいるだろうから、俺と料理を分けているのを見られたら変な噂になるかもしれないぞ?」
「んー、では個室にしましょう。それなら見られないから」
「え?」そのほうが噂にならないか?と思う。
「大丈夫ですよ。それに田高さんに相談したいことがあるんです。だから早く行きましょう。ほら急ぎますよ」
「お、おお...」
いつの間にか彼女に主導権を奪われ、彼女が前を歩く。みよし屋に入るとすぐに個室に通された。彼女が先に席に着き、目の前に座るようにと手で促された。
「注文も終わっているので大丈夫ですよ」
「あ、ああ...」
手際が良すぎる。若い頃に手際よく仕事するんだと教えたが、昼食の場でもそれが発揮されるとは想像していなかった。
「それで、相談したいことってなんだ?」
「もう、せっかちね。お茶を飲んでからにしましょう」
タイミングを合わせたようにお茶が運ばれてきた。お代わりが出来るように急須も置いていった。
驚いていると、彼女がにこっと微笑んで湯飲みに口をつける。美味しいと思ったのかにこりとする。俺も湯飲みに口をつける。丁度良い温度で程良い甘みを感じた。これは旨い。
「ここのお茶、美味しいよね。わたし好きなんだ」
「ああ、旨いな。いつも丼と一緒に来るから最後に飲んでいた。食前に飲むと味が違う気がするよ」
「うふふ。良かったね」
彼女はそう言うと頬を緩める。急にフレンドリな態度に変わったような気がするが、これも彼女の手管だと知っており誤魔化されたりしない。
数年前に同じように彼女が頬を緩め、俺は心を射抜かれた。そして彼女の希望を叶えた後、彼女に声を掛けると冷たくあしらわれたのだ。もう引っかかるようなミスはしない。
だが今回も少し心が躍ったことは黙っておく。
「それで、何の用だ?」
「田高さん、今日は眠そうね。どうしたの?」
「...それが用事か?」
「ううん、違うわ。気になっただけ」
なんだよと思いながら深く息を吐いた。正直に話すことはできないが、適当な理由を付けて夜更かしをしたことを話す。
「夜中に自転車で走りたくなって、ちょっと出かけたら道に迷ってね。帰ったのが深夜になってしまった。そういう君も眠そうだったがどうしたんだ?」
「あら、見てたの?」
「目に入っただけだ」
「そう。...お父さんが帰ってこなくて心配だったのよ」
「何かあったのか?」
「ううん、仕事の残業で徹夜したんだって。電話くれればいいのに」
「そうか。お父さんは幸せだな」
「え?」
「娘が心配して待っててくれるんだ。こんなに嬉しいことは無いだろ?」
「そうかな?」
「そうだよ。知人だけど嘆いている父親が居るよ。家に帰っても娘が会話をしてくれない。そう言って寂しそうにしていた。君はそうではなさそうだから、お父さんも嬉しいんじゃないかな」
「そうかな...そうかもね。うふふ」
料理が運ばれてきた。ソースカツ丼ときつねうどん。いつもなら味噌汁が付いているがそれは無く、普通なら数切れのお新香が、別メニューのフルセットが付いていた。
「味噌汁の代わりにお新香を増やして貰ったの。これで同じ料金よ」
とても楽しそうに彼女が言う。俺は手際が良すぎるだろと改めて思った。
彼女が料理を取り分けて、かつ丼とうどんのセットが2つ出来あがった。かつ丼は大盛を頼んでいたようで、俺の器にはカツが少なめの普通盛のカツ丼が出来上がった。ご飯を多くしたからカツを少し多めに貰うねと、彼女の丼には少ないごはんに多めのカツが乗っている。
そのカツは少しというには多すぎないかと思ったが、その言葉は言わずに飲み込むことにした。女性には細かいことで逆らわないのが処世術だと今までの人生で覚えた。
雑談をしながら食事を進め、食べ終わるとデザートが運ばれてきた。団子と餡子が乗った蜜豆だ。
「これは私のおごり。相談のお礼ね。あと、2時まで打ち合わせって言ってきたからゆっくりしていいよ」
「お、おお...」
「それでね、相談なんだけど...」
蜜豆にスプーンを突き刺しながら言い難そうに首を傾ける。その仕草は可愛く見えたが、騙されないぞと心の中で喝を入れた。そして彼女が口を開く。
「課長の予定が合わなくて、代役を頼みたいの。今度の火曜からの出張に一緒に行ってくれる?」
その出張は打ち合わせの時間から始発では間に合わず日帰りが出来ない。大事な顧客へのプレゼンのためリモート会議も出来ず、一泊二日の日程となる。
「あなたが夜遅くなることを避けているのを知ってるけど、私も他に無くて。その日は地元から離れるけど、何とか出来ないかしら?」
「...もし断ったら?」
「多田君と行くことになるわね。その場合どうなると思う?」
多田はずっと前から香織さんに好意を寄せていて、最近はその方法が強引になってきていた。もしも2人で一泊旅行となった場合、身の危険を感じるのも仕方のないところだろう。
「...仕方がない。分かりました」
「ありがと。そう言ってくれると思ってた」
また彼女が頬を緩める。少し高揚しているようでうっすらと頬を染めてとても可愛く見えた。実に男心を擽る仕草だ。だが俺は騙されない。生まれてからこれまで女性に騙され続けた俺は、この程度では揺るがない。
「それで、何をすればいいんだ?」
「プレゼンは私がするので、荷物持ちなどの雑用ね。だけど私が迷ったときや間違ったことを言ったときにサポートしてもらうために、プレゼンの内容は覚えて貰うわ」
「分かった」
「だから毎日1時間、勉強会の打ち合わせをお願いね」
「ああ。」
「夕方の30分。今日から空けて貰える?」
「分かった」
それから30分ほど出張のスケジュールと役割分担を打ち合わせしてから会社に戻った。
週末の深夜。何事もなくパトロールが終わる。腕時計型通信機に業務終了の報告をすると、オペレータから予想もしなかった言葉を聞いた。
「オールフォーザに連絡事項よ。落ち着いて聞いてね。...お見合いの話が来ているわ。山下源治郎さん。山下運輸の社長さんからのオファーよ」
「え?...お見合いと言いましたか?」
