第1話 日常 依頼交渉は突然に
前回の分もあり、ちょっと長め。
二人が外を出る時間には日も暮れ、夕方というより宵の口と呼ばれる時間となり、十分な明るさと数とは言えないが街灯が町を照らし始めた。昼までのうだるような暑さは地面に残るのみとなり、頬をなでる風は涼しくなってきた。この時期、昼間は肌を焼くような暑さだが夜になると急激に温度が下がり、住民は衣服の調整に苦労が必要となるが、二人は夜までには帰るつもりであったため周りの人間に比べると薄着であることが目立ち始めたのであった。
昼の熱気が微かに残る涼しい風を感じつつ、施設を出て大通りに向けて歩き始めところ、アイーシャはファルフリードの前を歩きつつ頭に両手を乗せ、振り向かずに語りかけた。
「六番街がきな臭い、ね。ホームが本腰上げて鎮圧するとなると何か仕事があるかもしれないわね。ここから出られたら情報を集めるわよ。」
「ですね。救助活動だとか物資支援だとか俺ら向きな仕事があればいいんですけど。」
本当に頼りになるけど、荒事は嫌いなのよね、と心の中で呟き苦笑する。だが、最前線で命を張るのはファルフリードだ。ファルフリードが嫌な任務、難しいと思う任務は基本的に受けない。それがアステリズモのルールだ。そしてそのルールとファルフリードの気質があるからこそ、各組織団体から大きく目を着けられることなく恨みもできるだけ買わずに今までやってこれている。
「それにしても最近、本当に物騒になったよね。確か、この前も情報が発表されてた気がするし、ぃ!?」
人がまばらに歩く道でアイーシャは突如としてファルフリードに背中を引っ張られて体を寄せられた。
「いやぁ、社長もうしわけないです。」
ファルフリードの表情や口調は変わらぬものの、襟をつかむ手から状況を察し、自らの体もいつでも動けるように緊張させる。
「敵襲!?複数?物陰に行った方がいい?」
ファルフリードのにらむ方向に目を走らせ、自らも同じ方向に目を凝らす。ファルフリードはアイーシャを抱え上げ、小走りでその場から離れた。
「今は大丈夫。さっきまで静かに歩いていた2人が足音を殺して一気に近づいたもんで驚いて警戒したんだが・・・試されたのか?」
腑に落ちない顔で警戒を緩めず眺めるファルフリードを見上げつつ、突如近くで見上げるファルフリードに別の緊張を感じながら疑問を口に出した。
「試された?」
「昔、同じような経験がありましてね。そして、警戒を解除して人気のいないところで避難したところに待ち伏せ、です。だから、ここはあえて雑踏に入ります。こういうことをする奴は大体めんどくさい奴なんすよ。敵意がないならなおさら雑踏に入ったほうが接触されにくいし、面倒事もない。急いで逃げ込みますよ。」
ファルフリードは当初の緊張した顔から一転して苦い表情となり、周りを改めて警戒しつつ雑踏に向かおうとしたところ、
「いやはや、正解です。ですから、逃げないでいただけると私、非常に助かります。」
後ろの角からものすごい勢いでかけてきたスーツ姿の女が慣性を感じさせるブレーキをしたのち、二人の正面に立ちはだかったのであった。
「うにゃあ!」
突如、奇抜な空気で現れた女にアイーシャは変な声で驚きの悲鳴をあげてしまい、その不覚に顔を赤らめつつ、突如現れた女をにらみつける。女の姿は20代中盤のように見え、きっちりとレディススーツを着込み、セミロングの銀髪、銀の目に高い鼻と整った顔立ちに加え、細く伸びる手足をもつが、その表情に生気はないため、ほめ言葉ではなくまさに人形のようであった。
「おや、かわいらしい。そんなかわいらしい社長さんに・・・、飴ちゃんいります?」
人形のような女はそのまま息も切らさず、能面のような表情を維持し、ごく自然にポケットからキャンディーを取りだして少し屈んで差し出してきた。
「ほんとだ。めんどくさい奴がきた・・・!」
自分の目がうるんでいるのを感じる。目の前にいるその女の態度は紛うことなき変態のそれであった。
アイーシャは落ち着け、落ち着けと繰り返し自分に言い聞かせ、気持ちを改めてこの女を観察してみると、高級服飾品のモデルにいそうな出で立ちをしており何とも自分の劣等感を刺激してくる。劣等感から自分の姿を確認し、ふと自らを省みるとファルフリードの脇にしがみついて後ろに避難している自分に気づき、その醜態から気恥ずかしさに更に顔を赤らめ、さっと離れた。
「おやおや。さらに顔を赤らめてしまってかわいいことこの上ないですね。どうです?飴ちゃん。」
―・・・何こいつ!?
