湯たんぽ
「ま、良かったわ。無事で」
短い髪をわしわしと掻き回しながら玄関に上がってきた大八さんに「すみません」と頭を下げる。
駅前で多恵さんと話が拗れたりしているうちに時間が経ってしまい、なかなか来ない私を心配してお寺から大八さんを迎えに出してくれたらしい。
歩いて来ていれば途中で合流できたんだけど、タクシーを使ってしまったのですれ違いになっちゃったんだよね。
「商店街の奴らの中に今回のことで紬のことを良く思ってないのもいるみたいだったからな。心配してたんだ」
「うう。ますます、すみませんでした」
小さくなって謝ると大八さんの大きな手が私の頭を包んで優しく撫でられた。
白が不満そうに「グルルルッ」と唸って鼻の上に皺を寄せるので「コラ!」と叱っておく。
「相変わらず器の小せえ犬っころだな」
「ッルッルルル!!」
「もうっ!大八さん白を煽らないで!」
楽しそうに笑いながら大八さんは白を更に怒らせるようなことをいう。
白も特に大八さん相手だと感情が荒ぶりやすい気がするので、もしかしたら過去になにかあるのかもしれないけど。
「みんな待ってますから。はやくご飯食べましょう!」
居間と台所からは夕飯の美味しそうな香りが漂ってきていてお腹がくぅっと音を立てる。
大八さんが戻るまで待ってくれているので、これ以上くだらないことで夕食が遅くなるのは避けたかった。
「だな。悪い悪い」
私が先に立って廊下を進むと白が足に纏わりつくようにしてついてくるのでとっても歩きにくい。
得意げな顔で後ろにいる大八さんを振り返っているので、もし間違って治ったばかりの脚を踏んだらって思うと冷や冷やしてしまう。
全く変な所で張り合って妖の行動理由は子どもっぽいところがあるなぁ。
「お待たせしました」
「大八さんお帰りなさい」
襖を開けて中へ入ると家長である隆宗さん、その奥さんである真希子さん、宗明さんと宗春さんがいて更に今日は多恵さんと赤ちゃんが座っている。
お帰りなさいって迎えてくれた真希子さんを無視して大八さんは多恵さんの方をギリッと音がしそうな勢いで睨みつけた。
「おいおいおい。ちょっと待て。なんでその女がいるんだ」
「まあまあまあ。いいじゃないですか。私が誘ったんです」
不穏な低い声でずいっと一歩中へと入った大八さんを私は必死で宥めながらいつもの場所へと座るようにと誘導する。
「はあ!?紬、人がいいのも大概にしといた方が良いぞ!」
つり上がった目をこちらに向けられて私はびくりと固まってしまう。
それに気づいた大八さんは一瞬まずいって顔をしつつも納得はできないようで苛々と視線を彷徨わせた。
「いいから座れ。この場にいる者全員が了承済みだ。なにも問題はない」
「はあ?問題あるだろうがっ」
本当は多恵さんを連れて来てしまった私が大八さんを説得しなくちゃいけないのに、見かねた宗明さんが黙って席に着くように促してくれる。
冷たい言い方だったけど大八さんは宗明さんには逆らえないので、ぶつぶつ言いつつ腰を下ろそうと膝をついてくれたのでホッとした――んだけど。
「問題ないんじゃない?困っている人間を受け入れるのは寺の役目のひとつだし。ここでごちゃごちゃいってるのは大八だけだよ」
「ごちゃごちゃって――!」
宗春さん余計なこといわないで!
