星の芯と潮の檻
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I ひび割れた朝、編み直す手
港の夜明けは、破れ目から刺繍をほどいては縫い直すみたいに静かだった。
倉庫街に散らばった壊れた木箱、剥がれた看板の欠片、血でも塩でもない、何か冷たい粉の指紋。アメリアは短剣の背で印をつけ、ルシアンは潮の流れで匂いを洗い落とし、ナディアはほうきで路地を撫でて回る。ヨハンは礼拝所の扉を外に向けて開け放ち、板の隙間に詰まった夜の呼気を一枚一枚、手で剥がした。
ピックルは鐘楼に登り、星図に昨夜の乱れを書き足す。隣でボミエが震える手で線を引き、ところどころで「ごめんニャ……」と紙に謝る。そのたびにピックルは「謝るのは線じゃなくて、星の名前を間違えたときだけ」と軽く笑い、彼女の手の甲を指先でこつん、と叩いた。
「満潮の前に“芯”が要る。星を静かに束ねる芯。学院に残ってる試作のスターライト……壊れてても、内側の星の芯だけは生きてるはず」
ピックルの声はいつになく真面目だった。耳の先がぴんと立ち、尻尾は緊張でわずかにふくらむ。
「ボミエ、行ける?」
「い、行くニャ……! ぜったい、逃げないニャ……!」
ヨハンは二人の背に目を落とし、胸の奥で古い棘がひとつ溶けるのを感じた。亜人という言葉の棘は、もう祈りの邪魔にならない。昨夜、彼は“手”のために祈り、ボミエの手は彼の祈りの主語になった。ならば今度は、自分の肩が二人の背の支えになればいい。
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II 旅の魔導士、血の影
ライネル・ド・グラシアは、礼拝所の卓に古びた皮袋を広げた。中には真鍮の計測器、星見の四分儀、そして血のついた糸で巻かれた羊皮紙。
「セラフィナは“血の契約”で屍を動かしている。契約紋が港の至るところに刻まれている。潮風に乗る匂いに、鉄ではない“古い血”の気配が混ざっているのが証だ」
アメリアが眉をひそめた。「古い血?」
「人でも亜人でもない。起源の血だ。――海の底で、最初に名付けられたものに繋がる……」
言ってから、ライネルは口を閉ざした。言葉そのものが呼び水になることを、彼は知っている。彼の後ろ姿には、追われる者の影と、同時に何かから逃げる者の影がつきまとっていた。
「ヨハン。鍵の話をしよう。満潮の夜に“扉”は二つ開く。陸の扉と、海の扉。どちらかを閉じれば、片方が大きく開く。鍵は一つだ」
ヨハンは胸のペンダントに触れ、目を閉じた。扉が一つではないと教えたのはエステラだった。鍵穴を選ぶのは、潮か、星か、それとも人の“間”か。
「まずは芯だ」ピックルが軽やかに言葉を跳ね上げた。「道具がないと、選ぶことさえできない」
「学院の書庫は封鎖されている。市は夜間警戒で手一杯だ」アメリアが短く告げる。「昼にやる。今しかない」
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III 学院の残響、書庫番の掟
海沿いの坂を上がりきると、岩肌に貼りつくように建つ星術学院の石造りの楼が現れた。風見の矢羽根は錆びつき、扉は板で打たれ、古い紋章旗は潮で色を失っている。門の前には一本角の古い槍を杖代わりにした老婆が立っていた。
「書庫番シビラ。学院最後の鍵守りだよ」アメリアが耳打ちする。
老婆はヨハンたちを見上げ、皺でできた迷路の奥から涸れた声を取り出した。
「祈り手、猫の子ら、海の子、そして旅の血。……どれも書物より重い匂いがするよ。鐘が鳴る前に用が済むなら通すが、代わりに一つ、ここに“書き置き”をしていきな」