「ええ、お見合い。私も初めて聞いたのだけれど、ヒーローとのお見合いも斡旋しているのね、この組織。驚いたわ」
「ええっと、断ることはできますか?」
「ダメね。任務だって」
「えええっ!」
「美味しいごはん食べて、給料もらえるのだから美味しい仕事ね。後日に断るだけでいいんだから」
「いや分かるけど、お見合いなんてしたこと無いんだよ。緊張するだろ?」
「諦めて。×月×日の午後7時。場所はxx駅近くのキングスホテル。詳細はメールで送るわね。健闘を祈るわ」
「ああ。気が重いな...」
出張から帰ってくる日だ。帰り道の途中の駅で、時間も大丈夫だ。服装もビジネススーツ姿だから大丈夫だろう。...ちょっと待て。ヒーロースーツになるのか? だとすると荷物が増えるな。あああーーー、面倒くさい。
出張の前日。いつもと変わらず深夜のパトロールをしている。
組織には事情を話して今日は半休だ。とはいえ2時間の勤務が1時間になっただけだ。自宅のある町でのパトロールとしてもらったことで、寝る時間が大幅に増えたことはとても嬉しいのだが。
無事にパトロールが終わり、帰宅のために自転車を走らせる。自宅の近くの廃病院を通り過ぎようとしたとき、女性の悲鳴が聞こえた。
「オールフォーザだ。xx町の廃病院で女性の悲鳴。急行する。残業だが許可願う。」
「了解、オールフォーザ。気をつけて」
通信をしながらも行動しており、現場の廃病院の塀を飛び越える。
2階建ての建物で、病床200を誇った大きな病院だった。この田舎に大病院が建ったと20年前に騒がれたのだが、経営難に陥り3年前に倒産した。建物はどこかの企業が買い取ったと聞いたが、工事が行われた形跡はない。悪い組織が根城にしていないかと毎日観察していたのだが、そのような形跡も今まで無かった。
建物の周りを駆け、中に入れるところを探す。緊急事態と思われるが窓を割って入ると器物破損だ。犯罪が確認できた場合は保険が効くが、未確認のまま強行した場合のリスクが大きい。慎重に急いで探した。
非常口の鍵が開いており、そこから建物の中に入る。耳を強化して足音や声を探す。男の声で「騒いでも誰も来ねーよ」と聞こえた。
これは暴漢が女性を襲っている可能性が高いと判断し、声のしたほうに全力で駆ける。再び女性の悲鳴が聞こえ、男性が慌てる声が聴こえたように思う。
全力で駆けると言っても強化はしていない。耳を強化して暴漢の位置を正確に把握することを優先している。それに脚を強化すると建物内では危ない。
常人の脚をオリンピック選手以上の脚力にする。走るだけならそれほどでもないが、廊下を曲がる時の制動に必要な筋肉は、前に進むよりも強い力が必要だ。前に進むことに全力を出すと、止まる時に過負荷となり、骨折や腱の断裂を起こすかもしれない。それでは悪漢を倒す前に自滅してしまう。ヒーローとして有るまじき事態だ。
2階から物音が聞こえ、階段を駆けあがる。
ヒーローブーツは静穏性にも優れ、全力で駆けあがっているのだが、ぺたぺたと小さな音しかしない。普通に歩くと何も音がしないほどの高性能だ。そのうえ、油の上でも滑りにくい。テレビショッピングでやっていた滑らないシューズとどっちが滑らないか比べたいと何度も思ったものだ。もちろん、お金がもったいなくて比べたことは無い。
2階に上がると白い影が見えた。白衣を着ている男性だ。その姿がすっと左に動き、女性の悲鳴が聞こえた。
全力で駆け寄って、攻撃があった時のために皮膚を強化して顔の前で腕をクロスしながら入り口の前に飛び出す。
そこには阿鼻驚嘆の地獄絵図が...待っていなかった。待っていたのは肝試しをしていた学生が数名。うち一人が白衣を着て女生徒を脅かしていて、女生徒は悲鳴を上げながらも顔は笑っていた。
ひと目で状況を理解し、最悪の事件ではなかったことにホッとする。そして事件の解決を図るためによく通る声でその場の全員に声を掛けた。
そう、これは事件だ。そして俺はこの事件を解決するヒーローなのだ。
「ヒーローのオールフォーザだ。ここの使用許可は取っているのか?」
学生たちは俺の声を聴いてきょとんとした顔をする。そして代表者と思われる眼鏡の青年が数歩近づいた。
「ええっと、すみません無許可です」
その青年は頭を掻きながらぺこりとお辞儀する。
「学生証など、身分を証明するものを見せなさい。...安心しろ、正直に話せば悪いことにはしない」
青年は胸ポケットから手帳を出す。学生証のようだ。
俺は受け取って腕時計型通信機に内蔵のカメラにかざす。高性能のカメラで、光源の少ないところでもはっきり写る。
盗撮にも使えそうだって? 使うことは出来ない。撮ったものは即時で組織に送られる。活動記録としてサーバに保管され、後から見ることはできるが俺の権限では削除することができない。
不埒な使用をしてそれが発覚した場合、俺の権限ははく奪され逮捕されるだろう。そしてヒーローだった肩書は隠ぺいされて重い罰が下される。それは殺されるよりも苦しいことだと教わった。想像するのも怖いが体験したことが無いのでその苦しみがどれほどかは分からない。
例えば悪漢を追いかけて偶々そのような写真が撮れてしまった場合はその限りではないが、それを悪用するような器用な真似は俺にはできない。俺は心正しいヒーローだからだ。
そこに居た全員の身分証をカメラに収め、全員を廃病院の敷地から外に出した。
眼鏡の青年が言うには、初めて立ち入ったとのこと。俺にはその真偽はわからないが、オペレータが何も言ってこないので前科は無いのだろう。この場は穏便に済ませて彼らを解放することにした。必要があれば身分証から探し出し問い詰めればいい。
「廃墟とはいえ敷地に勝手に入るのは立派な犯罪だ。気を付けるように」
そう言うと、彼らは素直に頭を下げた。
男子はまあ大丈夫だろうと思い、その場で解放した。
深夜に未成年の女子を放置するわけにもいかないので、女子は家まで送り届けることにした。だが家が思ったよりも遠くて届けることが出来ない。組織に泣きついたのだが助けてはくれないようだ。せめてタクシー代でも出してくれればいいのにと思う。
