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亡国の老騎士と夜の律に抗う者たち——  作者: 和泉發仙


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火刑の街編 第14話 炎の導き




I 炎の広場


 灰色の朝靄のなか、広場には黒焦げた杭が並んでいた。

 地面に染み込んだ油の匂いが鼻を刺す。石畳には焼け残った灰がまだらに積もり、風が吹くたび粉雪のように舞い上がった。


 広場を囲む人々の顔は蒼ざめ、誰も声を上げない。ただ沈黙のなかで、恐怖と諦めだけが横たわっている。

 その最前列に立つのは、鎖で縛られた若い娘。長い髪は泥にまみれ、足首には血が滲んでいた。杭の根元にはすでに薪が積まれている。


 ヨハンはその光景を見つめ、目を細めた。

 「……またか」

 老いた声には怒りも哀れみも含まれていた。



II 街の影


 人々の背後には神官と役人が並び、その足元には重々しい木箱が積まれている。

 ルーシアンが瓶を傾け、乾いた笑みを浮かべた。

 「……香油の箱か。見ろ、売り先は城下の豪商だ」


 ヴァレリアが盾の縁を握りしめ、低く呟いた。

 「炎も恐怖も“商売”にされている……」


 ヨハンは視線を下げ、鎖を振るう役人の顔を睨んだ。

 「罪を問うているのではない。火が欲しいだけだ」



III 絶望の叫び


 杭に縛られた娘がかすれた声をあげる。

 「わたしは……魔女じゃない! 祈っただけ、病気の子が治るように……!」


 だが広場の人々は目を逸らす。誰も声を上げない。

 ナディアが笛を胸に抱きしめ、苦い息を吐いた。

 「……この街は、声を殺すことを覚えてしまった」


 ボミエが耳を伏せ、しっぽを巻き込みながら唸った。

 「にゃ……こんな理不尽、許せないにゃ」



IV 火付けの合図


 神官が手を上げ、兵が松明を持ち上げた。

 燃えさしが薪に近づく。油の匂いが一気に濃くなる。

 その瞬間、ヨハンが前へ出た。


 「――やめろ」


 広場に鋭い声が響く。

 老騎士の立ち姿に、人々がざわめきを返した。

 だが兵は止まらない。火は薪に落ち、炎が立ち上がる。


 ボミエが叫んだ。

 「ヨハン、もう間に合わないにゃ!」



V 炎の中の影


 火が娘の足元を舐めた瞬間、ボミエの胸の潮封珠が震えた。

 彼は思わず杖を握りしめ、瞼を閉じる。

 その闇の中で――声がした。


 「ボミエ……」


 懐かしい声。

 星のように静かで、揺らがない。


 ピックル。

 かつての相棒。もういないはずの仲間が、そこに立っていた。

 しっかりとした猫人族の姿。真っ直ぐな瞳が彼を見つめている。


 「ボミエ、以前のあなたではないでしょう」

 「弱さはもう過ぎた。いまのあなたなら、歩ける」

 「彼とともに――進みなさい。私はそれを見届けている」



VI 導きの輪


 その背後に、淡い光が揺れた。

 リオ。レーナ。ザードル。ジェロム。エステラ。ライネル――。

 過去に失われた仲間たちが、影のように並び立つ。

 誰も声を出さない。

 ただ微笑み、ただ見つめ、ただ手を差し伸べている。


 ヨハンの眼にも、その姿が一瞬映った。

 「……お前たち……」

 老騎士の声が震える。だがその表情は、決意へと変わっていった。



VII 炎の反転


 ボミエが目を開ける。

 炎の広場の光景は変わらない。だが胸の奥には確かな温もりがあった。

 彼は杖を掲げ、潮封珠を解き放つ。


 「にゃあああ――!!!」


 青白い光が走り、炎の勢いを逆流させた。

 薪の炎が弾け、娘を縛る鎖を焼き切る。

 煙の中、ヴァレリアが盾を突き出し、ナディアの笛が結界を編む。

 ルーシアンの瓶が爆ぜ、火の粉を吹き飛ばした。


 娘は解き放たれ、ヨハンがその肩を抱き上げる。



VIII 夜明け


 広場は混乱に沈んだ。兵も神官も後ずさり、人々の沈黙が揺らぎ始める。

 恐怖だけが支配していた場所に、ひとつの声が芽生えた。


 「やめろ!」

 「もう誰も、焼くな!」


 次々に声が上がる。

 炎の広場を覆っていた沈黙が崩れ、人々は震えながらも、互いを見た。


 ヨハンは娘を抱いたまま、広場の群衆を見渡した。

 「……罪をでっち上げて燃やすのは終わりだ。

  恐怖で利を得る者こそ、本当の魔だ」



IX 余韻


 火は鎮まり、煙だけが空へ昇っていく。

 その中でボミエは静かに目を閉じた。

 ピックルの声はもう聞こえない。

 だが胸の奥には、彼女の言葉がしっかりと残っていた。


 ――彼とともに、進みなさい。


 ボミエは涙を拭い、ヨハンたちの後ろ姿を追った。

 もう迷わない。仲間とともに歩む。

 それが亡き仲間たちの導きへの答えだった。



次回予告


火刑の街編 第15話 赤い灰

鎮まった広場の影には、まだ燃え残る火種がある。

神官と役人、その背後で糸を引く黒い影――。

夜の律は終わらず、むしろより深い闇を招こうとしていた。

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