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亡国の老騎士と夜の律に抗う者たち——  作者: 和泉發仙


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杭の街、魔女狩りの灯

I 丘の上の灯


 山を下りきると、丘の上に光が揺れていた。

 昼だというのに、街の中央には無数の杭が立ち、その先端に鉄籠が吊るされている。籠の中には灰。燃え尽きた痕跡。風が吹くたび、灰が煙のようにほどけて空へ散った。


 石畳を進むほど、焦げと血の匂いが鼻を刺す。市場は開いているが、人々は声を低く抑え、視線を杭から逸らす。子どもですら遊ばず、母の袖を固く握りしめている。


 ヨハンは逆薔薇を肩に掛けたまま、街の輪郭を見渡した。

「……これは“見せるための”火だな。読火ではない。罰の影を育てる火だ」


 ボミエが耳を立て、しっぽをぴんと張ったニャ。

「夜になると、火が上がるニャ。……昼間から灰が匂う街は、猫の毛も逆立つニャ」


 ナディアは笛に布を巻いたまま、喉で短い輪をつくった。

「声を潰す火。……“座”を奪うための火」


 ヴァレリアは盾を背にし、角で杭の根を軽く叩いた。石畳は割れていない。だが、杭の影は異様に深い。

「護るための影じゃない。……刺すための影だ」



II 広場の声


 杭の周りに集まる群衆。中央で読み上げるのは灰衣の判士。灰色の法衣に黒い帯。手には札。

「名を告げよ。証を掲げよ。――名のない者は、杭へ」


 群衆のざわめきが波のように押し寄せ、すぐ沈む。人々は懐から紙を取り出し、自分の名を声にして札へ重ねる。声を上げた瞬間、札の縁が赤く燃え、名は灰へ沈む。燃え残りの灰が判士の袖に溜まっていく。