警察を呼ぶか、自腹でタクシーを呼ぶか。我が家に泊めることもちょっとだけ過ぎったが、それは犯罪と一緒だと考えを改めた。ヒーローの身バレをする可能性は全く考えていなかった。
近所のスナックに着いて店の中を覗く。お客さんは居らず女将が寂しくタバコをふかしていた。事情を説明して朝まで泊めてもらうことにした。僅かだが女将に4千円を手渡すと、女将は足りないとごねたが、顔は笑っていた。
腕時計型通信機に事件解決を報告すると、4千円くらいなら必要経費で落とせるから手続きしてねと笑い声とともに言われた。
今日の給金がゼロにならなくてよかったとホッと胸を撫でおろした。
翌朝。出張のために10時に会社を出発した。香織さんの足取りは軽く、俺の足取りは重かった。そう、寝不足だ。
「また寝不足なの?」
彼女はそう言うと俺の顔を覗き込む。いきなり近くに顔が来て俺は仰け反った。
その慌てぶりを見て彼女がくすくすと笑う。
「今度は何をしたの? おねーさんに教えてごらん」
俺のほうが8つも年上なのだが、彼女は年上振って、ほらほらと突っついてくる。
はーっと大きく息を吐きだして、例によって適当な理由を付けて夜更かしをしたことを話す。全てを嘘で飾れないところが俺の残念なところだ。
「昨日の夜、うちの近くの廃屋で騒ぎがあったんだ。それが落ち着いた時には既に深夜で、寝るのが遅くなった。まったく困ったものだよ」
「あら大変だったね。では今日はホテルに早くチェックインしましょうよ」
「ああ、そうしてくれると助かる」
現地までは片道3時間半で、今日は現地の事務所に寄って挨拶をすれば今日の仕事が終わる。15時にはホテルにチェックインが出来るだろう。彼女が用意したスケジュールでは、事務所を出てからスカイツリーを見る予定だったが、それはまた今度にしてもらおう。
列車は1時間ごとの乗り換えで、また彼女が隣で楽しそうに話しかけてくるため仮眠を取ることもできなかった。事務所での挨拶は彼女がしてくれたため俺は立っているだけだったが、もちろん眠るわけにはいかず気を張った。疲れ果て、彼女に引っ張られるままに宿泊するホテルについてチェックインをする。そのままベッドにダイブしてひと眠りした。
彼女に起こされて夕食に向かう。実に立派な献立で、これは経費で落ちるのか?と彼女に聞くと、大丈夫とにこやかに答えた。
少し寝たため気分が良かったが、食後のワインを1杯のんでいると睡魔に襲われた。また疲れてが抜け切れていなかったのだろう。朦朧としたまま彼女に連れられて部屋に戻り、一緒に歯磨きをしてベッドに潜り込んだ。
真夜中に腕時計型通信機の呼び出し音が鳴る。寝ぼけた頭のまま手探りで腕を触り通信ボタンを押す。オペレータの声が聴こえて緊急招集が掛かった。
「オールフォーザ、緊急事態よ」
「俺はいま東京に居るんだ。無理だよ」
「大丈夫。事件は東京で起きているわ。丁度あなたの泊っているホテルの近く。スクランブルして。ホテルを出たら説明するから。早く」
「了解、準備する」
寝ぼけた頭を右手で叩いてを目を覚ます。ベッドから起き上がろうとすると、香織さんと目が合った。
「うわっ!」
「何よ、驚いちゃって」
「いや、なぜ君がいる、同じベッドに?」
「何言ってるの。ダブルの部屋なのよ、気が付いてなかったの?」
「えええ!?」
「ほら、出動するんでしょ? 行ってきなさいよ、待っているから」
「ええっ? っていうか聞こえてた?」
「オペレータさんの声、可愛いわね」
「ええっと、帰ってきたら説明するから。誰にも言わないでくれ」
「分かってるわ。行ってらっしゃい、気を付けてね」
彼女はパタパタと手を振る。俺は思考が追い付かなかったがヒーロースーツを身に着けた。
能力を発動してアルコールを最速で分解する。眠気も取れていて頭がすっきりした。
ホテルから出て通信機に呼びかける。
「オールフォーザだ。ホテルを出た。指示を願う」
「了解、オールフォーザ。昨夜はお楽しみでしたね。っていうか、ついさっき?」
通信機の向こうで、きゃーという複数の女子の黄色い声が聴こえる。田舎で暇をしているオペレータたちだろう。
「それは後だ。いまは目の前の事件を教えてくれ」
「そうね、オールフォーザ。ホテルを出て右に走って200m先を左に。そこで複数の自動車による玉突き事故発生。原因は能力者の模様。既に地元のヒーローが駆けつけていて対応中だけど、苦戦しているみたい。気を付けて」
「了解、現場についたら連絡する」
早く駆け付けるため両脚を強化する。100mを9秒。それが今の俺の限界速度だ。これ以上の強化をすると足の骨が折れてしまう。
道路を左に曲がって50mほどで現場に到着。そこは火が出ていて、深夜だと言うのに煌々と明るかった
燃え盛る音の向こうで怒声が聞こえる。何かと戦っている声。炎の向こうに戦っている姿が見えた。黒い毛むくじゃらの大きな塊。ゴリラのように見える。
「現場についた。自動車が一台燃えている。そのほかに事故車が3台だ」
「了解、オールフォーザ。人命救助をお願い。敵と戦うのは現地のヒーローに任せて」
「了解。人命救助を開始する」
現場に入り周囲を見渡す。炎上している自動車のこちら側に、玉突き衝突している自動車が3台。まだ火は点いていないが、いつ燃え出すか分からない。
ヒーローと思われる人影が1つ。女性のようだ。先頭の車の中に上半身を入れて何かしている。
駆け寄って声を掛けた。駆け寄る際に手前の2台をちらりと見て中に人影がないことを確認してある。
「ヒーローのオールフォーザだ。手伝うことは?」
「救助対象が1名。男性。脚が挟まっていて動かせないの。どうしたらいいのか...」
「代わってくれ。後ろの車はチェックしたか?」
「いえ、まだよ」
「では頼む」
「了解」
女性ヒーローは後ろの車に向かう。キラリと涙が見えた。覆面のためはっきりしないが、声や態度からまだ新人なのだろう。怖かったのか、救助ができず悔しいのか。頑張れと心の中でつぶやく。
