第1話 日常 いつもの会社の風景
「と、いうことでせっかくの買い物で気分転換しに行ったのに仕事をもらってきたというわけね。しかも、そんな変態に絡まれりゃ気も落ち込むわよね。」
経理兼整備士であるケイティは元気のない顔で報告書を眺める自分の顔を見て笑ってきた。そこまで不機嫌な顔をして仕事してただろうかと自分の顔を触りつつ報告書と資金明細書を眺めた。
突然の依頼から3日後、ようやくゲートが開門されて自分たちの本拠地に戻ることができた。五番街に比べれば治安は悪くなるうえに利便性も良いとは言えないが、それでも自分たちのいるところがいちばん住みやすい。そもそも治安が悪いとはいえ一人で路地裏に入らない、夜は出歩かない、金は見せびらかさないというごく当たり前の生活をしていればトラブルに巻き込まれることは無いのだから普通に生活している分には全く困らない。
アステリズモの事務所は七番街の中心から数ブロック程度離れた場所にある2階建ての事務所と見た目倉庫の整備場である。事務所1階にはアステリズモの資機材などが置いてあり、2階にアステリズモのオフィススペースがある。
今日は気温も湿度も高く、オフィスチェアの肘掛けに肘を乗せるとなんとも不快な感覚にさせてくる。空調をきかせていないわけではないが、なにぶん建物も年季が入っていることから外気温に室内の温度が左右されるため、室外に比べれば涼しいが、だからと言って室内の気温も涼しいということはできない。しかしながら、今回ばかりは体が熱を感じているのは外気だけが原因ではない。
「ふむ、出撃数回分の蓄えがあるのね。やっぱり前回の報酬はおいしかったのね。」
前回の出撃による報酬が振り込まれ、アステリズモの懐事情がだいぶ潤ったのだ。
「そりゃあもう、社長がしっかり搾り取ってくれたからね。アルケーの奴らもなかなか震え上がってたわよ。」
大人びた笑顔をたたえ、仕事の手を止めこちらをみてからからと笑うケイティは実に上機嫌そうに見える。
「これでなかなか台所預りとしては嬉しくもなるわよ?」
まだ、正午には早い時間であるが気温が上がってきているためケイティの服装は女の自分にとっても若干目のやり場に困る。タンクトップにショートパンツのみで健康的な褐色の肌やその豊満な肉体を見せつけられるとどうにも劣等感が刺激される。
「そしたら空調機をいいのに変えようよ。暑いでしょ?」
決して他意は無く、―無いのだ、絶対に。空調機を買うことをさりげなく進言してみるが、
「いいでしょ、別に。それにほら私冷え症だし、まだ、空調も修理したばかりだし。大金が入ったからって無駄遣いはダメ、節約は必要よ。」
にべもなく断られ、何とも罰の悪さから後頭部をかくのであった。
「いや、修理したばかりって言っても修理してからだけでも4年はたってる気が・・・。」
「まだ、冷暖房どちらもそれなりに動いているし、定期点検もしているわ。電気代も増えていないんだからそのままで大丈夫よ。」
「・・・そうよね。」
この経理はその見た目からは想像できないほど職員として優秀にして倹約家である。先代社長である父親が雇い入れたと聞いているが、本当に何でもこなす上に美人であるとなるとため息が出る。今日はウェーブのつく赤みがかった栗色の長髪を後頭部にまとめ、仕事をしているが、書類を読むその姿だけでも女である自分でも妖艶さを感じさせてくる。
―8歳差だけど、私はもう成長の余地がないだろうし、あんな色っぽさは手に入れられない気がする。世の中不公平だ。
「でも、五番街でもホワイトヘザーが宿をとるとなるといい宿だったんじゃない?二人きりだったんでしょ?」
興味津々の顔でケイティがアイーシャを見る。
「すごいいい宿と部屋だったんだけど、何もなかったわよ。ファルフリードったら豪華なベッドで寝られないからって床で寝ようとして、さらに床もカーペット敷いてるから寝にくいってわざわざ風呂場で寝てたの。しかも、食べ物に酒が入っていたみたいで食事中に倒れちゃって・・・滞在中は全くくつろげなかったのよ。」
「それはまた、ロマンスのかけらもないわね。朝から不機嫌な顔を見せるというものよね。」
「まったくよ。久しぶりに行けた五番市は楽しかったんだけどね。」
苦笑しながら椅子に掛け直すと、事務所の扉が開いた。
「・・・整備終わったから戻ってきた。休憩にしたい。」
しばらく前の救助任務をきっかけにアステリズモへ就職することとなったニコが汗まみれで部屋に入ってきた。癖っ毛ではねた銀のショートボブにつなぎを着用しているが、整備してすぐ来たのだろうかその姿はところどころ汚れで黒ずんでいる。ニコは15歳の幼さの残る顔を暑さに参ったためか脱力し、腕をだらんとさせながら事務所奥の休憩スペースに一直線で向かう。
「うん。中はやっぱり涼しい。」
ニコは呟き、ソファーにうつぶせになり、体をねじらせながらつなぎを緩め涼を取り始めた。
「「お疲れ様」」
二人でこの暑さの中整備場で作業を続けてきたニコを労う。冷蔵庫から冷たいお茶を出して、机にお茶を3人分並べる。
「やっぱり事務所の中は涼しいのよ。」
「ふふっ。そうね、当分はこのままでいっか。」
と会話しつつ、休憩スペースにそろう3人。
「何の話?」
「アイーシャが事務所の中が暑いから空調がほしいって話をしてたの。」