理解を超える人間に出会い、すっかり平常心と通常の思考を失ったアイーシャをかばうようにファルフリードがアイーシャを抱え上げる。
「はいはい、美人さん。あまり、連れをいじめないでくださいね。それじゃ、失礼するよ。」
さっと踵を返してアイーシャを肩に抱え上げ、逃げるように立ったファルフリードに対して、女はファルフリードの背をつかみ能面を崩さず、声だけは抑揚をつけて叫んできた。
「いや、待って下さいよ!できればなんで社長と分かったとか、いつからつけてきたみたいな疑問をぶつけてくれるのを期待してたんですけど!」
「期待に応えられなくてすまない。疑問に思わないし、お前が新人類だからだといわれても納得するし、別に知っていたところで困ることないし、なにより疲れたから早く帰りたいんで失礼するよ。」
ようやく冷静さを取り戻し、改めて状況を確認すると女の異質さはさらに増すばかりであった。
―どういうこと?ファルフリードだってさすがに筋肉質とはいえないもののそんじょそこらのごろつきはよせつけないほどの力を持っているのに。
「ほら、社長さんも疑問に思ってるようですよ?落ち着いて、話を、聞いて下さいよ。ってあなたすごい力ですねぇ!」
女は一歩も引かず、それどころか余裕を感じさせる軽口すら叩いて見せた。
「いや、知らない人について行っちゃだめ、よくわからないものをもらっちゃってもだめってのはうちの地区の常識で、なっ。いい加減に離してくれんかな!」
ぎぎぎと力比べを続けていた二人をファルフリードの方の上から見つめるアイーシャだったが、ふと気づくと周りを三人の体格のがっちりとした男に囲まれていた。この男たちもこの地域ではあまり見慣れることのないオフィススーツを着ている。
「ファルフリード。ダメみたい。」
取り囲む人間の異質さからか背に汗が伝う。その身のこなしからかなり訓練を積んでいることを感じさせるからかファルフリードは険しい顔をし、懐に手を伸ばし戦闘態勢を取っている。
せめて、足を引っ張るようなことにはならないようにしなければとファルフリードから少しだけ体を離し、自分も身を守れるように改めて緊張させる。
空気が張り詰め、あわや戦闘開始というところで緊張感を感じさせない声が響く。
「やめてくださーい。あなたたちも私が一人で出た意味がなくなっちゃうじゃないですか。殺気立たないでください。そしてアステリズモのお二人さんもごめんなさいね、驚かせて。実は仕事の依頼があって、今回お二人に声掛けさせていただいたんです。」
人形のような女がつかみかかっていた手をぱっとはなし、表情はそのままに両手を大きく振りながら声を張る。
「・・・信用できないわ。いえ、信用してほしくなさそうな接触よね。仕事を依頼するにしても他をあたってくれないかしら。あなたたちと私たちの間に仕事に必要なものが足りなすぎるわ。」
仕事の話であれば自分の領分だと揺さぶられた自分の心を奮い立たせ、ファルフリードの方から降りて背筋を正し、毅然として対応する。
「そうですね、あなたたちを試したことは謝ります。確かに私たちはこのままでは脅した空気となってしまいますものね。申し遅れました私はテスタレッツェと申します。企業、ホワイトヘザーの実行部、人民救助第3グループに属しております。」
「っ!」
アイーシャは息をのんだ。目の前にいるテスタレッツェと名乗った女の所属はたとえ傭兵稼業といえど通常生きていれば、自分たちが間接的にも接触する機会などあり得ることはない企業であった。また、その実行部は中央政府であるホームから直接仕事を受けることで有名なでもあるのだ。
『ホワイトヘザー』といえば、一番街で最も力のある企業である。そして、一番街で最も大きな力を持つということはこの世界で最も大きな力を持つということでもある。揺り籠から墓場まで、また、針の一本から砲弾にいたる産業に影響を持っているといわれてもいる。そしてこの企業を敵に回すということは社会的な死をもたらすのであり、決して逆らってはいけない企業といえる。
―ホワイトヘザー!?どういうこと?一緒に仕事もしてないし、敵対行為を行ったわけでもないのに、なぜ私たちに接触を?