「書き置き?」ヨハンが首を傾げると、シビラは扉の内側の板壁を指差した。そこにはこの街に生きた名もなき人々の短い言葉が焼き付けられていた。願い、謝罪、遺言、歌の一節。
「ここに書けば、星の下で嘘にはならない。嘘は星に嫌われ、潮にさらわれる。……あんたら、自分の言葉を置いていきな」
ピックルは迷いなくチョークを取り、壁に一行を書いた。
――星は人のために降りない。でも、人のほうから星のところまで手を伸ばせる。
ボミエはしばらく石の床を見つめ、やっとのことで小さな文字を刻んだ。
――逃げないニャ。こわくても、逃げないニャ。
ヨハンはチョークを握ると、胸の中で言葉を整えた。
――殴るためでなく、掴むために手を使う。鍵穴は、痛みを分け合える場所に。
ルシアンは波の紋様を描き、アメリアは「守る」とだけ短く刻み、ライネルは少しの間躊躇してから、古い言語でひとつの名前を書いた。その名前には、誰にも読めぬ眠った火があった。
「いいさ。入んな」
シビラが扉を押し開けると、冷たい書物の匂いが肺に染み込んだ。
書庫は沈黙の海だった。背の高い書架が波のように並び、天窓から落ちる光の柱に埃が泳ぐ。シビラは杖で床を叩き、低い声で唱える。
「目を盗み、手で触れ、心で返す。――書庫番の掟だ」
「スターライトの杖の“芯”は?」ピックルが堪えきれないというふうに身を乗り出す。
「北棟の最奥、“天球室”。鍵は……ほれ」
シビラが投げたのは、錆びた星型の金具だった。ライネルが受け取り、先を行く。ピックルとボミエは、猫のような柔らかい足取りで後を追い、ヨハンは杖で床を確かめるように進んだ。
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IV 天球室、割れた光
天球室は、空を閉じ込めたみたいな丸い部屋だった。天井には古い星図が描かれ、床には風化した天球儀。中央の台座に、布を巻かれた長物が静かに横たわっている。
布をほどくと、中には銀白の杖――だが先端は折れ、柄には無数のひび。
それでも、内側から生きた光がかすかに漏れていた。
「芯は、まだ息をしてる」ピックルが瞳を細める。「出すよ」
彼女は器用な指で柄の継ぎ目を外し、ひびの間に薄い刃を差し込んで金具を持ち上げる。ボミエは息を止め、震える手を胸に当てた。
「ボミエ、ここを押さえて。ずれたら光が逃げる」
「わ、わかったニャ……!」
二人の指が、星の心臓に触れる。銀の破片の間から、青白い光の糸がほどけ、猫の髭先みたいにふるふると揺れた。ピックルはその糸を折らぬように少しずつ巻き取り、小さな水晶の管に収める。
「スターライトの芯、確保」ピックルが息を吐く。「新しい杖の器が要る。鍛冶師――」
「器なら、海門の鍛冶屋“トーロン”」アメリアが言う。「船釘を打ち、海風に耐える刀身を鍛える。星の芯を守る器なら作れる」
「じゃあ、急ごうニャ!」
ボミエが笑って耳を立てた瞬間、天球室の天窓に影が走り、室内の空気がいっきに腐った葡萄の匂いに変わった。
蝙蝠の群れ――否、それは影の帳の切れ端だ。天井から垂れ、壁伝いに伸び、床に落ちると塩と黒い粉になって這う。ピックルが素早く星の線を張り、ボミエが杖を握って地を打つ。
「境界、維持!」
「が、がんばるニャ!」
ヨハンは胸の前で十字を切り、短く祈った。
「Revertere. 帰れ。書物は棚へ、塩は器へ、影は夜へ」
影が一瞬たじろぎ、ピックルの線にひっかかる。ライネルが杖の柄で影の縁を押し返し、アメリアが窓の閂を閉めた。ルシアンは水の匂いを呼び込み、室の腐臭を薄める。