「ちょっと!ケイティ!」
「社長。贅沢病?」
「もう・・・。違うわよ。それで整備にはなれた?」
ニコがアステリズモに来てからひと月半になるが、その知識を借りて機体の電子制御系の整備を受け持ってもらうこととなった。今まではファルフリードやケイティが整備業務をやってきたが、どうやら皆によるとかなり助かっているらしい。
「この街の暑さだけは慣れない・・・。でも、やっぱりこういうことは楽しい。正直、もっと空調環境が良ければもう少し仕上げたかった。あと、貰ったサンプルデータなんだけど多少仕上げて新しいマスタープログラムのたたきみたいなものを作っているからファルフリードに今度操縦した感覚を聞いときたい。そっちはまだまだあらも多いから完成までは随分先になるけど。」
「「はい!?」」
アイーシャとケイティはそろって驚愕の声を上げた。
―驚いたわ。電子制御系のプログラムは経験あるって話だったから多少練習用のプログラムを渡したのだけど・・・、少なくともそんなに簡単にできるような代物ではないのに。
「ニコあなたすごいわね・・・。どこで学んできたの?」
「ん、・・・研究施設で同じようなものを組んでたことがあるから、あとはなんとなくの応用?で組めた?」
ニコは首をかしげてなんてことないようにつぶやいているが、実際にやってみればありえないほどの難しさのものなのだ。
「正直私も多少は整備はできるけど、マスタープログラムを組んだや触ったということは誰にも言わない方が良いわよ、そもそも傭兵稼業の人たちがスカベンジャーを使わないのがそのプログラムができないって話なんだから。組めることが皆にばれたらあなた確実に誘拐されるわ。それにしても、ほんとうにあなたすごいわね。」
やはりケイティもニコのその非凡な才能に驚いているようである。電子制御系はマスターコアと呼ばれる操縦システム系統と直結していることや、高速で動いたうえで倒れないようにバランスをとることもできなければならないので整備が非常に難しいと聞いている。ケイティでさえその部分は既存のデータに対し状況に合わせ修正するので精一杯であると聞いているが、ニコは試作版であることプラス既存の物を根幹にしているとはいえたったの三か月で作ってみたというのだ。
「ぶい。」
ほめられて満更でもなかったのか起き上がってブイサインしながら飲物を手に取る。昼過ぎの休憩時間として3人でお茶を飲むのが、ニコが来てからの習慣になっている。
「正直、ここに拾ってもらって良かった。今は本当に毎日が楽しい。」
ニコはうつぶせの状態から起き上がり、ソファーに腰かけて呟く。この子が何故あの場所で働いていたのか、だとか、どうしてあのまま救助隊について行かなかったのかとは聞けていないが、今、自分の技術を使って働いている姿は年相応の幼さを見せる。
「ふふ、アイーシャに感謝しなさい。あまりそういう感じで人を拾う会社ってのは少ないんだから。」
確かに戦場に身を置くこともある会社としては身元が不確かな人をその場で雇うことは通常ありえない。
「しょうがないわ、社風だもの。そうやって成り立ってきたんだから。だから、感謝するのは私じゃなくて皆がいるアステリズモという会社にお願いね。」
ケイティの冗談混じりの言葉に肩をすくめて答える。
「ところで、社長。ファルフリードとはどこまでいけたの?当然二人で泊まったんだから抱いてもらったんでしょ?」
ニコのいきなりの問いかけに驚き、アイーシャはお茶を吹き出しその場でむせた。
「ニコ。私さっきそれ聞いたけど、そこまで直接的には聞いてないわよ・・・。」
ケイティはアイーシャの吹き出したお茶を拭きながら半眼でニコのことをにらんだ。ニコは興味津々であることを隠そうとせずに目をきらきらさせながらアイーシャに問いを重ねる。
「あ、ケイティずるい。どうだったの?やっぱり痛かったの?」
「はいはい、アイーシャそういうネタに弱いんだから。いい加減にしなさい。」
「ケイティ姉は聞いたの?」
「そもそもニコ。相手がファルフリードよ?ありえると思う?」
「いや、環境が違えばあるいはあり得るかと。・・・でもないか。社長、頑張れ。」
唐突に始め、勝手にこちらの顔を見て納得し話を切るニコ。早々にアイーシャの淡い恋心を看破したニコは定期的にこのネタを使っていじってくる。
「ほんと、私もあり得ないと思ってても期待はしちゃったんだけどね、もう夕飯の時に間違えてアルコール飲んじゃったせいでやられて寝込んで、さらにベッドじゃ寝れないって風呂場で寝るんだもの。」
アイーシャは飲みきったグラスを手の中で弄びつつ、ため息をついた。
「わお、本当に面白いあの人。」
ニコが感嘆している中、ケイティは何がおかしいのかからからと笑っている。
三人はそろって一息つきソファーに深く腰掛けた時、事務所の扉が大きな音をたてて開いた。
「大変だ!ファルフリードが暑さで倒れた!水と担架を持ってきてくれ!」
整備所からしゃがれた声が事務所に響き、三人は改めて顔を見合わせてため息をついた。
その5分後、事務所の隣の倉庫の地下にあるスカベンジャーの格納庫で横たわっていたファルフリードは、その場にいる人間の総意により担架で運ぶのがしんどいと柵付きの手押し台車にそのでかい体を折りたたまれて押し込まれ、事務所に運び込まれることになるのであった。