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亡国の老騎士と夜の律に抗う者たち——  作者: 和泉發仙


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骨の行軍、奪われた声




I 黄の皮膜、風の鳥肌


 夜のはじまり、港は妙に静かだった。

 黄昏の薄皮が空に延び、灯りは消えないのに色だけが褪せて見える。海はやけに凪いで、波の口が言葉を忘れている。エステラがアーチの上で鼻を上げ、扇の骨で自分の踝を二度叩いた。


「……変だわ。死んだ匂いが湿ってない。乾いた骨の粉が、風に混ざってる」


 ヨハンは胸の銀を衣の下で押さえ、低くうなずいた。

「**ほね**は水を嫌う。潮が退いとる。――来るぞ」


 ナディアの笛が二音、短く鳴る。ジュロムが大槌を肩に担ぎ、ザードルが炎の音だけを高く立てる。ルーシアンは水路の閘門を半分閉め、逆潮の溜まりをいくつも用意した。ミレイユは名録を巻き、羽根筆を帯に挟む。ヴァレリアは棘を袖の中で撫で、ボミエは星潮の杖を胸に抱き、耳を立てる。


「震えは節に入れるニャ。節は線、線は網になるニャ……」


 トマスは鐘楼の影でロープに指をかけ、鼓動を数えていた。二三、二三――港は、その拍で息を合わせ始める。



II 骨の来訪


 最初の音は、沈黙だった。

 つぎに、遠いところから砂が擦れる音が来る。乾き切った布をこすったみたいな、音のようで音でない音。

 広場の端、影が“細かく”増え、形を持つ。腕骨、肋骨、脊椎。首なし胴骨が四つん這いで這い、頭蓋が板の上を転がる。布きれがはためくたびに、そこに人の形が作られる。――スケルトン。


 遅れて、湿りをまとった塊がにじむ。指先がべたつき、口が開きっぱなしのまま、嗅覚だけが先に動く。皮膚に色がない。――ゾンビ。


「数――多すぎる」ルーシアンが水面を読む。「潮の拍から外れている。意図で動いてる」


 エステラは鼻で風を切り、「うえじゃない。**した**から押し上げてる匂い。……**骨紋こつもん**の魔法だわ」


 ザードルの炎が音を張る。

「だったら焼く。骨は音で割れる」


「待て」ヨハンが手を上げる。「骨には拍が入っとる。――誰かが打っとる」


 その時、港の遠くで骨太鼓の音がした。クローヴィスのものではない。もっと粗野で、もっと大きい。コン、コン、コッ、コン――行軍の拍だ。



III 骨紋司祭オッセウス


 広場の奥、古い井戸の縁に、やせた長身の男が現れた。頭巾の下からのぞく眼は乾いており、両手の甲には古い骨紋が刺青のように刻まれている。腰には、子どもの腕ほどの細い骨笛。

