第8話
池田は、事務所のソファに深く坐り込んで、これからどうしたらいいものかと考えていた。
——あの綾野 徹ってやつは、なんだったのだろうか。困ったものだよ、最近の若いのはさ。
自分は、ヤクザが簡単になれるなんて思われて俺らも舐められたものだな。
彼は鼻で笑った。
池田は部下を殺した人物を探そうとしたが、どこから手をつけていいのか分からなかった。
事務所のドアがゆっくりと開いて、ガタイの良い男が入ってきた。彼は何か言いたそうにもじもじしていたが、やがて口を開いた。
「会長……あの」なおも言い出せないでいた。「あの……」
「なんだ? 早く言え」
池田はイライラしていた。先ほどの青年のことといい、うまい具合にことが進まなくて気が立っていた。
「あの、その言い難いんですが、少し休暇を取られたらどうすですかね」
池田は、彼の目を見つめたまま離さず背もたれに体重をかけた。
ガタイの良い男は体型とは合わないほど、池田に話すときは緊張が止まらなかった。
「ほら俺——あの——いつも会長の顔は見てるじゃないですか……俺は」
池田は、まだ瞬きもせず見つめてうなずいた。
「だから、その、最近追い詰められすぎていると思うんです。だから、少し休んだ方がいいと思います」彼は言い終わると同時に兵士のように固まってしまった。
「それだけか?」
「はい」
「お前はいつも通りに表にいろ」
「はい。すみませんでした。出しゃばりました」
彼は兵士の状態で部屋を出て行った。手足は硬直しうまく歩くことができなかった。
彼が出ていくと池田はタバコに火をつけて思いっきり吐いた。
——俺が身を隠せと? ふざけやがって。でも良く考えたら1人で殺った奴を見つけ出すのは難しいだろうな。 松山会と戦争になったら……うちには使えない小僧ばかりだからな。
あいつが言っていたこともありかもしれないな。最近は、別荘にも行ってなかったし。妻が使ってなければいいがな。まあ、使ってるわけなどないか。
池田は、身支度をして事務所を出てガタイの良い男に話しかけた。
「お前が言ったことは確かかもしれないな」
ガタイの良い男は、自分の意見を聞き入れてくれた事に嬉しくなった満面な笑みをあからさまに出して、
「任せてくださいよ。この事務所は」彼は身体を、それ以上に大きくして見せた。
「お前にができることは守ることだろ? 無理するなよ」
男は、良かれと思って言ったのが、仇と出た事に悲しくなり少しだけ体が小さくなった。
池田は、彼のお尻を軽く叩いた。それから背中を彼に見せて、手を振り呟くように言った。
「ありがとうな」池田は表情を見せなかったが、ガタイの良い男には優しさが伝わった。
自分を頼ってくれたような気がして、彼は池田の後ろ姿を見送ると、また体を大きくしてはりきって仕事を再開した。
池田は、どこに向かうかも、誰にも言わずにしておいた。彼は車に乗り自分の別荘に、荷造りもしないで向かう事にした。
——誰にも言わずに、隠れよう今は、あいつが言った通り休んでみよう。
車のエンジンをかけ、車を発進させた。
その場面を見ていた徹は、何かに気づき車を追う事にしたかったけれども、車もないから不可能だった。
徹は何か池田に近づくチャンスがないかと気を揉んで帰らずに、渋野会の事務所の前で機会を待っていたのだった。
——くそ……車があったらな……けどこいつが俺の味方をしてくれるだろう。
彼は胸のポケットからスマートフォンを取り出して画面を見た。
音楽を聴くように持ち歩いていた携帯を、池田の車の腹の部分に結びつけておいたのだ。携帯を手の平で操作する時に使うリングに紐を通して車の底にあるパイプに。
彼が持っているスマートフォンは、いつも普段用に使っている携帯で、もう一つの携帯の行方を追う事にした。携帯に入ってるgps機能で。
急な閃きでやってしまった事だけれど、携帯が落ちななければいいと考えていた。そう彼は願って車のお尻を目で追った。
俺はこれからどうしようか……。
彼は考える暇もなく、目の前に置いてあった自転車にまたがってしまった。
行き先が分かるまでは、じっとしておいた方が良かったが、彼は絶交のチャンスだという気がしていてもたってもいられなくなった。
自転車に乗ったのはいいけど、これで車に追いつけるはずはないしな。
携帯の位置情報は、どんどん進んで行ってしまっていた。彼は近くにあったファミレスによる事にした。
席に案内されたが、注文をするのを忘れるくらいに携帯と見つめあってしまった。
その事に気がついた彼はスーツのジャケットを脱ごうとしたが、拳銃を左脇の下の拳銃入れにしまっていたのに気がついた。不慣れな格好に慣れないでいた。
彼は普段はこんな格好はしない。スーツなんてものは成人式以来着たことがなかった。
あの時もスーツなんて、その辺で売っていた安いものを買ったのだ。革靴なんてものは、新品などは高校の入学式以来履いていない。
彼は拳銃を見られていないか当たりを見渡したが、誰一人、彼を見てるものはいなかった。
吐息も気づかれないように、そっと吐いた。
そうこうするうちに田部井の車は高速道りに入った。
池田は彼の事務所から高速道路を使って、二時間の山奥にある別荘に向かっている最中だった。
