表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/105

捕まったら最後



「――――ひっ、ぁ!」


 力任せに繋がりを振り解かれて頭の奥で光が弾けた。

 全身が痺れ、気づけば仰向けに倒れている。


 ジリッと音をさせて天狗さまが一歩近づく。


「見たな……?その眼鏡で、総二郎の」


 眼鏡の力を使って。


「許さぬぞぉお!!」


 天狗さまの怒りは声になり空気をも震わせ、荒ぶる感情のまま大きな拳を振り下ろしてくる。


 襲ってくる痛みを覚悟したけど、私と天狗さまの間にするりと入り込んできた白が手首に噛みついて止めてくれた。


「おのれっ!邪魔をするなぁ!」


 白は負けずに吠え返し、何度も何度も天狗さまの攻撃を防いでくれる。

 その度にどちらのものか分からない深い赤色の雫が飛んできて頬や服に着いてくらくらした。


 激しいやり取りを寝転がったままぼうっと眺めて、物質的な痛みと悲しみで涙を流しながら私は「おじいちゃんごめん」と呟く。


 置いて逝かれる喪失感は想像していたよりも深くて。

 簡単には癒えなくて。


 一度繋がれば妖は人に対する情が深い。


 人は親しい人、愛する人が死んでも自分が寿命を全うして死んだ後に会うことができるという思想や神の元へ逝けるという救いがあるけど。


 妖の死は消失。

 永遠の別れなんだよね。


 だからこそ大きいんだ。


 抱えているのが辛くて忘れてしまいたいと思うのに、大切な思い出だからこそ手放せなくて。


 狂った方がマシだと。

 怒りに身を委ねた方が楽だと。


「おじ、ちゃ」


 こうなるって分かってたらおじいちゃんは天狗さまと仲良くなろうなんて思わなかったのかな?


 ああでも。

 私はきっとムリだ。


 妖たちと触れあって通わせた思いを否定できない。


「お姉ちゃん!」


 いつまでも動かない私を叱るように結が叫んだ。

 そちらを見ようとのろのろと顔を横向けると岩壁の切れ目から露草が駆け込んできて一瞬立ち止まり、視線を左右に走らせた後で迷うことなく茜の元へと急ぐ。


 どうするのかと思っていたら後頭部で結ばれたお面の紐をするりと解いてその拍子に外れた面がストンッと地面に落ちた。


 なるほど。

 賢い。


 妖はお札に触れられないけど、これなら触れずにお札を外すことができる。


 経験の差か年の功か。

 きっと両方なんだろう。


 でもお面が取れた途端に茜は元の小鬼の大きさに戻り、硬直が解けたことをすぐには理解できずに目を丸くしたまま。


 その隙に掴まれていた腕を振り払って走り出した結が真っ直ぐにこっちへやってくる。


「おねえちゃんっ!」


 顔をくしゃくしゃにしてそれでも泣かないで走っている結の姿が揉みあっている天狗さまと白が移動したことで見えなくなった。


 そして再び視界に現れた時には器用に地面に落ちているなにかを掴んで取り、足を止めずになにかごそごそと紙のような物で包んでなんと思い切り天狗さまに向かって投げつけた。


「ぬぅう!」


 それはピンポン玉よりも小さなものだったし、コントロール重視だったから速さもなくて。


 だけど確実にダメージがあったのは分かる。

 当たった反対側の手で肘を握って、天狗さまは苦しそうに頬を歪めた。


 どうやら結本人もそんなに威力があるとは思っていなかったようでびっくりした表情を浮かべている。


 だけど少し圧され気味だった白にとっては絶好のチャンスだった。


 唸り声を上げて喉を狙い突撃する。

 舌打ちと焦り。

 空を切る羽団扇。


 牙は月の光を受けて白く闇に浮かび天狗さまの首筋に確かに届いた。


「我が主!」


 だけど結んだ黒髪をなびかせて露草が天狗さまと白の牙の間に強引に腕を突っ込んできて。

 皮膚が裂け肉が千切れる生々しい音が響く。

 腕にガチリと牙が食い込み露草がくぐもった声を喉の奥で上げたのが聞こえる。


 すぐに顎の力を抜いて離れようとした白を逃がさないように露草が更に腕を口の奥へと突き入れ、もう片方の手を首に回してまるで柔道やプロレスの投げ技みたいにして一緒に地面に倒れ込む。


