第6話
田部井は身支度整えて、どこか出掛けようとしていた。
いつも彼のそばにいて護衛をしている、村山は疑問に思った。
「どこへ行くんです?」訊いてみた。
「俺か?」彼はジャケットに袖を通していた「少しな、外の空気でも吸いに行こうかと」
「車回しときますよ」
「必要ない。自分で運転するからな」
村山が何かを読み取った表情をしたのを田部井は感じ取った。
「ああ。そうだな。車だけ回しといておくれ」
「わかりました」
そう言うと彼は部屋から出て行き、駐車場へ向かった。
——会長は何がしたいのだろう? ここまで俺らに秘密にすることがあるのだろうか?
いつも出かけるときは、この俺が運転をしていつも見守っていたのに……。
ここ最近は、一人行動が多い気がした。
渋野会の池田会長が慕っていた二人が死んで、その他の数人の怪我人が出たことよりも、出頭させた若い奴らのことしか首を突っ込まなかった。でもなぜ身代わり出頭なんてさせたのだろうか?
「お前警察に行って来い」
なんて言ったのには、何か秘密を知っているに違いはない。しかも、ならば殺った者も知っているはずだ……。もしかして会長自身が……。
そんなことを考えながら車を回して、田部井が来るのを待っていたら彼が出てきた。
「本当に一人もつけなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
彼はそう言うと、早々に車を発進させて行ってしまった。
村山は反射的に近くを通ったタクシーを拾って、田部井の後を追ってしまった。
田部井が運転している車は、村山が知っている彼の行動範囲を外れて行った。そうかと思うといつもの彼の寄る喫茶店に入って行った。
——いつもと変わらない行動なのか? 確かにドライブと言えばドライブにはなるけどな……。
田部井は、たまに一人で寄る喫茶店でマスターと話していた、と言ってもいつもは一人で時間を潰してはいるが、外には何人かの護衛はいた。
「いらっしゃい」マスターはコップの手入れをしていながら言った。「田部井さんじゃないですか」
「おう。あの若い奴はどこに行った?」田部井はカウンターに座った。
「若い奴ですか? なに飲みます?」
「名前は、なんて言ったかな?」田部井は、よそよそしかった。「コーヒーで」
「きっと、神田じゃないですかね?」マスターはコーヒーを丁寧に入れ始めて良い香りが充満した。
「彼は辞めましたよ。やだなー田部井さんも人の名前を忘れるなんて。あなたじゃないですか! ここで、こいつの面倒を見てくれって言ったのは」彼はコーヒーを田部井の前に置いた。
「そうだったな」温かいコーヒーを優しく飲んだ。「いつ辞めたんだ?」
「最近ですよ。え? 待ってください。あなたに挨拶しに行かなったのですか?」
「いやいや来たんだ。そうだそうだった。最近は、すぐ忘れてしまってね。いつものようにここに来たら、あの坊やに会えると思ったんだ。記憶というのは、いつも自分の好きなことしか覚えていないものだな」と田部井は微笑んで、コーヒーをすすった。「なんか言っていたかね? その……」
「神田ですか?」
田部井は頷いた。
「彼は『もうこの街に来ることはないかも知れない』とかなんとか。それで僕は『なんかやらかしたのか?』って訊いたら『いいや。なにもやってないですよ』って少し浮かれてましたかね」
田部井は、鼻を鳴らして微笑んだ。
「それからすぐですよ。急に連絡がつかなくなってね」
「そうだったのか」
「言っといてくださいよ! 田部井さん! 少しは大人のルールに従えって」
「わかったよ」田部井は口元を緩ませて微笑んだ。「一応聞いておくが、神田の住んでいたところは、まだ変わっていないか?」
「変わってないですよ。今は住んでいないでしょうけどね」
「そうか」——どこへ行ったんだ? 田部井は眉をひそめた。
「僕も神田と連絡がつかなくなった時に行ってみたんですけどね。夜逃げみたいになってましたよ」
「どういうことかな」
「夜逃げですよ。あなた達の職業には、よくあることじゃないのですか。引っ越し、した痕跡もないんですよ」
——そうだ。それだけの金はあいつに渡した。きっとやり直せられる金くらい与えてしまったのかもな。