 男は軽く会釈し、骨笛を持ち上げた。


骨紋司祭オッセウスと申す。夜の徴発に参った。――それ(指が鐘楼と学校を指す)は、良い音を持っている」


 ヴァレリアが一歩進み、棘を見せる。「順番。最初に斬るのは――」


「――いくさからお始めください。徴発は戦の後に致します」

 男の声は乾いている。礼儀はあるが、血が無い。


「いや先に終わらせるニャ!」

 ボミエが杖を突き出し、星の線を低く張った。「この街から誰も連れていかせないニャ!」


 オッセウスが骨笛をひと舐めした。

「良い。――始めましょう」


 骨笛が鳴る前に、骨太鼓が鳴った。コン、コッ、コン、コッ。

 地面が行軍の拍で固まり、スケルトンが列を成す。ゾンビはその列の脇で嗅覚のように揺れ、前進の方向へ鼻面を向け続ける。



IV 最初の衝突


 ナディアの笛が返しを吹く。二三、三二、一四。

 ジュロムが大槌を振り上げる。「オラァァ!」

 槌は骨の列の**“言い回し”を崩す。列は「まっすぐ進む」という述語で繋がっている。その述語を鈍い音で折れば、骨はばらばら**になる。


 ザードルの炎が音で骨の接ぎ目を焼き、ルーシアンの水がゾンビの粘りを洗い落とす。エステラは砂を撒き、腐臭に糖を混ぜて鼻を混乱させる。


「右、甘くない風!」エステラ。

 ボミエが即座に反句の刃を線に差し込む。「ここにゃ!」

 ライネルの欠片が杖の頭で薄く鳴り、骨の次の一歩が迷う。

 ミレイユは羽根筆で撚名の束を広場に貼り付け、街の囁きを合唱に変える。「われらが残す!」


 オッセウスは骨笛に唇を当て、低く、長く、吸った。吹かない。吸う。

 瞬間、ゾンビの喉が空になり、声の代わりに「空気」が入れ替わる。

 ゾンビの歩が速くなる。粘りは消え、乾いた動きだけが残る。

「面倒……!」ルーシアンが水を増やし、彼らの足首に重さを戻す。



V 鐘の誤鳴


 グワアン。

 港に大きな鐘の音が響いた。誰もロープを引いていないのに、鐘が鳴った。

 トマスが鐘楼の上でロープを掴み直し、顔をしかめる。「……鳴ってないのに、鳴る!」


 ミレイユが顔を上げ、羽根筆を握り直した。「鳴り終わりが横取りされてる!」


 オッセウスが骨笛の穴を親指で塞ぎ、骨太鼓の拍に鐘の鳴り終わりを紐づけていた。

 “集合”の述語。――子どもにだけ届く高さで。


 エステラの鼻が跳ね、「甘い砂糖菓子のふり! 子どもだけに嗅げる嘘の匂い!」

 ナディアが笛を上下に駆け上がる。「返しを上に! “ここへ来る”じゃなくて“ここから離れない”!」


 トマスは歯を食いしばり、ロープを二重に巻いて鐘を抑え込んだ。

「鳴らせない……! でも、鳴る!」

 ボミエが屋根へ星の糸を投げ、鐘の鳴り終わりを句点で止める。

「止まってニャ!」


 鐘は鳴り続けながら、しかし広がらない音になった。

 しかし――それまでの一打は、もう街の角という角に届いていた。



VI 攫い


 子どもたちが、歩き出した。

 家の戸口、路地の曲がり角、屋根の上の小さな影。眠そうな目で、夢の中のような足取りで、音のする方へ向かう。

 母親が腕を掴むが、腕は空を掴む。父親が抱き上げるが、抱いたまま歩き続ける。

 ゾンビの乾いた手、スケルトンの空の掌が、すり抜けるみたいに、子どもの腕を囲む。


「だめニャ!」

 ボミエが一番近い子の前に降り、星の糸で輪を作った。「ここから出ないニャ!」

 子どもの足は輪の内側で空踏みをし、涙をこぼす。

「……いかなきゃ……鳴ってるから……」


 ミレイユの羽根が素早く動く。「“撚名・留輪とめわ”! ――“あなたはここにいる!”」

 一人、二人、三人――輪の内に留まる。

 だが、間に合わない。

 オッセウスの骨笛は吹かれ、吸われ、舐められ、叩かれ、鐘の鳴り終わりは繋ぎ替えられていく。

 骨の列が開いて通路になり、ゾンビが子どもを挟んで奥へ渡す。どこの奥か?――下だ。


「**地下した**へ運んでる!」ルーシアンが水路図を頭に広げる。「カタコンベの旧坑! 市壁の外、海蝕洞と繋がる!」


「分断する!」ジュロムが踏み込み、大槌で骨の橋を砕く。

 ザードルの炎が音で通路の高さを狂わせ、エステラの砂が甘い匂いを偽物に変える。