 そのまま上下がクルクルと入れ代り砂埃と血が舞った。


「なにしてんの!?起きなよ!お姉ちゃん!――ってか離せ!触んな!」


 頼むからしっかりしてよと懇願する結は後ろから追いついた茜に捕まって。

 私の傍には天狗さま。

 だけどジンジンと頭の芯の方が痛んでまだ体に力が入らない。


 万事休すだ。


 くしゃりと手のひらのお札を握り締める握力もいつもよりずっと弱い。


「死に失せろ!」


 腕を振り上げた形の黒い影が視界を覆う。

 その闇の中で爛々と輝く瞳から一筋流れた雫を私は見間違いじゃないって信じてる。


 天狗さまの渾身の一撃を受けて。


 ズルリと体の表面が剥がれ落ち、私は冷たい世界に転がり落ちた。



 ★ ★ ★



 しんしんと雪が降り積もる。

 静かな森はいつもよりずっと静かで厳かな空気が流れていた。


 夜中降り続いた重い雪が町も山も同じ真っ白に染めて包み込んでいる。


 ああ。

 この胸に巣食う黒く濁った感情も同様に白く塗りつぶしてくれればいいものを。


 眩いばかりの光りを放つ雪も太陽も魂も憎い。

 憎くて、憎くて堪らぬ。


 穏やかな日々が奪われて幾年月が経ったのか。


 永劫を生きる者にとって取るに足らぬ刻であったとしても、身を蝕む黒き想いが理性を焦がして焼き尽くすには十分なものではあったのだ。


 ああ、憎い。

 ああ、何故にあの者を慈しむのか。


 理解などできぬ。

 到底受け入れられぬ。


 何故彼の者だけが幸せを手にするのだ。


 許さぬ。

 許せぬ。


 ああ。

 どうしてこちらを見ては下さらぬのか。


 まだ献身が足りぬとでも仰るのか。

 もっと敬愛の意を示すため、この身をこの力を捧げる必要があるのか。


 許し難い人の子め。

 その脆弱さとその愚かさで誑かしおって。


 憎い人間め。

 さっさと短い命を燃やして目の前から消え失せてしまえばいいものを――ん?待てよ。


 ああそうか。


 その時を待つ必要などない。

 この手で断てばよいのだ。


 そうだ。


 新雪に散る赤い血はさぞかし美しかろう。

 柔らかな肉と臓物はさぞかし美味かろう。

 喪失に嘆き喚く姿はさぞかし楽しかろう。


 ああ。

 堪らぬ。


 ああ。

 止まらぬ。


 そうだ。

 もう止められぬ。


 あのお方を友と慕い、縁を刻んだことを恨め。


 お前には過ぎたお方。

 お前には届かぬお方。


 我には向けてはくれぬあの眼差しを分不相応にも独占したがお前の罪。


 許さぬ。

 許してなるものか。


 雪よ。

 力を貸しておくれ。


 風よ。

 あの幼子に運んでおくれ。


 おいで。

 おいで。


 手のなるほうへ。


 我が手に。

 その血を。

 その魂を。


 望み通り喰ろうやろう。


 ああ。

 匂う。


 甘い匂いだ。


 甘い。

 甘い。


 あまい――――。


 これは危険な香り。

 理性焼き尽くす甘い匂い。


 ――いっちゃだめ


 さあ、こっちだ。


 おいで。

 おいで。


 ――おねえちゃん!