要救助者の状態をチェックする。潰れたインパネに右脚が挟まれている。
ハンドルが変形して救助の邪魔をしている。腕と胸の筋肉を強化し、ハンドルを掴んで引っ張った。バキバキと音がして5cmほど隙間が出来る。
右脚は諦めるしかないと判断し、要救助者の体を抱える。全身の筋肉を強化して体が軋む。範囲が広いとコントロールが難しく、気を抜くと自分の体が壊れるかもしれない。その恐怖を押しのけて、要救助者の体を強く引っ張った。
要救助者を抱えたまま10メートルほど離れ、十分離れたと判断して地面に寝かせた。後ろで車が爆発する音が聞こえる。さきほどの女性ヒーローが近付いて要救助者の手当てを始めた。
俺は自分の体をチェックして、どこも骨折していないことを確認した。疲労が激しくて、その場に座る。戦いの音が聞こえるが、ほんの二十数メートル先での音がとても遠くに聞こえた。
要救助者が身動ぎをして意識を取り戻す。それに気が付いて俺は声を掛けた。
「もう大丈夫だ。ヒーローが来た。今治療をしているから動かないで」
男性は状況が分かったのか静かに目を瞑った。
女性ヒーローは要救助者の裂傷が激しい右脚に手を翳している。治療の能力だろうか。
「それが君の能力か」
「ええ。あまり役に立たないけれど」
「いや、とても助かった。この人も君が治療してくれるから安心だろう。それに、君がいなければ俺はこの人に気が付かなかった」
「え?」
「この人を助けたのは君だよ。頑張ったな。ありがとう」
女性ヒーローはフルフェイスのマスクをしておりその表情は見えないが、唯一見えるその目は微笑んでいた。
警察と消防が到着した。戦いは終わったようで音がしなくなった。俺は車が爆発しても女性ヒーローと要救助者を守れる位置に立ち、状況を見守っていた。
救急隊員がストレッチャーを持ってきて要救助者を運んでいく。
女性ヒーローは緊張が解けたのかその場に座り込んだ。
腕時計型通信機に報告をする。
「オールフォーザだ。どうやら終わったようだが、状況は?」
「オールフォーザ。リアルタイムの情報が来ていないの。ごめんね」
「問題ない」
「あっ、制圧完了だって。警察に引き継ぐそうよ。任務完了ね」
「了解した。もう少し状況を見てから撤収する。また連絡する」
「了解、任せるわ」
消火が始まり炎が消えていく。その様子を見て、もう大丈夫だと判断した。
煙の向こうからヒーローが二人、こちらに歩いて来る。手前に居るのは有名人だ。No2ヒーロー、グラビ―ホーク。テレビで見ることはよくあるが、実物を見るのは初めてだ。
激闘の後のはずだが見た感じ汚れや傷は無い。ヒーロースーツは撥水性能が高く汚れが付きにくい。また頑丈で破れにくい。そのため見た目は良いが中身は傷だらけということも多くあり注意が必要だ。
後ろにいる女性ヒーローに声を掛ける。
「ヒーローが来る。君の仲間か?」
「後ろのダイガイザーがそうよ」
「良かったな。無事で」
「ええ、ありがとう」
彼らが近付く。よそ者で格下の俺から挨拶するのが礼儀だと思い挨拶をする。
「xx県のヒーローで、オールフォーザです。任務完了と聞きました。お疲れ様です」
「グラビ―ホークだ。人命救助をしてくれたと聞いた。ありがとう」
「深川ヒーローのダイガイザーです。協力いただきありがとうございます。」
ダイガイザーが右手を出した。握手の意味だろう。彼はまだ若そうだ。
俺は首を振る。
「ヒーローは握手をしない。代わりに、心を指差して強い心を現す。憶えておけ」
右手を握り親指を立て、肘を真横に突き出し、自身の左胸を指差す。
伝説のヒーロー、レジェンドのポーズだ。
女性ヒーローも輪に加わり、4人でポーズを決めた。グラビ―ホークがそのまま右手を上げ、人差し指と中指を立てて、額の前でチャっと手を振る。格好いい。実力No2、人気No1のヒーローの貫禄。
皆でお疲れ様と言いあって解散した。
高揚する心を感じながら軽い足取りでホテルに戻る。これだ。俺がずっと憧れていたヒーロー。任務が終わって仲間を労う。全員でレジェンドのポーズをする。そして颯爽とその場を離れる。
出来る事ならその中心に居たい。俺の能力では叶わないと分かっている。だが...。若き日のあの希望に満ちた高まりをまた心に感じていた。
ホテルに着くとロビーに香織さんが居た。
俺を見たとたん、緊張した表情が崩れて目尻が下がり涙をこぼす。俺に抱き着いて胸に額を押し付けた。
「よかった。無事でよかった」
「ああ、何処も怪我していない。まあ、俺は戦っていないからな」
彼女の腕に力が入り、俺を締め付ける。俺は彼女の頭を撫でて感謝の言葉を言う。
「ありがとう。待っててくれて」
「ううん」
彼女の腕にさらに力が入った。
ヒーロースーツは締め付けにも強い。そのヒーロースーツを着たままで俺は彼女の締め付けに痛みを感じていた。ちょっとまってこれ、スーツ着てなかったら死ぬんじゃない?
部屋に戻りシャワーを浴びた。体に異常がないかを念のため確認したが問題はない。
服を着て寝室に戻ると、テーブルの上で香織さんがステンレス製のコップを握っている。よく見ると彼女の指の動きに合わせてグニャグニャと変形をしている。
「田高くん、なんだかおかしいの。力が強くなったみたい」
うん、おかしい。とても楽しそうな笑顔で、その細い指で軽くコップを握っているように見える。その手の中で金属がまるで粘土のようにへこむ。グニャグニャ、グニャグニャ。
「ええっと、能力者だったか?」
「ううん、違うよ。さっき田高くんを抱きしめた時からちょっと違和感あるかな」
「今頃発現したのか? 30歳で?」
「年齢言わない。女性に年齢を言うのはセクハラだよ?」
「ああ、ごめん。いや、そうでなくて、...ええっと、俺と同じ能力かもしれないからあまり力を入れるな。最悪骨が潰れる」
「えっ、そうなの?」
彼女がギュッと握りしめた。金属のコップはその中にあり、手を広げると小さな棒状になっていた。あれ? これは俺より強いんじゃない? 俺が同じことをしたら指の骨が折れるだろ。良くても手の平は血だらけになるぞ?
