傍観者視点
皆様、先程から連続ですがこんばんは。
さて、この語り部もこれで最後ですね。
最後はどんな結末なのか。
まあ、基本は最後も曖昧に締め、読者の考えに委託することが多いですが。
無駄話もなんですのでそろそろ。
では、どうぞ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私はいつも、眺めるだけの傍観者。
人は皆、私のことをただの臆病者だと呼ぶけどそれは違う。
「傍目八目」っていう言葉があって、意味は、「第三者が一番状況を理解している」みたいな意味。
だから、最近よく見ている正義と悪のことも良くわかる。
正義は、自分の信念を貫いているけれど、それが間違っていても気付かない。
逆に悪は、正義が間違っていると思っているから、それを正そうとしているけど、周りは誰もその事を信じたり、手伝ったりはしない。
正義はハリボテの平和を守っているけれど、悪はそれを否定したい。
だけど、他の人もハリボテの平和を見ているから悪の考えを理解するのはごく一部。
正義は平和を腐らせて、悪はそれを止めようとする。
滑稽だね。正義も悪も、それぞれの意見を言葉で主張して、理解を促せばいいのに。
彼らはそんな方法知らないから、いつまでも終わらない。
きっと、これを誰かに話したら、
「そこまで言うならお前が教えてやれ」
って言うんだろうね。
だけど、やらないよ。
私は傍観者だから。見てるだけ、関わらない。
だって、私にとっての平和だったり正義だったりするのは、
いつまでもずーっと変わらない、在り来りだけど親しみのある、この日常だから。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
どうでしたでしょうか?
傍観者も、傍観者なりの平和を持っていました。
私達もそれぞれ、平和だったり、正義だったりを持っています。
似たような正義を持つ者同士でくっついて、大きな一枚の板になって、相反する、彼らにとっての悪を打ち消すのです。
どちらが正しいのかは分かりかねるでしょう。
多くの人が幸せなのが正しいのか。
それとも、自分達だけが幸せなら正しいのか。
それを決めようにも、決める基準さえ、人によって違うのですから。
ちなみに私は…。いや、辞めておきましょう。
私は私の、貴方には貴方の。
決して分かり合えぬ差異があるのですから。
おっと、長話が過ぎましたね。
それでは、次の語り部まで。
Au revoir。