 胸の中まで冷たくする風が舞う朝に泣き声が響く。

 雪の上に散る生き物の足跡。

 なぜかその先が見たくて。

 確かめたくて。


 誰かが。

 呼んでいるようで。


 私は足を止めた。


 雪の中でひときわ鮮やかな赤い色。

 とても気になるけど泣いて呼んでいるから。


 戻らなきゃ。


 迎えに来てくれたおじいちゃんが結を抱き上げて、振り返ろうとする私の頬をそっと包んで止めさせる。


 ――お姉ちゃんをとられたくないんだよ。


 分かってあげなさいと言われた時にはなんのことか全く分からなかったけど。

 あの時私は帰れなくなるところだったんだ。


 大切な人の所に。


 護られていたんだな。

 ずっと。


 こうやって。


「お姉ちゃん!しっかりして!」


 ほら。

 聞こえる。


 結の声が。


「あたしをこんなとこに置いて死ぬなんて絶対に許さないんだからね!」


 しっかりしなよ。

 目を開けて。

 ちゃんと。


 立ち上がって――。


「……ううっ」


 ぽたぽたと温かい雫が頬と鼻筋に落ち、その生臭さに眉を寄せながら重たい瞼をこじ開ける。


 眼鏡をかけている感覚はあるのにまるでかけていないみたいに視界が不明瞭で、所々に黒い斑点が散っていた。


 何度か瞬きしているうちにその黒い点がレンズに着いた赤黒い雫――誰かの血液――だってことが分かって慌てて体を起こそうともがく。

 痺れはまだ残っていて腕にも足にも力が入らないけど、意識を失う前の状況を思えばここで横になっている場合じゃない。


「う、くっ」


 一体どこが痛いのか分からないくらいに全身があちこち悲鳴を上げる中なんとかお腹に両膝を引き寄せて腕を突き上半身を起こすことに成功する。


 でも考えようによっては痛みを感じるってことはまだ生きているってことだ。

 天狗さまは本気で私を殺そうとしていたし、私には抵抗できる術はなにひとつなかったはずなのに。


 不思議なことに私はまだ。


「いき、……てる」


 どうしてだろうって思いながら大きく息を継ぐとお腹の上からなにかが転がり落ちた。


 小さな布切れ。

 薄いピンクと紫の。

 古い和柄の布。


 これ。


「宗明さんの、お守り」


 飾り結びになっていたはずの白い紐は引きちぎれ、布もビリビリに破れていて元の形状がどんなかなんて分からないほどになっていた。


 風に揺れ飛んでいく切れ端。

 解れた布の繊維がホロホロと消えていく。


 本当に危険な時にだけ小宮山さんの身代わりとなりあなたを守ることができる。

 そういって渡してくれた言葉を思い出す。


 相手を怯ませるくらいしかできないなんていってたけどそれ以上の効果はあった。


 私の命は宗明さんのお蔭で助かったこと。

 ちゃんと帰ってお礼を言わなくちゃいけない。


 そうじゃないと宗明さんはきっと自分のせいだって責めちゃうから。


「だから生きて、帰らなきゃ」


 私は顔を上げて。

 見た。


 白銀の美しい毛並みを土埃と血で汚しながら天狗さまと露草の二人を相手に必死に戦ってくれている白を。


 たくさんの血を右腕から流しているけど動きも速さも変わらず、ただ主を守ろうと白を追い、間に入り鋭い牙と爪をその身に受けて新しい傷に耐えている露草を。


 目の前の邪魔な白を露草ごと排除しようと巨大な力を揮う天狗さまを。


 押し殺した呻き声と荒い息遣い。

 耳を塞ぎたくなるような重く鈍い殴る音。


 夜気は震えるくらい冷たいのに戦う彼らからは熱気が感じられて圧倒された。


 腕をしならせた天狗さまの羽団扇が白を横から打ち据えて軽く飛ばされる。

 それでも空中で踏み留まり身を返して私の元へと戻ってこようとする白に露草が正面から襲い掛かかった。

 鼻を押さえられ押し戻された白は身を捩り後ろ脚で露草の腹を蹴り上げ、唸りながら激しく首を振って、なんとか拘束から逃げ出すけど回り込まれて進路を塞がれてしまう。


 その隙に天狗さまの腕が伸びてきた。

 私を捕まえるため。


「今度こそ」


 息の根を止める。


 そう囁いて嗤った顔にはもう私に対する怒りも恨みもないように見えた。

 いつまでも座ったままだったことにやっと気づいて、立たなくちゃと力が入らない足を滑らせながらよろよろと立ち上がる。


「お姉ちゃん!」

「ォオオン!」


 重なった結と白の声を聞きながら左手を後ろへとやり、右のお尻のポケットへと突っ込む。


 もう宗明さんのお守りは私を守ってはくれない。

 捕まったら最後。


 大きく息を吸い。

 そして白を見た。