彼女が立ち上がり、俺を見た。にやりと笑うその顔に恐怖を感じた。
「あとね、ジャンプ力も上がったよ。ほら」
グイっと腰を落としてぴょんと跳ねる。俺に抱き着くつもりなのか両腕を広げている。だが勢い余って俺の上を飛び越える軌跡だ。天井が無ければだが。
「あっ、ちょっ」
天井にガツンと当たる音が聞こえ、仰向けの方向に回転する。俺は彼女のドロップキックを受ける形になり、一緒に床に転がった。
「ごめんね、力の加減が効かないや」
俺は彼女の下敷きになっており、目の前が真っ暗のため顔に被さっているものを退けようと手を動かした。柔らかいものが手に当たり、退けようと押してみるが、豊かな弾力に押し返された。
「ちょっとエッチ。変なところを触らないで」
彼女が立ち上がると目の前に見える彼女の下着。おパンティーだ。どうやらスカートの中に顔を突っ込んでいたらしい。と、すると、顔にあたっていたのはもしかすると、...。
考えながら立ちあがった。違うところも立ち上がった。
ふと見ると彼女が赤い顔をしている。俺と目が合ってさらに赤い顔をする。
「このエッチ!」
ブンと音がして彼女の右腕が振るわれた。平手打ちだ。だがこれはやばい、大怪我をする。というか当たると死ぬだろう。超加速した精神世界で俺は走馬灯のように今までの人生を振り返っていた。
鈍い音がして俺の体が吹き飛ぶ。ギリギリにガードが間に合い、命は助かった。
はっとした彼女が慌てて俺に駆け寄って、変な方向に曲がっている俺の両腕を見る。
「ごめん、手加減しなかった。咄嗟に殴っちゃった。本当にごめんなさい」
偶々突き飛ばされた先がベッドの上で、俺はベッドに横になっている。彼女はベッドの上に正座で座り、俺の横でわんわんと泣いている。
「大丈夫だよ。すぐ治るから」
俺は痛みを堪えて立ち上がり、右手でカバンを持つ。折れた部分がまっすぐに伸びてから筋肉に力を入れた。
パキッという小さな音がして骨が合わさる。治癒力を強化して右腕の骨を繋いだ。続けて同じように左腕を治癒する。
その様子を彼女は不思議そうに見ていた。
「応急処置は完了だ。あとは添え木をして1日もすれば元通りだな」
彼女の目から大粒の涙が零れる。
「よかった、よかったよ。これであなたがヒーローを引退したら、私どうやって償おうかって考えてた」
「大丈夫だ。ちゃんと治ったよ」
さっきまで折れていた右腕を持ち上げて彼女の頭を撫でる。彼女が両腕を俺の背中に回して抱きしめた。
「軽くな、軽く。力入れると折れちゃうから。死んじゃうから」
彼女は俺の胸の中で頷いて微笑む。俺は...生きた心地がしなかった。
既に朝になっており、身支度をする。
骨折をした俺の両腕は添え木をして三角布で肩から下げている。
朝食は彼女が甲斐甲斐しく食べさせてくれた。
昨日の夜、五体満足で帰ってきた俺を見ている従業員が、朝までに何があったのだろうと、俺を不思議そうに見ている。そして彼女が度々スプーンをへし曲げる様子を見て、納得して頷いていた。
それを見て俺は思う。あー、あれは夜ハッスルしちゃって、怪力の彼女が頑張っちゃったんだなーって思っているな。...いや違うから。まあある意味ハッスルしていたけど、彼女が頑張ったんだけど、そういうことではないから。
トイレに行くと彼女が付いてくる。だってその腕じゃできないでしょ?って恥ずかしげもなく言う。結局、彼女との口論に負け、俺は前も後ろも彼女の世話になり恥ずかしい思いをした。
このことは忘れよう。病院なら看護士が、老人ホームなら介護士がやるのだろう。それと同じだ。恥ずかしいことでは無い。...ふと彼女を見る。思い出す痴態。恥ずかしさが込み上げてきた。
ホテルをチェックアウトする。荷物は全て彼女が持っている。細い腕のどこに筋肉があるのかと思うくらい不自然に、荷物を軽々しく持っている。
これは俺よりも強いだろう。俺のような、力を押さえないと骨折するような不完全なものでは無く、もっと扱いやすい能力だ。だから上限を気にせずに使える。それはとても羨ましいだろーが。
俺の嫉妬心に気が付かず、彼女が俺を見てにこりとする。その可愛らしい笑顔に俺は思わずにこりと返した。
顧客へのプレゼンは大盛況で、彼女は満面の笑みでその場を支配した。
俺は彼女が気を抜いて怪力を出すのではないかとハラハラと見守ったが、怪我人を出すことなく無事に済ますことが出来た。
昼食にも呼ばれたが、俺の両腕の骨折を理由に辞退して、帰りの列車に乗った。昼食は東京駅で購入した駅弁だ。
新幹線に乗って直ぐに弁当を取り出す。
「私が食べさせてあげるからね。絶対に腕を使わないでよ」
彼女のにこやかな笑顔の奥に、得体のしれない凄みを感じ、俺は従うことにする。
とても嬉しそうに弁当の包みを解いた。1つ目は横浜名物のシウマイ弁当だ。
「駅弁、食べてみたかったのよね。あら美味しそう」
ご飯が8つに分けられているが、さらにふたつに分けてひと口大にする。それを持ち上げて俺の口に運ぶ。
「信之さん、はいどうぞ」
俺はそれを咥えて食べる。介護をされている気分だ。正にそうなのだが。
彼女は同じ箸でご飯を摘まみ、自らの口に運んだ。関節キッスと言うやつだ。おそらくその箸で次に俺の口に運ぶのだろう。
昨日の夕食までは田高さんだった。昨日の夜は田高くん。朝食では別々のスプーンやホークで食べさせてくれた。そして今は同じ箸で食べていて、信之さんと呼ばれている。
関係が急激に接近しているように感じる。それが怖くもある。だが逆らうのはもっと怖い。
ああこれは尻に敷かれていると言うやつか。同系統の能力で彼女のほうが強いため本気で喧嘩をしても負ける。このまま彼女の言うままに進んで、結婚して、俺のダメなところに気が付いて、離婚するのだろう。
このスピードで進めば、明日には結婚して、明後日には離婚するのだろうか。