 ナディアの笛が「戻れ」を吹き、ミレイユがそれを文字にする。

 それでも――半分は、暗闇の下へ連れ込まれた。



VII 骨の潮に抗う


 港は波になった。

 ジュロムの槌が拍を打ち、ザードルの炎が音階を支え、ルーシアンの水が逆潮の溜まりを膨らませる。

 エステラは鼻で行軍の隙間を嗅ぎ、ヴァレリアは順番を守って棘を入れる。「最初に斬るのは、わたし」

 棘は礼儀を壊さない角度で、骨の目的語をずらす。

 ボミエの星は句点を落とし、次の一歩を迷わせる。

 ミレイユは撚名を広げ、「わたしたちが守る!」を合唱させる。

 トマスは鐘の鳴り終わりに指を噛ませ、密封する。


 ――足りない。

 数が、多すぎる。

 骨の潮は切っても、切っても、列を作る。


「**みなもと**を叩くしかない」ザードルが短く吐く。「骨太鼓を止める。骨笛を折る」


「行く」ヴァレリア。棘が袖から滑り出る。「順番は守る。わたしが最初」


「地下だニャ」ボミエが耳を立てる。杖の結び目が脈を打つ。「夜梯子はもう開いてるニャ。降りながら戦うニャ」


「鍵は胸に。鍵穴は“あいだ”に。」ヨハンは銀を胸骨に押し付け、トマスに目をやる。「鐘は守れ。――鳴り終わりは返せ」


「はい!」



VIII 下り口


 市壁の外れ、石段の隙間に暗い息が出入りしていた。

 エステラが鼻で嗅ぎ、「骨粉、羊皮紙、乳香。……祭儀の匂い」


 ジュロムが先に降り、槌で段を確かめ、ザードルが炎の音を低く保ち、ルーシアンが湿り気を薄く広げる。

 ミレイユは撚名の紐を壁に貼り、ナディアは笛で二三を吹いて歩調を合わせる。

 ヴァレリアは棘を肘の高さに、ボミエは杖を肩の高さに構え、ヨハンは銀に指を添える。


 階段はすぐに途切れ、床のない通路が始まる。

 ボミエの星が段を作り、ヨハンの祈りが板を挟む。

 遠くで、骨太鼓がまた一打、二打――二群目の行軍が、上へ上がって来る。



IX 骨の礼砲、骨の礼法


 最初の広間で、骨の列が待っていた。

 オッセウスの副だろう、肩に角骨を載せた骨隊長が槍を鳴らし、礼砲のように骨の腕を投げてきた。


「礼儀正しいわね」ヴァレリアが棘で**“礼”の肘を打ち落とし、微笑を浮かべる。「嫌い。――だから斬る**」


 ジュロムが槌で列を横から潰し、ザードルが炎の音で関節を凍らせ、ルーシアンが骨粉を水で泥に変える。

 エステラが鼻で空隙を探し、ボミエが句点を置く。「ここニャ!」

 骨隊長の次の礼が遅れる。

 ナディアの笛がその遅れに拍を合わせ、ミレイユの撚名が貼る。「渡らせない!」


 骨の礼は、美しいほど割りやすい。

 ――通路は、まだ奥に続く。



X 攫われた声


 広間の奥、子どもたちの声がした。

 泣き声ではない。呼ぶ声。

「……せんせい……おかあさん……御坊……」

 声は薄い膜の向こうから聞こえる。骨笛が作る共鳴の檻。


 オッセウスが石柱に寄りかかり、骨笛を舐める。「徴発は終わっていない。子らは声を親に返すため、一度夜に渡す。――戻るために、一度“死”を知る」


「戻らない」ヨハンの声は低い。「“死”は主語じゃない。“述語”でも目的語でもない。道具にもならん」


 オッセウスは肩をすくめる。「なら、勝ってみせよ」


 骨笛が吹かれ、吸われ、叩かれた。

 檻の膜が厚くなり、子どもの声が遠くなる。


「いまニャ!」

 ボミエは杖を高く掲げ、「星綴錠せいつづりじょう棺破かんやぶ!」

 星の針が檻の継ぎ目へ一斉に落ち、節が線になって割目を走る。

 ザードルの炎が音で強度を下げ、ルーシアンの水が内圧を抜き、ナディアの笛が逆位相で共鳴を壊す。

 ミレイユの撚名が檻の外側に**「ここは街**」と書き、エステラが砂で匂いの出入口**を塞ぐ。


 檻が割れた。

 子どもたちが崩れ出す。

 ジュロムが肩で受け、ヴァレリアが棘で骨の手を払う。


「戻れ!」

 ヨハンの祈りが板を差し込み、子どもの足元に段が現れる。

 ボミエが一人一人の耳に句点を置き、「ここにいるニャ。今、ここにいるニャ」


 半分――戻せた。

 しかし、残りの半分は、檻の奥へ引かれた。骨笛はさらに奥の階層へ通路を作った。



XI 骨笛の“主題”