そのとき、細い笑いが、天井の星図の奥から滴り落ちた。
「素敵。星の芯は、若い手に光るとよく似合う」
セラフィナの声だ。姿は見えない。だが、音は部屋全体の至るところから、少しずつ違う高さで響く。
「鍵は、どう?」
「ここにある。だが渡さぬ」
「知ってる。だから、代わりに“扉”をひとつ増やす。――潮の檻を」
空気が凍り、天球室の壁の模様が、波のように浮き上がった。
壁の裏から水音がふくらみ、目に見えない水の輪が部屋を包む。
「外へ!」
アメリアが叫び、扉を引いた。が、外へと続く廊下にも、透明な壁が立ちはだかる。水ではない。水の“決意”だ。押せば手を切り、叩けば骨を打つ。ルシアンでさえ、眉をひそめた。
「潮の檻。……海の意志を借りて、空間に“満潮”を固定する。やっかいな術だ」
「なら、干潮を呼ぶニャ!」
ボミエが杖を掲げる。ピックルが耳を立て、頷く。
「星で潮を欺く。――ヨハン、祈りで“間”を作って!」
ヨハンは羊皮紙の断片を胸にあて、短い節を三つ結んだ。
“間”の呼び出し。手と手の接点。痛みの分配。
彼は左手でボミエの手を、右手でピックルの手を握る。星の芯が二人の指の間で淡く脈打ち、三人の呼吸が揃う。
「Ex voco… inter manus… Misericordia.」
部屋の空気が一瞬だけやわらぎ、潮の檻の継ぎ目が見えた。ピックルがそこに星の釘を打ち、ボミエが震える線で結び目を作る。ライネルが杖で結び目を軽く叩き、アメリアがその隙間に体を滑り込ませる。ルシアンが最後に水を引き、全員が“檻”の外に転がり出た。
廊下の向こうで、シビラの杖が床を鳴らす音がした。
「星の子ら、走れ! 檻は広がる!」
彼らは書庫を駆け抜け、門へ。壁の“書き置き”の前で一瞬だけ足が止まる。ピックルの文、ボミエの文字、ヨハンの誓い、アメリアの“守る”、ルシアンの波、ライネルの古い名。――それらが背中を押した。
外気は冷たく、潮はまだ穏やかだった。シビラは息を切らしながら笑い、扉を背に杖を立てた。
「置いてった言葉が、嘘じゃなかったから、道が空いたよ。……さあ、次は器だ」
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V 海門の鍛冶屋、星の鞘
海門に近い路地の奥に、鉄の匂いのする店があった。看板には《トーロン鍛冶工房》。中では大柄なドワーフの男が、耳飾り代わりに釘をくわえ、火床の温度を目で測っている。
「星の芯を入れる器がほしい?」
トーロンは目を細め、鼻髭を撫でた。「剣なら早いが、杖は難しい。しなり、震え、歌う。――だが、やる」
ピックルが水晶管を両手で差し出す。トーロンはそれを掌に転がし、にやりと笑った。
「綺麗な“心臓”だ。……誰のものになる?」
ピックルが息を吸いかけ、ボミエを見た。ボミエは耳を伏せ、尻尾を膝に巻き付け、首を横に振った。
「ピ、ピックルが先ニャ……。わたし、まだ震えるニャ」
ピックルは一瞬だけ戸惑い、それから肩をすくめて笑った。
「じゃあ“私たち”のもの。――ね、ボミエ」
「う、うんニャ!」
トーロンは火床に炭をくべ、古い海釘を溶かし、波の紋様が浮く合金を流し込む。炉の火は赤く、鉄は歌い、ハンマーは一定の律で鳴った。ヨハンはその音に祈りの拍を合わせ、ルシアンは火に水の息を混ぜ、アメリアは扉の外で目と耳を張る。ライネルは、炉の火を見ながら唇を結び、何かの記憶を噛み殺していた。
「できた」