シウマイを口に運ばれ、思わず「これ美味しい」と口にする。彼女はなぜか頬を赤らめてうねうねと体を揺らした。
次に包みを解いたのは鎌倉のしらす弁当だ。
たっぷりと敷き詰められた、軽く炒められたしらすは、ほろほろと口の中で解れる至福の味だ。
これは箸では難しいだろうと思っていると、彼女が鞄の中を探してスプーンを取り出した。可愛らしい熊のデザインのスプーン。
会社での彼女は可愛らしいものを一切持たない、能率優先のビジネスウーマンだ。鬼姫と呼ばれるのは可愛らしい面が一切ない...もとい、女性にしては可愛らしい面が少ないことと、その手の話をすると、ぐっと眉を寄せて、なにそれ役に立つの?と無言のプレッシャーを掛けてくるためだ。
その彼女が可愛らしい私物を持っていることに驚いた。
「なに? おかしな顔して」
「君が可愛らしいものを持っているのが珍しくて」
「え、そう? 私も可愛いのが好きよ。みんな持ってるのが羨ましかったんだから」
「そうなのか?」
「川口さんのマグカップとか、清水さんのポーチとか、いいなー、可愛いな―って見てたのよ」
「おお、そうか」
「私も欲しかったのだけれど、真似したって言われるのが嫌で。うふふふ」
「良いんじゃないか、真似しても。それで揶揄われたりはしないさ」
「そお? なら今度買っちゃおうかなー」
話をしながらもしらす飯がスプーンで次々と運ばれてくる。鳥の雛になった気分だ。
「ところで、名前で呼んで欲しいな」
「え?」
「いい? 香織って」
「必要か?」
「うん、必要。ダメなの?」
「ああ、ちょっと待て。突然で驚いただけだ。...では...香織さん」
「はい、信之さん」
うふふと言いながら悶えている。俺も恥ずかしい。女性を名前で呼んだのは38年の人生で初めてだ。心の中では何度も呼んできた、香織さんという呼び名が俺の耳に残る。
最後に取り出したのが深川めしだ。
アサリのぷりぷり感を残したままでしっかりと出汁の効いたアサリのむき身が散らされ、アサリのうまみを含んだご飯が食欲をそそる。
「たくさん食べるんだな」
「あさりは栄養豊富で、特にビタミンB12とカルシウムが多いんだから。骨折したらこれだよね」
「おう、そうなのか? では食べないとな」
「そうよ、沢山食べてね」
はいあなた、とか言いながらスプーンを俺の口に運ぶ。駅弁を3つ食べる間に夫婦に昇進だ。なにより大きな違いは、俺の中でもこれが普通だと思っていることだ。さっきまで、あれ?昨日までは他人だったよね、なんて思っていたことはすっかり何処かに行ってしまい、いまは目の前の彼女がそうすることが自然のように感じている。
ちょっとまて。38年間彼女というものが居らず、女性という生き物に裏切られ続けた俺が、今の状況を信じていいのか。夢か? 実は眠っていて全てが夢。何処から夢なんだ。あの人命救助で俺は死んだのか、それとも肝試しなどしていた学生のために寝不足で、本当の俺は実はまだ家で寝てるのか、それとも香織さんとみよし屋に行って、今日は眠そうねとか言われたときからずっと眠っているのか。そういえばあの時の彼女の態度は急に親しみを感じるようになった。そこだ。たぶんその時から俺は眠っていて、これまでが全て夢なんだ。
あああああ、どうにかなってしまう。夢なら覚めてくれ。これ以上彼女を好きになる前に...。
xx駅に着いた。地元で一番大きな駅だ。
俺の住処は此処から6駅先で、途中乗り換えなければならない。彼女に聞くと此処から3駅だと言う。路線は違うが、俺が乗り換える駅までは一緒だ。
ちょっと嬉しく思ったことは秘密だ。乗換駅までは一緒に行けるね? 38歳のおっさんが考える事か。まったく学生の気分だ。...学生だったならと悔やんでいる。乗換駅で待ち合わせて学校まで一緒に...ああああああ、甘酸っぱい。
彼女はこの駅で用があるらしい。俺も用がある。組織がセッティングしたお見合いの場所がこの近くで、その時間まであと3時間もある。だが1度家まで帰ると、電車が無くて戻ってこれない。田舎あるあるだ。電車の本数はとても少ない。
帰りはちゃんと送ってあげるから、と彼女は言う。だから待ち合わせするためにメールアドレス教えてと聞かれた。携帯電話のメールアドレスを交換し、ちょっと嬉しくなった。というか、さっきまで夫婦のように接していて、アドレス交換が今かよ!と心の中で突っ込みする。
彼女もどことなく嬉しそうだ。
「あのね、用事にはまだ時間があるから、喫茶店に行かない?」
「ああ、そうしよう」
彼女の提案に乗ることにした。彼女に言わなければならない。
俺のこれからの用事はお見合いだと言うこと。そして、絶対に断ってくるから、待っていて欲しいと言う。
迷いなくそう思う。俺は彼女が好きなんだ。だから...待っていて欲しい。
シュガーという喫茶店に入った。
彼女が良く来る店だと言う。俺は来たことが無いが、ちょっと狭いが雰囲気が良い。質の良いテーブルクロスが俺の興味を引いた。
俺はコーラ、彼女はコーヒーを頼んだ。
席に座り、注文した品がすぐに届いた。彼女が、いつものはもっとゆっくりなんだけど今日は早いねと言う。見渡すと他にも客が居るが、それぞれのテーブルに品が乗っており、丁度掃けたところでタイミングが良かったのだろうと思う。
「腕はもう大丈夫かな。本当は朝まで待ちたいけど、ちょっと用事があって一緒に居られないのよ」
「ああ、12時間経つからな。その間ずっと強化していたからもう大丈夫だろう。無理なことをしなければ普通に使えるよ」
「そう、よかった。ごめんね」
「ああ、大丈夫だ。能力に目覚めた直後はあんなもんだ。知らない力が急に出るんだからな。制御できるわけがない。それより君だ。もうコントロールできるのか?」
「ええ、大丈夫。怒ったりしたら分からないけど、冷静なら力を出さないで居られるわ」
「よかった」
