星の灯、最後の祈り
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I 満潮の夜、血の檻
夜は息を潜め、港の潮だけが不気味な律動を刻んでいた。
街全体に漂うのは、鉄と塩と、どこか甘い腐臭。
セラフィナが準備した「潮の檻」は、ついに完成しようとしていた。
ヨハンは礼拝所の扉を押し開け、夜空を仰ぐ。
赤く染まった月が、波の上に細い道を描いている。その道は、彼女――悪夢の中心、セラフィナ・ノクティファーへ続いていた。
「……行くぞ」
その声に、仲間たちはうなずいた。
ピックルは「潮見の星」を握りしめ、ボミエは尻尾を膝に巻き付けながらも杖を抱いて立つ。アメリアは刃を確かめ、ルシアンは水路を流れる潮の匂いを嗅ぎ分け、ライネルは冷たい視線で前方を見据えていた。
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II 星と潮の交差点
港の中心、古い灯台の跡地に、巨大な潮の渦が広がっていた。
その中央で、セラフィナが静かに立っていた。
彼女の足元には、影のような屍がうずくまり、夜風に溶けて蠢いている。
「来たのね、可愛い星の子たち」
セラフィナの声は甘い。だが、その奥には確実な狂気と、血の匂いが混ざっていた。
「鍵を渡せば、苦しみは終わるわ」
「渡さぬ」
ヨハンの声は低く、揺らがない。
「ならば、代価を払わせてもらうだけ」
セラフィナが指先を振ると、潮の檻が一斉に脈打ち、街全体の灯りが一瞬で消えた。
暗闇の中、ピックルの杖先だけが淡い星光を放つ。
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III 決死の戦い
戦いは嵐のように始まった。
ルシアンの水が渦を断ち、アメリアの刃が屍の首を裂く。
ライネルの炎が檻の一角を焼き、ヨハンの祈りが光を呼び込む。
だが、セラフィナの力は圧倒的だった。
影が増え、檻が狭まり、逃げ場は刻一刻と失われていく。
ピックルは必死に星の線を繋ぎ、檻の結び目を一つひとつ切り裂いていった。
その姿を見て、ボミエは震える声を絞り出す。
「ピックル……あぶないニャ! 下がるニャ!」
だが、ピックルは振り返らなかった。
ただ、短く笑って答えた。
「大丈夫。――星は、まだ動ける」
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IV 星が砕ける瞬間
セラフィナの影が一斉に襲いかかる。
そのとき、檻の結び目の中心に走る星の線が一瞬だけ緩んだ。
ピックルは迷わず杖を突き立て、全力で星の芯を解き放った。
轟音と共に、白い光が夜空を切り裂く。
檻がひび割れ、潮の流れが逆流する。
「ピックル! 戻るニャ!」
ボミエの叫びは、轟音にかき消された。
光が収まったとき、そこにピックルの姿はなかった。
ただ、「潮見の星」の杖だけが、割れた石畳の上に転がっていた。
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V 静寂のあと
戦いが終わったのは、夜明けが近い頃だった。
潮の檻は消え、セラフィナの姿も霧の中に溶けていった。
残されたのは、深い傷を負った街と、仲間たちの疲弊した呼吸だけだった。
ボミエは膝をつき、割れた杖を抱きしめた。
尻尾は動かず、耳は垂れ下がり、声も出ない。
「……うそ、ニャ……」
ヨハンは静かにその肩に手を置いた。
何も言葉が見つからなかった。ただ、祈りだけが胸の奥で渦を巻く。
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VI 残されたもの
礼拝所に戻ると、街の人々が静かに迎えた。
鐘の音は低く、重く、街全体の悲しみを告げていた。
トーロンが黙って杖を修理台に置き、ライネルは背を向けたまま拳を握った。
アメリアは剣を壁に立てかけ、無言で手を合わせる。
ルシアンは水を差し出し、ただ一言だけ呟いた。
「……彼女の選択は、海が覚えている」
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VII 星を受け継ぐ手
夜が深まり、礼拝所には静寂が訪れた。
ヨハンは「潮見の星」の芯を慎重に取り出し、ボミエの前に差し出した。
「ボミエ。――お前が持て」
ボミエは涙で濡れた目を大きく見開いた。
「わ、わたしが……? でも、ピックルの……」
「ピックルは、お前を選んでいた。震える手で、それでも線を繋いだお前を、ずっと見ていた。――その手なら、星は応える」
ボミエは両手で芯を包み込み、胸に抱きしめた。
その瞳には、まだ涙が光っていたが、奥には決意の炎が宿り始めていた。
「……ピックル。わたし、逃げないニャ。最後まで……ぜったい、逃げないニャ」
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VIII 再び鳴る鐘
夜明け、港に柔らかな光が差し込む。
鐘が静かに鳴り、街がゆっくりと目を覚ます。
ヨハンは高台から港を見下ろし、拳を握った。
セラフィナはまだ生きている。満潮は、また来る。
だが、今度はボミエが星を握っている。
その背中を見ながら、仲間たちもまた、静かに心を一つにした。
「次は――終わらせる」
その声が、潮風に溶けて街全体に響いた。