トーロンが差し出したのは、波の紋様を抱いた細身の杖。先端は星の芯を受ける小さな座になっている。ピックルが水晶管の封を切り、光の糸をそっと座に落とす。ボミエが震える指で最後の留め金を結ぶ。杖が、細く高い音で一度だけ鳴った。星の音だ。
「名をつけろ」トーロンが言う。「名は道になる」
「“潮見の星”」ピックルが即座に答えた。「潮と星を見る杖」
「す、素敵ニャ……!」
ボミエが耳を立てて微笑む。その笑顔は、誰よりも星の芯に似合っている、とヨハンは思った。
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VI 潮の檻、街に降る
夕刻、鐘楼から異音がした。打ち木の間に、透明な何かが噛み込む音。空がうっすらと歪み、街路の角に、見えない壁が立った。人々がぶつかり、手を切り、叫びが上がる。
「潮の檻が街に降りてる!」アメリアが走りながら叫ぶ。「セラフィナが“満潮”を街の至るところに固定してる!」
檻は水ではない。水の意思の枠だけが街に降り、それに触れると血が逆流し、記憶が濁る。老人が古い名前を忘れ、子が母の顔を見失い、猫が空の一点を凝視して背を丸める。
「境界、張る!」ピックルが杖を振る。「星で檻を“見える”ようにする!」
「わ、わたし、線をつなぐニャ……!」
二人の星の粉が、透明の壁に細い輪郭を与えた。アメリアは剣の腹で壁を叩き、ルシアンは水路から水の“低い道”を引き、檻を床に沈める。ヨハンは祈りで“間”を呼び、近くの人々の手を握ってひとつずつ渡した。手から手へ。母から子へ。名が戻る。顔が戻る。涙が戻る。
そのとき、港の先端――古い灯台の上に、黒い影が立った。
セラフィナ・ノクティファー。夜を冠にし、月を肩にかけ、唇に冷たい花の粉をのせて。
「鍵は?」
遠いのに、その声は耳の後ろから囁くようにはっきりと聞こえた。
「ここにある」ヨハンは胸に触れた。「だが渡さぬ」
「では、あなたの“手”を」
彼女が腕を広げると、目に見えぬ檻の枠がいっせいに収縮した。街角の叫びが濃くなる。鐘の音がくぐもる。潮が石畳の下で反転する。
「ピックル!」アメリアの声が張り詰める。「灯台へ!」
「行く!」
ピックルは“潮見の星”を握り、アーチを跳び、屋根を渡る。ボミエはすこし遅れて、しかし決して離れずに後を追った。
「ボミエ、怖かったら戻って!」ピックルが風に叫ぶ。
「こ、怖いニャ! でも、逃げないニャ!」
二人の尾が夕陽に細い弧を描いた。
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VII 灯台の上、片翼の星
灯台の螺旋階段は濡れて滑り、冷たい息で指先の感覚を奪っていく。上へ、上へ。最後の踊り場で、ピックルは一瞬だけ足を止め、振り返らずに言った。
「ボミエ。私が線を引く。君は結び目を。――大丈夫」
「だ、だいじょうぶニャ……!」
最上段に出ると、風が体を削った。セラフィナが欄干にもたれ、港の灯を軽く指で弾くみたいに見下ろしている。彼女の目が、二匹の猫を興味深げに撫でた。
「綺麗な杖。……それを持つのに、あなたは少し優等生すぎる」
「優等生でいい。線は誤差が少ないほうが正確」
ピックルは杖を掲げ、星の線を空に走らせた。灯台の上空に薄い天蓋が張られ、潮の檻の枠が一瞬だけ姿を現す。ボミエが震える手で結び目を作る。風が結び目をほどこうとするが、彼女は歯を食いしばり、尻尾で体幹を支え、指を離さない。
「離しなさい」
セラフィナの声が、指の関節にまでしみ込むように柔らかかった。
ピックルは笑った。強がりでも虚勢でもなく、ただ笑った。
「やだ」