 オッセウスが骨笛を胸に当て、主題を鳴らした。

 コン、コッ、コン……――間の空いた拍。追いかけっこの拍。

 スケルトンが側道に列を作り、ゾンビが匂いで裏口を示す。

 敵は逃げるための美学を持っている。


「追うけど、割るニャ。――拍を持って走るニャ!」

 ナディアが笛で二三の変形を吹き、街の呼吸を交代で走らせる。

 ジュロムが前を開き、ザードルが横を焼き、ルーシアンが下を沈め、エステラが匂いの上を潰し、ミレイユが名前で糸を張る。

 ヴァレリアは先頭で棘を水平に、ボミエは中段で杖を垂直に、ヨハンは後方で十字を斜めに構える。

 扉の蝶番は潮窯に残ったまま、音だけをこちらへ送る。――生きている蝶番の拍。



XII 骨の神殿


 通路が開け、骨で積まれた神殿めいた広間へ出た。頭蓋で作られた半円の壁、肋骨で組んだ天井、脊椎が束ねられて柱になっている。中央に祭壇――古い船の竜骨だ。

 祭壇の上に、骨太鼓。叩き手は黒い外套をかぶった大男。顔がない。頭蓋が逆に嵌っている。


 その手前に、子どもたちの列。四分の一はこちら、四分の一は逃がれ、半分がまだ向こう。

 オッセウスが祭壇の脇に立ち、骨笛で主題を掲げる。


「行軍――徴発――奉献」


「破軍――返還――返名」

 ヨハンが述語を入れ替える。


 骨太鼓の大男が腕を振り上げる。

 ナディアが笛で裏返しを吹き、ジュロムが跳んだ。


「オラァッ!」


 槌は太鼓ではなく竜骨を打った。

 祭壇を沈める。

 ザードルが炎の音で柱の高さを狂わせ、ルーシアンが柱足を滑らせ、エステラが匂いの芯を砂で詰める。

 ヴァレリアの棘が大男の肘を逆関節へ誘導し、「順番」を壊さずに順番を奪う。

 ミレイユの羽根が**「帰る」を子どもの列に書き**、ボミエの星が句点で一人ずつを留める。


「今ニャ!走ってニャ!上へ戻るニャ!」


 子どもの半分がこちらへ走る。

 骨の列が立ち直り、道を再び作る。

 オッセウスが笛を吸い、吹き、叩く。

 残りの子を、海蝕洞へ繋がる黒い廊へ押しやる。



XIII 裂片


 その時、ヨハンのポケットで銀が鳴った。

 胸の十字から欠けた裂片――トマスが握っていたあの欠片が熱を持ち、手に飛び込む。


「貸せ」

 ヴァレリアがさっと奪い、棘と一緒に握って投げた。

 銀の裂片は回転しながら骨笛の口に刺さり、音を半音下げた。

 オッセウスの目が初めて濡れる。「……銀」


 音は続く。だが、高さが合わない。

 ナディアが笛で肩代わりし、「戻れ」の形に変換して返す。

 ミレイユの羽根が**「戻る」の活用を一斉に広間の壁へ記す**。

 ボミエの星は**「ここ」の位置を重ね**、ジュロムは**「もう一打」の槌で竜骨を二度黙らせ、ザードルは「灯り」で影を縮め**、ルーシアンは**「滑る」を止め**、エステラは**「匂う」を消す**。


