返照の帳、借りた目の利子
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I 白蝋の帳、港のざわめき
港の鐘楼に、新たな棚が生えていた。
昨日まではなかったその棚には、二枚の栞が静かに差し込まれている。
一枚は白蝋に赤い糸で縫われた《視線の借用証》。
もう一枚は灰色の紙に青い点が踊る《返照の帳》。
ヨハンは胸の銀を握りしめ、低く呟く。
「借りとはなんじゃ……誰が、誰から借りたというんじゃ」
ミレイユが栞を指でなぞり、目を細める。
「“借りた視線”は“返す視線”で精算される……そう記してある。でも利子は“主語”だわ。返すとき、誰かの『誰であるか』が欠ける」
港の人々は、この異様な布告に気付いていた。
街角では、誰ともなく「あの棚は見たか」「名前が書かれていた」「子供の声が遠い」と囁きが広がる。
エステラは鼻を鳴らし、港の空気を嗅いだ。
「血の匂いはまだ遠い……でも、骨の匂いが濃くなってる。潮の底から、何かが上がってくる気配があるわ」
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II 夜霧と骨の足音
夜、霧が港を覆った。
ざわり、と海の奥底から音がした。まるで何百もの骨が擦れ合うような音だ。
「……来るぞ」
ルーシアンが霧の流れを読み、低くつぶやく。
崖下の洞窟から、闇の隊列が現れた。
――屍鬼。
肉を持たぬ骸骨、海水で膨らんだ皮膚をまとった死体、目の穴だけがぎらつく頭蓋骨。
その中央に、濃い闇を纏った長身の影がいた。
骨の王冠をかぶり、背からは黒い霧が滲み出している。
死霊ノ王――古い戦場の亡霊であり、骨と腐肉の王。
「ようやく見つけたぞ、人の街……この港は、我が王国の礎となる」
その声は低く、重く、霧の奥底に響いた。
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III 最初の衝突
港の鐘楼が警告の鐘を鳴らした。
ナディアが笛を吹き、仲間たちが一斉に動く。
「防衛線を張る! 子供と老人を避難させろ!」
ジュロムが槌を構え、地を叩いて振動の壁を作る。
ボミエは震える手で杖を掲げ、星の光を結ぶ。
「……やるニャ……ピックルの杖だもの……負けないニャ!」
骸骨たちが一斉に突撃する。
空気が裂け、骨がぶつかり合う甲高い音が港中に響いた。
ヴァレリアは袖の中の棘を放ち、骨を砕く。
ルーシアンの水刃が骸骨を切り裂き、エステラの牙が闇の眷属を噛み砕く。
ヨハンは胸の銀を掲げ、祈りを叫ぶ。
「鍵は胸に! 鍵穴は“あいだ”に! ――掴め!」
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IV 死霊ノ王の宣告
港を揺らす轟音と共に、ネクロ・ロードが歩み出る。
彼の足跡からは黒い霧が這い、そこに倒れた屍鬼が再び立ち上がる。
「人間も亜人も、同じだ。死の前では皆平等……だから、この街も、命も、すべて私の王国の土台になる」
その声は低いが、港全体に響く。
避難していた人々の顔に、恐怖の影が広がった。
ボミエが杖を強く握る。
「この街は……渡さないニャ!」
だが、王の闇は深かった。
彼が手を掲げると、地中の骨が震え、石畳を突き破って骸骨兵が無尽蔵に湧き出した。
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V 仲間たちの反撃
ナディアが笛で合図を送り、陣形を整える。
ルーシアンが水の壁を広げ、骸骨の群れを押し返す。
ジュロムの槌が地を叩くたび、骨が粉々に砕けた。
エステラが敵の首元を狙い、鋭い牙で噛み裂く。
ボミエは杖を掲げ、星の光を放つ。
「星よ、導けニャ! ――《スターライト・バースト》!」
天から降り注ぐ光の雨が、骸骨たちを焼き払った。
しかし、その光は死霊ノ王には届かない。
ネクロ・ロードは黒い霧で星の輝きを飲み込み、冷たい笑みを浮かべた。
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VI 鏡の返照
鐘楼の棚が揺れ、青い光が瞬いた。
《返照の帳》が開き、青い文字が空に浮かぶ。
「借りた視線は、返さねばならぬ」
ヨハンの胸が痛んだ。
港のために借りた「視線」の力――その代償が迫っている。
ミレイユが叫ぶ。
「ヨハン! 返照が始まってる! 誰かが視線を“差し出さなきゃ”王を押し返せない!」
仲間たちが息をのんだ。
その場に静かな沈黙が落ちた。
「なら、わしが――」
ヨハンの言葉を遮るように、ナディアが一歩踏み出した。
「だめ。今は……わたしの“声”が借り物だから。返すのは、わたしたちの声」
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VII 死闘
返照の光が港を包み、仲間たちの足元に星の紋が広がる。
ナディアの笛が鳴り、ボミエの杖が共鳴する。
ルーシアンの水が光を纏い、ジュロムの槌に青い炎が宿った。
エステラは牙を研ぎ澄ませ、ヴァレリアは棘を礼の角度で構える。
ミレイユは羽根筆で詠唱を書き換え、ヨハンは胸の銀を高く掲げた。
「――掴めッ!」
光と闇が衝突した。
骨の王の叫びが夜空を裂き、港全体が揺れる。
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VIII 王の退き際
死霊ノ王は深い霧を吐き、骸骨たちを撤退させた。
「面白い……この街は骨を増やすのにちょうどいい……また来るぞ、人間たち。次の満月の夜、貴様らの“主語”ごと奪い尽くしてやろう」
そう言い残し、ネクロ・ロードは闇の底へと消えた。
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IX 港の夜
戦いのあと、港には静けさだけが残った。
崩れた石畳、砕けた骨、そして青く光る返照の跡。
ボミエは杖を抱えて泣きじゃくった。
「まだ……まだ、守れたニャ……? ピックル、見てたニャ……?」
ヨハンはその肩に手を置き、低く呟く。
「守れたとも。……まだ、終わっとらんがの」
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X 新たな予兆
夜空を見上げると、遠い雲間で青い星が瞬いていた。
その光は、まるで何かを告げるように鋭く瞬く。
ミレイユが名録を閉じ、深く息を吐いた。
「次は……骨の王との決着。返照の帳が、そう書いている」
ヨハンは胸の銀を握りしめた。
「ならば、次は掴む。借りを返してでも、この港を守る」
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つづく:第三十四話 屍鬼の行進、骨の王冠
次回予告
満月の夜、死霊ノ王が本格的な進軍を開始する。
骸骨と屍鬼の軍勢が港を包囲し、鐘楼の棚が返照の最終章を告げる。
港の仲間たちは命を賭けた決戦に挑むが、返照の“利子”が一人を呑み込もうとしていた――。