星の線がきしみ、檻の継ぎ目が弾けた。灯台を包む見えない壁が一瞬だけ緩む。その隙を、下からの祈りが掴んだ。ヨハンが呼ぶ“間”、ナディアの手、ルシアンの水、アメリアの刃、ライネルの火。街が灯台の頂へと手を伸ばす。
セラフィナの瞳が、夜の底で細く尖る。
「なら、代価を」
彼女が指先で夜をひとつ摘み上げると、灯台の内側――登ってきた螺旋階段の下から、透明の壁が急上昇した。逃げ道を塞ぐ檻。足元が滑る。欄干の外は海。上は夜。
「ピックル!」
ボミエが叫んだのと、下から鐘がひとつ、古い響きで鳴ったのは同時だった。ナディアの合図。街全体が息を合わせるための、たったひとつの音。
ピックルはボミエのほうを一度だけ見て、言った。
「結び目、任せた」
次の瞬間、彼女は“潮見の星”を逆手に持ち、星の線を自分の足元に打ち込み、体重をかけて檻の継ぎ目をこじ開けた。亀裂が走る。風がうねる。セラフィナの影がわずかに揺れ、夜の花がひとひら、海へ落ちた。
「い、行っちゃだめニャ!」
ボミエの泣き声に似た叫びが風に千切れる。ピックルは首だけ振り返り、いたずらっぽい笑顔を置いていった。
「だいじょうぶ。――星は、君のほうが似合う」
星の線が弾け、“潮見の星”の先端がひび割れた。芯は生きている。だが器は負荷に耐えきれず、波の上で細かく散った。継ぎ目が完全に開くよりも早く、セラフィナの影が伸び、灯台の床を掴む。
「もう少し遊びましょう」
夜が、ふたたび締め直される。
ひとまず、檻は緩んだ。だが、満潮はまだ上り坂の途中にいた。
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VIII 星は貸し、街は覚える
ふたりは転がるように灯台を降り、アメリアとルシアンに引きずり込まれるように市壁の陰に滑り込んだ。ヨハンは駆け寄り、ボミエの肩を掴む。ボミエは泣いてはいなかったが、耳の付け根が痛いほど赤い。
「ピ、ピックルは……だいじょうぶニャ……!」
「大丈夫だ」ヨハンは断言した。祈りではなく、選択として。「芯は生きてる。器はまた作れる」
トーロンが舌打ちしながらも腕をまくる。「なら、もっと頑丈で、もっと歌うやつを作るだけだ」
ライネルは灯台の黒い影を見上げ、長く息を吐いた。「彼女は“代価”を集めている。痛みの総量で扉を開けるつもりだ。満潮の夜、街全体が“鍵穴”になる」
「なら、街全体で“鍵”になろう」ヨハンは言った。驚くほど静かな声で。「痛みを分け合って、赦しを呼ぶ。――ひとりぶんじゃない、街ぶんの祈りで」
ナディアが頷き、笛を指にくるりと回した。「合図は任せて。鐘も。パンも」
アメリアが短剣を払って鞘に納める。「夜警の網を広げる。レジスタンスを名乗る連中にも、一枚噛ませる。奴らの旗でも、今日は人手だ」
シビラが坂の上から杖を突きながら降りてきて、笑った。「壁に書いた言葉が道を作るよ。……星は貸した。返すのは、朝だ」
ピックルは深呼吸をし、割れた“潮見の星”の柄を胸に抱いた。ボミエはその横で、拳を握りしめて言った。
「わ、わたし、結び目をまちがえないニャ……! ピックルを、街を、ぜったい守るニャ……!」
その語尾が風に乗って、夜のはしり雨に溶けた。
セラフィナは灯台の上で、白い喉を反らせ、ひとつ欠伸をした。
夜はまだ長い。満潮まで、あとわずか。――潮は約束を忘れない。
そして、街もまた、忘れない。
星の芯は生きている。器は、手で作れる。
鍵は胸に。鍵穴は“間”に。祈りは、殴るためではなく、掴むために。
鐘が、低く一度鳴った。ゴーン。
それは、次の章の扉を叩く音にも聞こえた。