「あのね、私この後、お父さんに会って一緒に食事をするの。たぶん9時には終わるから、その位に待ち合わせしない?」
「俺も打ち合わせがあって食事をするんだ。多分そのくらいの時間になる。丁度いいな」
「ん。じゃあ決まりね。駅前でいい?」
「ああ、駅前で」
ふたりでにこりと笑い頷いた。
ひと呼吸おいて気合を入れる。言わなければならない。
「ええと、俺の用事は、組織が斡旋したお見合いなんだ。絶対に断ってくるから、待っていて欲しい」
「え?」
彼女が大きく目を開けて固まる。数秒だが無言の時間が流れた。そして彼女が口を開いた。
「あなたのヒーロー名、何だったかしら?」
「オールフォーザだ」
「うふふふ。おう、本さね。お父さん耳も悪くなったかしら」
「ん、何だ?」
「何でもないわ。フォーザってチカラ?」
「ああ、良く分かったな」
「フォースを信じる映画が好きなの?」
「ああ、好きだ。学生の頃に何度も見たよ。考えるのでなく感じるのだ。格好いいよ」
「うふふ、私も好きよ。今度一緒にシリーズ全部を観ようよ?」
「いいね、観よう」
「すべての力? オールフォーザって」
「ちょっと違うかな。万能って意味でオール。オールアラウンド、フォース、ザ、ヒーロー」
「ふーん。格好いいね」
「だろ? まあ、実体は伴わなかったけどね」
「何に悩んでいるのか、今度でいいから教えてね。私も同じような能力を持っちゃったから、使い方教えて欲しいし」
「ああ、分かった」
あはは、うふふと微笑み合う。楽しいひと時だ。
気が付けば1時間が経ち、出掛ける時間になった。店の前で彼女と別れる。
別れ際に彼女が言った。
「お見合い頑張ってね。ちゃんと相手を見て、正しい選択をするのよ。姿も見ずに断ったらとっても失礼なんだから。ちゃんとしてよね」
わざわざ俺を指差して念押しする。そして手をパタパタとさせながら歩いて行った。
お見合いの会場に着く。ホテルのレストラン。
見合い相手にどうやって断ろうかと考えていた。頭を下げて、正直に、今日、好きな人が出来たんだ。だからごめん。今日の件は無かったことにして。...うーん、ちょっとしっくりこない。
以前から好きな人が居て...。ダメだ。それではなぜ見合いしたんだと気になる。
ごめん、君は好みじゃないんだ。...出会ったばかりなのにそれは失礼だろ。
考えがまとまらないまま受付に着いた。受付で名乗ると窓際の席に案内される。
席には可愛らしい女の子が座っている。20歳くらいだろうか。
「君がお見合い相手?」
「違うわ。はじめまして。というか無線では何度も話してるけど、顔を見るのは初めてね。オペレータの桑原です。今日はオールフォーザの随伴者として来たの」
「お、おう」
「はい、此処に座って。相手ももうすぐ来るわ」
「ああ」
言われるがままに席に座る。
「ええっと、相手が勘違いしないか? 若い女の子を連れていて」
「えっ? ああ、大丈夫よ、伝えてあるから。それに経費で美味しい食事ができるのよ。この機会を逃す手はないわ」
目が爛々と輝いている。このノリは間違いなくオペレータの子だ。深く溜息をついた。
俺はビジネススーツを着ている。ヒーロースーツだと目立つから駄目なのだそうだ。どうやって身分証明をするのかと聞くと、大丈夫と答えがあった。今はなるほどと頷いて、隣に座る桑原さんを見る。
「お連れ様が到着なさいました」
案内の係員が客人を連れてきた。
見覚えのある顔。山下源治郎さん。この前、宅配車で眠り込んで深夜に走っていた小父さんだ。スーツを着ているが着慣れていないのか違和感を感じる。うん、この人は宅配の制服のほうが似合う。
その後ろから黒いドレスを着た麗人が姿を現す。長い黒髪を編んでハーフアップにし、真珠をあしらったクリップで止めてアクセントにしている。目鼻立ちはキリリとしており、瞼は二重で目が大きい。...似ている。
「香織さん?」
彼女の顔がパァっと明るくなった。笑うと分かる。間違いなく香織さんだ。
「信之さん、お待たせ」
香織さんが席に着く。源治郎さんは俺たちの顔を交互に見て、驚いた顔をした。
「なるほど。娘と同じ会社で君も働いているのか」
「はい。いやー、俺も驚きました」
「信之さんは、私が新人の時に面倒を見てくれてたのよ」
「それで仲がいいんだな。なるほどなるほど」
源治郎さんはまだ落ち着いていないようだ。
それもそうだろう。見合いという慣れない場所に娘を連れてきたんだ。それもつい先日まで会話してくれないと悩むほどの愛娘。そして相手はヒーローで、ヒーローと言えば変人だと世間では言われている。小父さんの中では世間の言う通り変人だったらどうしようとか悩んでいたに違いない。そしていざ会席の場についてみれば、初手から娘と良い仲のようだ。おっと、ヒーローを変人と言ったが、俺は変人ではない。おそらくな。
「それでね、私も能力が出たんだ。信之さんと同じ能力。ほら」
香織さんが何処からか出した金属製のコップを握りつぶす。そして手の平を開けると出てくる棒状の金属の塊。小父さんは顔色を変えて俺を見る。わかる。その気持ち。怖いよ。とても怖い。だって、片手でギュだよ? アイアンクローなんてされたら頭が吹っ飛ぶよ。
小父さんはおそるおそる俺に聞いて来た。
「君も同じことが出来るのですか?」
「いえ、残念ながら出来ません」
えー、と身を引く小父さん。ヒーローに出来ないことを平然とやってのける娘。
うん、分かる。可愛い可愛いと思っていた娘が、いつの間にかゴリラになっていた。おっと違う。人知を超えた化け物のほうが近いだろう。うん。ヒーローとはそういうものだ。俺は慣れたよ。
「えーっ、信之さんも出来るよね。やって見せてよ」
また何処からか取り出した金属製のコップ。というか荷物持っていないよね。何処から出したのそれ。ドレスの中から? マジシャンなの?
