理不尽に抗う
——まずい。
「まさかこの森に住み着いている人間がいたとはな」
フードを被ったままの男性体が1人。突き出した腕を引きながら呟くように言った。全容は伺えないまでもその顔立ちが酷く整ったものであることは分かる。
「アイツらの変装じゃねーの?」
「1人足りない。それに彼らなら《防御壁》を張るよりも私たちの腕を飛ばすことを選ぶでしょう」
「それもそうか」
フードを脱いでいる赤髪の男性体は、淡々とした女性体の言葉に頷いて意見を取り下げた。
……1人足りない。と、いうことは2人組か。
探し人がいるらしい。
腕を飛ばすという物騒極まりなく、大胆不敵で、恐れ知らずな発想に否定ではなく肯定が返されるその反応にキャロルは数日前の出来事を思い起こした。
……ベルゼクトとシャンテルならやりかねない。
いや、少し話しただけで彼らの何を知っているという訳でもないのだが。鴉側から言わせれば凄惨たる結果となったあの2人……主にベルゼクトの所業を思えばあながち間違いとも言えないだろう。
「なあボウズ。お前見てねーか?」
フードを被った男性体の横でしゃがんだ赤髪が問い掛けてくる。……見てない? 何を?
問答無用で襲い掛かって来た上に現在進行形でキャロルを取り囲んでいるにしてはフレンドリーな態度に疑問符を浮かべる。
……依然として脳内では警鐘が響き渡っており心臓はバクバクと煩いくらいに鳴っているものの、長きに渡り1つ目の鴉から身を隠して過ごしてきたキャロルは危機的状況に晒されることに慣れていた。
「俺みたいに赤い髪をしてるロン毛のひょろっちい男と、全体的にくすんだ色合いで小せえのに可愛げもクソもねぇ嬢ちゃんだ」
どうしよう。心当たりがあり過ぎる。
……というか、やっぱりあの2人なのかっ!
ベルゼクトとは違って短く整えられた相手の髪を見つめながら内心で頭を抱えて呻く。
庇い立てする気はないがこれで2人に何かあれば——ない方が可笑しいが——後味の悪い思いをすることになるだろう。
「……いえ、覚えがありません」
キャロルはキャロル自身のために嘘を吐いた。
赤髪の目がスッと細まる。……バレるか?
息を呑んで待つ。
「見ていないのならそれはそれとして、この森は我らがヴァスティレイト国の領地に当たる。いつから住み着いていたものかは知らんがひとまず100年分の税は納めてもらうぞ」
赤髪がキャロルに何かを問うよりも先にフードの男性体が口を開いた。
思わず呆ける。
……命の危機に晒されていたかと思えばいきなり納税の話に飛んだのだ。相手の言葉を理解するのに時間が掛かっても致し方のないことだろう。
キャロルの反応を気にする素振り1つ見せないフード男は続けて、到底用意できるものとは思えない多額の金銭と多量の血液を要求した。
塵も積もれば山となる、ではないが100年分の税を1度に請求されれば莫大なものとなるのも当然のこと。
しかし、それはあくまでも相手の言い分であって、いきなり踏み入ってきた余所者に土地の所有権を主張されるばかりか税を求められる謂れはない。
「そんなもの払えませんっ!」
「払える払えないではない。払うのだ」
「理不尽な……!」
「そんじゃあ俺が代わりに納める。いいだろう?」
しゃがんだ体勢のままフード男を見上げた赤髪がにかりと笑う。
しばらく見つめ合った後。
フード男は答えた。
「義務とは当人が果たすべきものだ」
「こいつの飼い主になるならその義務とやらは俺に掛かってくるもんじゃねーの?」
「……いいだろう」
何もいいものか。
勝手に話を進めないでくれ。
赤髪のそれは本人に言わせれば同情であり温情だったのだろうがキャロルの意思を無視しているという点においてはフード男と何ら変わりない。
暴虐で、傲慢で、どこまでも理不尽な考えを持った存在だ。
赤髪の手がキャロルに伸びる。
……ここで飼われることに同意できるなら、きっと、キャロルはとうの昔に鴉の餌食になっていた。
息を吸い込む。
「《名もなき友の招来》!」
吸血鬼を喰らえ。
命じるよりも早く動いた《名もなき友》が赤髪の指先に触れた刹那。肘から先が弾け飛ぶ。
前方を塞ぐフードの男性体と女性体、赤髪の他に後方を押さえている吸血鬼は3体。前後左右に逃げ場はない——。
なら下だ!
手をついた地面に意識を向けて硬度を変える。
深く深く、土の中を落ちていく。
……ただ潜るだけではいずれ追い付かれるだろう。地上に出る瞬間を見計らって捕らえられる可能性も捨て切れない。
だから、キャロルは夢想した。
——正式名称を《範囲指定型迷彩防御壁》と言っていたか。
あの術式への理解はない。
けれど、理解がないなら生み出せばいい。
生み出すことは簡単なのだ。
他者と共有された現実を分離して自らの世界に渡る。
突き出したままの手の先に意識を集中させながら、自己暗示を強めるための言葉を吐き出す。
「通りゃんせ通りゃんせ我が名隠して通りゃん、せっ!」
開いた《門》に呑み込まれてキャロルは消えた。