 ルーシアンが鼻で笑い、瓶の封を撫でた。

「証明ってやつは便利だな。火に食わせりゃ従う。……灰目の司よりよっぽど“逆さ”だ」


 ミナは風紙を広げ、声の渦を測った。渦は上へ立たず、杭の根へ吸い込まれていく。

「……ここは“下”が喉。夜になれば、杭が全部、声を飲む」


 ミレイユは油の在を掌に起こし、札の灰に触れずに縁をつけた。

「名を燃やす火。息が残らない。……これが“証”」



III 囚われた女


 群衆の端に縄で縛られた女がいた。黒髪を乱し、額には窪み。目だけは生きている。

 判士が杖を振ると、女は杭の前に引き出された。


「この者、名を偽りし疑いあり。証なくば、杭の火にて清める」


 女は声を上げようとした。だが喉に巻かれた布が塞ぎ、言葉は出ない。代わりに、視線がまっすぐこちらへ向いた。


 ボミエの毛が逆立ったニャ。

「猫の耳に聞こえるニャ。“助けて”って。……声じゃなく、息で呼んでるニャ」


 ナディアが笛を握り、低く吐息を重ねた。

「奪われる前に、“輪”を戻さなきゃ」


 ヴァレリアは盾を構え直し、杭の影の長さを測った。

「夜になる前に、手を打つしかない」



IV 杭の火の準備


 判士が札を高く掲げた。灰色の紙片に黒い文が浮かぶ。

「夜の律に従い、この名を燃やす。――名は証。息は不要」


 群衆が沈黙する中、杭の上の鉄籠に火が灯った。火は赤くなく、白。昼の光を嘲笑うような、冷たい火だった。


 ミナの風紙が震え、句点が散った。

「……この火、読むんじゃなく“奪う”」


 ルーシアンが瓶を揺らし、曇を吐いた。

「曇らせりゃ鈍るか? いや、これは逆だな。湿らせると余計に喉を締める」


 ミレイユは油の在を掌で広げ、影の根を探った。

「杭そのものが“座”。だから燃えると、名が逆さになる」



V 灰の秤


 判士が再び札を掲げると、女の影が杭の根から引き上げられた。

 影は女と同じ形。だが口がなく、額の窪みだけが深い。

「証なくば、この影を燃やし、名を灰に帰す」


 ヨハンが一歩前へ出た。

「――待て。火は証にはならん。証は息の先にある」


 群衆がざわめいた。判士の目が細まり、杖の先がヨハンを指した。

「異端の言。――ならば、汝らが証を示せ」


 ヴァレリアが盾を地に叩き、低く言う。

「証は“礼”。燃やすものではない」



VI 夜の点火


 太陽が沈む。街全体の杭に火が灯った。白い火が次々に籠を満たし、影を伸ばす。人々は皆、名を読み上げ、灰に変えていく。声を上げない者は影を引きずられ、杭の下へ。


 ナディアが笛を唇にあて、音を出さずに喉を震わせた。

「……輪を逆に返す。名じゃなく、息の輪」


 ミナが句点を風紙に連ね、杭の根に落とす。

「……座を杭から外す」


 ミレイユが在を女の影の膝に置き、ルーシアンが瓶を割って湿りを地に広げた。

 ヴァレリアが盾を杭へ押しつけ、角で“礼”を打つ。

 ボミエが星喉を掲げ、影の“今”を縫い止めたニャ。



VII 火の逆唱


 杭の火が一斉に唸った。

 声のない逆唱が広場を覆う。

 > 「名は証。息は不要。燃やせ。燃やせ」


 ナディアの笛が低く鳴った。

「……証は名じゃない。息が先」


 ボミエが針を影の糸に突き、縫いをほどくニャ。

「“今”を返すニャ!」


 影の口が開いた。女の喉から押し殺された声が、一息だけ漏れる。

「――まだ、生きたい」



VIII 灰目の灯


 群衆の中から一人、痩せた老人が前に出た。額に浅い灰の窪み。読火の堂で見た灰目の者だった。

 老人は手に小石を握り、杭の根に置いた。石は燃えず、灰も出さない。

「名はあと。息は先。――証は、これでよい」


 群衆がどよめき、判士が杖を振り上げる。だが火は燃えなかった。白い火が揺らぎ、灰が風に散るだけ。杭は息を飲まなかった。


 ヨハンが逆薔薇を地に突き立てた。

「証は“座”。杭ではない。息がここにある」


 女の影が杭の根から解け、女自身の足下へ戻った。額の窪みは浅くなり、声はまだ弱いが喉は震えていた。



IX 夜の断裁


 判士が叫び、群衆がざわめく。

「異端を杭へ! 影を燃やせ!」


 杭の火が唸りを増し、群衆の影がざわめき立った。

 そのとき、ヴァレリアの盾が広場に響いた。

「礼――杭は“座”ではない!」


 ミナの風紙が火を裂き、ルーシアンの湿りが灰を沈めた。

 ミレイユの在が影の根を押さえ、ナディアの笛が息の輪を刻む。

 ボミエが星喉を振り抜き、杭の影を切ったニャ。


 杭の白火は消え、灰が風に散った。群衆の声は止まり、ただ息の音だけが残った。



X 残された街


 判士は地に膝をつき、杖を落とした。

 群衆の誰も名を読まない。誰も灰を掲げない。

 女は縄を解かれ、喉を押さえながら小さく笑った。

「……まだ、息がある」


 街の杭は立ったまま。火は消えたが、影の跡は地に残る。

 これは終わりではない。律はまだ、この街を縛っている。


 ヨハンは逆薔薇を肩に掛け、仲間を振り返った。

「行こう。ここに“座”を残す必要はない」


 ナディアは笛を懐に仕舞い、ボミエはしっぽを振って頷いたニャ。

 ヴァレリアは盾を締め直し、ルーシアンは瓶を拾い上げる。

 ミナは風紙を畳み、ミレイユは油の在を胸に戻した。


 丘を下ると、杭の街の火は背後で静かに眠った。



次回予告


第99話 生贄の谷、赤い祭壇

近隣の村では、満月の夜に生贄を差し出すならわしが残っていた。

赤い祭壇に捧げられる名と息。

誰かの影が選ばれる前に、仲間たちは“律”を断ち切ることができるのか。

夜の谷に、血と鐘の音が響く――。

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