折角収まりかけたのに大八さんが大きな声で身を乗り出したので咄嗟に右腕にしがみついて引き留める。
「大八さん!いちいち宗春さんのいうことに反応したら疲れちゃいますよ。気にせずご飯を食べましょう。ほらほら。見てください。サクサクの美味しそうなコロッケですね」
大八さんは一生懸命不満を飲み込んでくれたようで、どかりと座り宗明さんと宗春さんを見て「裏切り者め」と低く唸った後はもう文句はいわなかった。
ふう。
良かった。
額の冷や汗を拭って大八さんの腕から離れてそのまま隣に座る。
いつもは宗明さんと宗春さんの座っている方に座るんだけど、そこには多恵さんが座っているから。
その間に割り込むようにして白が入ってきたので苦笑いしながら座布団を横へ動かしてほんの少しだけ距離を開ける。
夕食は真希子さんと隆宗さんが始終ラブラブモードで初めて見る二人の様子に顔が赤くなったんだけど、宗春さんと宗明さんは慣れているからか無言で――というか無の境地で食べ続け、大八さんは食べることに集中し、多恵さんは視線も上げずに赤ちゃんを抱いたまま片手で食事をするというなんだか不思議な感じだった。
いつも通り真希子さんのご飯は美味しかったけどどこに入ったか分からないまま。
食事を終えた後で真希子さんが隆宗さんと一緒に多恵さんと話をすることがあるというので片付けと食器洗いを引き受けた。
宗春さんと宗明さんは自室に戻ってもらい、できればお風呂も今のうちに入ってもらうようにお願いしたけど多分どちらも入らないままお湯が冷めてしまいそうだなぁ。
重ねて運んだ皿を流しに置いて次の分を取りに行こうと振り返ったら大八さんが片手ずつに全部の食器を持ってきてくれた。
うわあ。
手が大きいのもあるけどなにより筋力だ。
「すみません」
「一緒に片付けた方が速く済むだろ」
正直ありがたいので甘えることにする。
「じゃあこれであっちのテーブルを拭いてきてください。その後で私が洗ったお皿を拭いてもらっても良いですか?」
「それくらいお安い御用だ。任せとけ」
固く絞った台布巾を手渡すと大八さんは嬉しそうに笑っていそいそと居間へと戻っていく。
スポンジを泡立てて急いでお皿を擦り、洗い流して水切りラックの中に三分の一くらい食器が溜まった頃、テーブルを拭き終えた大八さんが私の隣に立ち乾いた布巾を掴んで丁寧に吹き上げ始める。
意外と手際が良い。
しかも楽しそうな鼻歌まで聞こえてきてこっちまで気分が浮き立ってくる。
洗い物がこんなに楽しいのって子どもの頃お母さんのお手伝いさせてもらった時以来かもしれないな。
つられたように私の手もテンポよく動いてあっという間に片付いてしまった。
なので大八さんが拭き上げた食器を水屋にしまう。
二回ほど往復すると拭き終えた大八さんも加わったのでこれすらもびっくりするくらいに簡単に済んでしまった。
「おお。すごい。大八さんのお蔭で時短できました」
ありがとうございますと頭を下げてから背の高い大八さんを見上げると、彼はどこかしょんぼりとした様子で肩を落としている。
「どうかしましたか?」
「いや。あまりにも紬がいつも通りだから謝り損ねてだな」
はて。
なにを謝るというんだろう?