「あっ、やっぱダメ。骨折してるんだから無理させない」
その言葉に小父さんが少し生気を取り戻した。人知を超えた力よりも、骨折したって話題のほうが人間ぽい。
「はい。実は今朝骨折しまして。その、両腕をぽっきり」
「ほう。では上着を脱ぐとギブスかなにかしている? その割には普通に動かしているような。痛くありませんか」
うん、常人の発想だ。こうやって話をすると、やっぱりヒーローはおかしな世界にいることが分かってくる。だってさ、12時間で治るんだよ。ぽっきりいった両腕が。
「もう大丈夫ですよ。ちょっと裏技を使いまして。ヒーローの能力を治癒にだけ使っています。なので日常生活は支障がない程度には治りました」
「ごめんね、私が折っちゃったの。急に能力が出て加減できなかったんだ」
小父さんが、また少し怯えるように身を引く。ヒーローを大怪我させる娘。うん、怖いよね。俺も怖かったもの。死んだと思ったし。
「ははは、凄いですね、ヒーローというのは。まったく私の理解が追い付きません」
「ええ、それ分かります。若い時に能力が発現したんですけど、急に世界が変わりまして。だけどやっぱり、普通の世界に居たいんです。だけどこんなに強い力だと、周りが怖がるんですよね。...だって、ちょっと力を出したら人が死ぬんです。だから離れるしかない。ヒーローは寂しい心を持っています。人恋しいって気持ちですかね」
「なるほど。やっぱり君は私が見込んだ通りの人だ」
「ありがとうございます」
ふと見ると、隣で黙々と食べている女の子。実に美味しそうに食べている。口が小さいので話をしている俺たちよりも食べるのが遅い。この子も超人だな。ヒーローを怖がらない能力なのだろう。
「それでですね、小父さんにお願いがあります」
「ん、なんだね?」
香織さんを見ると、彼女は頷いた。分かるのか? 俺が言おうとしている事。まさか精神感応の能力? そんなのも発現したら最強だろ?
彼女が眉根を寄せる。やっぱり俺が思っていることが分かっている。精神感応。怖いな。
だが、それでも俺の気持ちは変わらない。
「お嬢さんを俺にください。必ず幸せにしますので」
香織さんが頷く。うんうんと何度でも頷く。
小父さんは仰け反った。さっきから小父さんは仰け反ってばかりだ。可哀そうに。
そして小父さんは言う。
「こんなガサツな娘でも良いのですかー?」
ガサツというか、力が強いだけだけどね。...あれ、ちょっと待て。
「ガサツなの?」
正直に思ったことを聞いた。香織さんの眉はくっつくくらいに寄っていた。
ちょっとだけ不穏な空気が流れたが、無事に見合いが円満に終わった。見合いというか、婚約だった気もするが、そのことには突っ込みしない。
そして、明日1日を一緒に暮らして、問題なければ結婚ということになった。
というか、短いでしょ? 婚約して1日経ったら結婚って。というか、好きって言ってない。それに付き合い始めたのっていつ? そういえばまだ手を繋いだこともないような。
「また変なこと考えているでしょ?」
「いや、そういえばいつから付き合ってるってことになったかなと思って」
「あーーー。昨日から?」
「まあ、そうだな」
「それにハグしたし、名前で呼んでるし、一緒に寝たし。結婚するには十分でしょ?」
「おお、そうか」
そうなのか? 確かにギュッと抱きしめられた。気が付いたらベッドに彼女がいた。彼女に下の世話もしてもらった。ひとつの弁当をふたりで分けて食べた。そして名前で呼んでいる。...あれ? まだキスしていないんだけど。
「あとは、あなたが寝てるときにこっそりキスしちゃったし、裸で抱き合ったのよ。えへへ」
そういえばヒーロースーツを着るときに最初から服を着ていなかった気がする。思い出した。その時の彼女も下着姿だったな。うん、そうだ。
「そうか。だったら十分だな」
あはは、うふふと笑い合う。もう夫婦だな、これは。
「では帰りましょ。あなたの家に」
「え?」
「だって夫婦だから」
いや、まだ婚約者だが。婚姻届けも出していない。...だが、もういいや。彼女が言うんだからそうなのだろう。
「そうだな。だが、荷物はどうする? 着替えとか無いぞ?」
「大丈夫。もう送ったから。今日はちょっと無いけど、明日届くよ」
手際が良すぎるだろ。っていうか、いつ送ったの? さっきの今だよ?
「うちが運送会社だって忘れたの? お父さんが運んでくれるわ。それも無料で」
あーーー、そうだったねー。それ送ったって言わないよね。送るよ、だよね?
小父さんが引き攣った顔で頷いていた。いや、もう、お義父さんだ。
数年後。
「オールフォーザ、そっちに行ったわ」
「了解、任せろ」
「緊急連絡。べーは特Aから奪った爆弾を持っている模様。気を付けて」
「オールフォーザ、了解」
砂煙の中から現れる暴漢の姿が見えた。
「ハーッ!」
全身の強化をする。今はもう、あの時のような制限はない。骨や腱を含めて全身を強化をする。そして全身で100倍の力が出せる。ハンドレットパワー。思考も加速する。
暴漢の腹に一発、拳を叩きこむ。100mなら2秒くらいで走れる。対象を殺さないように気をつけることに注意した。
爆弾を掴んで上空に投げた。たぶん500mくらい飛んだ。小さく爆発が見える。
飛んできた人影。目の前に彼女が降り立つ。俺の妻の香織だ。ヒーロー名はカオリ、名前そのままだが、世間では鬼姫と呼ばれている。能力は同じでハンドレットパワー。彼女も100倍の力が出せる。
結婚して1年後、俺と彼女は揃って会社を辞めた。特訓の甲斐があり能力の制限を解消し、俺たちはヒーロー稼業に専念した。
ヒーローランキングで上位に位置し、年俸は大幅に上昇。いまではトップスリーに並ぶ人気を誇る日本を代表するヒーローのひとりだ。人気は主に彼女が、だが。
レジェンドポーズを取り、撮影のヘリに向かって拳を上げる。彼女が俺に抱きついて、肩を並べてヘリに手を振った。
内心で、爆弾がヘリにあたらなくてよかったとホッとする。
彼女のお腹の中に新しい命が宿っている。同じ能力を持つ2人の子供。おそらく子供も同じ能力を持つだろう。ヒーローとして立派に育てていきたい。
彼女のお腹に手を当てて語り掛ける。
「お前が次の世代のヒーローだからな。俺たちを超えて見せろ」