 子どもの列が崩れ、こちらへ走る。

 ほとんど――戻せた。

 だが、二人――最年長の少年と、小さな女の子だけが、黒い廊の向こうへ引かれた。


 オッセウスの指が骨笛の穴に血を落とす。

 廊は閉じ、壁になる。



XIV 骨の崩壊、骨の予告


 骨太鼓の大男は腕を垂らし、頭蓋を正すことなくその場に崩れた。

 柱は短く、天井は近く、神殿は狭くなり、骨の声は沈黙に吸われる。


 オッセウスは骨笛を胸元へ引き、軽く頭を下げた。

「見事。――半分は返された。半分は契約に置く。次の夜、海門で」


「海門……?」ルーシアンが低く反芻する。「潮が一番強く出入りする、港口の閘門」


「戻しに来い」オッセウスは乾いた笑みを作る。「礼儀正しく戦おう」


 骨笛が吸われ、オッセウスの影は薄くなった。

 残った骨は崩れ、ただの粉になる。

 匂いはない。拍もない。ただ、砂のような沈黙。



XV 帰還と点呼


 地上へ戻ると、港は泣き声と嗚咽で満ちていた。

 ミレイユが名録を開き、一人ずつ名字を呼び、返事を書き込む。

 戻った名は線になり、網になり、街を支える。

 欠けた名は余白に点が置かれ、待つの文字で囲まれる。


 トマスが鐘楼から降りてきて、ヨハンの前で深く頭を下げた。

「止められませんでした。でも、返せました」


「よくやった」ヨハンは少年の肩に手を置き、胸の十字の欠け目を撫でる。「欠けは、刃にも柄にもなる」


 ヴァレリアが銀の裂片をヨハンへ返す。

「半音、下げたわ。――次は、折る」


「順番は守る」エステラが鼻で笑う。「最初に斬るのは、あなた」


「約束は、守る」


 ジュロムは槌を地に立て、「借りはまだある」と短く言う。

 ザードルは火打石を弾き、「灯りでいられた」とつぶやく。

 ルーシアンは水を汲み、子どもたちの喉に小さな杯を当てる。

 ナディアは笛を拭き、「返しの譜を増やす」と言う。

 ボミエは杖の結び目を撫で、「星を濃くするニャ」と言った。



XVI 夜の縫合


 ヨハンは教会の前で、静かに十字を切る。

「Ex voco… Misericordia… inter manus.」

 祈りは殴るためでなく、掴むために。掴んだ手は離さないために。離さないために、次の夜を縫うために。


 ミレイユが名録の余白を指でなぞる。二人の名の周りに、細い星の印を添える。

 ――《海門にて返還予定》


 エステラは鼻で海風を嗅ぎ、「海が奥から冷える。……潮を逆に使う気ね」


 ルーシアンが頷く。「水は押しも引きもする。引きを借りる」


 ナディアが笛の穴を布で拭き、「息が持つ譜にするわ」


 ジュロムが梁を叩き、ザードルが火の音を上げ、ヴァレリアが棘を磨き、ボミエが星の節を一つ増やす。

 トマスは鐘に手を置き、鳴り終わりを自分で返す練習を始めた。



XVII 潮の向こうの影


 沖の霧の向こう、黄は薄く、黒は濃い。

 黄昏公アドラステアは、海の匂いを嗅ぎながら微笑した。

「骨は、礼儀を学びつつあるわね」


 彼女の背後で、クローヴィスが骨を軽く弾く。「拍を食べるのは簡単だが、疲れを乗せるのは難しい」


「難しいから、好き」

 アドラステアは黒真珠を喉で鳴らし、半歩だけ前へ出た。「海門は、扉。――蝶番が、試される」


 潮窯の蝶番は、息を整えていた。

 イーサンは石天井の星の結び目を見ながら、静かに笑う。

「扉は、残る。――開け閉めは、街が決める」



XVIII 決意


 夜が深い。黄の皮膜は端で剥がれ、黒が覗く。

 港の屋上、ボミエは杖を胸に抱き、耳を立てて星に言った。


「ピックル、アメリア、ライネル。――二人、必ず連れ戻すニャ。半分なんて、嫌ニャ」


 ヨハンは窓辺の海に十字の影を落とし、低く呟いた。

「鍵は胸に。鍵穴は“あいだ”に。祈りは殴るためでなく、掴むために。――海門で待つ」


 港は拍を持った。

 街は名を抱いた。

夜は縫われ、次の幕へ渡る準備をはじめた。



つづく:第二十三話 海門の逆潮、骨笛の折り口


次回予告

潮が返す夜、海門が口を開く。

骨紋司祭オッセウスとの二度目の礼儀、子ども二人の名を主語にした返還の儀。

旗は風に従うのではなく、拍に従う。

星は震えず、祈りは掴み、槌は地を打ち、棘は最初に斬る。

そして――銀の裂片が、骨笛の折り口になる。

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