分からずに首を捻っていると大八さんが大きく息を吐き出してわしわしっと頭を掻く。
「さっき怖がらせちまっただろ?あの語り部の女のことで大声出したし、紬をきつい目で見ちまった」
「ああ……」
確かに。
「大八さんは体も大きいし、背も高いので笑っていてくれないとやっぱり怖いです」
「……分かっちゃいるんだが。すまん。つい」
がっくりと首を前に出し背中が丸まってしまった大八さんは少しでも小さくなってしまいたいんだろうけど、いかんせん筋肉質でがっしりとしているし上背もあるからあんまり変わらない。
縮こまっても私の頭よりも高い位置に大八さんの顔がある。
「いいんです。大八さんが私を心配してくれてたのは分かってますから。でも私は大八さんの笑顔が好きなので、できれば笑っていてほしいです」
「っ!そうか!好きか!?」
「ああ……ええっと」
笑顔が、なんですけど。
大八さんの明るくて周りまで元気にしてしまう力強い笑顔を見てしまうとそれ以上なにもいえなくなっちゃった。
なんだかすごく嬉しそうだし。
もういいか。
私も吹きだして笑うと白が左右に尻尾を振る。
大八さんが目尻に皺を寄せて穏やかな表情を浮かべて「ほら。さっさと風呂入って来い」って追い立てるようにして手を叩く。
「すみません。いつも先にいただいて」
とことこ歩いて廊下に出ながらお風呂掃除担当でもある大八さんに申し訳ない気持ちを伝えると、一瞬きょとんとした顔をした後すぐにニヤニヤと口元を緩ませたので破廉恥な発言をされるとピンッときた。
ここは「では!お言葉に甘えて行ってきます!」と先手を打って走って逃げた。
危ない危ない。
職場でおじさんたちからからかわれたり、軽い下ネタを振られたりするのとはやっぱりわけが違うので、大八さんにはなるべくそっち系の話題にならないように気をつけなくては。
着替えを持ってお風呂へ行くとやはり宗春さんも宗明さんも入った形跡が無かったのでお湯が冷める前にと急いで済ませ、濡れた髪はタオルで包んで部屋へと戻った。
荷物の中からドライヤーを探していると白がぴったりと身を寄せてきてクンクンと匂いを嗅いでくる。
お風呂上がりだと石鹸とかシャンプーの匂いとかで私特有の匂いはあんまりしなさそうなんだけど、白はいつもこうやってスリスリしながら顔を首元に寄せてくるんだよね。
「あ、あった」
「……キュン」
ドライヤーを取り出すと悲しそうに鳴いて離れるのもいつものこと。
音とか風が出てくるのがどうも苦手みたいで。
お腹を下に着けて伏せの状態になると前脚の間に鼻を埋めて恨めしそうに私を見上げてくるのもまた可愛い。
風邪を引く前にさっさと乾かしてしまおうとスイッチを入れてまずは根元に温かい風を入れ、次に下を向きながら上からドライヤーを当てていく。
髪が長いから面倒だけど髪を洗った後の乾かし方で朝の髪の状態が変わるから手を抜くなって結からいわれているので完全に乾かしきるまで我慢する。
「癖っ毛じゃなければ短くしてもいいんだけどなぁ」
左側に髪を寄せてシュシュで簡単に纏め、湯冷めしないように中綿が入った上着を羽織るとなにもすることがなくなって手持無沙汰になった。
一応宗明さんからもらったノートを取り出してはみるものの、視線は自分が書いた文字の上を滑るばかり。
ちっとも頭に入らない。
「そういえば商店街の妖さんとの話しはついたのかな」
なんの説明もされてないからどうなっているのか全く分からないけど。
今はまだなにもいえない状況なのか。
それとも明日の朝には教えてもらえるのか。
どちらかではあるはずで。
「う~ん……お前の協力はいらないって判断されたら、私なにもできないしな」
できれば有益な方法のひとつとして検討していて欲しい。
そしてダメもとで一応やらせておくか、くらいの感じで許可してもらえたらいいなぁ。
ごろりと畳の上に横になると白が喜んで飛んでくる。
背中側に白の温もりを感じてふっと気が緩む。
温かい。
背中越しに私の心臓と白の鼓動が重なって。
ふわふわと意識が上がったり下がったり。
気持ちが良くていつしか眠ってしまっていたようで。
白が顔を上げたのか肩甲骨の辺りがすうっと冷えた。