「あはは。あまり考え込まないでください。ことは単純です。先日の科学者救助任務ではホームから私たちに依頼があったんです。あの救助部隊に私たちが行く可能性があったのです。」
器用なことに表情を動かさずに笑い声をあげ、黙り込むアイーシャにテスタレッツェは声をかける。
「本来、私たちはS,Aの襲撃のあとにあの場にいた科学者たちを護送し、安全なところに連れて行ってから各自の家に送り届ける手はずだったのですが、ま、今回は不幸な行き違いによって依頼が交差してしまいましたがね・・・。その時にあなたたちのお手並みを拝聴しましてね。あなたたちであったら腕前もあることですし、今回の現場である第六街区にも明るいのではないかと考えて下請けとして入っていただきたいんです。」
―この女が本当にホワイトヘザーかどうかも分からないし、色々と怪しいというなら断った方がいいのかしら・・・。
頭を仕事モードに切り替え、気合を入れる。その気配を感じたからか、周りを警戒しつつ交渉しやすいようにファルフリードはアイーシャとテスタレッツェの間からずれた。アイーシャはその気遣いに感謝し、意気を込めてテスタレッツェと向かい合った。
「まず、正規な依頼としてなら組合を通して依頼していただけないでしょうか。」
「私たちもあまり手勢があるわけでもなくてですね・・・、協力が必要なのですが、ホワイトヘザーと共に業務あたるということは実力と思想に問題がない方たちでなければいけないのです。ホワイトヘザーは負けてはいけない、また、卑しくあってはいけない、となると手並みは確認できても思想を確認できない形になる組合に頼むわけにはいかないのです。また、組合には貸しもありますし、同じようにこちらで直接契約した会社もいくつかありますから、組合から咎められることはありません。」
―他にもホワイトヘザーとつながっている企業がある、と更に組合も盾にはなってくれないのね。
「私たちを調べていたようだから必要ないかもしれないけど、私たちには仕事を受けるにルールがあるの。」
「えぇ。存じております。最初から戦闘行為が含まれる依頼は受けない。反社会的活動は受けない。戦闘に巻き込まれた場合は最低限度の護衛活動の後に撤退を許可すること。でしたよね。」
「そのうえで私たちに依頼したいと。つまり、戦闘が起きればホワイトヘザーが逃げることを許すの?」
「えぇ。そしてあなたたちが賢明であることも存じておりますとも。あなたたちは逃げることで状況を悪化させてしまう場合は逃げないことも聞き及んでおります。私たちにも少ないとは言えない戦力がありますからね。共にいた方が安全でありますし、こちらの手勢が使えなくなるころにはホワイトヘザーの名が折れていることでしょう。」
「つまり、契約内容に逃走は入れてかまわないと?」
「はい。当然、戦闘行為により甚大な被害を受ける恐れがある場合、とさせていただきますが・・・。」
「そう、ただあなたたちがホワイトヘザーだという証明をどうやってするのか教えてもらうことも必要ですよね。」
「かしこまりました。一応、電子印にてサインした依頼状を持ってまいりました。組合に確認していただければ電子取引機能で確認をとれると思います。また、受けてくださるのであれば前金にて報酬の50%を事前にお渡しいたします。」
テスタレッツェは携帯端末を取り出し、立体投影にて依頼状を見せる。依頼状には暗号化された電子印のサインがしっかりとされており、条件欄には先ほどの条件も先に明記されており、前金に5割と記入されている。しかもこの女は言っていなかったが、成功報酬は別途に用意されているとまで記入されてある。
―この電子印は・・・本物?電子印は私には判断できないけど、逆に言えば本物偽物に関わらず組合に確認してもらう必要があるから組合に対してこの契約締結が問題ないことも示していて、ホワイトヘザーであることが簡単に証明できることを示す、か。
依頼書をにらみつけるが、特におかしな点は見つからない。むしろ組合からの正規な依頼書もここまでしっかりとしていないというほど書類としての様式は整っている。
―色々とありえないわね。そもそも電子印のサインがされている書類データを持ち歩ける人物が実行部隊であること、成功報酬ではないこと、前金が5割ということ、一介の企業にすぎない私たちに直接接触していること、それに戦力構成が1機しかないうちの会社に戦力として依頼すること。ここまでおかしいことばかりとなると裏があると言っているようなものじゃない。
ファルフリードにも契約書を見せたが、流し見して嘆息したところを見ると特に断る理由は見つからず、不明な点もないということがうかがえた。
「いかがなさいましたか?何か条件などでご不明な点があればおっしゃってくださいね。」
言葉もまとう雰囲気も非常に穏やかであるが、それ故に不気味さを感じさせる。契約書の内容からしても恐らくここまでは彼らの思惑の上を抜け出せていないということでもある。
―幸いなことに電子印の確認ができるということは回答に多少時間をかけてもいいということね。目的は監視と試験かしら?まあ、こちらも無敵のはずのS,Aを、手加減されていたとはいえ1対1の状況で攻撃をさばいて逃走できたという常識ではあり得ないことをやってのけているのだから確認したいとしても無理のない話なのかしらね。だとしたら、ここで無理にも断ったとしても彼らは必ず『ありとあらゆる手段』で私たちの戦力分析をしてくるということでもある、か。・・・そして、今この瞬間も私たちを見極めているとしたら?