彼は運転で変わらぬ景色の中にいたが、彼の脳みそは時を戻っていた。
東川は、物陰に隠れて二人の会話を聞いていたが、拳銃のコックするカチッと言う音がして顔を出して覗いたのだった。
松山会の先代は拳銃を池田に向けていて、彼の人差し指が動き始めたのを見てとった東川は、池田に向かって走って彼を突き飛ばした。
銃弾は東川の肩で止まった。
こんなに緊迫する場面は、初めてでは無かった池田だったが、そんな彼でも撃たれた東川を見て放心状態になってしまった。急いで現実に戻り拳銃を抜いて先代を撃ち殺した。
「大丈夫ですか? 会長」東川は身体を引きずりながら歩み寄って、池田に言った。
「喋んじゃね! 少し染みるぞ」そう言うと彼は胸ポケットからウイスキーが入ったボトルを出して、傷口にかけた。
東川は、痛みのあまり叫んだ。
池田は肩に入り込んだ銃弾を持っていたナイフで、取り出そうとして刃を肌につけた。
「なんで来たんだ」池田は刃を押し込んだ。東川はただ唸る声を出し、必死に痛みと戦うしかなかった。
銃弾が地面に落ちる音がした。
「危ないことになるかも知れないから、来るなって言ったじゃないか」
池田は、自分のネクタイで彼の腕を縛り止血して、担ぎ込んで車に乗せて病院に向かった。
「心配だったんですよ。会長がね」彼は痛さの余り顔は力み自分の力では、うまく座っていられないほどだった。「なんか、嫌な予感がしたんですよ」
彼は上手く喋れないで大きい声も出ないから話し終わるたびに吐息が漏れた。
「でもこれで俺もちょっとは、役に立つことがわかったんじゃないですか?」彼の目は薄く開いていたが、微笑むとの同時に静かに気絶した。
——俺は今でも忘れない。撃たれた瞬間のやつの顔は。
池田は東川が苦しむ顔が、いまだにしっかりと脳裏に焼き付いていた。
彼は、ナビの音声案内が鳴って驚いた。彼は左車線に移った。スピードを落として高速道路を降りた。
——よし。高速で降りたところはわかったぞ。
徹は、なにも頼まずに携帯から目を離さないでいた。
「あのご注文は?」痺れを切らした店員がやってきて言った。
徹は自分が注文していなかったことに気がついた。
彼はメニューを開き1番安いハンバーグを頼んだ。
「あとドリンクバーね」
「はい。かしこまりました」
と、店員は言って注文を繰り返したが彼は、何も聞いてはいなかった。
——よし。とりあえずは、あの人の行き先はわかったから安心した。
と彼は思って、立ち上がり携帯を肌に離さず、飲み物を取りに行った。コーラを注いですぐに席に戻って来た。
そんな事を数回、繰り返しているうちに、ご飯が出てきて彼はガムシャラに駆け込んで食べ始めた。
池田の車が急に止まった。
——あれ急に車が止まったな。こんな所で何をするのかな。でも追わないでいられるわけがない。
彼は、勢いのまま財布から千円札をだし机においた。このファミレスの常連客のように。
そこを出て、またさっき盗んできた自転車にまたがり、少しでも池田に近づこうと全力で漕いだ。
池田は、久々の別荘に来て色々な記憶が蘇った。
先に逝ってしまった元女房のこと、今の妻のこと、ここは沢山の思い出を作ってくれた。
彼は車を砂利の駐車場に止めて別荘を眺めた。別荘は木材で出来ていて古風な古民家を感じさせるところだった。
家の玄関を開けて、記憶がさらに蘇ってしまった。
——良かった。あの女は来ていないかと確認して安堵した。
彼は、靴を脱ぎスリッパを出して履いた。
ここは、今の妻とも来たことがあるし、彼女には自由に使って良いとも言ってあった。
しかし、誰とここに来ても、記憶は蘇ってしまう。
「これは女にはわからない感情だよ。なあ?」
と、彼は記憶の女に共感を求めた。それは死んでしまった元女房だった。
「お前も女だったな」
彼は、鼻で自分の姿を笑った。ここに来ると、あの時の香りも思いだす。
「君は言っていたな」
『柔軟剤の匂いは、あなたと同じ香りになるから嫌なの。だから私は、これからもあなたが好きな香水をつけるわ。そうすれば、あなたは今でも、これからも私の香りを求めてやって来てくれるでしょ? 私の胸の中に』
彼は、ここにはその匂いなんて存在するわけがないのに、鼻を膨らませて吸い込んだ。
そして埃で白くなっている彼女が座っていた所を、彼女が存在するかのように見つめてしまった。
「ここは少し気持ちが安らぐよ。君を近くに感じられる」
彼は、その椅子の隣に置いてあった椅子に座った。
そして目を瞑ったが、急にあの少年の顔を思い出して気持ちが落ち着かなくなった。
池田は前妻が死んでから、気がついたことがたくさんあった……。
彼が浮気をしたのも彼女の献身的なサポートがあったからだった。彼の仕事は、彼の前妻によって独り身の時よりもはるかに、仕事への意欲も増えて行っていた。しかしその矢先だった……。
急な知らせが入ったのだった。全てが上手く順調に行っていた時だった。彼は急にどん底の地を這うことになったのだ。そして彼は何もかもが、上手くいかなくなり気がついた……お前が俺の側にいてくれたから、俺はこんなにも大きくなれていたんだと……。
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