「んん……」
寒い。
ちょっと白。
お願いだからもう少しくっついていて――。
「ひょわっ!?」
寝返りを打って両腕で白が逃げないようにと手を伸ばしたのに。
その手首をがしっと掴まれてびっくりして跳ね起きた。
「え?え?え?なに?え?」
「こんな季節に転がって寝るってなに考えてるんだか。風邪引きたいんだったらうちでじゃなくて家でやってくれる?」
私が起きたことを確認すると興味を失ったかのようにぞんざいに手を離され、一応自ら病気を引き受ける酔狂さは持ち合わせていないので「すみません」と謝っておく。
急に無理な体勢から体を起こしたので鈍い痛みがある腰を擦りながら座りなおしていると目の前にタオルに包まれた丸っこいものを差し出された。
「母さんが紬に持って行ってやれって。寒いだろうから」
「あ。湯たんぽ。ありがとうございます」
受け取るとたぷんと中で液体が揺れる感触がした。
ほんわりと温かい湯たんぽは昔ながらのブリキ製で銀色なのがレトロ可愛い。
お腹に当てるようにして抱えると安心できる形と温もりでほっとする。
「多恵さんとの話終わったんですか?」
「みたいだね。遅いから今日は泊まらせるっていってた」
なにを話したのか気にはなるけど、個人的なものだろうから聞きたがるのはちょっと遠慮しておくべきだろう。
私が知っておく必要があるなら誰かが教えてくれるだろうし。
「あの。商店街の妖さんとは」
どうなりましたかって尋ねると宗春さんは「どうもこうも」と鼻で笑う。
「盲目な狗と過保護な古老に意外な忠誠心を見せる狸のお蔭で纏まるものも纏まらないみたいだね」
やっぱり反対意見の方が強いようだ。
「じゃあ難しいですか」
がっかりしながらも今まで連絡がない時点で簡単にはいかないんだろうとは分かってはいたことだって納得しようとしていたら。
宗春さんがははっと声を上げて笑った。
「どうだろう。今頃あいつらも焦ってるんじゃないかな」
「それって、どういう」
「朝になったら状況は変わってるかもってこと。果報は寝て待てっていうから布団敷いて気が済むまで寝ればいい」
「ちょっ、待って!」
背筋が寒くなるような薄い笑みで立ち上がる宗春さんを必死で引き留めようとしたけど長い足で颯爽と逃げられた。
悔しい。
障子を開けて廊下に出た所でそうそうって思い出したように振り返る。
「洞窟の水が枯れたから朝の水汲みにいく必要がなくなったよ。良かったね」
「は――はいぃいいっ!?なにが!どうして!なんで!良かったね、なんですか!」
そこは絶対に良かったなんて言葉を使うとこじゃないはずだからね!
本当に宗春さんって悪意のある言い方しかしないんだから。
もうっ!
「じゃあね。おやすみ」
「おやすみって!ちょ」
何故か楽しそうに語尾を上げて閉められた障子に向かって叫んだ所で返事が返ってくるわけがない。
「こんな状態で眠れるわけないのにっ」
もどかしくて湯たんぽを揺するとちゃぷちゃぷ音が立つ。
白が慰めるように頬に顔を寄せてくれたので、膝と一緒に湯たんぽを抱えて唇を噛んだ。
水が湧かなくなったってことは龍姫さまの神聖さが失われたってことになるのかな?
もしそうだとしたら時間はないんだと思う。
だから。
宗春さんは明日になったら頑な妖さんも意見を変えるかもしれないっていったんだ。
「天音さま、どうしてるかな」
「クゥウン」
会いたい。
今すぐ会って龍姫さまの所に一緒に行きたい。
でも天音さまだってなにもしないでいるわけじゃないはず。
龍姫さまのために動いてくれているはずだから。
信じて待つのが今私にできること。
白が押入れの前に移動し鼻と前足で器用に襖を開けて「ガウッ」と吠えたのでよっこらしょっと立ち上がりお布団を敷く。
眠気はどっかへいってしまったけど横になっていればさっきみたいに眠れるかもしれない。
「真希子さんが用意してくれた湯たんぽもあるし」
寝られる時に寝ることも必要なことだから。
湯たんぽを足元に入れ電気を消してお布団に包まる。
考えてもどうにもならないことは頭から一生懸命追い出して。
静かな夜を、数を数えて過ごした。