「テスタレッツェさんと言ったかしら、このような好条件で断るような会社はありませんよ。喜んで受けさせていただきます。」
アイーシャは笑って顔をあげ了承の返事改めてテスタレッツェの顔を見て、笑顔を見せた。
「ですが、お人が悪い。初めに救助活動の協力をいただきたいと手紙でも組合経由でもご連絡いただければしっかりとご歓待できましたのに・・・。」
金も手に入るし、政府企業側の仕事であれば悪評が立つような依頼もされないなら、ホワイトヘザーの中で問題なしと報告してもらえるよう今は頭を下げなければいけないと考えて決断する。従業員もいるのだから、大企業に目の敵にされることは避けたい。
「おや、即決でよろしいんですか?」
白々しくこちらに問いかけているテスタレッツェの姿は表情の変更はないもののどこか楽しそうに見えた。
「えぇ。書類は確認させていただきますが・・・。こちらはそもそも零細。大企業とつながるパイプがあることは非常に助かりますし、チャンスの女神は前髪しかないと言いますしね。」
「それはこちらとしても助かります。結果次第で今後とも頼むこともありますのでぜひ頑張ってください。」
「それにしても本当に手広く仕事されているんですね。よりによって自治区の救助活動とは・・・なぜこのような事業をやられているのかお伺いしても?」
「それは、私たちがホワイトヘザーだからですよ。私たちは持つものだからこそ、持たざる者を助けることを自らの義務としています。何よりそういった方を助けることは経済活動を広げる一環になりますしね、経済は回さなければいけません。」
苦し紛れの探りで聞いたことも淀みなく答えられると鼻白むしかない。
「そうですか、やはり私たちとは考え方が根本から違いますね。日々の糧を得ることに精いっぱいですから・・・。それでは、ぜひよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ。これからよき関係になれるよう祈っています。それでは。」
結局テスタレッツェはここまで表情をピクリとも変えずに話を終わらせ、振り向いたのちに集団へ合図し、通りの向こうに消えていくのであった。
・・・-・・・
「・・・行ったかしら?」
「恐らく。少なくとも気配はなくなっていると思いますね。いやぁ、足音の聞こえ方からすると見た目以上の体重だと思われますんで、ものすごい訓練を受けているサイボーグですよ・・・。すくなくとも最初は気配に気づけなかったぐらいには凄腕です。」
対応に時間を要したため、もはや昼に来ていた服のままであると涼しいというより本格的に寒さを感じるようになってきた。五番街も治安が良いわけではないため夜も更けると道行く住民も減り、歩く人々の姿もどこか早足になる。
そんな人々も少ない場所で冷え込む空気の中、アイーシャはがっくりと肩を落としてうなだれた。結果としてアステリズモはホワイトヘザーの思惑の上に乗る形になったことには変わらない。ゲートの閉鎖から始まり、どこか運が悪い方向に傾いているような気がする。
「緊張させられたわ。彼女たちは私たちの反応というか、対応能力とホーム側企業に対する姿勢を観察したかったのかしらね。」
「間違いないでしょう。最初は助けに来たふりをするつもりだったのか、それとも襲撃して言うこと聞かせようとしていたのかはわからないですが。」
アイーシャは肩を落としたままため息をつき、愚痴をこぼす。
「正直、普通に依頼してもらえれば、きちんと対応するのに。ものすっごくびっくりした。それに表情を変えないから話しててやりにくかったわよ。というかあの状況で断れるわけないじゃない、馬鹿じゃないの。帰ったら塩まいとかなきゃね!悪縁は断ち切るに限るんだから!」
と寒さや落ち込みを怒りで強引に塗り変えて気を取り直そうとしていたアイーシャであったが、突如としてつい先ほどと同様にまたもやファルフリードに抱え込まれた。
その瞬間、二人の目の前にテスタレッツェが真上から飛び降り見事に着地して見せた。
「ぎにゃぁ!」
「失礼。せっかく飴を用意したのにお渡しするのを忘れてまして・・・。やっぱりお宅の社長さん悲鳴がかわいらしいですね。それから、悪縁とは言わずにどうかこれからも末永くよろしくお願いしますね。」
飴を取り出し、アイーシャの手を強引に開いて飴を手の中に入れるテスタレッツェをアイーシャは言葉にならないうめきをあげつつ驚きのあまり涙目で見上げた。そこには…
「あはは、ついつい楽しくてですね。お詫びとしては何ですがしばらくの宿を用意しております。ぜひご利用ください。」
…非常に良い『笑顔』をたたえたテスタレッツェがひらひらと手を振っているのであった。
「うちの社長の代わりに言わせてもらいますけど、もう本当に勘弁してください。」
腰を抜かして涙目で縋りついてくるアイーシャから若干目をそらしてファルフリードは苦々しく意思表示するのであった。