 青い瞳が応える。


 天狗さまが大きく一歩踏み出して間合いを詰めてくるのを見て逃げ出しそうになる自分に言い聞かせる。


 決めたのは私。

 どんな理由があっても。

 どんな結果になろうとも。


 ここにいるのは私の意思だ。


 だから。


 グンッと斜め下から掬い上げるように手が近づいてくる。

 曲げられた指先が肩と首の辺りを狙って。


 皮膚が粟立って血の気が引く音が聞こえた。


 それでもそこに留まる。

 一瞬が長くて。

 息さえできない。


 目を閉じずにじっと捉えて。

 目を逸らさずその時を待つ。


「クッ!ハハハハッ!」


 堪え切れずに嗤う天狗さまの爪がシャツの襟に触れ、私は左腕を振り抜き思い切り紙の束を投げつけた。


 金色の中にある黒い瞳が丸く大きく見開かれる。

 たくさんのお札がはらりはらりと宙を舞い、天狗さまが思わず後ろへと下がるのを私は必死で追いかけた。


 くしゃくしゃになった一枚のお札。

 倒れても握り締めて離さなかった一枚。


 それを。


 体当たり同然に天狗さまのお腹へ突撃し貼りつけた。

 ビクリと筋肉が反応した感触をお札越しに手のひらに感じながら私はほうっと長いため息を吐いてゆっくりと離れる。


 体の自由を奪われた天狗さまはわなわなと震えながら睨み下ろし「お、のれ……!」と悔しそうに呻く。


 完全に固まることはないみたいだけど、動くことはできないようなのでとりあえずは大丈夫なはず。


 あとは。


「主さま!」


 天狗さまの様子に気づいた露草が振り返り、白に背を向けて駆けてくる。

 さっきのようにお札を外されちゃ困るので両手を広げて通せんぼをした。


 後ろから追い掛けてきていた白が青い目を鋭くして何故か加速し、露草を追い越して私の横をすり抜けていく。


「白?」


 振り返り目を疑う。


 白銀の毛が散りぐにゃりと変な方向に曲がった右前脚と鼻と口から零れる血。

 ドウッと横向きに激しく落ちて光が弱まる。


「白!」


 私の呼びかけに首を上げようとするけど追いついた露草に押さえつけられて苦しそうに喉の奥で声を響かせる。

 四肢をじたばたと動かし体を跳ねさせて逃れようとしている姿を黙って見ていられずに気づいたら露草の背中にしがみついていた。


「やめて!お願い!露草!放して!白から離れてよっ!」

「…………」


 指を握り込んで叫びながら露草の背中を叩いてもビクともしなくて。

 悔しくて、悲しくて、泣いていた。


「……だ」

「え?」

「これで」


 終いだ。


 黒い言葉の向こうで私を心配して呼ぶ結の声を聞いた気がした。

 でもそれよりも肩と腕が痛くて。


 恐る恐る顔を横向けると大きくてごつごつした手が乗っていた。


 伸びた爪が肌に食い込み、すごい力で握り込まれて肩と腕が繋がっている関節がギシギシと軋んだ。


 骨が砕ける――。


「い、や……!」


 更に重みが増して体が露草の背中に押し付けられた。

 押し潰される苦しさと限界を超えた痛みが弾けて。


 なにこれ。

 なにこれ。

 なにこれ。


 胸とお腹の下で私のじゃない骨格がメリメリと震えている。

 キュンキュンと小さな鳴き声と抵抗するように動く気配。


 ああ。

 だめだ。


 このままじゃ私だけじゃなくてみんながダメになっちゃう。


 一生懸命目を開けて見ようとするけど辛うじて切れかけた電球みたいにチカチカと意識と視力が点いたり消えたりするばかり。


 いたい。

 痛い。


 痛すぎて諦めたくなる。

 逃げたくなる。


 まだなにもできてない。


 ここで終わりたくなんかない。


 やだ。

 いやだ。


 死にたくない。


 私。

 まだ。


「あ――ま、」


 おねがい。

 たすけて。


 たすけて。


「さ、ま……」


 これ以上は。


 私は手を伸ばす。

 微かに見える糸の先へ。


 必死に。

 手繰り寄せて。

 呼んだ。



 天音さまを。




 背中に当たる柔らかな感触

 痛みを堪えて徐々に速くなる鼓動が己のそれと重なりやがて混ざり合っていく


 嗚呼

 こんなはずではなかった


 なかった筈なのに

 背中の重みに己の欲望が加速する


 命とはこんなにも柔らかく

 熱いのか


 嗚呼

 せめて叶うのならば


 嗚呼

 この温もりに融けて

 消えてしまいたい


 香しい甘い匂いに包まれて


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