「あ、でも少しだけ不自然な……不自然ではないのかも知れませんが、神田の住む部屋のアパートの鍵が壊されていたんですよ。あいつ金に困ってどっかの野郎から汚い金でも借りてたんすかね? 部屋の中も荒らされていたし」
「さあな。どうだろうな」
「あいつが借りてたアパートが俺の名義だったんで、修理だの、部屋の物の処理も俺の財布から出ることになって困ってて」
「もう帰るよ」と、田部井は言うと残っていたコーヒーをクイッと飲み干した。
「いやー良かったですよ。最近は神田がいなくなって本当のところ寂しかったんですよ。久々に話せて良かったですよ」
「金ここに置いとくぞ」と言い、五百円玉をテーブルに置いて「領収書」と言った。
「領収書ですか?」マスターは、いつも彼の口から聞かない言葉を聞いてびっくりした。
「そんな顔するな」と田部井は優しく言った。「神田の金のことだ。部屋の色んな事に金が必要なんだろ?」
「そうですけど……」
「俺に請求してくれ。その変わり人に訊かれるまで神田のことは黙っていろ」
田部井の急な堅気ではない顔に驚いた。
「はい。わかりました」と一生懸命に作り笑顔をして出て行く田部井の背中に「ありがとうございました」と言った。
マスターは振り向いて——今の俺の笑顔はうまく笑えただろうか? と鏡に向かって、さっきと同じ顔を作ってみた。大丈夫だ。さあ仕事の続きだ、と仕切り直して、またコップの手入れをし始めた。
その間、外で待っていた村山はタクシーに乗って田部井の後を追うのは危険だと思い、どうしようかと思いタクシーを降りることにした。
彼は田部井が何しているのか見当もつかなかった。
——おせーな。何してるんだろう。
会長はいつもここに来ていたことは知っていたけど、いつも俺はここで待たせられていたんだった。
買い物や食事、誰かと会っているときは、いつもこうやって外で待っているようにと指示されていたから、この小さなこの喫茶店も中のことは詳しくなかった。
十分は経ったろうな。いや十五分か?
その喫茶店を道を挟んだ反対の陰に隠れて待っていたが、ドアが開く音で田部井が出てくるのに気が付いた。
彼は俯いて考え事をしている様子だった。
——あいつが、やり直せるくらいの金を与えてしまったのは失敗だった。しかし、なぜ夜逃げのように姿を消したのだ? 金はいつも俺が貸してやっていたのに……とりあえず、あのボロアパートに行って見るか……。田部井はそう思い車に乗った。
それを見ていた村山は焦りに焦った。
——しまった次のことを考えてなかった! 俺から見て右に行けば会長は事務所に帰るだろう、と考えていたが真反対のほうへ行ってしまった。
その頃には会長の車は、もう見えなくなるほど進んで行ってしまった。
村山は、さっきまで会長がいた喫茶店に入って行った。
「いらっしゃい」
と、マスターはコップの手入れをしながら言った。
「あーあなた田部井さんの運転手さんでしょ」彼は村山の首を見ながら言った。
村山は、首まで刺青が入っていたからだ。
彼は、ここはうまくマスターに合わせたらうまいこと何か聞き出せるのではと調子を合わせた。
「あー良く分かりますね」彼は笑顔で、そう言いマスターからの次の言葉を待っていたが何も言わないので、またニコッと笑って見せた。
「あー! 次は住所ですか! 待ってくださいね」そう言うと彼は黙って記憶の中に行ってしまった。
村山は咳ばらいをして早くしろと促した。
「住所なんて行き場所がわかっていれば、暗記なんかしませんからね」とマスターは言い紙に地図を描いて渡した。
「ありがとうございます。助かりましたよ。ほら会長はプライドの高い人でしょ? 自分が行き場所の行き方なんて忘れたら恥ずかしいから『お前、マスターに聞いて来い!』なんてそれだけしか言わないもんだから……困っちゃて」
と彼はまたもや作り笑いをしてマスターの顔色を伺った。そして頭をかいた。
——大丈夫だ。ばれてない。俺、営業マン向きだったかもな——-と自惚れた。
村山は、お礼を言いドアを開け出て行った。
さて会長が行くとこは、キャッチ出来た。今、行こうか? でも会長に鉢合わせするかも知れないし。
彼は事務所に戻ることにして、時間が巧い時に行くことにした。
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